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    maeda1322saki

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    maeda1322saki

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    桃太郎創作。吉備回子と悪魔カイコの出逢い編。途中まで書けたので載せ〜!(書き直した部分あるので一から。

    ##桃太郎創作

    吉備回子のはなし一.桃⬛︎香り⬛︎⬛︎る血
    ――令和⬛︎⬛︎年。十二月。
    ――神奈川県警警察署内、取り調べ室。




     だらしなく背もたれに背を預けて座る。短い足は辛うじて床に着く程度。その足を交互に振って、トン、トン、トン、と床を鳴らす。両手には重たい手錠が付けられ、霊力はそれにより封じ込められている。なので動かす気にもなれずに、机の上に置いていたまま。
     僕の視界は、横の薄汚れた白い壁を映していた。なんの感情も持たず、ただ壁を見つめた。

     はらり、と自身の桃色の髪が睫毛を撫でて膝に落ちたのを見ると同時に、「……おい」と男の声が耳に入る。
     何も映さない朱色の瞳で彼を視界に入れれば、彼と目が合った。己が呼んだというのに、彼は顔を引き攣らせ生唾を飲んだ。瞳が揺れている。そこに見えるのは恐怖だ。彼は、僕に恐怖していた。
     彼の揺れる瞳に映る僕は、頭の先から爪の先まで血みどろだった。生まれつきの桃色の短髪も、子供特有の色づいた肌も、かけているメガネも、着ているパーカーも、どこもかしこも血で赤黒く染まり、張り付き乾燥し、鉄臭さを放つ。彼はこの姿に恐怖したのだろう。いや、もしくは私の見目に恐怖したのだろうか。
     吉備という血筋特有の桃色の髪、瞳に。血塗られた家系の歴史に。

     愚かなことだ、と思わず嘲笑の笑みを浮かべた。

    「楽しそうなところ、悪いけど……話を聞かせてもらうわよ」

     部屋の隅に立っていた女が、そう言ってファイルを机に投げ置いた。私の目の前に座る男はそのファイルから幾つかの写真を取り出して、私の前に置いた。写真に映るのは、どれも血塗られた部屋だった。
     そして、もう一枚の紙を取り出して私の前に置いた。

    ・吉備回子
    ・十四歳
    ・神奈川県⬛︎⬛︎区⬛︎町の集合住宅に居住
    ・⬛︎⬛︎中学校在籍(不登校)

    それには、私の名前と年齢、性別。住所や学校などが記されていた。


    「吉備回子。あの場で何が起きたんだ?あの血溜まりはなんだ?遺体は何処に消えた?」

     眉間に皺を寄せ、矢継ぎ早に青い唇でそう問う男。

    「血液量からして、遺体の数は十人を越えるとみられてる。十四歳の、それも小柄な貴女がそれだけの遺体全てを運び隠し切れるとは思わないわ」

     机に両手をついて、問い詰めるように力強い眼差しを向ける女は「貴女は見たはずよ。犯人は誰なの」と問う。

     目を動かし男と女を見比べる。
     女の方が男よりも若いにも関わらず、恐怖を表情に出していない。彼女に見えるのは少しの困惑のみだ。この状況を必死に理解しようともがいている。真相を知りたくて仕方がないといったところか。

    「俺らが駆けつけた時、君はあの場に一人で居たな。祭壇に腰掛けて……。君の服に付着している血液とあの場に飛び散っていた血液はDNAが一致した。つまり、君はあの場で全てを見ていたんじゃないのか?」

     視線を下げて自身の服を見る。胸の真ん中に大きな血痕があった。血に濡れた成人の女の手が掴んだ所だ。その下には水で薄めたように淡い赤黒い染。女の口から命乞いと共に飛び散った唾液だ。女と思えぬ程の低い声で、もはや何を言っているのか分からない叫びを交えた命乞い。辛うじて聞き取れたのは"っづすけて゛ッ"という言葉。

     脳裏に蘇る彼女の口の動きを真似るように、口を開きしぼめ"た す け て"と動かす。
     あぁ……ざまぁみろ。
     心の奥底の私が、そうほくそ笑んだ。

    「刑事さんの言う通り、僕は、誰も手にかけていません。僕は、ただずっと見ていただけです」

    「ずっと?じゃあ、あそこで何が起きたのか……全てを見たのね?」

     僕はその質問に答えることなく、刑事さんの目をじっと見つめこう聞いた。

    「刑事さん、"桃太郎"って知ってますか?」


    ――――――


     むかしむかし、ある所に桃太郎という青年がおりました。桃太郎はお爺さんお婆さんの願いを聞き入れ、お供の犬、猿、雉を引き連れて鬼ヶ島に向かいました。鬼退治を果たした桃太郎は、金銀財宝を持ち帰り、お爺さんお婆さんと幸せに暮らしました……――というのが一般的な桃太郎の話でしょうね。
     だけど、現実は違う。桃太郎……基、吉備津彦命は神の宣命により仲間を合わせた四人だけで何百という鬼を倒した。
     だが、鬼達は死ぬ間際にその魂を呪いへと変換させ、将である吉備津彦命へと呪いをかけた。呪いは彼の内なる霊力を高め、桃の香りを放った。桃の香りに導かれ化け物は集う。彼を取り込めば高い霊力を手に入れれる。安寧など許さぬというかのように、彼の未来は化け物達に食べられる、それだけしかなかった。童話とは違い、桃太郎が持ち帰ったのは金銀財宝などではなく、負の呪いだったんです。
     そして、鬼達の怨念で作られたその呪いは末代まで続くとされ、吉備津彦命は神に救いを求めた。
     神は、吉備津彦命を神へと捧げる贄――神子――とし、彼の魂、血、肉を差し出す代わりに、力を授けた。
     彼は神社を作り、鬼達から守る結界を張り巡らせ、その術を継承し、世界に安寧をもたらした。

     これが、僕の……吉備回子の先祖の話です。

     吉備の家系はその呪いにより、桃色の髪、桃色の瞳を持ち生まれてきます。その呪いが濃ければ濃い程に色は桃色に近くなる。つまりいくら赤が濃いくても、いくら発色が良くても、呪いの度数は低いんです。誰もが桃色と答えるような色ではない限り。
     呪いと表しましたが、これも桃の香と同様。霊力を求める者達が一目で分かるように、この色で産まれるんですよ。桃色だ!吉備だ!食っちまえ!と、いう風にね。

     この桃色の見目は、吉備の血を引き継ぐ僕も例外ではなくてね、その上、僕は他の親戚達よりも綺麗な桃色の髪を持っています。見ての通りですよ。
     ……先程説明した通りに、綺麗な桃色を宿す者は、呪いの力も強く、そして、内に秘める霊力も他の誰よりも高い。故に脅威とされ、同時に堅く護られる。
     刑事さん…あなたなら分かるでしょう?

    ――――――


    二.吉備回子
    ――三ヶ月前……。


    ―――令和⬛︎⬛︎年。九月。
    ――神奈川県某所、吉備分家邸。


     平伏した状態で、僕は祭壇に優雅に座る女性へと声をかけた。

    「またひとり、吉備の血が捧げられたとききました。この悪夢は……いつまで続くのでしょうか」

     月に一度行われる謁見にて、僕は憂愁の嘆きをこぼした。
     神子と功臣が僕を見張り、釘を刺すための不必要で習慣化された行事。今まで黙って受け入れてきた全てに疑問を持ったのは何故だったか。一羽の黒い鳥が友人が贄となったと教えてくれた時だったか。分からない……分からないが、この嘆きが友人の死によるものだという事は確かである。六歳年下の快活は彼女は、どう苦しみ、どう泣きじゃくり、どう生き絶えたのか。この謁見まで何日もそのことを考えて過ごしてきた。

