ゲリラ豪雨とは突然来る、これはやはり地球温暖化の影響だろうか。
なんて考えながら傘もなく、仕方なしに走るドクターの目はソレを捉えた。
共用ゴミ捨て場前に白い塊が落ちている。掛布団を袋にも入れず捨てたのかと考えながら走り抜けた。しかし激しい風に煽られ、白い尾が踊るのが見えた。
「猫?」
そう、口に出ていた。
どしゃぶりの音で足音は消えているのに、恐る恐る近づく。
野良だろうかと、そっと覗き込むが45リットルゴミ袋よりも大きい。かなり大型の猫が無残にも、ぐったりとしゴミのうえに倒れ込んでいた。
「なんて酷い事を…」
気の毒になり、びしょ濡れの毛を撫でると、丸みのある耳がピクリと反応した。
生きている。
そう思った瞬間ドクターは急いでトレンチコートを脱いだ。
大きな猫をコートで包み、渾身の力を込めて持ち上げる。かなり大きな猫だからか、とても重い。
「ぐっ、おっ…重いっ」
不穏な声を察知したからか、大型の猫はうなり声を上げた。豪雨のなかでも力強い声は、ゴミ捨て場にうち捨てられていたと思えない。
「だいじょぶ、怖くないよ…」
丸みのある額を撫でてから、低く唸る猫を両手で抱き寄せる。噛み付かれるかと思ったが、唸りはするものの抵抗されなかった。
「私のお家に行こうね、もう大丈夫だよ」
猫をしっかり抱き寄せ、ドクターは目の前にある自分のアパートに向かった。
◆
こんなにも自分の家が一階で良かったと思った事はない。
ゴミ捨て場から、どうにか大型猫を保護して来たものの、重たくて玄関先で力尽きてしまった。
外で見たときは成猫とは、こんなものかと考えていたが狭い玄関が満杯になるほど大きい。
そしてタオルで身体を拭いてやると、白毛ではなくシルバーの豹柄をしていた。
かなり珍しい毛種だ。こんなに大きいし変わった柄をしているなら、飼い猫だったのではないだろうか。
「君は大きいねぇ―」と自分は、ずぶ濡れの間々、猫の身体を拭いていたが胸を見てハッとした。
怪我をしている。左胸を大きな傷が走り血が滲んでいた。救急箱を取りに濡れ鼠の状態でリビングに走って、直ぐに手当を開始する。
ガーゼを当てた瞬間、また猫が大きく唸りだした。
「ごめん、痛かったね。もう大丈夫だよ」
生憎簡単な道具しかなく、応急処置をすることしか出来ない。唸る猫の丸い耳の下に髪飾りのような物がぶら下がっていると気がついた。
首輪の変わりなのかは分からないが、とても高そうな品に見える。もしかしたら、この豪雨に驚いて、お屋敷から脱走してしまったのかもしれない。
何も分からぬまま走り、怪我をしてしまったのだろうか。
「怖かっただろう、この雨のなか。もう心配しなくて良いよ」
「うううっ―」と、唸る猫の頭を撫でた。柔らかい上質な毛並みが心地良い。
応急処置を終えてから両手で抱きしめてやる。
大雨に打たれ、ゴミ捨て場でどれくらい過ごしたのだろう。きっと心細く、寂しかったに違いない。
「私が居るからね。もう心配ないよ」
低く唸る声が少し止んだ。人の話す事を、おおよそ理解しているらしい。
そう都合良く考えて、毛並みが柔らかな顔に頬を寄せる。
「元気になるまでココに居て良いからね、今日は一緒に寝よう」
やはり話す言葉が分かるのか。まるで承諾するように、猫はドクターをシルバー色の目でじっと見ていた。
◆
身体は大きいのに、拾った猫はとても人慣れしていた。
怪我もしているし、玄関で寝かす訳にもいかないとベットにどう運ぶか思案していたら、自分で歩いてマットレスの上に寝てくれてホッとする。
おかげで絞りきって、すっからかんな体力なので、助かった。けれども奮発して買ったクイーンサイズのベットが、半分貸し切り状態になっている。
迷ったけども一緒に寝る事にした。こんなに大きな猫と寝る機会は、そうそうないかもしれない。
「君は大きいのに良い子だね」
パジャマ姿で頭を撫でると、肌にフワフワの毛並みが埋まる。指先でくすぐるように軽くふれると、太い尾が上下した。
とっても可愛い。
「こんなに可愛い子が、ゴミ捨て場に居たなんて…可哀想に」
怪我をしているし脱走ではなく、まさか虐待?
