【rfmo】チョコレート、みんなで食べてもいいじゃない「ねえ、甲斐田くん」
「なんだい、もちさん」
収録日。もはや見慣れた顔ぶれ。先に事務所に到着していた甲斐田と剣持は準備室にて残りのメンバーを待つと同時に収録開始までの時間をそれとなく潰していた。
机に突っ伏し意味もなくぼんやりしているところに突然剣持が声を掛け、甲斐田はおもむろに顔を上げ声の方を向く。
「今日ってさ、バレンタインだよね」
特にこちらを見るわけでもなく、落ち着いたトーンのまま告げた予想外の言葉。思わず瞠目してしまう。まさか、媚びの象徴とも呼べるイベントに彼自ら触れてくるとは。思わず居住まいを正し、曖昧ながらも頷き返事をする。
まさか、今になってチョコレートが欲しかった、なんてぼやくのだろうか。はたまた、沢山貰ったのだと自慢をしてくるのか。全く予想がつかない。動揺も相まって、答えなど出るはずもなく形容し難い妙な緊張感を感じながら次の言葉を待つ。次いで紡がれた“チョコレート”の単語に、一瞬で背筋が凍ったのは言うまでもない。
「……不破っちと、社長。どっちが多く貰ってると思う?」
「えっ」
「やっぱホストの不破くんかなぁ。それとも社員からの信頼が厚い社長?甲斐田くんはどっちだと思う?」
「ええ……。急に何を言い出すのかと思えば……!ええっ、ううん……どうかなぁ…」
無駄な緊張だった。無意識に張っていた緊張の糸を解き、再度机に突っ伏した甲斐田は彼の問い掛けに思考を巡らせる。この時期にピッタリな話題だ。自ら立てたぎしりと軋む椅子の音を他人事のように聞きながら、答えより先に浮かんだ疑問をふと口にする。
「ちょっと待って。その問題の選択肢に僕ともちさんはいないんだ?」
心底何言ってるんだと言いたげな視線とかち合う。まだ言葉にはしていないが、言わんとしていることが分かる。ちょっと腹立たしい。
次いで鼻で笑った彼は机に頬杖を付きながら“どうせ貰ってないでしょ、あなた”と。なんて失礼極まりない。
「なぁんでそういうこと言うかなあ!確かに貰ってないけどさぁ!まだ2月14日は始まったばかりだろ!これから貰いますしぃ!それはもう両手いっぱいに!」
「……ハハ。そっかそっか、沢山貰えるといいですね。あと僕が選択肢にいないのは、男子校だからです。貰えるわけがない」
「半笑いムカつくぅ……!」
「んはは!で、甲斐田くんの答えは?」
「丸め込もうとしてるよこの人ぉ……こわぁ…。んん〜…、バレンタインと言えばやっぱり女性を中心としたイベントなんで。僕は不破さんかなぁ。やっぱホストでしょ!バレンタインはホストしか勝たん。……もちさんは?」
自ら話題を出すからにはてっきり既に予想がついているのかと思われたが、すぐに返事は得られずそこには腕を組み思案する姿。その間、妙な静寂が襲うがそれは決して不快なものではなく。当然気まずさもない。
大人しく返答を待っていると、程なくして口を開いた剣持が出した名前は社長──加賀美ハヤトだった。
「社長かぁ。それはどうして?」
「いやだって。あの加賀美インダストリアルの代表取締役ですよ!あの!大きな!企業の!確かにホストも強いかなって思ったけど。あっちはほら、メンヘラな女子達が無駄にたけぇチョコを押し付けるくらいじゃん」
「メンヘラとか言わない」
「絶対少数だよ。知らないけど。社長は、本命はもちろん、全然義理チョコとかあるからね。下手したら社員分……男女問わず…。やばい、むかついてきた」
「なんて理不尽なんだ…!でも分からんでもない。男女問わずモテるの腹立つぅ。……ええ…そう言われると、そうかもしれないと思えてきた。いやっ!僕はアニキに賭けるぜ!」
「よし、決まったな」
口角を上げ、挑発的に笑う剣持に甲斐田も負けじと笑みを乗せた。
街全体が甘ったるい空気に染まる日。2月14日。バレンタインデー。