    「本当に……本当にこの行為は正しいのでしょうか。僕は、もう……受け入れる事が出来ません」

     無意識に声が震えた。ねっとりとした空気が身体中に纏わり付き、複数の視線にまるで品定めされているかのようにまさぐられているようで気持ちが悪い。
     祭壇に座るのはここ、神奈川にある吉備の結界を作りし神子――雨雀様である。部屋の周りを囲うように座るのはその部下に当たる功臣と臣下の方々。
    ここ吉備のトップが雨雀であれば、功臣達は二番目に位置する。
     臣下は彼らの身の回りの世話をする為にいる。犬、猿、雉のように三人の家来が功臣一人につきついているのだ。

     神子の役目は、吉備津彦神命が行ったように神に力を授かり結界を貼ることだ。これが出来なければ吉備の血は、瞬く間に化け物達の餌となり、力をつけた化け物達はこの世界を破壊してしまうだろう。
     神子になる条件は神の寵愛を受け、式神にする事だ。神は神子の血肉や魂を食べることを条件に、その力を授ける。故に、神をとどめておくには、定期的な吉備の贄が必要となるという。

    「貴女も知っているはずですよ、回子。これは、吉備が代々受け継いできた本家のしきたりなのです。我々を守る事は衆生を守る事と同意、私たちが魔の手に堕ちれば、世界は瞬く間に混沌の世となるでしょう」

     そうならぬよう我らはこの身を神に捧げ、世を守っているのですよ。と、雨雀は説法を説く。

     僕は奥歯を噛み締め、熱く疼く胸を抑えた。
     そんな事は知っている。だからといって、こんなにも容易く、人の命を捨てていいわけがない。私たちが生まれてきた意味はなんだというのか。

    「貴女の気持ちも、私にはよく分かります。私も同じ、家族を見送った経験がありますから……。心中、さぞ辛いことでしょう。十という若さで親と、そして、産まれたばかりの幼き弟を見送ったのですから」

    「僕は……違う……」

     見送ったのではない。僕は拘束され、動けないようにされたのだ。家族と共に逝かしてほしいと。あの時の僕は雨雀様にそう泣いて縋った。だが、彼女と功臣達はそれを許さず、僕は家族が神に食われるのをただ見ていることしか出来なかった。

    「僕は、見送ったわけじゃありません…。なぜ、僕だけ取り残されるんですか……っ!家族も、友達も、みんな死んでしまった……僕だけ……なんで……」

    「霊力は結界を保つのに必要なもの。ですが、強すぎる霊力は毒となる。神…ツァナーナは私を寵愛してくれていますが、回子のように強い霊力を与えれば神であれど力に呑まれてしまうのです」

     雨雀は悲しげに声を落とし「分かってくだい、回子…」と囁いた。祭壇から降りた彼女は僕の前に跪き、そっと僕の頬に手を添えた。
     彼女の手につられるように顔を上げれば、瞳孔の開いた桃色の瞳と目があった。彼女の瞳からは涙が溢れていた。煌々と光り輝くような薄桃色の長い髪がふわりと揺れ、桃の香が鼻を通った。
     それと同時に、僕はつんと鼻の奥が痛み、涙がじわりとあふれ、瞳を濡らした。
     僕の事で心を痛め、涙を流す雨雀様に申し訳なさが募った。辛いのは、皆同じなのにと……。

    「これこそが呪いなのです。私達の先祖が行った非道により生み出された呪い……私達は、それを背負う義務があるのです」

     あぁ……そうだ。悪いのは全て、先祖である吉備津彦命なのだ。
     そう思うと同時に、憎しみが胸を渦巻いた。吉備という一族を恨み、吉備津彦命を恨んだ。家族を殺したのはこの吉備の血筋のせいだ。家族を友人を殺した、吉備の血筋が憎い。
     吉備家さえ根絶やしにできたのなら――。

    「貴女も私とよく似ています。貴女も私と同様、桃色を持つ者……霊力が高いというのは誇らしい事であれど、同時に残酷な未来をも持ち合わせる」

     誇らしい……?その言葉を聞いた途端、す――と僕の中にあった感情が冷めていくのが分かった。

     誇らしくなどない。僕はこの桃色が大嫌いだ。

     そう言おうと口を開きかけた時、祭壇に寝転ぶ神の姿を目に留める。

     火を纏う不死鳥のように赤く長い髪に、漆黒の瞳。金が散りばめられた衣服を見に纏う色白の彼は優雅に寝転び、目を細め、微笑を浮かべていた。雨雀の神――ツァナーナである。

     僕は視線を戻し、彼女に問いかけた。

    「僕は、いつ……式神を授かるのでしょうか」

     式神は人間の武器のようなものだ。この分家では雨雀が召喚した怪の類を授かり、式神として使役するときく。
     僕にも式神があれば、もしかしたら復讐が出来るかもしれない。雨雀様は僕の霊力がとても強いと言っていた。この霊力があれば強い怪も自由に使役出来るかもしれない。

     彼女は一瞬眉を顰めた。

    「回子、貴女にはまだ必要ありませんよ。貴女は私と同じ強い霊力を持つ者です。焦りは災いを招きます、時が来るまで待ちなさい。それに、式神などなくとも我らが家門の臣下が守り抜きますよ」

     雨雀はにこりと笑みを浮かべ、「その証拠に、貴女の側にはいつも臣下が付き従っているでしょう?」と続けた。

     付き従うというのは、彼等を表現するのに適切ではない気がする。あの三人は決して僕の味方ではないからだ。僕が勝手な振る舞いをしないように見張り、僕が何か粗相を犯せば嘲る奴等だ。
     僕は首を振り、他の言葉を探す。

    「ですが、吉備の血筋は式神を使役することで身を守る習わしでは……」

    「ええ。ですが、全員がそうというわけではありません。この敷地内に住む吉備の者達も、式神を持っていない人は多くいますよ。貴女の家族や御友人もそうでしたでしょう?」

     そう言われて、確かにそうだったと頷いた。吉備の血筋だからといって必ず式神を使役しているわけではない。だが、それでは駄目だ……。

    「回子の身を守るのは、私が信頼している優秀な陰陽師達です。今の貴女ならば、式神を持つことよりも、貴女を安寧に導くでしょう」

     臣下も式神を持つ。そこら辺の悪霊程度なら赤子の手を捻るかのごとく倒してしまうだろう。だが、吉備を倒すには彼等の式神では不十分だ。彼等の霊力では到底倒せない。せめて、僕のように強い呪いがかかっている吉備の仲間がいれば…。

    歯痒さに顔が顰められる。それを隠すように俯く。「だから……僕が扱えるようになれば……本家を打倒することも……」そう呟いた時、ハッと息を呑んだ。無意識に口に出していた。不敬だ。こんなことを思っていると知られれば、咎められる。学校に行けなくなった日のように、今度は部屋から出してもらえなくなるかもしれない。
    そう思い、頭を床につけ謝罪を乞う。だが、頭上から聞こえる雨雀の声はくすりと笑った。

    「……ぇ」

    視線を上げれば、雨雀は微笑んでいた。とても嬉しそうに。

    ――どうして……?

    彼女はいつも言っていたはずだ……、吉備の為、人の世の為にと……。でも、ならどうして、僕の言葉にこんなにうれしそうにするんだ……?

