春からまたお隣さん「なあ朋也、お前今日部活行かねえの? 後輩たちが卒業前だし顔出してくれ~会いたいです~ってさ」
「ん、来週な」
「珍しいじゃん。芹澤いっつも何だかんだ後輩坊っちゃんたちに弱いのに」
「何々、お前彼女でも出来た?」
ぴくりと眉を動かして数秒、口からは「別に?」とごく自然な答えが出て来た。
また明日な~とクラスメイトたちの声を背に受け、ひらひらと手を振りながら教室を後にする。
彼女ではない。
だけど、年度末でも無きゃ中々会えない人だ。
芹澤朋也、十八歳。
俺は隣の家に住んでいる一つ年上の幼馴染みたいなひとに、恋をしている。
◇◇◇
「よっ」
「……え!? うそ、うそうそうそ朋也くん!?」
「いかにも。180度どこから見てもあんたの朋也くんですよ~」
もう二月の終わりとはいえ、まだまだマフラーは手離せそうにない。受験が終わった瞬間に茶色に染めてしまったこの髪を見て、数ヶ月ぶりに帰省してきた彼女はぽかんと大口を開けたまま呆けていた。それを見て、芹澤はくつくつと笑う。
そうそう、この反応。揶揄いがいがあるというか、反応が良いというか。
茶髪……と固まりながらも「朋也くんは私のものじゃないでしょ」とちゃっかり訂正してくるあたり、鈍いのか鋭いのか相変わらずよくわからないなと思う。そういう所も好きだ。マフラーに引っかかる後ろ髪を少し指で掲げて、芹澤は似合うだろ? と彼女の顔を覗き込んだ。
「茶髪だとな~んか、いっきに雰囲気変わるねえ」
「だろだろ? 似合う?」
「あははっ、自分で似合うって分かってるじゃん絶対。うんうん似合うよ」
「なんか雑じゃね? もっと褒めてよ姉さん」
芹澤が身体を傾けた事で襟足に触れていた彼女の手が、その瞬間ぴたりと止まる。変な顔で固まってる彼女にどうしたのかと思っていればふへ、と気の抜けた笑顔が返って来て、芹澤の心臓はドッッッと変な音を立てた。
「……姉さんって呼ばれるの懐かしすぎて一瞬朋也くんと血のつながりあったっけってガチで悩んじゃった」
「おいおいおいあったら困るっての」
「困らないでよ!? こんな背の高い弟がいたら助かるだろうな~ってよく思ってたよ私」
「買い物の荷物持ち的な意味だろ?」
「バレてた」
あちゃ~、と悪びれた様子もなく笑う彼女に向けてむっと尖らせた口は、マフラーが隠してくれている。
好きな人と血縁関係があるって判明したら俺どうすれば良いんだよ。どうもしねえし、どうしようもねえけどさあ。こんな長年拗らせたら、今更好きじゃなくなるとか無理だっての。
芹澤は彼女の手から家の鍵を掬い取って、これ見よがしに上に掲げた。取り返そうとぴょんぴょん跳ねる様を笑いながら、「弟じゃなくても出来るだろ」と意地悪なことも口にしてみる。
「俺は別に、あんたが望むなら荷物持ちなんていつでもするけど? 高い所の物も取ってやるし、蓋が開かないとか、髪が上手く巻けないとか、料理に失敗したときに一緒に食べる係とかさあ……」
「ちょ、鍵、私が朋也くんより背が低いからって!」
「聞いてねえの。俺、今結構大事なこと言ったのに」
ほら、と頭に載せて鍵を返せば「なんか意地悪になったよねえ」と不満げな視線が向けられた。
「そうそう、朋也くん同じ大学だってね。立教大学」
「MARCHいくつか受かって迷ったんだよなあ、それで立教大。また三年一緒か」
「先輩にな~んでも聞きなさい!」
えっへん、と胸を張る彼女に、丁度良いやと準備してきた問いを投げかける。
「一人暮らしするつもりでさあ、姉さん今住んでる物件に空きってない?」
「え? え? あったかも……?」
「んじゃ、それ大家さんとかに話しといて。そこにする」
「……即決!?」
「知り合いが住んでた方が何かとトラブルあった時に助かるだろ。かわいいかわいい弟の朋也くんを助けると思って」
「いいけど、私の勘違いで空いてなかったら本当にごめんね?」
「そん時は近くで物件探すから。LINEにとりあえず姉さんの住所送っといてよ」
「あ、うん。じゃあそろそろ夕飯作るから帰るね~」
ばいばーい、と隣の扉に消えて行った彼女に頷きを返して、芹澤もまた自宅の扉を潜った。すぐにそのまま玄関でへなへなとしゃがみこんだ芹澤に、母親がそんなところで何をしているのかと問いかけて来るが、すぐに立ち上がれそうにはない。
「男相手に住所送るの快諾するなっての……」
弟扱いされたくない。男として見られたい。
そう思っているのに、彼女の一番近くにいるには弟らしく振舞っている方が都合が良いこと。それが芹澤を何とも言えない気持ちにするのだった。
その後、住所と共に彼女から送られてきたLINEの文面には「言いそびれたけど茶髪すごく似合ってたよ~!今度おね~さんとサングラスでも買いに行こう😎」と書かれており、デートの誘い……??と舞い上がった芹澤が盛大にソファーから落ちる羽目になるまで、あと数分。