頭痛持ち 豪奢な装飾が施されたドアへと手を伸ばす。けれどノックするより先に、ドアは内側から開かれた。
「ようこそおいでくださいました」
囁くようにして歓迎の言葉をかけてくれたスノウさんは、自分の顔を見つめて目元を和らげてみせた。
地上一階、建物を入ってすぐのところでガルムに会った。こうして自分が執務室に辿り着くより先に、きっとガルムは忠犬らしくスノウに報告に行ったのだろう。それにこんな立派な施設なのだ。防犯カメラのひとつやふたつ、そしてそのモニターくらい、この執務室のどこかには据え付けてあるに違いない。
「クロードと約束してたわけじゃないんだけど。ちょうど近くに来る用事があったから、挨拶でもと思って」
言いながら、でも今日はクロードに会えないだろうと思った。いつものスノウさんなら、うやうやしい一礼と共にすぐに部屋の中へと案内してくれるはずだ。けれどいま自分の目の前に立っているスノウさんは場所を譲ってくれそうには見えなかった。険しい雰囲気というわけじゃない。あくまでも和やかに、そしてきっと何かクロードのための訳があって、彼はそこを塞いでいるんだろうと思った。
「せっかくお越しいただいたというのに申し訳のないことですが」
スノウさんはゆっくりと目を伏せる。モノクルの向こう、エメラルドの瞳がしずかにきらめいた。
「いまクロード様はお加減が優れず……」
「スノウよ。客人か?」
それならまた来ます、と言葉を返すより先に、奥から声がした。まるでクロードらしくない、か細くて覇気のない声だった。
「失礼。こちらで少々お待ちください」
そう言ってスノウさんは奥へと下がる。小声で報告をしているらしい。
「構わぬ。通せ」
迷いなく答えるクロードの声が聞こえた。すぐにスノウさんが顔を出す。
「お待たせいたしました。どうぞ中へ」
「あの……俺……」
二人が迎え入れてくれるのは嬉しいけれど、具合が悪いと聞いてはこっちも気が咎める。困って見上げたスノウさんは、自分の遠慮を取り払うように、にこやかに頷いてみせた。
「クロード様が、是非にと仰せでございます。どうかご挨拶だけでも」
「それなら……。ありがとう、スノウさん」
案内されたのは執務室の奥の、小さな一室だった。クロードを休ませるためにか、部屋の中は随分暗い。やわらかく灯っているランプの灯りに目が慣れるまで待ってから辺りをぐるりと見渡した。たっぷりとひだをとった緋色のカーテンに、重厚な家具たち。立派な飾り棚の上にはきらびやかな装飾品が行儀よく並んでいる。
「我が花婿よ」
囁くような声がして、見つけたクロードは大きなソファへ横になり毛布をかぶっていた。駆け寄るようにしてそばへ向かう。自分の靴は厚い絨毯に受け止められて、足音のひとつも立たなかった。
「大丈夫? 具合が悪いって聞いたけど……」
ソファの隣、片膝をついて顔を覗き込む。やわらかそうなクッションに頭を沈めたクロードは、自分の顔を見て小さく頷いた。いつもきちんと整った格好をしているクロードが襟元をくつろげているのは珍しい。上着とネクタイとが掛けられたハンガーが、そばのコート掛けからしずかに下がっていた。
「頭が痛んでな。なに、よくあることよ」
気丈に笑ってみせたけれど、その顔は青ざめて、いつものような凛々しさはなかった。
「我が花婿の顔を見て、幾分気が安らいだ」
体調が悪いのに、歓迎の言葉をかけてくれる。波のようにひたひたと寄せてくる好意に、たまらなくなった。
「痛いのは、この辺り……?」
いつかケンゴが、皇帝は頭痛持ちなのだと言っていたのを思い出す。伸ばした片方の手のひらと指先を、癖のあるやわらかい髪がくすぐった。クロードの頭を包み込むようにして撫でる。そっと、そっと、繰り返し。
しばらくするうち、クロードの手がそろそろと伸びてくる。厚みのあるその手のひらは自分の手に重ねられた。
「我が花婿の手は温かいな」
弱々しく指が絡んでくる。それをいじらしいと思った。
「ねえ……俺、ここにいていい?」
しずかに目が伏せられたのを許可と捉える。頭を撫でる手はそのままに、反対の手でクロードの手を優しく捕まえた。そのまま毛布の内側に誘導する。ぎゅっと握りこむうち、クロードはもう片方の手で俺の手を包み込んでくる。なんだかすがっているように見えた。
「薬が効いてきたやもしれん。少し……眠る」
目を閉じると、そう言って深く呼吸をした。肩がゆっくりと上下する。
「いいよ。起きて具合が良くなったら、スノウさんにお茶をねだろう」
「ふ……至高の一杯が楽しめるであろう」
唇の端を持ち上げて、クロードはひっそりと笑った。それきり口を閉ざしてしまう。ぴったりと閉じられたまぶた、無防備な寝姿。
穏やかな寝息が部屋の中を埋めていく。眠る皇帝を、いつまでも見つめていた。