運命を知る(ラーヒュン&ロンノヴァ)「お前、ちゃんと分かってんのか?」
「…………何のことだ?」
鎧の魔槍の手入れに訪れたラーハルトにかけられた言葉は、彼の理解の範疇外だった。目の前の名工に首を傾げるラーハルト。その姿に、ロン・ベルクはため息を一つついた。
分かっちゃいねぇんだなとため息と共に吐き出された言葉に、ラーハルトはやはり首を傾げる。彼は言葉遊びが得意な人種ではない。腹芸も苦手だ。つまりは、回りくどい言い方をされても察するのが苦手なのである。
魔槍の手入れは既に終わり――腕の使えないロン・ベルクに代わり、押しかけ弟子のノヴァが師の指導の下行った――今は雑談をしているだけとなる。ノヴァが食材の買い出しに出かけると聞き、ヒュンケルが同行してしまったからだ。
ノヴァは一人で大丈夫だと告げたのだが、じっとしているのが性に合わなかったらしいヒュンケルが共に出かけてしまった。或いは、食事を馳走になった礼のつもりなのかもしれない。
とにかく、ラーハルトは相棒が戻ってくるまでこの小屋を立ち去れないのだ。ゆえに、ロン・ベルクの話相手を務めていた。そこに突然投げられたのが冒頭の言葉だ。
「お前、ヒュンケルと付き合ってるんだろう?」
「……付き合っていると言って良いのかは分からんが、まぁ、特別な関係であるのは事実だ」
「それを付き合ってるって言うんだよ、アホ」
淡々と、特に照れもせずに答えるラーハルトにロン・ベルクは脱力した。ヒュンケルも大概情緒が未発達だが、ラーハルトも色々とアレだ。それでもまだ、ラーハルトの方が己の感情を理解している風なので、ヒュンケルの情緒が少々心配になるロン・ベルクだった。
そもそも、特別な関係だと認識しているくせに、何故それで付き合っていると言わないのか。やることやってんだろうがと胸中でツッコミを入れつつ、口には出さないロン・ベルクだ。口にしなかったのは、言うのが面倒だったからにほかならない。
この二人は、互いに優れた戦士でありながら、それ以外の情緒を一切削ぎ落としているようなポンコツっぷりがある。仲間を大切に思う感情は持っているのだろうが、恋愛感情だとか情緒だとかいうものに関してはからっきしなのだ。
魔族や魔物でももうちょっとマシだぞ……?と時々思うロン・ベルク。彼も立派な魔族だが、目の前の男とその相棒に比べれば、感情に聡い方と言える。年を重ねているからというだけでもないだろう。変な奴らだと思ってしまう彼に罪はなかった。
そんな風に考えているロン・ベルクの感情など理解できないらしいラーハルトは、そんなことを聞いてどうするんだと言いたげな顔だ。どちらかというと胡乱げな顔だった。
別にロン・ベルクは、二人の恋路をからかったり茶々を入れたりしようと思ったわけではない。彼なりに至極重大な、そして、先達としての優しさで話題を振ったのだ。
「良いか?人間は魔族に比べりゃ短命だ」
「……それが?」
「お前は魔族の父親の血が色濃く出てる。おそらく、寿命も俺達寄りだ」
「それがどうしたというのだ?」
「……ここまで言っても、まだ、分からねぇのか……」
はぁ、とロン・ベルクは盛大にため息をついた。処置なしとでも言いたげだ。ラーハルトの方は何を呆れられているのか分からず、首を傾げている。
ラーハルトが本気で分かっていないのだと理解して、ロン・ベルクは直球でぶつけることにした。回りくどく告げても通じてくれなかったのだから仕方ない。
「あの男は、どう足掻いてもお前を置いて死ぬぞ」
それは歴然とした事実で、告げたロン・ベルクも告げられたラーハルトも理解している。幾度もの戦いで身体を損なったヒュンケルの寿命が、どれだけ残っているのかは誰にも分からない。そういう意味でも、戦いから遠ざかったとしても彼の命は短そうだ。
けれど、仮に完全復活を遂げたとしても、人間の寿命は魔族から見れば瞬きでしかない。一瞬の閃光。長い長い寿命の中でいつか忘れ去るほどの刹那にしかならない。それは、それだけは、それこそ神々に願いでもしない限り覆らない運命だ。
ラーハルトは魔族との混血であって、実際の寿命がどれほどのものかは分からない。けれどそれでも、おそらくはヒュンケルよりも彼が長生きするだろうというのは皆の共通認識だった。戦場で倒れるということでもない限り、ラーハルトがヒュンケルを置いて死ぬ未来はないだろう。
それぐらいは、ラーハルトも理解している。誰に言われずとも、普通に理解していることだ。
だから、ラーハルトの返答はあっさりとしたものだった。
「そんなことはとっくに分かっているが?」
自分の命を安く見積もる癖のあるヒュンケルを、ラーハルトは理解している。それも含め、種族の違い、寿命の違いという概念も理解した上で、ラーハルトは答えている。
淡々としたそれはどこまでもあっさりとしていて、だからこそ、現実を理解していないとロン・ベルクは脱力する。その事実がもたらす結果に対して、感情や実感がこもっていないのだ。
「そうじゃねぇよ」
「では、どういう意味だと?」
「想いを交わした相手が、いつか必ず自分を置いて死に、その後も自分の時間が長く続くことを理解してるかって話だ」
「だから、そんなことはとっくに分かっていると言っている」
「……分かってねぇ……」
眉間に皺を寄せるラーハルトに、ロン・ベルクは何度目になるか分からないため息をついた。どこまでポンコツなんだこの野郎と言いたげだった。
