ストンピング「祈瑠くん~、前お願いしたスポドリこれじゃな~い」
「……」
「あれ? 耳ついてる?」
「あああやかましい!」
つん、と頬を突かれて、その正体を振り切る。時間の限られたレッスンルームで、本来なら休憩時間すら惜しい。それなのにミスの目立つところを修正して、一曲通しをしただけでへばってしまう男に付き合ってやってるのはこっちの方だ。
へらへら笑うひゅーいを睨みつけ、隣でその様子を見てるだけの男にも同じ目を向ける。だが、プリマジスタの状態と違い黒髪のままのそいつは申し訳なさそうに眉尻を下げるだけだった。
「俺はお前らの監督をしているのであって小間使いになった覚えはない」
「ボクらが更によいプリマジを出来るように祈瑠くんがいるんだよね? じゃあボクのために欲しい飲み物を差し入れするのも祈瑠くんの役目じゃない?」
「おい犬、そのよく回る舌引きちぎるぞ」
「やだぁこわ~い」
これ以上言っても無駄だと感じたのか、ひゅん、と風が巻き起こって憎たらしい姿が消える。以前、自販機で買う飲み物を魔法で引き寄せた時に「ちゃんと金払ってこい馬鹿」と叱ったことを、意外にも守っているようだ。本来なら休憩室までぐらい歩いていけ軟弱者と言いたいところだが、ちゃんと金という対価を払いにいく成長を見せられては怒るに怒れない。
「……祈瑠は、ひゅーいと仲いいよな」
「…………は? お前こそ耳ついてるか?」
ひゅーいが戻らないことには練習は再開出来ない。思わず貧乏揺すりが出そうになるのを抑えていると、だだっ広いレッスンルームの静寂を割いたのは橙真だった。
「何をどう見たら俺と犬が仲いいんだ、回答によってはお前も叩き出すぞ」
「祈瑠と居る時のひゅーいは俺と全然違う。どちらかというと、祈瑠と喧嘩してる時の方が生き生きして見えるんだ」
「……あのなあ」
どういう思考回路をしたらそんな結論に行き着くのだろう。だが、考えてみれば橙真は大人っぽく見えてもまだ中一だ。自分と別の付き合い方をしている相方に、一抹の不安を覚えても仕方がないか。
俺は大人で、こいつは子供。そういう線引きを、たまに忘れそうになる。
「ひゅーいは祈瑠と居る時、俺の話するのか?」
「むしろあいつはお前の話しかしない」
「どんな?」
「……別に、気にしているようなことはない。おおよそお前が好きだって話だ」
「……おれが」
そうか。そう言って黙りこくった橙真の顔を覗き込む。心なしか赤くなった頬と上がる口角を耐えるように歪む口元を腕で隠されてしまったが、その真意はバレバレだ。
――薄々、感じていないわけではなかった。二人の間に流れる相方以上の何かを。ただそれは、あくまでひゅーいからだけだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
はぁぁ、と大きな溜息をついたことを合図とするかのように、レッスンルームの扉が開く。足止め喰らっちゃった、と話すひゅーいは、部屋に入るなりその場を包む異様な空気感に、じとりとした目線を俺に向けた。
「ちょっと。橙真に何吹き込んだの? 祈瑠くんってば橙真の教育に悪いことばっか教えないでくれる?」
「お前が話をややこしくしてるんだ! 少しは黙っていろ!」
お気に入りのスポドリを片手に橙真と話すひゅーいを見ながら、TrutHのこれからを思って頭を抱える。そしてその予感が当たるかのようにひゅーいから相談を持ち掛けられるのは、ほんの数日後のことだった。