愛しき温もり(ラーヒュン) ビュービューと吹雪の音が耳に届く。音の激しさから察するに、当分は止みそうに無いだろう。不幸中の幸いは、この洞窟が緩くカーブを描いた構造になっており、奥まった場所にいれば直接吹雪にさらされることがないことか。
そんなことをぼんやりと考えながら、ヒュンケルは自分を抱く腕の主を見た。鋭い視線も、瞼を閉ざしていれば見えず、その顔立ちの端正さを教えるだけだ。
魔族と人間の混血児。その容姿は魔族の父に似ているのだと語っていた。確かに、人間の要素は薄い。高位魔族は人間に近しい外見をしていることを考えても、ラーハルトの父はそれなりの実力者だったのではないかとヒュンケルは思う。思うが、それを確かめたことはない。
別に、彼にとっては友が何であろうと関係はないのだ。人間であろうが、魔族であろうが、混血児であろうが、交わした感情に違いはない。ただ、はみ出し者同士、奇異な育ち方をしたからこそ近づいた距離もあるだろうとは思っているが。
そんな風につらつらと考えながらラーハルトの顔を眺めていると、ゆるりと瞼が持ち上げられた。鋭利な双眸が、気心知れた幾ばくかの相手にのみ見せる比較的穏やかな眼差しでヒュンケルを見返した。
「何だ」
「……起きていたのか」
「そのように見られては気づく」
「そうか」
面倒くさそうなラーハルトの声に、ヒュンケルは素直にすまないと謝った。別に、この男を起こそうと思ったわけではない。ただ、今の状況が珍妙だと思っていただけなのだ。
そんなヒュンケルに、ラーハルトはもう一度「何だ」と問うた。声は別段、怒ってはいなかった。
だからヒュンケルは、ラーハルトに素直に己の真情を吐露した。……まぁ、以前からずっと、ラーハルト相手には変な気負いを持たずにすんでいるヒュンケルなのだが。似たもの同士だからだろうか。
「奇妙な状況だと思っただけだ」
「奇妙?」
「暖を取るためというのは分かっているが、お前と裸で抱き合っているのが、奇妙だなと」
「……仕方ないだろう。俺はともかく、お前の身体にこの寒さは響く」
「あぁ、分かってる」
バカバカしいと言いたげなラーハルトに、ヒュンケルは苦笑を浮かべて答える。この状況が、体力の落ちている自分を案じてだということぐらい、ヒュンケルには勿論分かっている。
ただ、分かっていても奇妙だと、珍妙だと思えるし、笑えてくるだけだ。
彼らは今、洞窟の奥で男二人、下着以外の衣服を脱ぎ捨てた状態で抱き合っている。ラーハルトがヒュンケルを腕の中に抱くような体勢を取り、二人で一枚の毛布にくるまっているのだ。
珍妙極まりない光景だった。或いは、ゲスな勘ぐりをされそうとも言うべきか。
決して柔和ではないが整った顔立ちの男が二人。鍛えられた戦士の肉体を寄せ合って眠っているのだから、ヒュンケルにしてみれば笑える以外の何でもない。突然の吹雪に目的地に辿り着くことも出来ず、洞窟で野宿となっただけではあるのだが。
半魔族のラーハルトは、この程度の寒さでは何の影響も受けない。ヒュンケルとて、かつての肉体であったならば特に問題はなかっただろう。ただ、今の彼は身体を損なっているし、無駄に体力をすり減らしては旅路に影響が出てしまうのだ。
だから、冷えたヒュンケルの身体を温める為、彼らは身を寄せ合って眠っている。焚き火の炎はあるが、それでも外は吹雪であり、ここは洞窟でしかない。取れるだけの対処はするべきだという結論だった。
人肌は、何よりもの温もりになる。雪山で遭難したときなど、身を寄せ合うことで九死に一生を得ることはある。だから、彼らの行動は別におかしくもなんともないのだ。
ただ、絵面が色々とアレなだけで。アレというのは、決して、見苦しいという意味ではない。逆だ。妙に絵になるからこそ、邪推されるという話である。まぁ、ここには余人はいないので、彼らが口外しなければ良いだけだが。
「くだらんことをぐだぐだ言うのは、寒いからか?」
「いや、そこまで寒くない。お前の体温のおかげかな」
「…………俺の身体をぬくいと感じているのならば、それは貴様の身体が冷えているからだ」
「うん?」
不思議そうな顔をするヒュンケルに、ラーハルトはため息をついた。
ヒュンケルは分かっていないようだが、半魔族であるラーハルトの平熱は、人間であるヒュンケルのそれよりも低い。ここに、普段はという注釈が付くのが今の状況だ。ヒュンケルがラーハルトの体温を温かいと感じるならば、それは相対的にヒュンケルの体温が下がっているからに他ならない。
自分の身体に無頓着な男だということはラーハルトも理解しているつもりだったが、ここまでポンコツだとは思わなかった。舌打ちを一つして、ラーハルトは腕の中の身体をより強く抱きしめる。隙間もないように抱擁されるカタチになって、ヒュンケルは瞬きを繰り返した。