     そう考えているうちに、雨雀は僕の頭をひと撫でし「大丈夫。それは、貴女が私達を思っての言葉だとよく理解しています」と微笑んだ。

    「時が来れば、私が貴女に相応しい式神を授けましょう。それまで、待つのです」

    「……待てないと言ったら……どうなさいますか?」

     雨雀はゆっくりと目を細め「もう、お行きなさい」と冷えた声色でそう言った。
     後ろの扉が開く音がした。僕は仕方なく、扉の方へと歩いた。

     反抗的な態度をとってしまったかもしれない。だが、待てるわけがないのだ。家族が死んで四年。その年数は恨んできた長さと同じだ。四年間、憎しみを抱き暮らしてきた。その間も、吉備は何一つ変わることなどなかった。何人も友人が死んで、僕と歳の近い子は誰一人いなくなった。大事な人が消えていくばかりだった。

     僕は頭を下げてその場凌ぎの謝罪の言葉を放ち、部屋を後にした。

     変わる事がないのなら、変えればいい。たとえこの命が尽きようとも。そうすれば、きっと、僕の心は晴れるだろうから。



    ――――――



     先日の謁見から、雨雀は屋敷の結界を強めた。元より外界とは接することが出来なかったわけだが、この結界のおかげで外の景色さえも霧がかったように白く霞んで見えなくなってしまった。電車の音も、鳥の声も消えこなくなった今は、時計の秒針のみがその存在を示している。
     臣下から耳にタコが出来るほど言われている外界に干渉するなという言葉。此処まで徹底されては、本当に私を守るためだけのものなのかと疑問に思ってしまうほどだ。
     だが、その結界のおかげで僕の見張りは、僕と距離をあけるようになった。結界が強化された事で、僕が此処から出ていく事が完全に不可能となったからだ。部屋の外にいつも張っていた犬も猿も雉も今は居ない。時々様子をみに来る程度である。
     この息苦しさから解放されたのは有り難い。なにより、前よりも自由に動く事も出来るだろう。外の世界なんて興味ない、僕の目的はただ一つ。
     そう。これで、召喚の儀の部屋へと向かえるのだから。


     式神召喚の仕方は知っている。雨雀が行う姿を隠れて見ていたから。だから、きっと自分にも出来るはずだ。

     いつもの隠しルートを通って召喚の儀式の部屋へと向かう。隠しルートといっても秘密の通路があるわけではなく、僕の部屋の窓から配管を伝い降りていくだけだ。儀式の部屋と隣の部屋は繋がっている。何故かいつも窓が開け放たれているそこに入り、立て掛けてある仕切りの隙間から出れば、儀式の部屋へと着くのだ。
     いつも不思議に思う事がある。何故だか、そこはいつも生臭い。生ゴミとも違う、ツンとする嫌な臭いが鼻を掠める。あの臭いの原因はなんだろうか。だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

     いつものように鼻を塞ぎ、そっと中を覗きこんだ。誰も居ないことを確認してから、中へと入る。

     毎度覗くたびに思っていたが、この部屋は不気味である。
     隣の部屋から微かに漂う臭いもそうだが、薄暗い部屋の中で床に撒かれた砂も不気味だ。その上、真っ黒に塗られた壁や天井、至る所に白の文字で書かれた不思議な文字や模様は更に不気味さを醸し出している。
     これが夜だったら今は何も見えていなかっただろう。普段、雨雀は蝋燭を灯して召喚をしている。天井から射し込む陽のおかげで、今僕はこの景色が見えているのだ。

     記憶を頼りに、雨雀がやった通りに行動をはじめる。ガラス戸の棚から、盃とナイフを取り出し、部屋の中心にある台の上にそれを置いていく。事前に採取していた虫の死骸をポケットから出した。台の中心には大量の砂が入っており、それを盃で掬い取り、虫を中に入れる。
     ナイフを手に取り、手のひらに押し当てる。
     雨雀はナイフで手を切っていた。盃の縁に血を塗り、中に数滴落とさなければならない。
     これから来る痛みを想像して、恐れが生まれる。やめてしまえと思う自分の心に、首を横に振った。
     誰かがやらなくてはいけない事だ。吉備に分からせてやるんだ、僕達の生死はお前らが決めて良いものではないと。

     グッと手のひらにナイフを突き立て、勢いよく引いた。途端に焼けるような痛みが手に走り、思わず呻く。痛みで顔を顰めながら震える手でナイフを台の上に慎重に置いた。そして、すぐにもう片手で手を握りしめて、痛みを我慢する。痛くて痛くて、涙が止まらない。
     ぐぅぅ……ッ!と声を漏らしながら、盃の縁に血を塗り、中心部に数滴の血を垂らした。

     これで、僕にも式神が宿るはずだ。そう思うと気が抜けて台に体を預ける。ため息を吐くと同時に、腕がナイフに当たった。
     なんて馬鹿な、気を抜いてしまうなんて。己の愚かさを呪うしかなかった。怒りと恐れが身体を巡る。
     しまった!!と思った時にはもう既に遅く、ナイフは音を立てて床へと落ちた。

     その時、誰かいるのか?と少し遠くで声が聞こえた。気だるげな声だ。
     だめだ。と心が警笛を鳴らす。心拍数が上がり、冷や汗が額から顎へと流れた。

     足音は次第に近づき、ついにガチャリと扉を開いた。盃やナイフ、虫の死骸が置いてある状況。これを見れば、吉備家門下の者達はすぐに察しがつくはずだ。僕が、式神を召喚したと。

     垂れ目の男と目が合った。最悪なことに、彼は僕の見張りをする三人の一人。そして、僕が嫌いとする人間だった。嘘を触れ回る。話を肥大化させる。そういった嫌がらせをしてくる四十半ばのおじさんだった。

     男の目が見開かれ、はっと息を呑む音が聞こえる。信じられないと此方を見る目は、同時に恐ろしさを孕んでいた。

     雨雀様…!と急いで踵を返す彼に僕は手を伸ばした。

     黙らせなければ…!

    「行っちゃダメだ!!!!」

     そう言葉にした瞬間、彼の身体はぐらりと前へと倒れた。しかし、両足はその場に立っていた。
    同時に壁に赤が飛び散った。切断された両足は左右へと力無く倒れ、湿った音と共に床をも赤く濡らした。
     途端に鉄臭いにおいが鼻を掠めた。隣の部屋と、似た匂いだった。

    「…ぇ…」

     目を見開く。瞳が揺れるのが己でもわかった。頭が付いていけず、脳みそをぐりぐりと掻き回されるような感覚に身体がぐらつくる。

     過呼吸のような息づかいが聞こえる。溺水しているような、低い言葉を持たないうめき声が聞こえる。

     そっと視線を下ろせば、そこにはあの彼がもがき苦しんでいる姿だった。顔や喉を掻きむしり目をいっぱいに広げ、涙を流している。ぐりぐりと動く瞳は時折こちらを捉えて助けを求めるように揺れては、また苦しみにより空を見る。

    「黙らせなければ…ならないよなぁ?二度と、口が、きけないように」

     ねっとりとした、どこまでも低い声。熱気がうなじを掠めた。

     その瞬間、息を求める彼の口は目一杯に広がった。まるで誰かに口を開けられているかのように無理矢理開かされていた。両手を頬にあてがい、裂けていく頬に足をバタつかせ必死に抵抗していた。垂れる血に手を滑らすが、それでも力を振り絞って頬を押さえている。
     だが、その行為も虚しく裂け目は大きくなり、彼の口は上下に裂かれる。顎が外れ、露わになった彼の舌が躍る。プチプチと食道から気泡が弾ける音に、骨が折れる音が重なり、はじけるように血飛沫が舞った。
    うなじの皮一枚で繋がった彼の頭と顎はゆらゆらと揺れていた。身体を左右に揺らし、痙攣を起こす彼は、程なくしてぴたりと動きを止めた。


     何故だか分からない。分からないが、自然と…口角が上がっていくのを自身でも感じた。彼の侮辱と蔑む目が脳裏に映し出され、心のどこかで僕は、ざまぁみろと嘲笑っていた。

     笑い声が口から漏れようとした時、自身の腹部に冷たいものが這った。その感触は確かに手であり、服の中に手が入り、腹部の皮膚をまさぐられているのだと分かった。手は次第に肺の方まで登っていく。肉内に手が入り込むようなその不快感にくぐもった悲鳴が漏れた。

    「息をしろ」

     低い声が耳から侵入し脳が痺れる感覚に襲われる。ハっと意識を戻した瞬間、空気が口と鼻から一気に流れ込んで後退った。
     後ろにいる冷たい何かに背中が当たる。

     ハァ…ッ、ハァ…ッ…ッッ!!!!