剣持にとってバレンタインは決して嫌悪するものではなかったが、誰に貰っただのあげるだの、好きな人がなんだの。そういった話題は媚びに繋がるのであまり好ましくない。己の話でなくとも、相手の事情を聞いたとて剣持自身の得に繋がるとは到底思えないので言うまでもなく不要。何より、その類の話題に対する正しい相槌やリアクションが分からないのだ。ただ大人しくチョコを食え、と思う。
所謂恋バナとやらを振ろうものなら、相手を不快にさせる反応をしてしまう自信しかない。
基本的に自らバレンタインデーに触れることはなかったのだが、今回ばかりは特別だ。媚びを毛嫌う剣持に理解を示す気心知れたメンバーとの会話のネタとしてはちょうどいい。
さあ、これから登場する二人の腕にはいくつ、チョコレートの箱が乗せられているのだろうか。意識してしまえば途端に気になって仕方がない。無意識に扉の方を何度も見てしまうほどに。
時計の針が時を刻む。どれほど待った頃か。加賀美のよく通る笑い声と二人分の足音が聞こえ、甲斐田と剣持は思わず顔を見合わせた。待ってましたとばかりに。
「あ、お疲れさまです。早いですね、二人とも」
「んぇ、本当や。ちわ〜す。どうしたんすか、何かソワソワしてません?」
開かれた扉。現れた加賀美と不破の姿に二人は瞠目する。
「え、何なんですかその反応は」
異変に気付いた加賀美は怪訝そうにしながらも、対面する位置にある椅子へと腰掛けた。紙袋をひとつ、机に置いて。
対する不破は加賀美の隣へ。同様に、机へと小さな箱を4つ乗せた。どちらも紛れもない、チョコレートだ。しかし、あまりにも少ない。想像を遥かに越える少なさに剣持は納得がいかなかった。それは甲斐田も同じだったようで。
ばん!と机に手を置くやいなや、身を乗り出し声を荒らげる。
「いやいやいや!おかしくない!?少ないって、二人とも!」
「なに怒ってんの、甲斐田。自分は貰えなかったからってそんなピキんなって」
「違うから!えっ、不破さん本当にそれだけ?」
「いやぁ、流石に。美味しそうなもん4つ選んで持ってきた。みんなで食おうかなおもて。大丈夫、手作り系は選んでへんから」
「不破っちは……とりあえず分かった。え、社長のは?本当にひとつなの。それも厳選したやつ?まさか本命チョコを見せびらかしに来たの」
「ふっははは!そんなわけないだろう!というか、剣持さん、そんなにバレンタインに食いつくタイプでしたっけ」
やがて毒気を抜かれてしまった甲斐田は大人しく椅子へと腰を落とす。
剣持の発言に笑いを弾ませた加賀美は、紙袋からいかにもな包装に包まれた箱を取り出し、なんの躊躇いもなくそれを破いた。
贈り主を気の毒に思いながら、あっという間に開かれた蓋。宝石の如く美しいチョコレートの登場に“おお〜”と三人の声が重なる。
間違いなくお高い。少なくとも高校生である剣持には到底手が出せないものだ。
途端に充満する甘ったるいカカオの香りに、空腹が刺激される。
「うっわ……社長って感じ」
「なんだその感想」
「僕達も食べていいんすか、これを……!」
「そのために持ってきたんで。どうぞ、遠慮なく」
「あ、折角だから俺のも食べてや!何かええな、こういうのも。バレンタインって感じ。いつも一人じゃ食べきれんのよね。一緒に消費してくれたらマジ助かる」
「流石、ホストって感じの発言だ……アニキ……」
一面に煌びやかな甘味が並ぶ。赤、黄色、紫。花、ハート、宝石型。
本来の目的すら忘れ、らしくもなく胸が弾んだ。密かに――果たして隠せているのかは定かではないが、甘党である剣持は早速どれを食べようかと視線を巡らせる。
悩んだ末にこれだ、と摘んだのは加賀美が持参した高級(暫定)チョコレート。淡い桃色の粒を口内へと放り込んだ。