行動に移されても何のことか分かっていないヒュンケルに、ラーハルトは呆れを隠さずに口を開いた。その声音は咎めるようで、けれどどこか、優しかった。
「お前が思っている以上に体温が奪われているだけだ、馬鹿者」
「……そうか。やはり、吹雪の中を歩くと身体が冷えるか」
「当たり前だ」
とぼけたような言葉だが、当人は大真面目だ。それが分かっているので、ラーハルトもそれ以上は何も言わなかった。言っても無駄なので。
ラーハルトの腕に抱きしめられたヒュンケルは、相手の肩口に頭を預けるような体勢で目を伏せる。先ほどよりも距離が近づいたからだろう。触れた箇所から、ラーハルトの鼓動が伝わってきた。
他人の鼓動を感じることは、滅多にない。そしてまた、ヒュンケルにはあまり馴染みのないものだった。
けれど今、ヒュンケルは確かに安堵している。自分を抱くラーハルトの体温とその鼓動に、互いが生きていることを噛みしめるように満たされている。それが、ひどく不思議だった。
「何がおかしい」
「え?」
「先ほどから、笑っているだろう」
「……あぁ」
どうやら無意識に表情に出していたらしいと気づいて、ヒュンケルは表情を戻した。人肌の温もりと鼓動でうつらうつらとしてきた頭で、ぽそりと本音を零す。
その声はどこか、幸せを噛みしめるように柔らかだった。その半生を戦いと復讐に費やしてきた男のそれとは思えぬほどに、穏やかで優しい。それこそが、彼の本質だというように。
「お前の鼓動に安堵する自分が、不思議でな」
「……は?」
「俺の父は温もりも鼓動も持たない人だったから、そういうのには馴染みがなかった。……なかったのに、今は、とても……」
安心するんだ、と最後の言葉は唇の中でもごもごと紡がれた。どうやら寝落ちしたらしい。
耳が良いのでその言葉をしっかりと聞き取ったラーハルトは、安心しきった顔で眠るヒュンケルを見下ろして、息を吐いた。何を言えば良いのか、よく分からなかったのだ。
相変わらず冷えたヒュンケルの身体を腕に抱き、ラーハルトは風から庇うように体勢を整える。少しでも寒さがマシなようにと毛布を多めに被せ、瞬間芸のように熟睡した友を見る。その顔は無防備なものだった。
ヒュンケルがモンスターに育てられたことは聞いていた。その育ての父が、骸骨のモンスターであったことも。最も近しく触れ合っていた相手に、体温も鼓動もなかったという話は、幾度も聞いた話だ。
だが、それ以上の愛情を与えられて育ったことも、ラーハルトは知っている。
そんなヒュンケルだからこそ、通常の人間よりも体温の低いラーハルトの温もりを気に入っていたことも知っている。人間の温もりは、彼には少しばかり熱すぎたらしい。慣れていないという意味で。
けれど、だからといって自分の鼓動で安心すると言われると、妙な気分だった。彼らは互いの死に目を看取った友で、親友と呼んで間違いのない間柄だ。そんな相手に告げることではないように思えた。
思えたが、それでも、ラーハルトはそれを不愉快には思わなかった。誰が相手でも一線を引くところのある男が、自分の前では随分と無防備だというのは悪くなかった。信頼されている証だと思えて。
情とでも呼ぶのだろうか。ラーハルトはヒュンケルを気にかけている。人々の優しさの中に取り残せば、自責の念から弱っていくであろうと理解できるほどには、近しい存在だ。足手まといにすぎない戦えない男を連れて旅をする程度には、ラーハルトの中のヒュンケルの存在は大きい。
思えば、ただ一度刃を交えただけで、全てを託せた相手というのも奇妙な話だ。その複雑な生い立ちも相まってか、するりと信頼の言葉は零れた。そして、ヒュンケルもまた、その一度の邂逅でラーハルトの全てを引き受け、約束を果たしてくれていた。
ヒュンケルが身体を損なっているのは、ラーハルトとの約束も一因だろう。詳しく聞いたことはないが、幾度も幾度も無茶を重ねたに違いない。己にだけは優しくなく、奇妙に強情な男だ。その信念の強さだけは、いっそ呆れるほどに見事と言えた。
約束を果たしてくれたこと、想いを継いでくれたこと、感謝してもしたりないそれらについて、ラーハルトがヒュンケルに告げたことはなかった。きっと、ヒュンケルも別にそんな言葉を望んでいないだろう。言葉がなくとも、あの一瞬の再会で全ては噛み合ったのだから。
そんな不思議な絆を持つ友だからこそ、こんな状態になっても厭うことなく共に居るのだろう。そう、ラーハルトは思った。人間でありながら、半魔族の冷えた身体を心地好いと宣う、奇妙な男だからこそ。
だから、その言葉はひどく自然と、ラーハルトの唇から零れ落ちた。
「……お前の熱さは、心地好いな」
命の温もりがそこにあるのは、悪くなかった。幼い日に失った母の温かさに似た、けれどそれとは全く違う友の温度。互いだからこそ心地好いと思うのだろうと、そう、思えた。
孤独を抱えた二人の戦士の魂は、ただ互いの傍らで、癒やされる。
FIN