三文芝居のセリフにすらならない三文芝居のセリフにすらならない
「いいか、これは命令だ。……絶対に俺のそばから離れるな」
はい、カット!という監督の声を聞き、俺はフーッと大きく息を吐いた。スタッフからミネラルウォーターを受け取り、一口飲んで喉を潤す。
「月島、良かったぞ。女性ファンが増えるんじゃないか?」
「……いや、オッサンのキメ顔なんて需要ないですよ」
監督の鶴見さんに肩をポンポンと叩かれ、演技を褒められたが、俺はこのシーンを見た視聴者から大量のクレームが届くんではないか?と不安に襲われる。別に批判があるのはいいのだが、あまりに不評すぎるとスポンサーからの印象が悪くなってしまう。そうなると、この道で食っていくのが大変になる訳だ。
今撮影中のドラマは大富豪の隠し子であることが分かった女子高生が、選ばれし令息令嬢が通うとある学園に編入し、たくさんのイケメンたちと恋愛模様を繰り広げるという内容だ。俺はヒロインの護衛役に抜擢された。予告を見た視聴者から「護衛役ガチすぎんか?」「こんなん後ろに控えてたら、男たち声掛けれんだろwww」という呟きを目にし、そりゃそうだと納得してしまった。
しかも今撮影してるシーンは学園で立てこもり事件が起こり、俺が命をかけてヒロインを守って、普段と違う粗野な言葉遣いで命令するという俺の一番の見せ場と言える。もちろん役者として全力で演技に取り組んだものの、メインターゲット層の若い女性たちに響かないだろうなと愚痴を零したくなった。
今日の撮影が無事終わり、サッとメイクを落として、楽屋を出た。
「月島さん、今日はありがとうございました!とてもドキドキしちゃいました!」
「ははっ、こんなオッサンに優しい言葉をありがとう。模部川さんも素敵な演技でしたよ」
ヒロイン役である人気アイドルがわざわざ挨拶に来てくれた。こんな脇役にもちゃんと気を配れて、若いのに凄いなと感心してしまう。
「月島さん、あの~、良かったらこれから食事でも……」
「月島さん」
色気を感じる低音が俺の名前を呼んだ。
「尾形、なんだ来てたのか」
「ええ、少し用事があったので」
居るだけでその場の空気を変えてしまうこの男は脚本家の尾形。このドラマの脚本も尾形が手掛けている。
「月島さん、夕飯まだですよね?いつもの店の予約取ってあるんで行きましょう」
「え?もう予約取ってあるのか?」
「はい。この前の旅行で美味いって言ってた日本酒も取り寄せてありますよ」
「お、いいな」
「じゃあ、行きましょう」
「分かった。ああ、模部川さんも遅いから気をつけて」
「あっ、はい……」
俺と尾形を見て、ボーッとしている彼女に挨拶して出口に向かい、タクシーに乗り込んだ。
「模部川さん、お前に見蕩れてたな」
「……俺はアンタが鈍感でつくづく良かったと思います」
「??」
「ま、それは置いておいて、基さんお疲れ様でした」
「おう、百之助ありがとう」
俺と尾形は恋人同士であり、二年前から一緒に暮らしている。別にバレても構わないが、こちらからアピールする気もない。
いつもの居酒屋の個室で、のんびり酒とつまみを楽しむ。取り寄せてもらった日本酒はやはり美味く、いい感じに酔いが回ってきた。
「今日、あのシーンだったんですよね?いかがでした?」
「……もちろん真剣にやったが、クレームが入りそうで正直心配だ……」
「くくっ、基さんは心配性ですね」
「……お前が俺を指名してくれたから、そうならないといいんだが……。百之助の評判に傷がつくと嫌だ……」
尾形はパチパチと数回瞬きした後に、ニッコリと笑った。
「基さんは俺の事が好きですねぇ」
「……お前だって俺のこと好きだろ?」
「ははぁ、勿論そうですよ。役者である月島さんも、俺の恋人である基さんもどちらも愛してます」
「俺も……」
「……はぁ、早く家帰りましょうね。会計してくるので、先にタクシー乗ってて下さい」
「ん……」
尾形の考えていることが分かってしまい、顔が熱くなる。そそくさとタクシーに乗り込んで、尾形を待った。顔の熱はなかなか冷めなかったけれど、きっと尾形も同じだろうと思うと気にならなくなった。
◇
