向かいの席の椅子が引かれ、スマホから顔を上げる。そこに座った男は当然のように店員さんを呼んでアイスコーヒーを頼んだ。黙ったままそれを見届け、よくやくこちらを向いた男に「このマイクどうかな?」と先ほどまで見ていたショッピングサイトをスマホの画面に表示させたまま彼に渡す。
「んー……あ、なんか見たことあるな。これ誰か使ってなかった?」
「え、本当? あとでみんなに聞いてみよ」
「うん、たぶん誰かいたはず。ていうか、さあ、聞いてよ」
挨拶もなく、僕たちの会話は転がっていく。たぶん、気が合うんだ。浮奇といる時の僕はすごく自然だ。それにたぶん浮奇も。お互いに話したい時に話して、話す気分じゃない時は黙って、そのタイミングがなんでかすごくピッタリ合う。僕に男兄弟はいないけどもしいたらこんな感じなのかなって浮奇に言ってみたら、兄弟っていうより幼馴染って感じと返ってきて、僕だけじゃなくて浮奇も同じ感覚を持っているということが嬉しかった。思わず笑ってしまった僕に、浮奇は何コイツって顔を向けてきたけど。
カフェでコーヒーを一杯飲んだ後、僕たちはテイクアウトのサンドイッチとドリンクを持って近くの公園へ向かった。広くて自然に溢れたそこのベンチに腰掛け、「寒いんだけど」と笑い合いながらホットコーヒーとカフェラテで乾杯をする。
「こもれび、だ。陽が当たるとちょっとだけあったかいね」
「うん? ……ああ、木漏れ日。浮奇、日本語うまいよねえ」
「おまえに言われても。そんなことよりシュウ、あのさ、何回も言ってるしちゃんとしてると思うけど、日焼け止め、塗ってきてるよね?」
「……冬は日差しが強くないし」
「バカ、夏より弱いけど紫外線は冬もあるんだよ。帽子は? この前持ってたキャップ今日は持ってないの?」
「あ、カバンの中入りっぱなしかも」
「出して」
ちょっと怒っている雰囲気だけど、これはただ僕のことを心配してくれているだけで、ごめんねと言えばキョトンとされてしまうことをもう分かっていた。あまり気にし過ぎないでカバンの中からキャップを出し、「あった」と笑えば、浮奇はそれを僕の手から取り上げて頭に被せてくれた。丁寧な手付きで前髪を整えてくれる優しい人だ。
「ありがと」
「ん。外出る時は日焼け止め塗って。わかった?」
「はぁいお兄ちゃん」
「おまえみたいな弟はお断り……はぁ」
「ふふ、なんのため息?」
「ふーふーちゃんのお世話をしたい……」
「……すれば?」
「だってふーふーちゃん、大人なんだもん。抜けてるとこもあるけどたいてい一人でなんでもできるし、俺なんかが手伝えることない」
浮奇は再びため息を吐くとぶすっとした顔でサンドイッチに手を伸ばして包みを剥がした。二つ入っているうちの一つを僕に手渡し、もう一つにかぶりつく。大きな一口で口の中をいっぱいにしている横顔を見てから、僕も自分のサンドイッチを小さくかじった。
「シュウはさぁ」
「うん? 僕?」
「うん、シュウは、面倒見られたい弟気質じゃん」
「えっ、そうかな? 浮奇が面倒見たがりなだけじゃない?」
「それもあるけど、シュウの性格もあるよ。でさ、ルカに対しては結構優しく面倒見るお兄ちゃんって顔してるけど、ルカに甘えたいなぁとかは思わないの? 俺はふーふーちゃんには甘えたいし甘やかされたいんだけど」
「……んー、なんか、話が変わった気がするなぁ」
「変わってない。いいから答えな」
「んはは、脅迫だ」
不機嫌な顔を作りながらも好奇心が隠しきれてない浮奇の瞳に笑い声を返し、僕はベンチの背もたれにズルッと背中を寄りかからせて姿勢を崩した。手の中に残っているサンドイッチを見つめ、頭の中でルカのことを考える。甘えたいし、甘やかされたい、かぁ……。
ルカは、僕の好きな人は、僕だけじゃなく一緒にいる人みんなを笑わせる天才だ。明るくて、優しくて、楽しい人。確かに浮奇の言う通り、ルカが楽しいことに夢中になってしまった時に僕はさりげなく彼の補助をしたりストッパーになったりすることがあるかもしれない。でもそれはルカの面倒を見たいだとか、甘やかしたいだとか、そういうのじゃないんだ。ただ僕がルカのことをとてもよく、他の誰よりもルカのことを意識して見ているだけ。だから彼の動向に気がつくことが多くて、つい手を出してしまうんだと思う。「ありがとうシュウ!」って、僕にだけ笑顔を見せてくれるのが、好きだから。
