初恋って綺麗なものだと思ってた。輝く金の鎧と明るい赤銅色の髪を城の上層階から地上に見つけてヘクターは思わず目を惹かれてしまう。
ちょっと前まではその癖のあるふわふわした髪を見かけたら苦虫を噛み潰したような思いをしていた自分がいたというのに現金なものだと独り言る。
先日の遠征で発見した合成術について術法研究所を訪ねるといった予定が入っていたなとぼんやり思い出していたら見つめた先のジェラールの姿がこちらを見て手を振っている。
この距離で良くわかるもんだと苦笑しつつも手を振り返す。
そういえばジェラールはこういった状況で確実に自分に反応を返してくれているような気がする。
今のようにあからさまな対応をする時もあるし、側を離れて任に就いている時に近くをすれ違えば目線をこちらに寄越したり手のひらを振ったりと何かしらの動きを見せてくれる。
まあ見た目が目立つので目につきやすく慣れた顔が見えたら嬉しいと思ってくれているのかもしれない。
皇帝陛下が帰城されたとなれば何かしらのお呼び出しもあるだろう。
見張りも兼ねての行動を切り上げヘクターは場内に戻ることにした。
ヘクターは昼間気になった事を皇帝陛下からの呼び出しの元、皇帝陛下の自室にて伺ってみる事にした。
人払いをされた上でソファに座るジェラールは既に部屋着に着替えている。ソファの端に寄せられているクッションを弄びながら。
ヘクターはその隣をぽんぽんと示されてそこに座しているが少し前ならこんな距離にいる事は様々な理由でありえなかっただろう。
ジェラールは少し悩んだ上で答えが出たのか、弄んでいたクッションを脇に置きヘクターの方を向く。真っ直ぐにこちらを見てくれる緑玉のような瞳も少し前は向き合おうともしなかった光。
「ヘクターからの視線は絶対取りこぼす事は出来ないと思ってるんだよね。
君が目を惹くのもあるけど…私は君が振り向いてくれたらどんなに嬉しいかとずっと前から思っていたから、今君が向けてくれる物は奇跡だと。」
「……え?」
ヘクターは言われた言葉を頭の中で反芻するが幾つかすぐには飲み込めない内容が混じっていたように思えた。
過去の事を思い出しているのかジェラールは少し憂いを持った笑顔を浮かべている。
「気が付かなかっただろう?」
それはそうだ。
自分はこの人に向き合うどころか姿も見ようとしなかった、気配すらも感じたくなかった。
きっとヘクターは酷い表情をしているのだろう、強ばってしまった顔を和らげるようにジェラールが両手で触れてくる。
「父上に付き従う凛とした君も、兄上と剣を打ち合う楽しげな君も、他の兵達と語らう普段の君もずっと追ってた。
こんな事は初めてだったけどこれが恋と言う物だったんだろうなと思っていた。
……今改めてこうやって考えると私はとんでもない事をしていたね。暗くて重くて…本当なら土の中に埋め込んで、絶対に出してはいけなかった物だったのに…!」
ジェラールが先程まで見せていた表情とは打って変わっていた。目尻には光る物まで浮かんでくる。
ヘクターに届かない想いをずっと抱え続けて、それを隠して無くそうとして、それでも出来なかったジェラールの恋。
恋心どころかジェラールの存在すら受け入れる気の無かった過去の自分の行動にヘクターは辟易する。
「私は前に君が言っていた通り勉学ばかりで剣よりも本の世界の方が詳しいくらいだけど…本当の恋は本にある物語のようにはいかないものだね。」
自嘲気味に笑うジェラールの目から先程現れていた涙が零れ落ちた。
これはヘクターの為に、ヘクターを想い続けてくれたジェラールの気持ちがこもった涙だ。
そんな大切な物を逃す訳にはいかない。
ヘクターの顔から外した手で自分の涙を拭おうとするジェラールの手首を捕らえ、まだ頬を伝い落ちようとする涙を唇を使ってすくい取る。
ジェラールのヘクターの想いなどヘクターの拗らせた浅ましい恋情に比べて、今すくった涙のように尊くて美しいものだろう。
それを落とさずに、隠されずに済んだ今を奇跡と思う他無い。