良くない考えが浮かんでは消えるが、目の前にいる猫は、うとうと目元を細めていた。
「明日ちょっと調べてみようね。今日は寝よう」
壁にできる限り身を寄せ、猫の邪魔にならないよう小さくなってドクターは眠りについた。
次の日、目が覚めると目の前に、銀色の豹柄をしたフワフワが寝ている。
夢ではなかった。
起こさないようベットから降り、ダッシュでトレーナーとジーンズへ着替えてからアパートを出る。
すっかり晴れ上がった朝の空を眺めもせず、とりあえずコンビニへ走った。
本当はドラッグストアなどに行き、トイレとかも調達したいが、何はともあれ食料とペットシート。
ちゅーるにドライフード、缶詰とペットシート。ご丁寧に猫用ブラシも売っていたので、コンビニのカゴに迷い無く突っ込んだ。
あとは人間用の食パン六枚切りと溶けるチーズを買って終了。
荷物を両手で抱え、ひいひい言いながらアパートに何とか帰宅した。
玄関先にペットシーツと、買ったものを置く。
「ただいま、寝てたかな―」皆まで言う前にドクターは固まった。ベットに寝ていたのは体格の良い人間。
背のガッシリ感から男だと推測できて、しかも何故か全裸。
可愛いフワフワな猫に変わり、裸のデカイ野郎がベットで寝ている。これは新手のドッキリか?
ついカメラを探したくなるが、こんな大がかりなのを一般人に仕掛けるような暇人はいないだろう。
静かにキッチンに戻り、洗って出しっぱなしだったフライパンを持って寝室に帰る。
ふとベットに近づいたとき、裸の男はこちらを振り返った。
銀髪のフェリーンで、頭上の丸い耳を左右に揺らしている。
「…帰っていたのか」
澄ました声で訊ねられ、ドクターは男にフライパンを突きつけた。
「う、動くんじゃない!人の家で何をしているんだ、お前っ!」
「お前が私を連れて来たのだろう」
人の家に上がり込み、全裸で寝てる変態の癖にしとやかな話しぶりだった。この男、妙に肝が据わっている。
「早く降りろっ、私は全裸の変態なんて連れて来ない!そこに寝ていた猫ちゃんは何処にやったんだ!?」
「私だが」
「はぁっ!?」と言いながら、フライパンを構える。
全裸の男は優雅な仕草でドクターを仰ぎ見た。
「だから、私だ。昨晩、私を雨の中から連れ帰ってくれただろう。感謝している」
「嘘だろ…」
「嘘ではない、その証拠に―」と口にした男は左胸をさすった。解けているが包帯が巻いてある。
血が滲んでいるが、真新しい包帯端にはドクターの勤める製薬会社ロドスのマークが入っていた。
「フワフワちゃん?」
ドクターはフライパンを落っことしそうになった。買い物に行ってる間に大きな猫が、デカイ人間の男に変化してるなんて何処のファンタジー系の話だろうか。
「なんか、映画みたい…」
デカイ男に近づき、フライパンを床に下ろす。よくよく眺めてみたら、この全裸男、腹立たしいことにスッとした綺麗な顔をしていた。
「顔が綺麗なひとが、裸で私のベットで寝てるって―」
ふと流れるような仕草で、男はドクターの顎を取り、柔らかく引き寄せると頬へ口づけを送った。そうして頬から唇へキスされる。
「ん?」
一連の無駄のない動きを終えてから、ドクターは見知らぬ全裸男にキスされたとようやく理解した。驚いてフローリングにへたり込むと、男に頭を撫でられる。
「エンシオディスだ。よろしく頼む」
「へ?」と間の抜けた声が、喉から出て男は優雅に微笑んだ。
「お前は親切なのだな。怪我が治るまで居て良いとは」
「え、私…しばらく君とココで寝るの」
ドクターの頬を太い豹柄の尾が撫でる。見上げた男は自信満々な笑みを落としてきた。
「もう心配しなくて良いと、そう言ったとき嬉しかった。お前を信じる、よろしく頼む」
よろしく頼まれたくない。ドクターは過剰すぎる出来事に固まり、ツッコむタイミングを失ってしまった。
「あの、尻尾…ブラシしても良い?買ってきたので」
「許可しよう」
フワフワちゃんからエンシオディスという男になり、すっかり可愛げがなくなってしまった。
尻尾以外は。
続かない!