飽きない話「雲騄ちゃん!」
「待たせてしまったな。その恰好、寒くないのか?」
「ん?」
「参拝までかなり並ぶ筈だが、今日はマフラーをつけていないようだから」
雲騄ちゃんの言葉に、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
初詣に行かないかとダメもとで誘いを持ちかけたのだけれど、意外にも雲騄ちゃんは快諾してくれた。家が名家であるからお兄さんこと馬超さんに年末年始の外出を止められないかと心配していたけれど、その逆だという。何でも年末年始は親族への挨拶回りで馬超さんがあちこち駆け回っているため、監視の目が緩むのだという。
そんなこんなで大晦日の二十三時、私は雲騄ちゃんにあらかじめ教えてもらった待ち合わせ場所でどきどきしながら彼女を待っていた。慌てて家を出たからマフラーは忘れて来てしまったけれど、手袋は付けているから大丈夫。体感半分くらいは。
──待たせた、と現れたそのひとは、振袖を身に纏っていた。
「エッ待って?????!?!??」
「うわ、急に大きな声を出さないでくれ」
「ごめん??????」
「……女性らしい服が似合わないのは分かっている。変だとは思うが「変じゃない!!!むしろすき!!!いつもの雲騄ちゃんも可愛くて最高だけど、」」
「今日の雲騄ちゃんは……すごく綺麗で、う、う~!!!だめ!!!語彙が足りない!!ハグしてもいい!?」
「駄目だ」
「なんでえ!?」
ガーン、と分かりやすく地面に崩れ落ちる真似をした私に、雲騄ちゃんは困ったように溜息を吐く。でも、知っている。こういう時、雲騄ちゃんが此方を見つめる目は少しだけ緩んで、困り眉と共に静かな眼差しが降り注ぐと、本当にかみさまみたいで、
「……貴女は、変わらないな」
そう零す雲騄ちゃんの瞳に映る私は、きっと貴女の信奉者に違いないのだ。
◇ ◇ ◇
「いいの?」
「構わない。一度抜け出せたのだから、二度抜け出すくらいは造作もない」
「かっこいい~……」
そう言った雲騄ちゃんが家に戻ってから、十分後。少し騒がしいなと思って顔を覗かせれば、整ったフォームで此方に駆けて来る雲騄ちゃんと──その後ろから追って来る護衛の人たちと、鬼のような形相をした馬超さん、それから馬超さんの仕事の部下みたいな、秘書みたいな、とにかく何だか付き従う人が涙目で必死に走って来るではないか。
「え、な、はい!?」
「ぼうっとしていたら捕まるぞ!こっちだ!」
「え~~~!?」
抜け出す事には成功したけれど運悪く馬超さんと庭先で鉢合わせてしまったらしい。今日ばかりは兄不孝者になるしかないな、と珍しくいたずらっ子みたいな笑みを浮かべた雲騄ちゃんに手を掴まれて、そのまま引きずられるようにして私も走り出した。一歩、二歩と最初はもつれていた足が少しずつ速くなっていって、置いて行かれまいと雲騄ちゃんの横顔だけを斜め後ろから一心不乱に見つめ続ける。
あ、私、このひとの事がすきだ。と何度目かも分からない愛を自覚して、私はつぎはぎな呼吸を繰り返しながら合間に息をこぼして笑う。雲騄ちゃんの丁寧に整えられた髪は風によって少し解されて、それがまたふわりと柔らかな輪郭をもたらしている。その銀色は私のこころを奪ってやまない。
雲騄ちゃん、雲騄ちゃん、と心の中で呼びかけた。
女の子らしい格好は似合わないと貴女は言うけれど──私にとって貴女は、世界一うつくしいひと。
格好良くて、可愛くて、運動も勉強もできて、皆には容姿端麗な秀才とか天才とか言われているけれど、実は努力家で、誰よりも将来のことや自分のこと、家族のことを考えていて──そんな貴女に恋をして、愛を贈る日々が、どれだけ幸せなことか。
「あははっ、私、雲騄ちゃんが大好き!結婚して!一生幸せにします!」
いつもの言葉たちに、一瞬だけ私の手のひらを掴む雲騄ちゃんの手に力が入った。
「こんな状況でプロポーズされて了承する人間は滅多にいないぞ!」
「それはそう!」
握りしめた手を離してしまわないように、私は雲騄ちゃんと指を絡め合って、ひたむきに走る。
一方その頃、追っ手の面々はキレ散らかしている馬超を引き留める方向にシフトしていた。
「俺の眼前で妹にプロポーズとはいい度胸だなあ!?」
「馬超様、落ち着いてください!戻らないと親族への挨拶が行えません!」
大晦日の逃避行は、かくして成功したのである。
◇ ◇ ◇
「雲騄ちゃんのマフラー……家宝にします……」
「貸しただけだ、あげた訳では無いから家宝にはしないでくれ」
「言葉の綾だよ!」
わざわざ自分のマフラーを取りに戻ってくれるなんて優しい。優しすぎる、雲騄ちゃん。何か私も返せたらいいんだけど……と辺りを見渡せば、ふと屋台の一つが目に入る。私は雲騄ちゃんに少しだけ列を離れる事を謝罪して、いや本当は一秒たりとも傍を離れたくないけれど!
「……怒られちゃうかな」
それ、を手にとって会計を済ますなり一目散に雲騄ちゃんの元へと駆け戻る。それから、「それ」を後ろ手に隠したまま雲騄ちゃんを見つめた。
「干支だし縁起良いかなって思って!」
──雲騄ちゃんに被せたのは、うさぎの耳を模したカチューシャ。ぽかんと口を開けたまま自分についたうさ耳を撫でたあと、雲騄ちゃんは呆れ混じりの笑みで深い溜息を吐いた。
「……大晦日なのに煩悩まみれだな、貴女は」
「除夜の鐘で取り除いてもらう予定」
「貴女は除夜の鐘にも勝利してしまいそうだから、困る」
「困らないで!?」
え~~~ん、とわざとらしい泣き声を上げながら雲騄にじゃれ付けば宥めるように頭を撫でられる。うさ耳をつけているのは雲騄ちゃんなのに、これでは私が兎役ではないか。いやでも一生を雲騄ちゃんの傍で過ごせる兎……良いかも……?と斜め上の方向に突き進み始めた思考を遮ったのは、ゴーーーン!という重たい鐘の音。やっぱり除夜の鐘は凄い。煩悩を108個打ち消してください、お願いします。
でも、でもこれだけは、とにやにやしながら雲騄ちゃんと目を合わせる。
私の雲騄ちゃんへの気持ちは除夜の鐘で消える事は無いから、やっぱりこれは純粋な恋情っていう証明になるよね……!
「もうすぐ年越しだけど、来年もその先もずーっと雲騄ちゃんのことが大好きな私をよろしくね!」
「ふ、また騒がしい一年になりそうだな」
「騒がしい!?」
「……言葉選びが悪かったな」
108番目、最後の鐘と共に新年の花火が上がる。夜空を彩る色に照らし出された雲騄ちゃんは、
「──貴女がいると、毎日が楽しくて飽きないんだ。今年も、きっとその先も」
そう言って、いっとう美しい笑顔を見せてくれた。