ジェラールも今を奇跡だと言ってくれるのであれば結局のところ抱えていたものは近しいのかもしれないけれど。
ジェラールが涙を一粒零した後はこれまで溜めこんでいたものが溢れてしまったのか堰を切ったように零し続け、それがおさまるまでその身体を抱き続けた。
これを溜めさせたのはヘクターなのだから自分が全て受け止めるべきだし受け止めたいと思うのだ。
気が済んだのか腕の中のジェラールが顔を上げるとさすがに目が充血し瞼は腫れぼったくなっている。
それすらも可愛らしい愛おしいと思う人だ。
「ごめん...ヘクターの服が汚れてしまった...。」
「大丈夫です、どうせ着古したものですし。」
「君の香りがするなと思ったら余計に止まらなくなってしまって...あ、」
「...それわかって言ってます?」
「重いなとは思う...。」
「あー、もう!!」
ヘクターが否定し続けてしまったが故に肯定感が落ちる所まで落ちてしまったこの恋を大切にするにはまだ間に合うはず。
「ジェラール様が長くオレを想ってくださっていた気持ち、今更ですがちゃんと受け取っても良いですか?」
こういう事はきちんと言葉にしないといけない。
言葉どころか存在すらも受け入れなかったヘクターの事なのだから。
「.........うん。」
知らずのうちに埋められて土に溶けて還る前にこの人の恋を受け取ることが出来て良かった。
流石にヘクターをその格好で外を歩かせる訳にはいかないとジェラールが自分の衣装棚をひっくり返している。
「確かこの辺に……あった!これなら君の身体にも足りるんじゃないかな。」
皇族が着るには見た目は落ち着いたものだが質はもちろんいい物だった。
ただここにあると思われるジェラールの身体には不釣り合いな服の持ち主の可能性を考えると少々頭が痛い案件だ。
「それは…オレがお借りしてしまって宜しいんですかね…色々と…。」
悩みながらもそう切り出すとジェラールのふわふわとした髪でも特に跳ねた部分が反応を見せる。
「別に君を兄代わりとか思ってる訳じゃないから…!!ただ背格好が似てるから着られるかなって...。」
兄代わりではない事は疑うまでもないだろう。
本来の持ち主については当たっているようだ。
当たっているならそれはそれで余計に飲み込みにくい部分がヘクターにとってはある。
ジェラールほどでは無いがずっと喉に引っかかって取り除くべきかそのまま飲み込むか悩んでいた事だ。ただ、今ならそれを取り除く事が出来るかもしれないとヘクターが切り出す。
「先程ジェラール様が色々ぶっちゃけてくださったから言いますけど、オレも兄弟仲良さそうな貴方がたを見せられている時には思う所があったんですよ?」
ジェラールはきょとんとした表情を見せるが数秒後にはあっと声を上げた。
「私に対して嫉妬か...!!」
「逆です逆!!」
「ぎゃく...?」
正反対の間違いからの転換を求められたからかジェラールの考え込む時間は数秒あったと思われる。
最初は疑問に思う表情から途中は悩みに入り、最後にはどういう事か思い立ってくれたのか顔全体が真っ赤になっていた。
公の場では絶対に拝む事の出来ない、ヘクターだけが見られる表情だと思うとその優越感も度し難い。
「え、でも、でも...そんな事って...。」
まあそうもなるだろうなとヘクター自身も思う。
嫌っていた方に嫉妬するならわかるが、良好な仲だった方に嫉妬するなど普通は思わない。
ただ打ち合いの最中にたまに修練場に来るジェラールの相手をするヴィクトールの姿を見ては複雑な思いに駆られていたのは事実だ。
これがジェラールが言うように嫉妬なのかどうかはヘクターには分かるはずもない。
そもそも恋というものには縁が無かったのだから。
何なら恋物語を読んでいたジェラールの方が機敏もわかるのではないかと思う。
俺も大概なのかもしれないなと思いつつヘクターはまだ顔の赤みの引かないジェラールのこめかみに触れ、頬を伝い、顎を引いてその柔らかく顔以上に紅く色付く唇を自らの唇で割る。
「オレの初恋も結構重くて面倒臭いって事ですよ。」