部屋の中に入った途端、扉が閉まり切る前にレンは俺のことを持ち上げ荷物のように抱えた。は?と理解の追いついていない俺の声が玄関に落ちてあっという間に遠のいていく。勝手知ったる足取りで俺の部屋の中を突き進みベッドの前で立ち止まったレンが、当然のように俺をベッドに下ろしてその上に覆い被さった。
は?と、やはり間抜けな音で溢れた俺の声に見向きもしないでレンは顔を近づけてくる。意識する前に俺は頭を持ち上げ目の前のバカに向かって思いっきりそれをぶち当てた。
「っ~!? 痛いよキョウ!?」
「……なに、考えてんだこのバカ!!」
「わぁ!」
耳鳴りがしそうな大声でそう叫べば頭突きの衝撃もありひっくり返ったレンは手をつく場所をミスってそのままベッドの下に転がっていく。ざまぁみろ、と少しスッとしてそれを見やり、俺はすぐに体を起こした。
床に転がったレンはどこかにぶつけたらしい頭を手のひらでさすりながら涙目で俺を見上げた。
「……」
「……ごめん、キョウ。乱暴なことして」
たった今乱暴なことをされた記憶は頭をぶつけた衝撃で消えているのだろうか。まあ謝らなかったら一言も口を聞かずに部屋から追い出すだけだったけれど。俺は「ん」と顎を上げてその謝罪を受け取り、そのままベッドの空いている場所に座るよう視線で促した。
あいにくこの狭い部屋にはソファーなんて大層なもんは置いてないから、座れるのはベッドか、少し離れたところにあるパソコンデスクのゲーミングチェアだけだ。一人なら十分でもここのところ頻繁にレンがやってくるからダイニングテーブルくらいあってもいいかなとは考えている。まだ考えているだけだけれど。
「それで。十秒だけなら言い訳も聞いてやるけど」
「ヤキモチ妬いた」
「……は?」
十のカウントを始める前にレンは呆気なく口を割り、目を丸くした俺を真剣な顔でジッと見つめた。むにっと半端に尖る唇と垂れた眉、ないはずのミミとシッポまでしょぼんと落ち込んでいるように見えて数回瞬きをする。
「は……え? ヤキモチ?」
「うん」
「……ヤキモチ……」
「初めて聞いたみたいな顔しないでよ。……俺だって、ヤキモチくらい妬くよ」
拗ねた顔はいつもの余裕のある表情と違って幼く、すこし可愛い。何に対して妬いてんのかは分かんねぇけど、慰さめてやるために手を伸ばしてぽんぽんと雑に頭を撫でた。目を丸くしたレンはすぐにへにゃっとだらしない笑みを浮かべる。
「ふ、ふふ、キョウが優しい」
「……俺はいつでも優しいんだよ」
「うん、そうだよね。でもね、できたらその優しいの、今は独り占めしたい」
「……まじで何。どうやればおまえがヤキモチ妬くなんてワケ分かんないことになるんだ」
「ね。俺もビックリ。キョウのことになると余裕がなくなっちゃうみたい」
すっかりいつも通りの余裕のある表情に戻ったくせにそうほざき、レンは追加を求めるように背を屈めて俺に頭を差し出した。求められると素直に渡したくなくなるのが人間ってものだろう。俺は無防備なその頭にトンッと軽く手刀を落とし、顔を上げて「キョウ〜!」と情けない声を出したレンを笑った。
「……怒らないの?」
「なにを」
「無理矢理しようとしたこと」
「もう怒っただろ。まだ怒られてーの?」
「そうじゃないよ。……やっぱりキョウは優しい」
「おまえがアホなだけだろ」
褒めてもないのにえへへと笑ったレンの靴を足先でトンッと蹴飛ばしてやる。うん?とまるで普通に話しかけられたみたいに返事をするから俺は舌打ちをして目を逸らした。
「なぁに、どうしたのキョウ?」
「なんでもねぇよ」
「そう? ……ねえ、わがままを言ってもいい?」
「やだ」
「お願い」
「……聞くだけ」
「うん、聞くだけでいいよ」
俺の手を取って握る手つきはさっきの乱暴さとは比べ物にならないほど優しい、いつものレンのものだった。さっきのコイツのことを怖いだなんて思ってないけど、でもデカくて温かい手は嫌いじゃないから俺もほんのすこしだけ手に力を入れて握り返した。ほっと息を吐いたのは俺か、レンか、どっちだったろう。
「キョウ、俺のこと止めてくれてありがとう。もう絶対乱暴なことしないから、キョウに触ってもいい?」
「……触ってるだろ」
「うん。もっと」
俺が良いと言わなければ、レンはこれ以上触れることはないんだろうな。そういうところはバカみたいに真面目なやつだって知ってる。少し動かせば簡単に触れることのできる膝すら距離を保ったまま、レンは俺の答えを待っていた。
さっきほどじゃないにしても多少無理矢理してくれた方が、と考えた自分を否定するように俺は左右に首を振りパッと顔を上げた。レンを睨んで口を開く。
「さっさとやれ、バカレン」
「……いいの?」
「優しくしなかったらぶっ飛ばす」
ふわり、花が開くように笑って、レンは俺にキスをした。唇が触れるだけのやわらかいキスはそれ自体よりもその後に至近距離で重ねる視線の方がよっぽど甘ったるくて恥ずかしい。目を逸らした俺の鼻にもキスをして「かわいい」と耳がくすぐったくなるような声でレンは囁いた。
「っ、もう、いいから、早くしろ」
「優しくしないとぶっ飛ばされちゃうもん」
「バカ!」
「ふ、わかった。でももうちょっと優しくさせて」
レンは繋がった手を持ち上げて俺の指先にキスをした。王子様じみたクソキザな仕草がよく似合う。絶対に教えてなんてやらないけど。
唇を引き結んで目に力を込めていればクスッと笑ったレンはベッドから下りて俺の足元に跪いた。丁寧な手つきで俺の靴を脱がせる様子をムズムズしながら見下ろす。優しくしろとは言ったけれど、それを自分に向けられるのは苦手だということは忘れていたから。
「れ、れん」
「うん?」
「……もう、いい」
「なにが?」
「だから、……もう、優しくすんな」
「……キョウはわがままなんだから」
優しくしろって言ったり優しくすんなって言ったり、めちゃくちゃな俺を、でもレンだけは嫌にならないで受け入れてくれるって信じてるから。思った通り、レンは俺のわがままに嬉しそうに笑っている。余裕のある表情にはムカつくのに今はその笑みに安心して俺はレンに手を伸ばした。いつもより低い位置にある頭をぎゅうっと抱きしめて、「はやくしろ」と可愛くないおねだりをする。レンはすぐに俺のことを抱きしめたまま立ち上がり、ベッドに俺を押し付けた。俺はさっきより余裕のないレンの顔を見て口元に笑みを浮かべた。舌打ちをするレンに余計に笑みが溢れる。
「……優しいのと優しくないの、どっちがいいの」
「ん、ははっ。……バカレン、どっちも俺のだよ」
首に回した手をグッと引き寄せ耳元にそう囁く。ギラリと怪しく光ったレンの瞳を見ないフリしてやるために、優しい俺は瞼を閉じた。こんなの今までもこれからもおまえにだけだろうが、分かれよバカ。