お前は俺の その日は梅雨の半ばにも関わらず晴天だった。
あまりに天気が良いから空を見上げながら昼飯を買いに出掛け、戻ってきた所で大きな鳥がまさに飛び立とうとしているのを、見た。逆光にも関わらずその鳥は白く、白く、いや、よく見れば白いのは肌だけで普通に黒いスーツを纏っている。
(は?鳥じゃねぇぞ)
何をどう見間違えたのか、鳥だと思ったのは人で、自社ビルの屋上のフェンスに直接尻を乗せて座っているってことはまさか自殺するつもりなのか?慌ててビルに駆け込み、数機揃って不在のエレベーターに舌打ちして階段を駆け上がり、やがて息を切らしながら辿り着いた屋上のドアに殆ど体当たりした。飛び込んできた強い光に目を細めながら探すと、白いのはまだちゃんとフェンスの上にお座りしたまま、
(良かった、間に合った…って、
マジか、アレは、ばくごう…)
そこにいたのは去年隣の部署に入った俺と同期の青年、スゲェ腕が立つのと口が悪いのとで有名な爆豪勝己だ。ゆっくりとコチラを振り向いた爆豪は、常日頃は燃える様な紅い瞳を胡乱とさせたまま、フェンスから降りてくる様子がない。もしかして正気を失っているのだろうか、狂気も自殺も普段の彼の立ち居振る舞いからは全く予想もつかない事態だけれど、このまま飛び降りられては堪らない。
『爆豪、そっちに行くから大人しくしていてくれ』
と言葉に力を込めて言う。普段の言動からして命令するなと怒られそうだと思ったが意外にもコクンと頷くからまた俺の中の爆豪像がブレていくが、どんなにブレてもいいから今は保護が先決だ。まるで懐かない猫に歩み寄るように貼り付けたような笑顔を浮かべながら一歩一歩詰めていき、指先が触れたところで両腕を脇に差し入れてフェンスから下ろし、それなりに重たい身体を腕の中に閉じ込めギュッと力を込めた。
爆豪は大して抵抗もしなければ、一言も喋らない、ドラマだとこういう場面では死のうとした言い訳をするか、なんで助けたと罵られるように思うがそれはあくまでフィクションの話だろう。爆豪はそのどちらでもなく、妙に大人し過ぎて理由を聞ける雰囲気でもなかった。
『とにかく俺の言うことを聞いてくれて良かった』
と見た目よりずっとふわふわと柔らかい髪を良い子だと撫でると白い顔をハッとあげて、初めてとどろき、と唇が動いた。お、正気に戻ったか?と思ったのも束の間、人形めいていた表情が少し柔らかくなり、スリ、と柔らかい頬をすり寄られ、いよいよ本格的に猫のような仕草に心臓が跳ねる。本当にこれがあの爆豪か、普段の気の強さと眼光の鋭さからは想像もつかない風体に面喰らっているうちに爆豪の身体が更に重たくなり、その重みが体重の殆どを預けられたからだと察する。意識があるにも関わらず身体中から力が抜けてしまったこの状態を聞いたことがある、但しそれは教科書の中だけ、
サブスペースに入った奴を実際に見るのは初めてだった。
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ダイナミクスを取り扱う病院は少ない。同じ地域に住んでいるなら俺と同じ病院に通っているだろうとタクシーに突っ込んで連れて行く途中正気を取り戻した爆豪は、状況を把握した途端行かなくてもいいとゴネ始めた。ちゃんと診てもらえ、でないとお前を1人にしておけねぇからと言うとますます余計なお世話だと言う爆豪に、だったら家まで送ると言うとまたゴネるが、強く睨み付けるとぴたりと黙る。
『テメェ、Domか?』
タクシーの運転手に聞かれないよう耳元で低く囁く爆豪に頷いてみせ、俺の圧に当てられ震え出した手と膝を押さえながら悪ぃ、命令するつもりはなかったんだと囁き返すとそれきり黙ってしまった。やがて爆豪のマンションに着き、一緒に降りても爆豪は何も言われない、そのまま爆豪の部屋の前まで着いていき、やや強引に中に入った所で改めて確かめたいことがある、と言われた。
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『君は珍しいタイプのSubだね』
まだガキの頃そう言われた、ホルモンの数値が高いだか何度か仕組みは良く分からなかったが、俺のSubとしての力は高いらしい。だから特定のDomにしか反応しないと言われた時はホッとした。俺に命令できる奴はそうそうに居ないと、しかしそれは同時にダイナミクスを満たしてくれる相手も限られていることを示しているのだと知ってからはずっと相手に飢えて苦しんだ。
