十五年が経った。ネイジアは相変わらず鳥の巣の本部で働きながらネムが産んだ子どもに貴族向けの行儀作法を教えている。
「クー先生のこれってどこで覚えたの?」
「ひみつ。覚えておいて損はないからね」
シャルは普段は着ない練習用のドレスの裾を物珍しそうに摘んだ。ネムをそのまま子どもにして黒髪にしたような、外見的な特徴としては父親に似ているところが極端に少ない娘だが、年齢よりも小柄であるためかややもすると幼く見えるすみれ色の瞳は表情豊かで人懐こさの方を強く感じさせる。
「これはゴヴィルハード式だけど、格の区分はだいたいどこも同じだからどこに行っても困らないよ、多分」
ネイジアが習い覚えていたのはゴヴィルハードの一般的な貴族の作法だ。幼い頃より習熟し、身に染みついたものをおさらいがてら教えているが、こうして役に立つことがあって良かった。
「どこに行ってもって何?」
「狩人やるならいろんなところに行くもんじゃない?」
「ここの森でいいのに」
そうは言ってもシャルは飲み込みが早い。礼の格にしてもその頭から爪先にいたる所作にせよ、既に領主主催の宴席や式典に出ても見劣りはしないであろうと思われた。なんならネイジア自身のいつまでももたつき感の拭えない仕草よりも優美で優雅に見えなくもない。
「お父さんはこういうのやらないじゃない?」
「そうでもないよ、やる機会がないだけでできるよ」
「見たことない」
「今度お手本を見せてもらってもいいかもね」
いつか見たユエの王立騎士団式の礼を思い出しながらネイジアは苦笑する。
「まあでも、上手だよ。お姫さまみたい。」
「ふふん」
褒め言葉への感謝を示す膝折礼も実に可憐で様になっている。
シャルに貴族式の礼儀作法を教えてほしい、とネイジアに頼んだのは他ならぬネムだった。小さなうちは一般的なものでいいけれど、成人を迎える頃には貴族式の礼がこなせるように。
「万が一の時に困らないようにね」
シャルが言葉を話すか話さないかの頃、その小さな頭を撫でながら、私には時間がないから、と穏やかに笑った友人はそれからほどなくして亡くなった。
「クーがいてくれてよかった」
そう言い残し、見た目どおりの儚さでいなくなった友人の忘れ形見は鳥の巣本部総出で育てたと言ってもいい。主にはこの小さな街で、時には街と森を往復するユエに連れられ、一般教養と鳥の巣の狩人としての訓練も少しずつ。魔力放出については未だ兆しが見えないが、少なくとも第三階層の魔呪の扱いに関しては戦いに慣れたネイジアでも舌を巻く。そちらの方は父親の方に似たのかもしれない。そう思うと貴族式の礼が必要になる場面は確かに想像できないが、この美貌である。たとえば領主クラスの貴族の寵姫に望まれるということはあるかもしれない。それはなんとなく嫌ではあるが。
「……よし、じゃあ礼儀作法の方はいったんこれくらいにして。今日も魔力放出を試してみようか」
「やった」
この子がどこにでも行けるように、とネムは言った。ものを知らないと自称するわりにはやけに博識な友人。森の奥、オーラレンから来た麗人。とうとうこの街から出ることはなかったけれど、たまに森から帰ってくるユエを迎える彼女は本当に幸福そうに見えた。
「クー先生」
「ん?」
「今日は私、なんかやれる気がする」
ネイジアはすみれ色の大きな瞳を輝かせるシャルの黒い髪を撫でた。ネイジアもそう思う。この子供がどこへでも、望む場所に行けますように。