予想通り、口内に広がるのは苺特有の酸味。味わったことのないなめらかさが舌を撫でてあっという間に溶けていく。
くどさを感じさせない甘さが後味として残り、幸福感が口内を充満していた。
「んまぁ!やっば、うますぎる。何これ!」
「ああ、良かったあ。嬉しいな、なんか。いや、もう全然食べちゃってください、全部」
同様に、不破のチョコを口にした甲斐田が隣ではしゃいでいる。残念ながら年上とは思えない。
「確かにどれもうまい。……てか、社長言わなくていいんすか?」
味わっているのか、いないのか。次から次へと躊躇いなく粒を放り込む不破。せめて口の中のものを空にしてから話せばいいものを。しかし、見ていて気持ちの良い食べっぷりだ。
僅かばかり頬を膨らませた彼の発言に、剣持と甲斐田は軽く首を傾げて疑問符を浮かべる。
「なになに」
「なぁに、しゃちょぉ。隠し事っすかぁ?水臭いなあ。いいんですよ、社長に恋人が出来ても、僕ら応援しますから!ねっ、もちさん!」
「それは考えておく」
「おい〜…」
「で、なに?そこまで言われたら普通に気になるんだけど」
「ああ、いや、なんでもないですから」
またまたぁ、と肘で脇腹を小突く不破に、軽く身を捩りつつ口許を片手で隠した加賀美は何処か照れくさそうで、甲斐田の言う通り春が来たのかと勘繰る。いや、まさかそんな。あのゴリラが。違う、今のはナシ。
「実は〜」
「ちょ、言わなくていい、言わなくていいから!こらこら、不破さんストップ!」
「なぁんでぇ」
「わざわざ言わなくてもよくないか!?」
何を見せられているのだろう。
必死に不破を制する加賀美の必死さは、いっそ不自然さを感じさせる。
溜めれば溜めるほど、人の興味は唆られるというもの。
またひとつ、粒を手に取り口内へ。今度はホワイトだ。濃厚で美味しい。
舌で溶かし味わいながら、二人のやりとりを眺める。
「いやぁ、実はそれね、社長の自腹なんすよ」
「……自腹?」
と、言うと。
同様に言葉を繰り返した甲斐田は、再度首を傾げたものの、すぐに納得したようで手のひらにぽん、と拳を置いた。
「ひょっとして、貰ったんじゃなくて社長が買ってきたってこと!?」
「えー……まあ、はい。たまにはいいかなって。感謝の意も込めて。…ハイ」
頬を掻きながら視線を逸らす姿に、思わずこちらが恥ずかしくなる。
「マジかぁ……!社長、結婚とかじゃなかったんだ…」
「え、僕らのためにわざわざ選んできたの?」
「いいところに目がついてる、もちさん」
「だから目の位置はみんな一緒なんだって、アニキ」
「あぇ、そっか。いやそれはいいんだよ、うるせぇな。そう、チョコ!俺らが好きそうなやつ、わざわざお店で見て選んだらしいんすよ」
「やめろぉ!」
「お察しかもしれませんが、しっかりお高いところの」
「別にその情報まで言わなくったって良いだろう!ああ、もう!」
すっかり参った様子で顔を覆った。
むず痒い。今まさにバレンタイン特有の、むず痒さを体験してる。しかし、まあ。別に悪い気はしない。恥じらう同僚の姿は見ていて愉快だ。
「んっはは!照れるなら買わなきゃいいじゃん!社長面白すぎ。いやあ、でも美味しいですよ。ありがとうございます。不破っちも」
「どういたしまして!俺のは全然、姫からの貰いもんやけど」
「これは、ホワイトデー奮発しないとじゃないですか?」
「え、買うの、僕らも。嫌なんだけど」
「もちさん冷たくない?」
「いや、本当にお返しとかいらないんで。お構いなく。強いて言うなら打ち上げいきましょう」
「打ち上げには行かない」
4人の笑みが弾けた。収録まであと数分。
ふと、甲斐田と視線がかち合う。
「勝敗決められないっすね」
「まあ……、あの二人の勝ちでいいんじゃない?」
「それもそうかも」
「なになに〜そっちは何の話?」
「なんでもないでーす!あ、僕も社長のいただきまぁす!」