プレイなんてしないでいられたら良いのに、プレイをしないとダイナミクスが乱れてメンタルも体調も崩れ、日常生活もままならなくなってしまう。未成年のうちは騙し騙し抑制剤を使って欲を抑えていたが、二十歳を過ぎてからは医者の勧めもあって、強いDom性を持つ自称セラピストを紹介してもらって渋々プレイをした。そうして不特定のDomとプレイをする中でアイツに出会った。
『誰に対してもプレイだけの関係を望んでいたんだ、なのに』
身体を求められたのか?と真っ直ぐに訊かれる。言葉を包み隠すことが出来ねぇのか、と思ったけれど変に気を遣われるよりはずっといい。
『性的な関係は別だと断ったら、いきなり結婚を申し込まれた。パートナーならまだしも結婚だぜ、一度は無理やりやられ掛けて、挙句書類書かされて、マリッジ・ブルーみてぇのになった。改めてキチンと断ってからは暴力的なコマンドばかり投げ掛けてきて、その中に死ねってのもあった』
そりゃ犯罪だろ、とオッドアイを光らせながら美しい顔を歪めて言う。
『痴話喧嘩のつもりなんだろ、言ったことを覚えていねェみてーだったわ、でも、連日のそーいうワードに追い詰められていたのは確かだ。完了しない命令が俺の中に溜まっていき、それを打ち消す為のプレイを出来るDomもそうそういねぇ。ムカつくけれどあの女しかー』
ちょっと待て、そのDomって女なのか?
『あ?何か文句あんのかよ?』
『いや、ちょっと驚いただけだ、その、お前が逆らえねェっつうから、…性的なこととかを、だからてっきり男だと』
『男だったらキンタマ蹴り殺しとる、女だったから厄介なことになったんだわ、逆レイプされそうになった上に迫られたとか騒がれて。こっちは立ちもしねぇってのに、あ?何だその顔は、俺はゲイだから女相手に立たねーってだけだ』
と言うと、何故か轟は嬉しそうな顔をした。何だか話が違う方向に流れそうだから強引にでも話題を戻す。
『だから、もしもテメェが俺に命令出来るなら、もしかしたらプレイも出来るんじゃねーかって思った。確かめたいって言ったのはそのことだ、あんま覚えていねェけどさっきまでのサブスペース、お前がやったんだろ?』
ああ、とますます嬉しそうな顔をする轟にセーフワードを伝え、何か命令してみてくれと言うと、解ったとますます嬉しそうにするから、柄にもなく期待に胸が膨らむのを感じてしまう。何だろう、轟の熱っぽい視線が、吐息が、おもむろに握られた手から伝わる熱が、轟の気配を俺の中に流し込んでくる。まだプレイを始めていないのに、もう何かが混じり始めているような不思議な感覚は不思議なことにイヤではない。もしかして、コイツは、俺のー
『爆豪、おいで』
示された膝の上に座ると既に昂ったモノが尻に当たった。
『俺はDomで、ゲイで、性的なことを含めてお前に関心があるんだが、それでもプレイを始めていいか?』
奇遇だ、俺はSubで、ゲイで、ツラのいい奴が好みなんだわと言うと良かった、脈はアリそうだと微笑まれ、それから改めて圧を込めて命令される。
『爆豪、死ぬな、生きろ』
あ、あ、あ、
そんな、いきなり、
ずっと戦ってきた恐ろしいコマンドに、いきなり触れてきやがって、そんな、深いところに…!
何かが垂れる気がして鼻の下に手をやるとぬるりと赤いものが付着した。ポタポタと垂れるそれは鼻血だった、随分とアドレナリンを働かせ続けていたことを知る。身体から力が抜けていく。もう何日も満足に眠っていなかった。自殺しないように自分の手をベッドに縛り付けてウトウトするだけ、そんな調子でも1人で過ごすよりマシだと思って出社していたのに今日、晴れた空に惹かれて屋上に足を向けてしまった。
(轟が、救ってくれた)
いつの間にかガチ泣きしていて轟の髪を湿らせていた、赤と白に別れた不思議な髪色は自前らしいと聞いたことがあった。轟焦凍、お前は俺のDomになってくれるのかー
理不尽な命令に抵抗し続けて偉いな、死なないでいてくれて良かった、お前はスゲェ、ああ、スゲェ良い子だと繰り返し褒めてくれる轟にぐったり身を預けながら俺は今まで味わったことのないサブスペースに入っていった。