貴方は貴族「300米?」
鯉登は素っ頓狂な声をあげた。
「300米先の人間の頭と胸の狙いなど、角度の差にして1度にも満たないぞ? 恐ろしい精度の射撃だな……機械よりも正確なのではないか」
尾形はうっそりと、絡んできた新任の上官を見上げる。
「角度とは?」
「三角関数だ」
「……申し訳ないですが、無学なもので、仰ることが今ひとつ」
「距離と高さから斜辺の角度を出す。あるいはその逆だ。工兵はやるだろう? 三角関数を知らないということは、理屈でなく純粋に技術のみなのか。ほんとうに機械のようだ」
尾形はがりがりと後頭部を掻いた。
「理屈を知っていても実践できなけりゃ意味ないでしょう」
「勿論だ。だが兵器の精度を上げることはできる。そうすれば練度の低い兵でも今の尾形のような射撃ができるだろう」
「ははぁ、そうしたら私はお払い箱ですかな」
「馬鹿な。もっと先へ行くんだ。技術の発展は、練度の無いものもそれなりに、鍛錬を積んだものはもっとひきあげてくれるものだ。そうして全体の能力が上がる。鶴見中尉殿も兵器開発には熱心でないか」
キラキラと語る男──戦場も知らぬ若造──に向けられた瞳が、翳を帯びる。
「さすが海軍は、身一つで戦えない分、機械にこだわるんですなぁ」
ぴくり、と鯉登の眉が上がる。
さんざんされてきた揶揄だ。海の子がなぜ陸になど来たのだ? と。
「……海兵は、ひとりひとりが戦艦の手足だ。操艦技術に優れた者たちとそうでない者たちで、同じ艦でもまったく違う生き物のように動きが変わるのを知らんのか。日本海海戦の──」
「はぁ。無学なもので」
尾形は繰り返す。ようやく鯉登は、この男が喜んではいないことに気づく。その射撃技術を褒められたとしても。
「……邪魔をした」
鯉登はくるりと背を向ける。
尾形は猫のように目を眇めた。