水無月「お祖父様、少し休憩にしませんか」
葦名ホールディングスの最上階、いわば天守閣とでもいう広間が葦名一心の執務室であった。
そこに入ってきた男が茶器を手にしているのを見て、一心は手を止めた。
「弦一郎。わざわざお前が茶を淹れにきたのか?」
「今日はエマは休暇をとっておりますゆえ。それに、ちょうど草笛に寄る用があり、甘味を買って参りました」
草笛というのは弦一郎の親戚である、九郎の経営する和菓子の店である。
郷土の菓子をはじめとした折々の菓子を求め、県外からわざわざ訪れる客も多いという。
開店から間もなく始めた和カフェも連日賑わっているようだ。
「せっかくの孫の気遣いだ、頂くとしよう」
一心がデスクから立ち上がり、スーツのジャケットを椅子にかける。そして応接用の窓辺のソファに座ると、ゆっくりと足を組んでくつろいだ。
弦一郎が菓子をガラスの小皿に移して茶を添える。
深い緑の透き通る玉露と、小豆を乗せた三角形の和菓子。それを見た一心は感心したように、ほう、とうなずいた。
「水無月か。これは珍しい」
「6月30日、夏越の祓の限定の品であると。九郎と狼が特別にとり置いてくれたとのことです」
「それはそれは。あとで礼を述べねばな」
狼は和菓子店「草笛」の菓子職人であると同時に、裏では九郎のボディーガードを努める男だ。
狼は本名ではなく裏での呼び名であるが、裏での付き合いの方が長い一心と弦一郎は彼を狼、と呼んでいた。
一心が黒文字で菓子の一隅を切り分け、口に運ぶ。そして、うむ、と満足げに深くうなずいた。
「やはり、うまいな。うちで扱えんのが惜しい」
「……俺の力が及ばず、申し訳ありませぬ」
弦一郎が小さくため息をつく。傘下の店で草笛の菓子を扱いたい…と企画を持ち込んでいるが断られている。
今日のこの菓子も、顔見せがてら立ち寄って、買ってきたものだ。
一心が浮かぬ顔をした孫を見て、ふっ、と笑った。
「何、お互い急くことはあるまい。限定の品を取置いてくれるほどには気に掛けておるのだろうよ」
「…はい」
弦一郎がうなずき、菓子を手に取る。そうして1/3ほどを切ると一口におさめてしまった。
一心がふふ、と笑い、孫を見つめる爺の目をする。
「子供の時と変わらず、大きい口で豪快に食うのう」
「……無作法、だったでしょうか」
真面目な顔で居住まいを正して自分を見る孫に、一心はこらえきれず笑った。
「無作法ではないが。菓子を食う時は、もっと美味そうな顔をするものだ」
「…はぁ」
弦一郎が皿をじっと見つめ、残りの1/4を切り分けて口に運んだ。
そうして……まじめに口角を上げた顔に、一心は声をたてて笑ったのだった。