     肩を大きく揺らし荒い息を繰り返し、空気を体内に取り込んでいく。
     いつのまにか、僕は無意識に呼吸を止めていたらしい。この、腹に手を当ててる者が言わなければ、僕はそのまま死んでいたかもしれない。

     視線を横へとずらせば、そこには血色の悪い色白の肌をした男がいた。黒い髪に緑の輝きを纏い、赤眼が此方を見つめている。
     この時、なぜか僕は、彼が何者であるのかを理解した。

    「…あく、ま……?」

     そう呟いた瞬間、彼はにやりと口角を上げた。

    「あぁ、お前の悪魔だ。主よ」

    ____


    三.吉備天海
    ――岡山県某所、吉備本家邸。

    吉備天海

     資料ファイルが机に投げられ、大きな音を立てる。
     苛立ちを隠す事なく振る舞う彼、楽々森義正に私は何度目かのため息を吐いた。

    「家に来てからずっと苛立ってるね、楽々森」

     涼しくなり始めた秋の初め頃。縁側でお茶でもしようかと田貫を呼びに行けば、田貫は客人が来られましたよ。と笑みを浮かべた。
     それがこの警視庁に務める監視課の楽々森であり、彼は客間に通されてからずっとこの調子で上司、仕事の愚痴をぶつぶつと垂れ流している。

    「聞いてくれますか?!」

    「いいや」

     そう言い返せば、なんでですか!と声を上げると栓を切ったかのように彼の口からは愚痴が止め度なく流れ出す。聞かないと言ったのに、仕方ない奴だ。

    「上層部が捜査を打ち切りにしたんですよ!あと少しで犯人に辿り着けたかもしれないというのに!その上、関わった捜査官は書類業務のみしかやっちゃいけないって命令もされて。意味分かんないでしょう?!未だ失踪者は増え続けているというのに、なんで打ち切りなんかにしたのか…!今日で失踪者は三十人を越えたんですよ?これを連続誘拐事件でもなければ殺人事件でもなく、事故による行方不明だと断定する意味が分かりませんよ!!」

     「そう思いませんか?!!」と最後に叫ぶと、楽々森はぜぇはぁと膝に手をついて息を繰り返した。
     楽々森がこうやって怒るのは珍しい事ではない。かといって彼が短気な性格かと問われれば、答えは否だ。彼は良くも悪くも素直な性格であるのだ。彼がこう怒る時は、いつでも被害者に心を痛めている時である。

    「噂じゃ上層部に金を掴ませた奴がいるとか……、警察のこう言うところが本当に嫌いです。権力を持つ者が容疑者になれば、応援するかのごとく何もしない!」

    「なら、容疑者は権力者ってわけだね?官僚?それとも、財閥?」

     そう問えば、楽々森は頷いた。大きなため息を吐いて、椅子へと腰掛け「恐らく、そうでしょうね」と頭を抱える。まだ息が乱れているようだ。

    「何にしろ、金と権力を持つ者なのは確かかと。でも、怪異絡みでもあると思います。じゃなかったら、わざわざ僕もこんな岡山の田舎まで足を運びませんしね」

    「ほぉー……、こんな田舎までわざわざ?仕事がなくなったから東京から岡山まで休暇の旅行でも?とんだ暇人だね、あんた。他人の故郷を馬鹿にする前に仕事しろ」

    「だぁかぁらぁ!僕らはその仕事が出来なくて困ってるんです!!捜査の中断をされた上に、現場にも捜査にも出させてもらえず個人で調べる事すら出来ないから、此処に来たんです!!僕の監視対象である貴女となら不自然なく接触できますからね。だから、わざわざここまで来たんですよ!」

     自身の膝を拳で叩いて力説する姿に「冗談だよ」と鼻で笑えば、彼は、もー!と怒りの声をあげた。

    「どんだけ馬鹿にしてるんですか!しっかり協力してもらいますからね!いつも僕に情報屋紛いのことをさせてる分、今回もしっかりとね!」

    「なに?棘のある言い方だね?」

    「棘なんてありませんよ、事実です!肩身の狭い僕が貴女の無茶振りのために科捜研に頭を下げてるの知ってます?!DNA鑑定とか調べといて〜で調べれるものじゃないんですからね」

    「それで事件解決してるんだから良いじゃない。それに、元はといえば楽々森が私をストーキングしたいって言うから、その対価に情報を渡してって言ってるだけなのに。そう。対価だよ、これは。なのに、そのうえ更に手伝えなんてねぇ〜……?」

    「スト…っ!あのねぇ、仕事なんですよ!警視庁 特殊捜査部 監視課の!知ってるでしょう、吉備の桃色を持つ者は国の監視対象となるって。貴女のような特殊な方は尚更、存在そのものが脅威なんですから」

     その言葉に眉を顰める。
     特殊、脅威、と言われて少しばかり心に靄がかかった。もう慣れたと思っていても、化け物のように扱われる事はいくつになっても嫌なようだ。

    「やってる事はそこら辺のストーカーと同じでしょ。椀を使ってるとはいえ、他人の手紙を勝手に読んだり。友達の家でまで監視を続けたり」

    「だから、仕事なんですって!」
     
     わかっている、そんなことは。楽々森の仕事も、何故必要なのかも。幼い頃から仕方のない事だ、これは義務だ、と束縛される事を受け入れるように自分に言い聞かせてきたのだから。

     ここまで吉備が国に監視されているのはその霊力の高さや狙われやすさも理由であるが、もう一つの理由がある。
     我らが先祖、孝霊天皇の息子である吉備津彦命は残忍で冷酷な一面を持つ者だった。
     童話、桃太郎の歌を詠んでみれば分かる通りだ。"おもしろい、おもしろい。残らず鬼を攻め伏せて"。 "つぶしてしまえ、鬼ヶ島"。実に我が一族を忠実に表してることだろう。
     吉備津彦命は残忍で冷酷な者である。その上、鬼の霊力をふんだんに含んだ瘴気に当たる事で、歯止めなきかなくなった彼は暴虐の限りを尽くしたと云われている。
     呪いにより霊力を誰よりも高めた現代の桃色を持つ吉備が、それを行えばどうなるだろうか?当時の鬼ヶ島のように現世は暴虐の限りを尽くされ、破壊されるだろう。
     それを阻止するために、国は吉備家の桃色を持つ者を監視しているのだ。
     かく言う私も、桃色の髪を持つ者である為に、この三十路のおじさん…楽々森正義にストーキングされているというわけである。

     私は意地悪く「さぁね」と呟くと、自身のポニーテールを掬い上げて見せる。「私の髪色は藍色なんだけどね?」と笑えば、「染めてるだけでしょうが」と彼は項垂れた。

    「お遊びはさておいて」

    「遊ばれでたんですか…僕……これでも警察官なんですよ……」

    「それで、今回はどういった怪異なの?」

     そう問うと彼はため息を一つ零して、先程机に投げた資料を掴んだ。資料を開き、何枚かの人物写真が入ったケース、メモ書きされた地図、事情聴取などの文面資料を机に取り出す。
     私はまず写真を手に取った。老若男女、小学生程の幼い子供から八十歳近い老人までが写真にある。中には家族写真も含まれており、「この家族も被害者か?」と問えば「ええ。家族全員が行方不明になってます」と返ってきた。

    「この夫婦は、その家族のお隣に棲んでた方ですが……この二人も行方不明になってます。失踪前日は、全員がいつも通りに暮らしているのを近所の方や友人、関係者からの話で分かってます」

     そう言って渡したのは、文面資料だ。そこには確かに、近隣住民の聞き込みがぎっしりと書かれていた。失踪前まで彼らは普段とは違う目立った行動はしていないようだ。
     楽々森は続けて、写真を何枚かめくり「この家族もそうですね」と三人家族の写真、家の中の写真を見せる。

    「この写真を見てわかる通り、机には朝食と思わしき目玉焼きとウィンナーがあり、鍋の味噌汁は焦げて固まっていました。幸い、コンロが感知して火事にはなりませんでしたが」

    「新聞も開いたままになってるね。テレビもつけっぱなしか」

    「はい。行方不明者全員、時間はバラバラですがこのように急に失踪しているんです」

    「足取りは何も無し?」

    楽々森は首を横に振ると地図を広げる。地図には色とりどりの線が描かれており、それはまるで幼少期にやった迷路のお絵描きのようである。
    その地図の上に慣れた手付きで写真を置いていく。神奈川をぐるりと囲うように配置された写真。楽々森はその一つを指差した

