ロドスに来て直ぐの頃だ、指揮官であるドクターが、どうやら結婚してると聞いたのは。
でも子供までいるとは聞いてない。
応接室にいるドクターに書類を届けにきたら、見慣れた長いコートの後ろにフェリーンの太めな尻尾が生えていた。
コートと黒いスラックスの間。ドクターの背後へ寄り添うようにある両足、ときおり覗く小さな頭は銀色の髪をしている。
応接室の前で固まって、あたしは息を止めた。
(…もしかして子供を預かっている?とか?)
ふと小さな手がコートの裾を掴んで引く。そうして、か細い声が「お母様」と呼んでいた。
確定、の文字が脳みそに浮かぶ。
「ん、なに?」と柔らかな声で返事をし、ドクターがコートを開いたとき子供の顔が見えてしまった。
可愛い顔のフェリーン、銀髪をしている男の子。
再び確定の文字が脳みそを通過した。
相手まで分かってしまった…カランド貿易の社長だって。
ドクターが結婚してる、ってのは分かってた。
まさか子供までいると理解が追いつてないけど、確実に相手はあの社長で決定。
あたしが村の隊を抜け、ロドスの狙撃部隊に属してから一ヶ月。
大きな作戦指揮を常に任されているが、ドクターはロドスの所属ではないって聞いていた。
これは先輩からの情報だけど、難しい内容の作戦は全て指揮を任されているみたい。でも所属はココ、ロドスじゃないっていう。
理由は「結婚しているから」まで話してくれたのに、相手を訊ねるとニヤニヤして先輩は、それ以上教えてくれなかった。
「そのうち分かるよ」と笑う先輩に対して、今更だけどムカついてきた。
ドクターに書類を置きに行くよう言ったのも、その人だし子供が来てると分かってたのかもしれない。
「お母様」
応接室に入るか、どうするか迷っていたら、またドクターのコートを小さい手が引いていた。
「お姉さんが…」
「お姉さん?」と、背後にいる子供の可愛い声を聞いて、ドクターはドアの端に居るあたしを見つけた。
「あっ、ごめん!気がつかなかったよ」
「いっいえっ」と驚いて叫んじゃったら、ドクターの背後にいる子が、黒いスラックスをギュッと握っている。
これは驚かせてしまったのかも。なるべく刺激しないよう、おそるおそる近寄るとドクターは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね、気がつかなくて。息子と話をしてたんだ」
がちがちに固まって「むすこっ」と叫んでしまった。やっぱりドクターの後ろにいる子が、あたしの声に反応して、きつくコートを握っている。
「どどどっドクター、この子はっ」
「ん?私の子供だよ」
戸惑いなく答えられ、あたしはドクターを見つめることしか出来ない。オロオロしていたら目の前でコートを開き、後ろに隠れている小さな男の子に声をかけている。
「ほら、お姉さんにご挨拶は?」
「…はい。お母様」
おずおずとあたしを見て、コートの中から出てきたドクターの息子は、やっぱ秒で相手が分かる容姿だった。
ゆるやかなシルバーの髪は肩まで伸びており、その頭には丸みのある猫耳。太めな尻尾もそっくりだし、何より身なりがお金持ちっぽい。
遠目で見たことしかない、カランド貿易の社長がバッチリ思い浮かぶ。
「ごきげんよう、初めてお目にかかります―」
そう澄んだ声音で挨拶してくれたのに、衝撃で自己紹介がすっぽり吹き飛んでいった。
「よっよろしくお願いします!」
勢いよく頭をさげたあたしにドクターが微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくね。うん、ちゃんと挨拶できたね…えらいえらい」
柔らかそうな銀髪をドクターが撫でると、嬉しそうに猫耳が寝てしまった。少し恥ずかしげに、またスラックスに顔を埋め、頬を布地に埋めているのは子供らしくてキュート。
