【凪玲】レモンティーと炭酸水最近、俺の周りが少し騒がしい。
屋上で吹かれる風は気持ちいい。
教室の賑やかさも気にはならないし、教室で浮いた存在の俺に話しかける人も最近ではほとんどいなくなった。
それでも、やはり屋上で1人になるのは落ち着く。
この季節は暑くもなく寒くもなく、柔らかく吹く風はただただ心地よい。
昼休みの開始とともにここへ来て、昼ごはんを食べたら風に吹かれて自由きままに過ごす。
「ふわぁ…」
欠伸がひとつ溢れる。今日はゲームじゃなく昼寝にしようか、そんな気分にもなるような青空が広がっている。
…のはずだった。
「おーい、凪!」
バタン!と屋上のドアが開く音がしたかと思うと、俺を呼ぶ声がする。
そう、俺の周りが騒がしくなったのはこの声がするようになってから。
口では文句を言うが、不思議なことに本当にうるさいと思ったことはない。
「やっぱりここだったな」
よっ、と軽い身のこなしで、屋上の中でも一段高い貯水タンクの横まで、梯子を使って上がってくる。
ここは俺のお気に入りの場所。俺しか知らなかったはずのこの場所に、最近は玲王もいる。
「昼飯、食った?」
「食べたー」
今日も当たり前のように、玲王は俺の隣に座る。
地面に置きっぱなしにしていたコンビニの袋の中には中身のないメロンパンの袋だけ。風に飛ばないように、飲みかけの紙パックを重しにしている。
たまに風に吹かれてパタパタとはためく袋に、玲王が手に持っていたペットボトルも乗せる。
飲み物持参ということは、どうやら昼休みいっぱいここにいるつもりらしい。
「放課後、今日は練習場所違うから迎えに行くからな」
「玲王、わざわざそれを言いにきたの?」
「ん?そうだけど?」
やっぱり玲王は変わっている。
「なぁ、お前がいつも飲んでるそれって、コンビニに売ってんの?」
「え?」
それ、と指差しているのは紙パックのレモンティー。
「レモンティー?」
うーん、そうなんだけど、と玲王は何か歯切れが悪い。
なるほどね、御影コーポレーションの御曹司、もしかすると買ったこともなければ、売っているのも見たことがないのかもしれない。
「紙パックのこと?」
「そう!」
玲王が興味津々、といった顔で答える。
「玲王、もしかして紙パックで飲んだことないの?」
「うん」
確かに、玲王が飲んでいるイメージがない。
「一口飲む?」
「え?いいの?」
「うん」
はい、と紙パックに突き刺したままのストローを向ける。
「いただきます」
俺が紙パックを持ったまま、髪を手で抑えながら玲王がストローを咥える。
あ、間接キスだ。
そんなことがふわっと頭に浮かぶ。なんでだろう。
「味は同じなんだな」
「当たり前でしょ」
あれ?なんだろう、さっきの。
「ん?どした?」
顔にハテナが出ていたのか、玲王が聞く。
あまり顔に表情が出ないほうだと思っているが、玲王は俺の顔をよく見ていて、よく気がつく。
「玲王は最近いつもそれだね」
「あー、炭酸水な」
玲王のキラキラとした瞳から逃げるように、それ、と玲王のペットボトルを指さす。英文字が書いたラベルの炭酸水。
「俺サッカー始めてから栄養管理とかすげぇこだわってて、味があるものはあんまり飲まないようにしてんの」
「へー」
「でも水は飽きるじゃん。それで、これ」
「ふーん」
「飲む?」
「うん」
ビニールの袋が飛ばないようにレモンティーを置くと、そのタイミングでぴったり入れ替わるように玲王がペットボトルを手に取る。
「はい」
玲王がキャップを外してペットボトルを渡してくる。
さすがに玲王が持ったままの状態で、これは飲めない。
ありがと、と受け取り、そのまま飲み口に口をつける。
やっぱり間接キスだ。
しゅわしゅわと弾ける炭酸が口に広がる。
「俺、甘いほうがいいや」
「言うと思った」
ありがと、とペットボトルを返す。
甘いほうがいいのは何の味のことだろう。
味がしない玲王の炭酸水のこと?
自分の口から出た言葉も、なんでだろう、と不思議な気持ちになる。
「じゃなくて、凪!そろそろ午後の授業始まるぞ!」
「えー、めんどくさーい」
「教室までおぶってやるから、とりあえずここだけ自分で降りろ」
階段はおんぶしてやるよ、と玲王は満面の笑顔で言う。
渋々、コンビニの袋を丸めてポケットに突っ込み、紙パックは手に持ったまま下へ降りる。
「玲王ー」
「はいはい」
先に降りていた玲王は俺が乗りやすいように腰を落としてくれる。
「それ、俺が持つよ」
「お、今日の凪は優しいじゃん」
器用に指の間にペットボトルを挟んでいた玲王から、それを受け取る。
「え、どうすんだよ、そっちは」
そっち、というのは俺が手に持っている紙パック。
「あとで飲むー」
「うわ、絶対こぼすなよ」
「それはレオリムジンの運転次第」
「仕方ねぇなぁ…」
片手にペットボトル、片手に紙パック。
荷物がいっぱいの俺はそのまま玲王の背中にくっつく。
よっ、と玲王が立ち上がると、ちゃぷちゃぷ、と小さくレモンティーが波打つ音がする。
「わっ」
「大丈夫、これくらいじゃ零れないよ」
「へー。案外頑丈なんだな。お、ちょうど良いじゃん」
ちょうど玲王の顔の高さにストローの飲み口が向いていたのだろう。玲王はストローを咥えると、こくん、こくん、と二口飲み込む。
「よーし、しゅっぱーつ!」
そして、今日も俺はご機嫌な玲王の背中に揺られる。
俺たちを見送るように屋上にふわりと晩春の風が吹く。まだまだ夏は遠そうだ。
最近、俺の周りが騒がしい。
でも、こんな日々も嫌いじゃない。