    「ここの家、見てください」

    「先程見た四人家族が失踪したところか」

    家をさしたその指は、線に沿うように動かされる。
    川沿いを進み、橋を渡り、歩きであればとても長い距離を進む。だが、その線は林を通り数軒の住宅地を少し進んだところで途切れてしまい、楽々森の指もそこで止まる。

    「此処で家族の足取りは途切れました。そこまでは防犯カメラや目撃者もいて証拠も証言もとってあるんですが、その先からは誰も……」

    「誰も見てない?」

    楽々森は眉を八の字に下げるとううん……と唸り「見ていない、と言うよりは……見ていた人が居ないんです」と返す。

    「この地図を見てもらえばわかるように、行方不明者の足取りが消えた場所は円のようになってますね?」

    たしかに、失踪者の足取りが消えた事を示す線の数により、その中心部は丸い円が描かれているように見える。つまり、皆此処で姿を消したと言うわけだ。

    「その奥にも疎に住宅は続いていますが、その住宅には誰もいなかったんです」

    「誰も?」

    「ええ、人っ子一人いませんでした。監視カメラなどの物も全てが壊されていました。中の様子を確認するために何度か足を運んだんですが、途中上層部から撤退を命じられて……今では誰も立ち入る事ができなくなっています」

     楽々森は捜査ができなくなったから、この遠くの岡山まで足を運んだと言っていた。
     なるほど、彼が何のために私を訪ねて来たのか……だいたい予想が出来てきた。

    「捜査も中止され、個人で調べようにも立ち入り禁止区域では侵入を阻止され調べる事も出来ないんだね?」

    「その通りです!」

     楽々森はパッと顔を明るくさせ、指を慣らした。

    「椀で見てみれば貴女は任務に就いていないようでしたので、このチャンスを逃すまいと急いで新幹線をとって来たんですよ!」

     椀(わん)というのは、楽々森の式神である。
     東京都警視庁に務める彼が、どうやって岡山に棲む私を監視するのかと疑問に思った方もいるだろう。
     それを実現出来るのが、彼の式神のである。

     椀は茶碗の妖怪である。こういった話をきいたことがないだろうか。
     家に起きる厄災を、お椀が欠けた事で防いだと。
    お椀の付喪神がその家、家主を守る妖怪……それが椀である。
     彼は昔から椀に気に入られる体質であった。その為に彼の周りには椀が沢山いるのだ。椀は全ての茶碗、又は茶椀と共同体である。つまり、茶碗を通して楽々森は情報を仕入れ、また監視することが可能であるのだ。以前、監視対象に「良い茶器ですから」と渡し逮捕に貢献したと自慢気に話していたのを思い出す。

    「それで、私に此処に入れって?」

     楽々森は一度力強く頷いた。
     期待の篭った眼差しに苦笑するしかなかった。毎度思うのだが、女子高生に揶揄われたり、頼ったりするこの目は何ともチワワのように思えて仕方がない。

    「女子高生に頼って恥ずかしくないの?」

    そう問えば、恥ずかしくありませんよ。と真顔で自信たっぷりに言われ、堪らず噴き出した。



    ――――――――



     出発の準備を始めた私に、楽々森の視線が突き刺さる。背中を向けた状態で「なに?」と聞けば、「本当に車で向かうんですか?」と不服そうな声が返ってきた。

    「東京まで新幹線でたったの五時間ですよ?その間ぐらい大丈夫なんじゃないですか?」

     大丈夫じゃないのか?というのは、鬼や妖怪達に襲われないんじゃないのかという意味だ。

    「車だとプラス"たったの"三時間だよ」

     私達の呪いは化け物を引き寄せるものだ。なので、私達が公共交通機関を使えばもちろん化け物達もそこに集まる。そうなれば、一つの箱に閉じ込められた乗客、乗員は私を狙った化け物達の攻撃に巻き込まれてしまう危険性がある。

    「それに、奴等は配慮なんてしてくれないよ。食べれるならば乗客もまとめて食べてしまうさ。桃色を狙う化け物というのはそういう者だからね」

     続けてそう言うと、楽々森は「でもなぁ……」と呟く。

    「八時間運転する僕の身にもなってくださいよ…着く頃には疲れ果てちゃいますって……」

     そこで、私はようやく彼が何を言いたいのか理解し、あぁ…と呟いた。

    「別に楽々森に運転させるつもりはないよ。最初から運転はうちの者にやらせるつもりだからね。そういう役割がいるんだ。烏がいるからね」

    「あっ、じゃあ僕は運転しなくていいんですね!」

     あからさまに顔を明るくさせる彼を眉を顰めて見れば、彼はさっと顔を逸らした。

     だが、何かに気がついたように「あ……」と声を漏らす。膝立ちのまま襖の方へと向かい(畳が擦れるので止めて欲しいが)、襖から顔を出し外を見る。

    「屋敷の人達がなんだか忙しそうにしているなと思ってましたけど、そういえば、今日は神子の集まりがあるんでしたよね」

     楽々森はそう言うと、警察の先輩でもいたのか「っす、疲れ様です」と会釈をした。

     楽々森の言う通り、今日は神子の集会がある。吉備の本家である此処、岡山の屋敷に各地の分家の神子が集まるのだ。
     その為、給餌係の田貫や門番の門松は昨日から忙しそうにしていたのを覚えている。今も、田貫が御膳を運ぶのに行ったり来たりと忙しない。

    「そうだよ。でも、神子の監視でもない貴方がよく知ってたね?」

    「まぁ。神奈川の分家に行ってる後輩の丹羽から、報告があったんですよ」

    「神奈川……?ということは、雨雀のところか……」

     神子を呼び捨てにした私に「様を付けなくていいんですか」と苦笑するので「私はあいつが嫌いだからね」と返した。

     雨雀と最初に出会ったのは私が六歳の頃だったか。その時にはもう雨雀は神子となっていたが……、出会った時からあの貼り付けたような笑顔と人を丸め込もうとする偽善者ぶった発言が嫌いだった。その上、彼女の瞳孔の開いた目は人間味がなく気味が悪かったのをありありと覚えている。

    「まぁ、でも……普通はそこまで報告することないんですけどね。あぁっ、上には勿論しますよ?けど、監視担当者全員にってのは普通する必要ないんですよ。まぁ、あいつはまだ入ってきて三年かそこらだから、わかってないんだろうけど」

     ふと疑問に思い「何で?」と問いかける。

    「え?」

    「何で報告する必要がないの?」

     そう問えば、目を丸くしていた楽々森は、さも当然のように「だって、必要ないじゃないですか」と答えた。

    「僕のような式神を使えたり、そういった能力を持っているなら別ですけど……後輩や開先輩やら普通の人間は神子と行動を共にするのが義務付けられてますからね。一緒に同行するなら、報告せずとも現地で会うじゃないですか。それになにより、僕達の役目は担当の神子や桃色の監視をただするだけですしね」

    「なら、その後輩も今日一緒に来るんだね?」

    「ええ、勿論。義務ですから」

     そうか……と呟き、思考を巡らせる。
     楽々森の後輩、丹羽がもしも一緒に来ているなら雨雀の事を何か聞き出せるかもしれないと考える。それ以上に、丹羽は監視役にまで事細かく報告をいれているという。ならば……。

    「その後輩は、雨雀のことをなんて報告を?」

    「雨雀様ですか?普通の業務連絡……というには些か下手で書きすぎる所もありますが、目立ったような事はなにも」

     首を傾げ「彼女がどうかしたんですか?」と訝しむ。

    「あぁ、うちの神子様がいうには、最近あいつの霊力に乱れが生じているらしい。それと同時期に神奈川の分家の霊力がぱたりと消えたともね。烏も居住地を見失ってな……、それできいたんだ。どう?おかしいと思うでしょ?」