こんな可愛いのに、あんな破壊力ヤバそうな真銀斬へ、いずれなるのかな。
「ご覧の通り、見た目は父親似なんだけど性格が私に似てしまってね。お兄ちゃんの方は見た目も性格も、そのまんまなんだけど」
「おっおにいちゃんっ?」
「そう、双子なんだよ。うちの子」
サラリとした告白にオロオロすること再び。頭を撫でいたドクターは、屈んで息子さんを抱っこした。
「よいしょっと。今日お兄ちゃんは父親と狩りに行っててね、この子はお留守番の予定だったんだけど…ひとりは嫌みたいで私と一緒に来たんだ」
「狩り…こんな小さい普通の子なのに」
「そうなんだよ。心配したんだけど、珍しい事じゃないみたい」
ドクターに抱っこされた途端、甘えるように息子さんは華奢な肩に顔を預けた。
ロドスで子供を見かけるのは珍しくないけど、こんなにシャイで普通なタイプは珍しい。
幼くても戦闘経験があるのが普通の組織っていうのも、何だかなぁと思うことはあるけど。
「まぁ私が止めても行くって聞かないタイプだし。あんまり勧めたくはないけど、狩りの腕を磨いておくと戦闘経験に役立つらしいから」
フード奥にある目には迷いがあった。普段、作戦のときに見るのと雰囲気が違う。
「…ドクター、お母さんだ」
「えっ、そうかなぁ」と言いながら、ゆらゆらと身体を揺すって息子さんをあやす様子は指揮官じゃなくて母親だった。
ずっと握りしめていた書類をかざし、あたしはデスクを指さす。
「これ、デスクに置いておきますね」
「ありがとう。助かるよ」
ふとドクターの腕の中で、うつらうつらしていた息子さんが跳ね起きる。
あたしが持ってる書類を指さして「くまちゃん!」と威勢良く叫んだ。
「うわぁ、びっくりした!くまちゃん…いないよ?」
小さい指はあたしが書類に落書きした、くまを指さしている。
まずい、消すのを忘れてた。
「…すみません、あたしが落書きしました」
眠たげだった息子さんの目が、今はバッチリ覚めている。
「あ、このくまちゃん。いま流行ってるよね、うちの子もハマってるんだ。これ君が書いたの?」
落書きしたのがバレて恥ずかしくなり「そうです」と小さな声で答える。
するとドクターの腕の中にいた息子さんが身を乗り出した。
「お姉さんが、くまちゃんを?すごく可愛い!」
「本当だね、お姉さん上手だ。君は絵が得意なんだね」
「そ、そんな得意とまでは…」
こんなド正面で褒められる日がくるとは思ってなかった。
でも趣味で絵を描いてて良かったかな。
ずっと褒めてくれた両親も居ないし、戦闘続きだったからロドスに来てからまた絵を描くようになったんだけど。
「お母様、うさぎさんもいる!」
じたばたと暴れる息子さんに苦笑し、ドクターは床に下ろしている。
「はいはい、下ろしてくれってね。良かったね、絵の上手なお姉さんが来て」
息子さんは書類を受け取ると、しげしげと眺めている。
そうしてキラキラの瞳が、あたしを見上げてきた。
「お姉さん。また描いてくれますか?」の可愛らしい一言にぐっと唸ってしまう。
「ドクター、圧が凄い…」
「すみませんね、これも親譲りで」
圧に負け、ちょうど予定が入っていなかったので、しばらく息子さんとくまちゃんのイラストを描いていた。
感謝されたいとか、ドクターの秘密を探ろうとかじゃなくて、純粋に昔の事を思い出してみようかなぁって。
しばらく部屋にいて分かったけど、ドクターの息子さんへの接し方はオペレーターにするのと同じで優しかった。
でも見守るような柔らかい目は、新しく知る面。
きっと両親もこんな感じで、あたしの絵を褒めてたのかもなって思い出したら、書類を届けに来て良かったのかも。
もちろん先輩にも他のオペレーターにも、ドクターの息子さんと、くまちゃんを描いたのは内緒。
おしまい!