俺の横でスヤスヤ眠る恋人の坊主頭を撫でながら、先程撮影された彼の見せ場シーンをタブレットで再生した。イヤホンから流れる役者月島基の声が俺の鼓膜を揺らす。荒々しさがあるセリフだが、程よく抑えられた声は、突然の事件にも慌てることがない護衛の頼もしさを感じさせた。しかし、ヒロインの女を見つめる瞳は優しく、隠しきれない慕情が滲んでいる。こういう心に秘めた思いが漏れ出てしまうシチュエーションは多くの視聴者の心を掴むだろう。脚本家としては、やはりこの役は月島さんじゃないとダメだったなと自分の感性を褒め讃えたくなる。
しかし、恋人としては少々複雑で、彼の魅力に気付いてしまう人間が増えるのはあまり好ましくない。俺たちの関係を知っている連中からは心が狭いと言われたが、その通りだなと素直に頷いた。
それなりに需要がある脚本家の俺だが、よく言えば流行や視聴者のニーズに敏感、悪く言えば脚本家としてのプライドがないと言える。別に最初からそうだった訳ではないが、いつからかこの世界で食っていくために一般受けのいい脚本を書くようになった。しかし、当時はそれを飲み込むのが本当に苦しく、筆を取るのが辛くて仕方がなかった。
そんな時に知り合いが所属している劇団から戯曲の依頼を受けた。自暴自棄になっていた俺は、俺が書きたい世界を全面に押し出した独りよがりの戯曲を作った。きっと受け入れてもらえないだろうと思ったのに、数名の役者たちがこの作品を演じたいと強く主張してくれ、公演が決まった。俺は暇さえあれば練習場に足を運び、演出や役者、裏方と意見を交わした。そして俺は月島さんと出会い、彼の魅力に取り憑かれていった。決して華やかな魅力がある役者ではなく、月島さん自身も、俺は縁の下の力持ちみたいな、目立たないし、代わりは沢山いるけれどそれなりに必要な役者なんだよと、今でもよく口にする。きっと葛藤はあったに違いないけれど、自分の武器を大切にする彼が俺には眩しくて、いつの間にか恋に落ちていた。
この公演の打ち上げで月島さんの隣をぶんどり、色々な話をした。
「いや~、本当に楽しかった。尾形さんの戯曲を初めて覗いた時に圧倒されてな。気付いたら、演出にやりたいって懇願してたんだ」
この言葉にビックリした俺は口を半開きにして、少しの間固まった。
「いい返事が貰えるように、周りの役者にもプレゼンして、やりたいっていう人数を増やしてな。本当に尾形さんの作品をやれて良かった」
「そう、ですか……。あの、月島さんが良ければ、この戯曲のプロットとか設定資料とか、その、俺の家に見に来ませんか?」
「え?いいのか?」
「……はい」
「じゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらう」
二週間後に月島さんを自宅に招きそれらを見せた。月島さんは何度も凄いと言い、真剣な面持ちで資料に目を通していく。面映ゆい感じもしたが、自分が書きたい世界を月島さんに面白いと褒められ、心の底から嬉しくて堪らなかった。
こんな感じで交流を重ね、三年前に恋人になれた。仕事面では月島さんも俺もキャリアを積み、ようやくこの世界一本で食っていけるくらいに。人気商売なので、いつ沈むかは不安ではあるが、二人なら乗り越えれる自信がある。今は視聴者に媚びた脚本を書いて、しぶとく生き残ることを優先するつもりだ。
映像を繰り返し再生し、俺の心を揺さぶり続ける男を網膜に焼き付けていると、フッと頭の片隅に書きたいシーンが浮かんできた。小さなタネが消えないように、ベッドから静かに抜け出て、使い込んで表紙がボロボロになっているノートに自分以外に読めない字で殴り書いていく。月島さんが認めてくれた俺の世界。いつになるかは分からないけれど、必ず完成させると改めて決意した。
そして、俺はこの物語のキーパーソンの役に月島基を指名する。きっと彼の代表作になると俺は確信していた。彼の魅力を俺が一番引き出すことができる自信しかない。
その物語は俺から月島さんへ捧ぐラブレターだなんて、笑ってしまうほど使い古されたフレーズだ。三文芝居のセリフにすらならないけれど、彼が爆笑してくれると思うと、俺にとってその言葉は宝石のようにキラキラしていた。