「……浮奇のせいだ」
「ん? なに?」
「ルカに会いたくなってきたじゃん……」
「はっ、ウケる。会いに行けば? 俺は毎秒ふーふーちゃんに会いたいと思ってるよ」
「……しんどくない? だって、会いたい時に会えるわけじゃないでしょ」
「そうだね、だから、会った時にもっと嬉しくなる」
「……浮奇ってすごい」
フンっと鼻を鳴らし、サンドイッチの最後の一口を食べ切った浮奇は手を払って僕と同じようにベンチに寄りかかった。「だからってこの寂しい気持ちがなくなるわけじゃないけど」と呟く浮奇に、僕は息を吐いて「うん」と頷く。
浮奇の方が僕よりもっと切実な感じだけど、きっとこういう気持ちに勝ち負けはない。僕がルカを思う気持ちと浮奇がふーちゃんを思う気持ちはそれぞれ違って、同じ感情なんてひとつもないから。
「甘えたいって思ってるわけじゃないけどさ」
「うん」
「ルカの特別になりたいとは、思ってるんだ。ルカが甘やかしてくれるのが特別な人にだけなら、僕はそれがほしい。甘えてくれるのがそうなら、僕が甘やかしてあげたい。……ルカの特別に、なりたいなぁ」
「……うん、だね。俺も、ふーふーちゃんの特別がいい。ふーふーちゃんはみんなのこと甘やかすから俺だけ特別って思えないけど、ふーふーちゃんが甘えてくれたら特別だって思える。だから俺はふーふーちゃんのこと甘やかしたいのかも」
「ふーちゃん、浮奇のこと他の人よりうんと甘やかしてると思うけどね」
「……だといいけど」
「不安?」
「不安だよ。……シュウは、不安にならない? だってルカもコミュ強じゃん。誰とでも仲良くなって、いつのまにかうんと遠くで楽しそうにしてる。俺、ルカのこと好きになったら不安で毎日泣いちゃうかも」
「……」
「……」
「……やめてよ、不安になっちゃったじゃん」
「ふ、ごめん。なんか明るい話しよ。この後ケーキ食べに行かない?」
「いいよ。ここらへんのお店調べようか」
「うん」
浮奇は僕の肩に頭を預けて寄りかかると、ふぅと息を吐いてコーヒーに口をつけた。「もう温くなっちゃった」とすこし笑いながら呟く。僕はまだ残っていたサンドイッチを食べながらスマホを手に取りロックを解除した。
「あ、ルカだ」
「うん? あ、ホーム画面? 内緒ね」
「……俺もふーふーちゃんにツーショ撮らせてもらおうかな」
「いいじゃん。ふーちゃん、写真好きじゃなさそうだけど」
「そうなんだよねえ。あんなに可愛いのに……」
「ふふ、でも、浮奇が本気でお願いしたら叶えてくれるでしょう?」
「……そう、なんだよねぇ……」
「照れてる」
「照れるよ……」
う〜……と唸り声を上げて浮奇は自分のスマホを取り出した。僕にも画面が見えるようにしてくれるから遠慮なく覗き込み、メッセージアプリを開く細い指先を見守る。思った通りふーちゃんとのトーク画面を開いた浮奇は『会いたい』と打って、消して、『時間ある時に連絡ちょうだい』と打ち直してそれを送った。ふうと息を吐く浮奇の頭を撫でる。
「浮奇は可愛いねえ」
「なに、急に」
「お兄ちゃんかと思ったけど弟かも」
「やだよ、シュウみたいなお兄ちゃん」
「え、なんで。僕優しいお兄ちゃんだよ」
「どうだか」
話しているうちに浮奇のスマホが鳴って、通知を見た浮奇が「う……」と声を漏らした。
「ん? ふーちゃん?」
「……電話、してきてもいい?」
「んはは、もちろん。ここでしてもいいよ?」
「恥ずかしいからやだ」
「反抗期だ」
「黙っててよお兄ちゃん」
ベーッと舌を出して、浮奇は立ち上がりベンチから離れて行った。スマホを耳に当てる横顔がとても可愛くて、こっそり写真を撮ってそれをふーちゃんに送る。浮奇に怒られちゃうから内緒ね、とメッセージも送ればすぐに『ありがとう』と返ってきて笑ってしまった。いいなあ、両想い。
片想い中の僕も浮奇の真似をしてメッセージアプリを開いた。何を送れば良いのかな、変に思われなくて、でも少し気にしてもらえるようなもの。浮奇が送らなかった『会いたい』の文字を打ち込んでみて、送ってもいないのにパッと顔が熱くなった。こんなの絶対送れない。文字を消そうとしたところで、いつのまにか戻ってきていた浮奇が後ろから急に「送らないの?」と声をかけてきて、驚いた僕は指をずらしてその四文字を送信してしまった。