    「えっ……居住地を見失うってどういうことですか?しかも、あの烏さん達が?」

     何を言っているのか分からないと目を見開く楽々森に「そのままの意味だよ」と返す。

    「消えたんだよ、神奈川分家の建物が忽然と」

    「幻影ですか……?うちの者の話では、幻影を使い身を隠す分家もいると聞いた事がありますけど……それとはまた別に……?」

    「いや、幻影とは違うだろうね。それなら烏は分かるだろうからね。そんなのじゃなく、消えたんだよ、完全にね」

     楽々森は目を細くして「……どこに?」と問うが、私にもわからない為に肩をすぼめて返した。

    「今回、神子を招集したのも、それを確かめる理由もあるんだ。あいつが何を企み、何をしているのかをね」

     「まぁ……皆おおよその検討は付いているだろうけどね」と呟けば、彼からも「堕ちたか……」と呟きが聞こえる。

    「それなら、丹羽は……」

    「どうだろうね。もしも本当にそうなら屋敷に拘束されているか、残念だけど死んでいるか」

    「……。皇族の方々は?」

    「知ってる。すべて此方に委ねるとの事らしい」

    「そうですか……、今回尋問したところで正直に答えてくれるんでしょうか」

    「さぁね。あの女が本当に女狐だとするなら、素直に認めるとは思えないけれど。どちらにしろ、それは神子様達や功臣が行うことだからね。任せるしかないよ」

     楽々森は「そうですね」と苦笑すると立ち上がり、「さぁ!いきましょうか」と手を伸ばした。
     「なに?その手は」と訝しめば「荷物持ちますよ。僕の先祖はお供の猿ですからね」笑う。

    「そういえば、そうだったね」

     それに私も笑って鞄を渡した。

    「え?忘れてたんですか?ひどいなぁ、こうやって敬語も使って敬っていますのに」

     そう笑う楽々森の先祖は、楽々森彦命。吉備津彦命と共に鬼退治に行った者だ。御伽噺では猿として描かれているが、その実、彼は武人である。
     それ故に、子孫である楽々森の家系は代々国に支える警察や自衛隊などの職に着く者が多く、彼…楽々森義正も警察として国のために働いている。



     襖を開ければ、何人かの見知った神子の従者を見つけ会釈をしながら玄関へと向かう。

     玄関先まで来たところで嫌な顔を見つけて、無意識に顔を顰めた。靴を履き替え終わった彼女…雨雀は此方に気が付き、あの貼り付けた笑顔を向けてきた。

    「お久しぶりです。天海様」

     そう頭を下げた雨雀に、私も「お久しぶりです、雨雀様」と内心嫌々ながらも頭を下げた。

    「私の事は呼び捨てにしていただいて構いません。その他の神子、並びに従者の方々がそうしていらっしゃるように。私は神子でもなんでもないのですから」

    「ふふ、何を仰いますか。吉備本家の神子様と、その神である朱雀様の間に御誕生なされた御息女を呼び捨てなどどうしたら出来ましょうか」

     そういえば今日は朱雀様見てないですねぇ。などという場違いな声に肘打ちで叱りつければ、ウッと声をあげて謝罪が返ってくる。

    「天海様はいつお見かけしても美しくおられますね。流石は神の血をその身に流しているだけのことはあります。煌々と、満月のように輝るその霊力も羨ましい限りにございます」

     雨雀の癪に触る言動を全て無視した上で、此方も貼り付けた笑顔を向け「そういえば」と話を変える。

    「最近、神奈川分家の近況を耳にしないのですが……皆さま息災で御座いましょうか?」

     雨雀はそんな無礼にも、にっこりと笑みを浮かべ「えぇ」とかえした。

     「私が注意深く気にしていなかったせいもあるでしょうが、そうですね……耳にしなくなったのは六年ほど前でしたか……。六年も経てば新たな吉備の血筋も御誕生しているのではありませんか?是非に、その話をお伺いしたく思います」

    「……残念ながら、天海様を喜ばせれるだけの話を私はもち得ていないのです。私を含め、神奈川の分家は未だに独身の者ばかりで、子は一人もおりません。もしも、誕生したその際は、誰よりも早く天海さまにお伝え致しましょう」

     約束致します。と頭を下げた雨雀に声をかけようと口を開いた時「子はいない……と?」と柔らかなよく知った声が後ろから聞こえた。

    「それはおかしいですね。私の記憶では、十四年前に御子が誕生していたはずです。名は確か……かいこ…回子様でしたかね?」

     黒色の癖のある短髪。褐色肌に金の瞳を持つ、ヴァラドだ。
     「ヴァラド…」と呟けば、ヴァラドは私に目線をやり会釈をした。そして、また雨雀へと向き直り、「さて、その御子はどちらにいらっしゃるのですか?」と尋ねた。

     頭を下げていた雨雀は、す――と冷えた目線をヴァラドに向ける。ゆっくりと細められた目は先程の冷えた目が嘘のように、綺麗な笑みを作っていた。

    「彼等は神奈川分家を出、独立しました。夫の姓である名瀬を名乗り、今では一般人として生活しております。私共には到底出来ない普通の幸せを壊すことのないよう、どうか、これ以上の詮索は――」

     されませぬよう。と雨雀の言葉を遮るように、「監視課は、子供が桃色であるか否かを報告する義務も持ち得ていますね」と少し張りのある声で楽々森に問いかける。楽々森は、それに気圧されるように「え、あ……はい」と返した。

    「回子様の報告はきいていますか?」

    「いや、何も。吉備回子という女児が産まれたのは丹波から報告に来てるけど、それが桃色であったかは来てないね。そもそも、彼女が桃色であれば、丹羽以外にもうちの監視課が配属されるはずだからね」

    金の目を細めたヴァラドは「そうですか」と呟き、感謝を述べた後に、雨雀に対して頭を下げた。

    「先程は失礼いたしました。私は一度彼女の姿を見た事があるのですが、その時はとても……えぇ、とても甘美な香りがいたしましたので。どうにも、桃色である疑いが抜けなかったのです。申し訳ありませんでした」

    「いえ、顔を上げてください。貴方の行動が吉備を思ってのことだと良く理解しておりますよ。天使である貴方らしい行動だと思います」

    雨雀は「では、そろそろ……」と会釈をし歩き出す。私の横を通りすぎようとした時「そういえば」と、ヴァラドが再び声をかける。雨雀は足を止めた。

    「三人のお供の方はいらっしゃるようですが、監視課の方はどちらでしょうか?」

    一瞬、雨雀の眉が顰められた。先程まではある程度離れていた為に気がつかなかったが、雨雀の嫌悪を表す表情が今ではまじまじと見える。私は場違いにも、雨雀もこんな顔をするんだなと驚いた。

    「彼は、今足を怪我しておりまして」

     また笑顔を貼り付けた雨雀は、ヴァラドを振り返る。

    「今は神奈川分家で療養をしております」

     私の隣で、えっ……。と楽々森が声を漏らした。驚くのも無理はないだろう。楽々森達監視課は桃色、又は神子を監視するのが役目なのだ。どこに行くにしても常に監視するのが義務付けられている。
     たとえ、吉備本家に向かうにしても楽々森の先輩達のように共に屋敷まで来ることが彼等の職務であり義務なのだ。

    「その報告は?」

    「申し訳ありません。急でしたので……」

    おずおずと「丹羽は何故報告をしてこなかったんでしょうか?」と楽々森が問いかけ、雨雀はさぁ?と首を傾げた。

    「彼はする必要がないと仰っていましたから、私もそれ以上の事は……」

    「…桃色を持つ者、神子である者は監視課を側につける義務がある。それは貴女もよくご存知でしょう?何故、彼を注意しなかったのですか。貴女ともあろうお方がそんな事を忘れてしまうなど……正直、貴女に神子の資格があるのか疑問に思います」

