夕方の高速道路 防音のための柵はまるで壁と呼んでも差し支えないほどの威圧感をまとって、道路の両側に高々とそびえている。
柵より上、目に映るのは等間隔に立ち並んだ照明灯ばかりだ。その銀色の、ほっそりとした柱たちが飛ぶような勢いで後ろに流れていくのを数え続けていく。暮れかけて淡いグラデーションを浮かべた空を背景に、見えるのはひたすらに壁と照明だけで、けれど俺にはそれも嬉しかった。何しろこっちはしがない男子高校生なのだ。普段の移動手段は徒歩が基本だし、学外をふらふらする時は電車に乗るけれど、それは特急でも何でもなくて、移動距離もささやかなものだった。
景色に気を取られるあまり、顔が窓ガラスに貼り付きそうになったところでふと思いとどまる。隣の座席――隣といっても車内が広すぎるせいで、反対側の窓際までには結構な距離がある――を振り向けば、クロードは穏やかな横顔をして窓の外に視線を送っていた。
さすが、スノウさんが飛ぶように走らせる車の速度にも夕方の首都高の風景にも慣れているのか、革張りのシートにゆったりと背中を預けている。
そうやって静かにしているところはちょっと貴重で、でも見とれる暇もないうちにクロードが振り向いた。
「どうした。貴様にしては口数が少ないな」
「……静かにしてた方がいいかなと思って」
さっき息をつめて横顔を盗み見たクロードは、落ち着いた表情を浮かべていた。けわしい表情でも苛立った様子でもない。しずかに心を解放し、流れる景色をただ受け止めているようだった。それを見ているとほっとする、というのが、俺の一番の気持ちだった。
俺の平凡な答えに、クロードはゆったりと目元をやわらげる。
「そのような気遣いをせずとも良い。何か思っていることがあるのだろう?」
そもそも本当は、クロードもスノウさんもちょっとした会合に参加する予定だったらしい。それが急になくなって時間のできたクロードは、夕暮れ時のドライブのお供に俺を指名したというわけらしかった。
俺は俺で、ちょうど池袋の闘技場に向かっている途中だった。暇な日があれば遊びに来てほしいと、ガルムから誘われていたのを思い出したのだ。クロードは忙しいから会えないだろうことは予想していたけれど、もしも顔が見られたらラッキーだなと淡い期待を捨ててもいなかった。
「一時間ほど、ドライブにお付き合いいただけませんか。我が主人の望みです」
スノウさんは、いつも通り礼を尽くした口ぶりで電話をかけてきてくれた。その言葉の節々に微笑みがにじんでいる。仕事のための微笑みにしては、悪戯っぽい喜びにあふれていると思った。
「スノウさん、俺はどこに向かえばいいの? 闘技場?」
「それには及びませんよ、すぐお迎えに上がります。今どちらに?」
すでにクロードたちのテリトリーに足を踏み入れていたとはいえ、すぐそばの電柱に巻き付いていた帯の、住所を読み上げてから五分とかからなかったと思う。せめて見つけてもらいやすそうな場所に向かおうと道端を歩いていたら、突然大きくて高級そうな車がするすると近付いてきて、ガラス窓ごしに顔を見せたのがクロードだった。
運転席から降りてきたスノウさんのうやうやしい一礼や、俺のためにドアを開けてくれる動作がなかったら、ひょっとすると誘拐か何かのように見えたかもしれないと思うとおかしい。それくらいあっという間に、俺はクロードの時間に合流した。
「せっかくの貴重な時間なのに、俺を呼んでのドライブでいいのかなとは思ったよ」
いつかスノウさんが言っていた。クロードにはいくつもの顔がある。バーサーカーズのギルドマスターとして、武玄学園の理事長代理として、そして池袋の皇帝として。おかげでクロードの日常は多忙を極めていていて――俺みたいな一般人から見て「多忙」なだけで、当のクロード自身はそれが当たり前で、忙しいとは思っていないかも知れない。物心のついた時にはすでに、帝王であれと育てられていたから――のんびりと無為を楽しむ時間はほとんどないのだという。
そんなクロードが、俺を横にドライブを楽しんでいていいのだろうかと、少し心配に想う。でもきっと、行動に移された時点で答えは明らかになっている。それをあえて本人に尋ねたのは、俺の子どもっぽさのせいだ。
クロードは面白がっているような瞳をして俺を見た。
「随分と求めるではないか」
「うん。だってスノウさんからは聞いたけど、クロードからは聞いてないから」
我が主人の望みです。スノウさんの落ち着いた声が、耳の奥によみがえる。
ふ、と、ひそやかにクロードが笑ったのが、静かな車内に響いた。
「渇望。その熱量。このクロードはそれを是とし、讃えよう。――貴様を呼び寄せたのは、このクロードの意思よ」
「うん……。ありがとう」
変に恥ずかしがったりせずに、自分の気持ちを真っ正直に寄こしてくれる。クロードのそういうところを、とても豪気だと思う。
「ドライブに誘ってもらえて、嬉しかった」
デートみたいで、と言いかけて、やめにした。
一日の大半を過ごす学校からも、見知った街からも遠く離れて、知らない空の下をすっ飛ばしている。でも、保護者つきのデートは、果たしてデートと呼べるのだろうか。
スノウさんは寡黙を保って、心得顔に静かな微笑みを浮かべたままハンドルを握っている。きっと、俺の気持ちにも気づいているんだろう。
「今度は格闘場に遊びに行くね。観戦じゃなくて、参加してみたいな」
猛者のひしめく闘技場で、自分の存在と力を示し続けるなんていうのは、一筋縄ではいかないことだ。それでもそこに立ってみたいと思う。クロードの瞳の、真ん中に映っていたいと思う。
「ほう、リングに立つというのか」
俺の顔を覗き込むようにしたクロードの、瞳が一気に輝き出す。あっという間に情熱の炎が灯っていくのを、驚きながら見つめ返した。
「我がギルド一同、貴様を歓迎しよう」
「うん。ありがとう」
スノウさんがハンドルを握る車は、アスファルトの路面をまっすぐに走り抜けていく。時折車線を変更して前の車を追い越しながら、するするとなめらかに、飛ぶように。景色はびゅんびゅん流れていった。