「ああ!!」
「ナイス勇気」
「違う違う違う! 消そうと思って、まって、これどうやって消すんだっけ」
「消しちゃうの?」
「消すよ!」
「でも本音でしょう?」
「浮奇だって消したじゃん!」
「そうだけどー……既読ついちゃったよ?」
「!?」
ニヤニヤしてる浮奇からスマホに視線を戻せば僕のメッセージの横に既読の文字がついていて、僕は咄嗟に『まちがえた』と文字を打ち込んで送った。それにもすぐに既読がついたから、いま、ルカは僕とのトーク画面を見ているってことで、心臓が今日一番バクバクとうるさくなる。
「間違えなの?」
「うるさいバカ……」
「ふふ。シュウかぁわいい」
「どうしよう……、っ!」
「わ、電話。……出ないの?」
「う、え、だっ、これ、出たほうがいい……?」
「いいでしょ。ルカの声、聞きたくないの? 話したくない?」
「……はなしたい」
「じゃあ出なよ」
「……」
他人事だからって……! キッと浮奇を睨んでから、僕はベンチから立ち上がりスマホを耳に当てた。スタスタと浮奇から遠ざかりながら「ごめん、急に変なこと送っちゃって」と言い訳を口にする。
『ううん、俺こそ突然電話しちゃってごめんね。いま大丈夫?』
「うん、どうしたの……って、僕が送ったからだよね。気にしないで」
『気にするよ。あれ、間違いなの?』
「……えっと……?」
『俺はシュウに会いたいって思ってるけど、シュウの「会いたい」は間違い?』
「……え」
『俺も、間違いにしたほうがいい?』
僕は思わずベンチを振り返り、こちらの様子を気にしてくれていた浮奇に手招きをして呼びつけた。浮奇は首を傾げ、しかしすぐに僕のところまで駆けつけてくれる。どうしよう、と口パクで言って、浮奇の手をぎゅっと握ると、大丈夫だよと言うように浮奇は僕の手を優しく握った。
『シュウ』
「う、えっと、……その、ぼく、も、……あいたい」
『……やった! じゃあ会おうよ! 俺、そっち遊びに行こうかな?』
「え、でも、予定とか」
『どうにかするよ。だってシュウと会いたいもん』
「……うん、じゃあ、スケジュール確認して、予定合わせるから、……また後で連絡するね。電話してくれてありがとう、ルカ」
『こちらこそ、送り間違えてくれてありがとう?』
「っ! 間違いじゃないよ、ルカに会いたかったから送ったんだ。……恥ずかしくなって、言い訳してごめん」
『……今すぐ会いたいな。瞬間移動ができたらいいのに』
心臓がギュッとして、声が出せなくなる。ルカはふっと笑い、いつもより優しい声で『じゃあまた後で』と言って電話を切った。
ぱくぱくと口を開けたり閉じたりして、僕は喉の奥から絞り出すように「うきぃ」と優しく俺の手を握ってくれている人の名前を呼んだ。
「ふ、大丈夫?」
「だいじょうぶじゃない……な、なに、どういうこと……」
「ルカ、なんだって?」
「……会いたい、って」
「ん、よかったじゃん」
「……ゆめかも」
「じゃあ出演料払ってもらわなきゃ」
「……ありがと、浮奇」
「俺にお礼言うの? なんもしてないけど」
「一緒にいてくれたから」
「……じゃあお礼にジュースでも奢ってもらおうかな。ケーキ食べに行こ、もっとシュウと恋バナしたいし」
「浮奇の惚気も聞いてあげる」
「ふ、覚悟してよ?」
陽が傾いて空の色が変わり始めてる。浮奇みたいな優しい紫色の空はとても綺麗で、僕が空を見上げて見惚れていると、浮奇も空を見上げ「シュウの色だね」と柔らかい声で言った。驚いて浮奇を見つめれば視線を感じた浮奇は僕を見て、ん?と首を傾げた。
「ううん、僕たちって似たもの同士なのかもって思っただけ」
「俺とシュウが? 全然違うでしょ。俺はシュウみたいに初心じゃないし」
「……頼りにしてます、センパイ」
「あははっ」
笑い声を上げ、浮奇は繋いだままの手をギュッと握った。楽しげにステップを踏んで僕を引っ張って行く。
「もっとドキドキする恋バナが聞けるようになるの、楽しみにしてるよ!」