     雨雀は頭を下げて謝罪を述べた。続けて「わたしは……」と言葉を出したところで「雨雀様!」と奥の廊下から田貫が走ってきた。

    「おやおや、畜生というのはどうしてこうも」とにこにこ棘のある言葉を呟くヴァラドを、片手で制して黙らせる。

     田貫は雨雀へと駆け寄ると勢いよく頭を下げた。

    「お出迎えが遅くなり、誠に申し訳御座いません!本日、雨雀様のお世話をさせていただきます田貫です。さ!座敷へ御案内致します!」

     田貫は持ち前の明るさを前面に出して、雨雀様!こちらです!と案内を始める。雨雀もそれに苦笑し、此方に会釈をした後去っていった。



     その背を見ながら「ちょうど良かったと思うよ」と言えば「何がですか?」と楽々森は首を傾げた。

    「田貫が来るタイミングだよ。問い詰め過ぎもせず、嫌な奴だと印象付けて終わりの程度でね」

     横の廊下を見れば、烏が立っていた。会釈をした後、一瞬で姿を消した彼はきっと先程の会話を全て聞いていただろう。

    「少しは判断材料になるんじゃないかな」

     式鬼家から遣わされている烏は、吉備の送迎意外に情報の収集と伝達を担う。吉備の門下であれば誰でも彼等を使うことが出来るが、彼等の主人は吉備ではない。
     彼等の主人は、皇族と同じ身分に位置し、人ならざる者と人間達の共存をまとめる式鬼家だ。
     烏は式鬼家の命令で此処に来ている。つまり、私たちが彼等を使えば、彼等が得た情報は全て式鬼のに流される。
     恐らく、雨雀のところにいた烏は殺されたか拘束されているのだろう。式鬼家には何も情報が入っておらず、彼等の場所さえも見つける事が出来ていないのだから。

     小さく息を吐き出し、強張っていた身体を解す。

    「そろそろ出ないとね。遅くなってしまう」

     私の言葉にヴァラドは頷いた。

    「えぇ、そうですね。あぁ、私もお供いたしますよ。貴女の雉ですからね」

    「そう?ありがとう。じゃあ、行こうか」

     私達は烏が運転する車で、東京に向かった。
    ――



    四.吉備回子
     転がった遺体をスラリとした長い足が揺らす。男の遺体は揺さぶられる度に、赤黒い血を流した。だが、その血は床に広がる事なく、地面に染み込むように消えていく。

    「噂にきく通り、吉備の血肉は美味いものだな」

     彼の体から離れ後退った僕をよそに、悪魔は自らが殺した男を見下ろしそう言った。おもむろに死体に手をかざし、空気を撫でるように横へ動かした。

    「な、なに……をしてるんだ……」

     その言葉に悪魔は此方を振り向いた。首を傾げ、何故そんなことを聞くのかというふうに此方を見ている。

    「分からないのか?勿体ないだろう」

    「勿体ない……?」

    「あぁ。血も肉も骨も、これ程までに味の良いものを俺は今まで味わったことが無い。その上、この霊力だ。残しては勿体ない」

     彼の後ろで、遺体がゆっくり動いているのに気が付いた。まるで床がクリーム状にでもなったかのように、遺体をのみ込んでいく。気が付いた時には、壁や床についた血飛沫も、散らばった肉片も、全てが綺麗に無くなっていた。まるで最初から、何も起きていなかったかのように。

     思わず身体が震え、それを隠すように身体を抱いた。悪魔はそれを面白いものを見るようにただじっと此方を見つめている。不愉快だ、とてもとても。まるで、弱いと嘲笑われているようで……。

    「……み、るな……」

     嫌になるほど弱々しい声だった。

     だが、悪魔は「お前がそう望み、命令するのなら、それに応えよう」と言った。

     その言葉に思わず目を見開き、ぇ……と声をこぼす。
     悪魔は言葉通りに目線を僕から逸らした。

    「なんで、……僕の命令に従うんだ」

    「お前はその血を捧げて俺を呼び出した。俺はそれに応え、お前と契約をした。契約を交わした時から、俺はお前の僕となった。故に、命令に従うのが道理だろう?」

    「なんで、応えてくれたんだ?お前が応えなかったら、僕はどうなっていた……?」

     悪魔はふ……と笑う。

    「何故だと?先程からおかしなことを言う。……今までたかが人間如きが俺を呼び出そうとしてきたが、その全ては痛みもがき苦しみ、地に呑まれた。もしも、俺が応えなければお前もそうなっていただろう。三十を超える憐れな魂と同様に」

     悪魔はそう言うと、続けて「まぁ、有り得ない話だがな」と笑う。

    「なぜだ?」

    「見たからだ。お前が俺を呼び出した時、甘い香に誘われた羽虫共が這い寄る姿を。お前の血は、お前の契約は……この世のものとは思えない程に甘美なものだ。甘く、美しく、その血肉を貪れば。その身を欲で満たせば。どれだけの快楽を味わえるのかと想像もつかない程に魅惑される。それ程にお前の契約には価値があるんだ」

     そこまで言うとクツクツと笑い始めた悪魔は、「想像してもみろ。焦がれるお前の隣を俺一人が独占し、甘い蜜を啜る。その姿を切望し見上げる羽虫共を。こんな愉快な事を放って置けるわけがないだろう」と面白そうに目を細める。

    「どのみち、契約したお前に他を望む自由など無いがな。お前の血も肉も魂も、全ては、俺の物となるんだ。死後も、その先も、永遠に」

     笑みを浮かべる悪魔の横顔は、睨みつけるように鋭いものだった。だが、僕は少しも怖くはなかった。むしろ、僕は心から安心していた。

     そうか。僕は、もう…一人ではなくなるのか。

     僕はいつの間にか歩き出していた。一歩、一歩と悪魔に向かって。
     近づく僕に悪魔は、気怠げに体の向きを変えて僕を視界に入れないようにした。僕の言葉を忠実に守ろうとするその行動に僕は、なんとも言えない気持ちでいっぱいになった。彼は…彼は、仲間だ。

     彼の袖口を指で摘みつんつんと引っ張る。ぶっきらぼうに彼は「……なんだ」と問う。

    「こっちを……向いてくれないか」

     悪魔はそれに応えるように身体ごと此方へと向いた。何も言わず、赤い瞳でただ此方をじっと見つめる悪魔に僕はまるで魅了された気分だった。

    「お前は、僕の味方なんだな」

    「ふん、悪魔に味方かと問うとはな」

    「僕の側にずっと、いてくれるんだろう?」

    「甘ったるい言葉は聞くのも言うのも嫌いだ。だが…お前が望むのなら答えてやろう。"あぁ、その通りだ"と」

     目頭が熱くなっていく。同時に、あの日々が脳裏に蘇る。
     連れ去られ贄にされた家族。手を伸ばす両親、大声で泣き喚く赤子の弟を。仲良くなった四歳年下の友達や、僕を慕ってくれた六歳年下の友達を思い出した。
     みんな、みんな、僕の前から消えてしまった。僕だけ残され、皆死んでしまった……。

    「お前は……、死な、ないんだよな?」

     ぽろぽろと流れる涙が煩わしく、両手で拭いとっても更に溢れて止まらない。

    「そう簡単に死ぬと思うのか?馬鹿げた質問だな」

     笑い声を混ぜた低いその声。その悪魔の姿を見たくて見上げても、滲んで何も見えず、たまらなく嫌になり情けなくも、うぅ……と声を漏らしてしまう。
     ぼやけた視界で悪魔が首を傾げたのがわかった。何故、僕が泣いているのか分からないんだろう。だって、悪魔には分からない筈だ。僕の今までの思いを、今の気持ちを。
     
     僕が手を伸ばそうとした時、悪魔も同様に手を伸ばしたのがわかった。その手は、僕の両目を覆い隠した。

    「俺には分からんな、一人の寂しさなど。だが、それでお前が欲を満たせるというのであれば、存分に使うといい」

    「なんで、寂しいって……」

     その言葉はまるで僕の気持ちを知っているようだった。

    「お前の全ては俺のものだと言っただろう。お前の記憶も過去の感情も全ては俺の物だ」

     僕は思わず「あぁ……なんてやつだ……」と呟いた。今まで一人で抱えてきた気持ちも全て、この悪魔は知っている。
     僕は目を覆う悪魔の手を、上から握った。ゴツゴツと骨張った手が瞼に当たる感覚がする。冷たくて、熱を持つ瞼が冷えていく感覚が気持ちが良かった。


