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    毎日自殺行為を繰り返す司くんがいる類司。年齢操作、不穏、自傷行為の表現を含みます。
    最後のシーンは「司くんは外に出られなくなりました」というオチです

    家で自殺しながら彼を待つ家で自殺しながら彼を待つ自殺未遂の表現が含まれます。注意してください。

     マンションの3階まで、エレベーターなんて待っていられないから階段を使って駆け上がる。今日は特に疲れていたような気がするが、僕には急がなければならない理由があった。
     ぜえぜえと息を切らし、右ポケットから鍵を取り出す。今日は今季一番の寒さです、なんてニュースキャスターは言っていたのに手汗も暑さも尋常ではなかった。焦りすぎて何回か穴を外してしまったが、ようやく入った感触がしたあと、左に回しドアを引く。
    がちゃり。

    「司くんッ──」

    家の電気は消されていた。彼はいないのか、と手探りでスイッチを探し、明かりをつける。司くんの靴はあった。それもそのはず、この時間に稽古を終えた彼が外に出ているわけがない。


    がちゃん、がちゃん!
    リビングにも、キッチンにも、寝室にも、トイレにもいない。

    「司くん、司くんッ!!」

    必死の思いで風呂のドアを開けたとき、そこに見えたのは。

    家で自殺しながら彼を待つ


     浴槽に溜まっていたのは赤い液体。そこに彼は左腕をつけてぼーっとどこかを眺めているように見えた。縁に身を預けていて、ぐったりとしている。彼の周りには新品の血に塗れたカッターナイフと、缶が2つ。
    そばに回り込むと、愛しいほどの黄水晶はまぶたで閉じられていて。
    「ね、ねえ、司くん………ッ」
    何度あってもこの瞬間は緊張してしまう。
    そっと顔に耳を近づける。息はしていた。きっとこれ・・をしてからそれほど経っていないのだろう。それに腕を切って水につける方法は命を落とすまで時間がかかる。
    とりあえず、生きているなら急いで手当てをしなければ。
    左腕を液体から持ち上げて彼を抱きかかえる。そのままリビングに移動して、ソファに寝かせる。腕は心臓より高い位置に持ちながら鞄に入っている救急箱から消毒と包帯を取り出す。
    あぁ、彼の綺麗な、真っ白な腕がこんなにも傷つけられて。
    どれほど苦しいことだろう。本人だってこんなことを望んでいないのはわかっているが。
    握っている彼の腕に手の体温がどんどん吸われていく。顔色も真っ青を通り越し白い。こんどこそ本当に死んでしまうのではないか。ふと、頭をよぎる。
    ガーゼをかぶせ、くるくると包帯を巻いていると、自分の手際の良さに司くんがどれほどこれ・・を繰り返してきたか嫌なほどわかってくる。成長がこんなにも嬉しくないのは初めてで、どうしょうもなく悲しい。
    彼は悪夢を見ているのか、顔を苦しそうにしかめている。閉じた目から涙がにじみ、頬を伝ってソファへ落ちていく。僕はそっと彼の背中に手を回し、とんとんと背中に手を置く。
    このまま彼がどこかへ行ってしまったらどうしよう。
    僕を置いて、遠い知らない場所へ行ってしまって。
    せっかく長い片思いが結ばれて一緒に暮らせたというのに。

    「頼むから、僕の前からいなくなろうとしないでくれ…ッ」
    嫌、嫌だよ、と彼に必死に縋り付く。そうしていないと、本当にこのまますぅっと消えてしまいそうだったから。
    意識を落としたままの彼は当然、答えてくれない。数ヶ月前までは大好きだ、なんて自分から抱きしめてくれていたのに。
    そんな彼をどうしようもできない僕が一番憎たらしかった。

    彼がこんなこと・・・・・をするのは、今日に限った話ではない。何回か繰り返されているから僕はできるだけ早く帰っているし、手当をする腕も上がっている。最初は彼が洗剤を飲んで倒れていた。驚いた僕は泣いて、泣いて、取り乱したあまり「司くんが死んじゃう」と救急車ではなく瑞希を呼んでしまった。当時は一回で終わるのだろうと当たり前のように思っていたが、次の日にも、その次の日にも続いたのだ。首を吊っていたり、ドライヤーを垂らした浴槽の中で眠って水が貯まるのを待っていたり。僕が家に入る直前に実行しているみたいだからまだいなくなったりはしていないが。