ラーハルトが言っている「分かっている」は、あくまでも知識として理解しているに過ぎない。そこに付随する感情を、彼は微塵も理解していないのだ。だからこそロン・ベルクはアホと言うのだ。
ロン・ベルクが何故ここまでラーハルトに口煩く言うかといえば、ご同輩を心配してのことだ。自分と同じ状況に陥るだろうこの男が、きちんと感情と向き合えるのか心配になったというのもある。何せ、ラーハルトの情緒は割とポンコツなのだから。
これが勇者ダイであったなら、ロン・ベルクはそこまで心配はしない。
一応、年長者として忠告はするし、何かあれば相談に来いと言うぐらいには気を配る。それでも、あの勇者は自分の感情に正直だし、相棒の大魔導士も素直な性質をしている。きっと二人で乗り越えるだろう。
だが、ラーハルトとヒュンケルの場合は多分無理だ。
色々と情緒が欠落してポンコツ過ぎるのに、互いへの執着心だけは煮詰めて固めたような男達である。もはや比翼か何かかと言うほどに阿吽の呼吸で生きているこの二人が、引き剥がされた時が心配になる。
それが、戦場で命を落とすであったならばまだ、マシだ。長く添い、寿命によってヒュンケルを失ったとき、ラーハルトの感情がどうなるのかをロン・ベルクは危ぶんでいる。自分一人で処理出来るか不安だったからだ。
故に、今、覚悟を問う。理解しているかを確認している。……まぁ、結果は惨敗なのだが。何一つ自覚していないらしいと分かっただけである。
ロン・ベルク自身は、とっくの昔に覚悟を決めた。
直向きに自分を見る弟子をそういう対象として見ていると気づき、あちらが自分の感情の変化を自覚したときに、全てを諦めて手を伸ばした。いや、腕の中に囲ったという方が正しい。
人間の一生が瞬きならば、その瞬きを他の誰にも渡さずに自分が堪能すると決めた。その間の自分の時間を全て、あの愛しく愚かな弟子のために使うのだと決めている。いつか訪れる別れの日、後悔を引きずることがないように、と。
抱いた感情を、後悔の材料にはしたくない。交わした想いを、悔恨と共に封じることもしたくはない。ならば、覚悟を持って生きるだけだ。
だからこそロン・ベルクは、ラーハルトに自覚を促すように告げる。気づけと言うように。
「お前、まだ誰かを見送ったことがねぇだろ」
「……母は見送ったが」
「そうじゃねぇ。寿命で死ぬ親しい誰かを見送ったことがねぇだろって話だ」
「……」
沈黙が答えだった。
母の死後、ラーハルトは戦いの中に身を置いた。その中で誰かを失ったとしても、それは戦いで失ったのであって、寿命ではない。また、親しいと呼べる相手もほぼいなかったので、該当者はいなかった。
だからこそ、ロン・ベルクの言葉の意味を図りかねている。情緒がポンコツとロン・ベルクが判断するラーハルトらしいとも言えた。
そんなラーハルトに、ロン・ベルクは噛み砕いて説明した。彼が何を案じているのかを伝えるように。
「怖いもんだぜ。手にしたと思った宝が、いつか必ず自分の手をすり抜けていくって分かってるのはな」
「……そういう、ものか?」
「今、共に居られることを喜ぶのも良い。それは事実、幸福だ。だが、それはどう足掻いてもいつか必ず失うもので、取り戻すことが叶わないものだと、覚悟はしておけ」
「……」
人生の先達の言葉に、ラーハルトは眉間に皺を刻んだまま頷いた。頷く以外のことが出来なかったのだろう。彼にはまだ、何一つ実感がないのだ。
そもそもが、大切で特別な誰かというものを持ったのが、初めてだ。ラーハルトにとってヒュンケルが特別な存在なのは事実だが、何故彼が特別なのかが分からないというのも事実だ。ただ、忠義を尽くす竜の騎士親子以外で唯一、ラーハルトが個人として気を配る相手がヒュンケルだという話である。
そんなラーハルトの、不器用で拙い感情の発露をロン・ベルクは知っている。端で見ていて焦れったくなるほどに自覚が薄いが、それでも互いへの感情の強さだけは疑いようがない。双方向で同じだけの重さを向けるなら、それは幸福と言えるだろう。
だからこそ、だからこそ、なのだ。
いつか失う、大切な存在だという実感が芽生える日が、少しでも早ければ良いとロン・ベルクは思う。自覚して後、まだ二人の時間が残されているならば、救いはある。一番悲しいのは、辛いのは、全てを失ってから気づくことなのだから。
こんなお節介を焼く自分を、ロン・ベルクはらしくないと思う。おそらくは、お人好しで甘ちゃんの弟子の性質が移ったのだ。親しい人々には幸福でいて欲しいと、真顔で願う弟子に影響されたのだろう。
だが、悪くはないと思った。魔族として生まれ、魔族として生き、優しい何かなど知らぬままに生きてきた男に、ほんの一欠片灯された優しい何か。瞬きの刹那しか生きない人間が刻んだそれは、確かにロン・ベルクを変えたのだから。
「まぁ、人間の時間が一瞬だってことだけは、肝に銘じておけ」
「……承知した」
ロン・ベルクの覚悟を感じ取ったのか、ラーハルトは神妙に頷いた。
いつかラーハルトが彼と同じ境地に達したときには、是非とも酒を飲み交わそうと思うロン・ベルク。長い長い魔族の時間、共通の話題で杯を交わせる相手の存在は、なかなかに得がたいものなのだから。
いつかその手から失われると知りながら、それでも愛したことを後悔だけは、しないだろう。
FIN