今夜は一緒に覚めない夢を「はい、耳。……ふふ、かわいい」
「楽しそうじゃん」
こっち向いて、写真撮りたいとスマホを構えた恋人様は、にこにことご機嫌に楽しいよとはにかんだ。楽しいなら何よりだ。連れ出してよかった、とネロは思う。
平日の午後。普段ならまだあくせくと働いている時間帯にオフィスを二人揃って抜け出し、舞浜までやってきた。
きっかけは何てことない。珍しくファウストが自宅で酔っ払って荒れたこと。
『好き勝手言って。僕は何度も忠告したんだ』
普段の倍以上のペースでグラスを空けていくファウストを、ネロはあーあと苦笑交じりに眺めていた。気持ちよく酔いが回る分には構わないが、別の方向に回って荒れるとファウストは愚痴や説教を延々と繰り返してなかなかに面倒くさい。普段吐き出さない分、こうしてデトックス的に出させてやらねばと思うのだが。
『最終締切の一週間前からこっちは進捗どうなのか聞き続けていたのに、その度に確認中の一点張りだ。とうとう締切を過ぎた今日になって何とかねじ込めだと。ふざけるのも大概にしてくれ』
こうして憤慨しているファウストは大層真面目で丁寧、厳しいが聖人君子と呼ばれる程に評判の人だ。ラウィーニアさんなら何とかしてくれる、と藁にも縋る思いだったのだろう。
『結局どうしたんだよ。断ったのか?』
『まさか。うちに不利益なら構わないが取引先に迷惑がかかるんだ。上に掛け合って、無理くり通してもらった』
『そういうとこだよ、ファウスト。応えてやるのはあんたの良いところだけど、それじゃあファウストばかり大変だろ。皆「以前はやってくれた」って甘えてくるよ』
例外を作ると、皆それをいつの間にか”当たり前”と置き換えて迫ってくる。都合のいいように物事を変えていく手腕ばかりが上達していく。
『……出来ない、というのは、許せない。悔しい』
加えて、ファウストのこの真面目さも少し災いしている。自分のように適当にお気楽に考えたって罰なんか当たらないのに。真面目で厳しくて、心根は誰かのために動ける献身的な優しさのあるファウストに惚れ込んだのはネロだけれど、それがファウストを傷つけるのなら捨ててしまったっていい。どんなファウストでも、ネロは好きになる自信がある。
『…………息抜きがしたい…………』
ソファに脱力したファウストがため息と共に零した。これは相当きているようだと察したネロは、ファウストに提案したのだった。
じゃあ、平日に休みとって遊んじゃおうか。と。
さすがは夢の国。平日と言えどもそれなりに人は入っている。
昼過ぎにオフィスを出発し、会社員も学生もいないがらりと空いた電車に揺られるファウストは、ちょっぴり悪いことをした子供のように瞳をきらめかせていた。
着替えなんて用意していないからスーツのまま。可愛らしいプリンセスや煌びやかなキャストに紛れ、夢もへったくれもない現実を纏った自分達に可笑しくて笑ってしまった。せめてもの誤魔化しだとファウストが買ってきたカチューシャが、ネロの頭にぴょこりと鎮座している。
「ファウストは?着けないの」
「僕はこれ」
「帽子じゃん。耳付いてんね」
てっきり僕はいい、と言うと思っていたネロは内心少し驚いたが、そうでなければ息抜きにならない。ふわふわと常より柔らかい表情を浮かべて、次はこっちに行きたい、とネロの手を引くファウストを可愛いな、好きだな、と思う。
アトラクションに乗りたいこだわりが無い同士、自然と園内をぶらぶらと歩きまわった。
「餃子ドックだって。美味い?」
「ん……ほいひい」
「ほら、口ついてるよファウスト」
「むぐ……。これ、今度うちでも作って」
「いーよ。任せて」
「なかなかに毒々しい色というか、鮮やかというべきか……」
「まあ、元は外国のコンテンツだしなぁ……」
「……あまり甘くない。飲む?」
「どれどれ。……ほんとだ。何だろう、よく分からないけど遊園地の味」
「こういう不思議な色のものも作れるの?」
「着色料に頼るか、ちょっと材料探してみるかかなぁ。でも作れると思うよ」
「あそこ、ほら」
「……?どこ?」
「壁の端に丸が三つ並んでいるだろう」
「えぇ……分かんない……さすが細かい数字と睨めっこするファウストは視力いいなぁ」
「老眼になるにはまだ早いだろう、もう……」
「パレードが始まるみたい」
「近くで見る?」
「いや、ここでいい。人込みはあまり得意ではないし」
「そっか。疲れたならどこかで休むから、言ってよ」
「平気。思ったより疲れてないよ」
「ファウスト、ねこ」
「……」
「買う?」
「……ティースプーンなら、何本あっても困らない……」
「うん。よし買おう買おう」
「待って、一緒に食べるお茶請けも買ってく」
「ん。ねこの缶のやつ?」
「……どうして分かった」
「はは、ファウストのことだもん。分かんないはずないだろ」
ショッピングバッグを片手にファンシーなショップを出ると、外は陽が沈み掛けていた。橙色の地平線を覆うように夜がすぐそこに迫っている。あと数刻もすれば空の色が優しい闇色に変わるだろう。この時間になれば人もまばらで、遊び疲れて親の背で寝息を立てる幼子、楽しかったねと笑い合ってゲートに向かう学生の姿がちらほらと見える。帰路の心配をする必要はないけれど、とりあえずご意向を伺おうとした時。
「ネロ」
「ん?」
くん、と後ろをついてきていたファウストがネロのジャケットの裾を掴んだ。振り返った先、ファウストの顔は、ネロの知らない幼少期のあどけなさを取り戻したように、きらきらと赤らんでいる。
「ありがとう、デートに連れ出してくれて」
とても楽しい。ネロがいるからもっと楽しい。全身から惜しみなく告げられるファウストの心に、ネロは愛おしさのあまり胸が痛くなった。
デートか。うん、そうだよな。ファウストの息抜きという名目で、ネロ自身もファウストとデートしたかったのだと思う。職場では皆に頼りにされるラウィーニアさんを独り占めして、誰も知らない可愛い顔で笑うところを見て、手を繋いで、いつかの未来でも一緒に過ごしたねと語り合える思い出を作りたくて。
ここ夢の国だしいいよな、と人目を気にせずぎゅうと抱き締めると、外でのスキンシップを恥ずかしがるファウストも珍しく抵抗しなかった。苦しいよ、なんて機嫌よさそうにくふくふと笑っている。
「気晴らしになった?」
「なった。すごく」
まだ帰りたくない、とちょっとだけわがままを言ってぐずるファウストはネロにすっかり甘えている。耳の付いた帽子を取り、少し乱れた髪を整えてやりながら旋毛に唇を寄せた。
「ホテルとってあるから、明日まで大丈夫です」
「は?」
がばりと身体を離したファウストに、ちゃりん、とトイレに行くふりをして受け取ってきたキーを見せる。
「日頃から頑張っている俺の素敵な恋人様へのご褒美」
夢の続き、と告げたネロに、ばかじゃないのとファウストは笑った。笑って、ネロに抱き着いた。