    ――――――


     泣き腫らした僕が次に目を開けた時、僕は自室にいた。歩いた記憶も、何もないのに。
     不思議に思いきょろきょろと見渡していると、悪魔が連れてきたと言った。これぐらいなら、どんな下賤な蛆でも出来ることだ。とふんぞり返って僕のベッドに腰掛けていた。

    「それにしても、よく部屋がわかったね」

    「当たり前のことだ。お前が住処にしている所へなら、どんな所に居ようと行ける」

     まるで猫の帰省本能のようだと思ったけれど、言わないでおく。言ったら怒られそうだから。

    「俺を猫呼ばわりするとはな」

     だが、バレていた。

    「僕の思ってる事もわかるんだな」

    「当たり前だ。契約したその時から魂の繋がりが出来る。その繋がりが強固なものになればなる程に、お前の感じる全てを俺は得られる」

     だが、まだ弱い。と悪魔は頬杖をついた。

    「そうだな……まずは、名前を付けろ」

    「名前?お前にか?」

    「あぁ。悪魔、悪魔と呼ばれ続けるのは、羽虫共と同じようで気分が悪い」

    「だが、名前ならあるだろう?ベルゼブブ」

     僕はこの悪魔の名前を知っている。コイツを見た時から、その名が頭に浮かんでいた。
     ベルゼブブ。またの名を、バアル・ゼブル。この二つの名が何を意味してるのかは分からない。ベルゼブブは本などで名前を見ることがあるが、バアル・ゼブルなんて名前は聞いたことがない。
    なぜ、名前が二つあるのかさえ、僕には分からない。

    「それはこの世が付けた名前だ」

    「世界がつけた名前ではなく、僕が付けなければならないのか……。そうだな……じゃあ、……カイコ」

     両親が僕に付けてくれた名前。家族が唯一僕に残してくれた繋がり。大切な名前だ。だから、この悪魔にはこの名前がぴったりだ。
     悪魔を見て「うん。カイコが良い」と笑うと、悪魔は「お前の名か、どこぞの羽虫の名をつけられるよりはマシだな」と呟いた。

    「次は、何かお前の持ち物を渡せ」

    「持ち物……?何に使うんだ?」

    「何かに使うわけじゃない。俺が身につけておくだけだ。お前が愛着を持つものであればある程に、お前の気が俺に流れ込む。そうすれば、俺らの繋がりは強固になる」

     それなら……、と僕は耳につけていたアクセサリーを取り外した。これは友達がくれたものだ。彼が亡くなってから肌身離さず持ち歩いていた。

    「これならどうだ?友達が作ってくれたもので、ずっと着けてるんだが……」

     悪魔……カイコは近づくと、僕の手からアクセサリーをつまみ上げそれを見つめると「まぁ、いいだろう」と呟いた。自身の耳にそれをあてがい、アクセサリーを身につけた。
     僕の耳についていた赤のアクセサリーは、カイコの瞳と同じ色である為、カイコによく似合っていると思った。

    「とりあえずは、これで良いだろう。お前には俺の気が、俺にはお前の気が流れる。どんな奴がみても、誰が誰の物であるのかよく分かるだろう」

     そう言うと彼は僕を見下ろした。

    「それで、お前は何を望む?」

    「え」

    「誰を求めてかは知らないが、召喚を行ったという事はそいつに何かをさせようとしていたんだろう?」

    「あぁ……、ふ、復讐をしたい……」

     だが、今更になって、途端に恐怖が渦巻いた。本当にこれで良いのかと疑問が出てきたからだ。

    「何故、恐怖を感じている?憎くないのか?殺してやりたいと怒りを感じたんじゃないのか?」

    「憎くいよ!憎いから復讐したいんだ……家族を、友達を、殺した奴らに。根を断ち切って、もう二度と、こんなことが起きないように……!」

     自身の服を掴んでいた手が熱を持ち、じんじんとする。迷いを振り払うように更に手に力を込めた。

     頭上で「そうか」と呟くカイコの声が聞こえた。

    「ならば……あの女を苦しめ、殺せば良いんだな?名前をなんと言ったか……あぁ、そうだ」

    「雨雀だ」と言ったカイコに、僕は目を見開いた。咄嗟に「違う!」と大声を上げる。

    「違うだと?」

    「僕の家族を殺したのは吉備本家の神子だ!雨雀様は望んであんなことをしたんじゃない…!僕が復讐するのは、その仕来りをいつまでも強要し続ける本家の人間達だ」

     「それに、雨雀様にはツァナーナ様という神が居られる。神相手じゃ戦えないだろう?」と、カイコを見上げる。眉間に皺を寄せ、訳が分からないという顔をしていたカイコだが、次第にその顔は笑みを浮かべていった。

     くつくつと笑うカイコに、何がおかしいのかと問いかける。

    「あの羽虫はツァナーナというのか……、そうか。お前にはアレが神に見えるのか……くっくっ」

    「何を……」

    「俺にはただの妖鳥……この世で云うハーピーにしか見えんがな。つまりは、ただの悪魔だ。吉備の血をたらふく食って力を得たようだが、何をしようと所詮は下級悪魔に過ぎない」

     僕は思わず「え」と目を見開いた。鈍器で頭を殴られたかのように脳がぐわぐわと揺れる感覚に陥る。
     そんなの……と思った時「嘘だと思うか?」と楽しげなカイコの声が耳に入る。

    「じゃあ……なんで、雨雀様は……神の力を維持するには霊力を補充しないと……って……」

    「はは、その女は間違った事は言っていないな。悪魔は吉備を食えば力を得るという、強くなるにはお前らを食べるのが一番良いんだろう」

     僕は思わず首を横に振った。

    「そんな……信じられない……っ」

    僕が辛い思いをするのは吉備の血筋に生まれてきたせいだとずっと思ってきたのだ。家族が死んだのも、友達が死んだのも。一人ぼっちになってしまったのも。だから、僕は先祖を恨み、本家を恨んだ。

    「ならば教えてやろう。何故、お前達を狙うのが鬼や妖怪、悪魔なのかを。何故、神はお前達を食べようとしないのかを。神は、あれだけの力があれば、両手で水を飲むようにお前達の血も簡単に飲む事が出来るはずだろう?」

     目を細めるカイコに、僕はこくりと頷いた。

    「答えは簡単だ。必要がないからだ、吉備の血など。お前らの血など、所詮はたかが鬼がかけた呪い。たかが人間一人が抱えれるだけの霊力など、ひとつまみの砂にも満たない。いいか、神がお前らと契約するのはお前達がただ美味いからだ。その身を差し出すならもらってやると……その程度のものだ。つまりは、お前らを食べて力を得ようとする行動こそが悪魔の証拠なんだ。分かるだろう?」

    「……じゃあ……ツァナーナ様は……神では……」

    「言ったろう、あれは低級悪魔だと」

     「悪魔……」

     ツァナーナが悪魔ハーピーならば、それを式神とする雨雀は……神子ではない。……なぜなら、神子は神の寵愛を受けなければ、神を式神に出来なければ、神子にはなれないからだ。

     そこまで考えて、僕は疑問をこぼした。

    「じゃあ、なぜ僕たちは無事でいるんだ……?神子がいないのならば、結界は張られていないはずだ。僕達が今無事で居る理由は?」

    「悪魔というものは手段を選ばないものだ。終わりのない奴らにとっては人の一生程の長さなど、取るに足らないもの。大きな獲物を狩るためになら目の前のご馳走様ぐらい我慢も出来るだろう、敵を殺しお前らを守る事もするだろう」

    「大きな獲物……?」

    「居るだろう?お前のような奴等が沢山いる場所が」

     僕のような、というのはきっとこの桃色のことだ。それが沢山居るところといえば、一つしかない。
     全国でも桃色が多く居住する、岡山の吉備だ。

    「本家……」

     つまり、雨雀達の狙いは初めから吉備本家だったということだ。

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