    きっと「もうやめてくれ」と僕が言ったら、彼はきっぱりとやめてくれるのだろう。
    それでも僕が言えないのは、彼がネットで誹謗中傷を受けているのを知っているからだ。この時代、同性愛を受け入れてくれる人の方が少ない。そんな中偶然、男性(僕のことである)と司くんが手を繋いで家に入っていったところを週刊誌に撮られた。それだけだった。駆け出しの頃から期待の星として知られていた彼は今から一ヶ月ほど前にたちまち炎上、この有様だ。なんとか今稽古をしている舞台には上がれるみたいだが、傷がうっかり見つかっても心配はおろか、何も触れられていないらしい。
    僕は演出家だったから、あまり顔は知られていない。だから僕にはなんの被害もなかった。変わってあげられたらいいのに、とどれほど思ったか。
    輝かしいスターの将来を潰したのは、紛れもない自分であったのだ。

    「ごめん、ごめん……司くん」

    別れよう、と話をしたとき、「そんなこと言わないでくれ、類までオレのことを嫌いになったのか。類にまで嫌われたらオレは死ぬよりも辛い。」と今にも消えそうな声で言われた事を思い出す。彼に愛想が尽きたのではない。彼を愛していいのかわからなくなったのだ。犯罪者まがいなことをして人を愛してもいいのか、と。
    僕は一生司くんを好きでいるつもりだった。今だってこれからだって好きだ。ただ、自信を失くしてしまっただけ。
    そんな僕の弱気に彼ももうかつてのように「そんな心配なぞ無用だ!」なんて笑ってはくれない。ただ「オレは類が大好きだからこれからもそばにいてほしい」と寂しげに鼻声で言ったのだ。

    抱きしめた体温は触れたところからだんだん同じくらいの温度になり、一つになっていくようだ。体はどんどん冷えていくのに、胸はぽかぽかして心地よい。ぬるま湯が体温を奪っていくように、この温度は僕を逃してくれない。ブランケット、かけてあげればよかったなぁ。今日、寒いのに。
    司くんのすうすうという規則正しい寝息に安心したのか、瞼が重い。
    そのままそれに身を任せて、僕も彼と同じ夢を見れたらいいな、と眠りについた。



    目を覚ますと類に隙間のないくらい抱きしめられて、身動きができなかった。
    あぁ、またやってしまった、と思う。
    類は気づいていないようだが、自分への嫌がらせが過去にやっていたショーユニットの仲間にまで被害が及んだときからだろう。オレのように町でゴミを投げられたりはしないようだが、人格を否定するような発言をネットで多く見かけてしまう。オレが同性を好きになってしまったのがいけないのだろう、なんて考えると負の思考は止まらない。類との幸せな日々ももう半分以上思い出すことができなくなっていた。

    類が帰ってくる、と思うと頭がぼーっとして何も考えられなくなり、気づいたら類に泣きつかれながら傷の手当をされている。
    そうか、これは自分でやったんだな、と妙に納得できてしまった。
    類が世界が終わるような顔でオレを心配してくるから、それがたまらなく嬉しかったのかもしれない。一種の独占欲のようなものかもしれない。外に出れば、外を知ろうとすれば槍が飛んでくるこの世界で唯一彼が大好きだと言ってくれたから。
    彼だけがオレを愛してくれる。そう思うのに時間はかからなかった。

    それでも恋人に苦しそう表情をさせたいと思うような思考は持っていない。彼のことだからきっと自分のせいだと思っているのだろう。あの日は、「誰もいないから家まで手を繋ごう」とオレから言ったはずなのに。どうしても甘えたくて、わがままを言ったのは自分なのに。

    左腕を見て、また助けてもらってしまったな、と考える。何度もこれ・・を繰り返しているのに彼は変わらず助け出してくれる。
    そんなところが大好きで、大好きで、嫌いだ。
    胸いっぱいの苦しさを閉じ込めて、彼の匂いを頭がいっぱいになるまでかみしめる。とろり、目の奥が熱くなって融ける。
    「るぃ…、」
    どんな声だったろう。
    オレたち、どうして普通の恋人異性愛者と同じように過ごせなかったんだろうな。
    オレも類も、二人でいたらどんなものもハッピーエンドだなんて笑いあって、幸せだと信じてやまなかったのに。
    ごめ、な………ごめんな
    掠れた声が一つ、部屋に吸い込まれて消えていった。
    目の前の彼は不安そうな顔で夢を見ている。さらり、少し傷んだ髪を一撫でしてぎゅ、と抱きしめ返した。


    次に目を開けたときには、ベッドの上にいた。類がここまで運んできてくれたのだろうか。それとも、あれは夢だったのだろうか。朝日が目を刺してくる。日が、また巡る。同じことの繰り返し。無視されて、罵倒されて、ものを投げつけられる。
    大丈夫だ、慣れたはずだろう、と胸に手を置く。ベッドのシーツを手繰り寄せるが、そこに類の匂いはなかった。胸の真っ黒い穴が主張してくるようで、余計に苦しくなった。
    枕は2つあるのに隣の枕は使った形跡がなく、とどうしようもなく虚しくなる。
    時計を見るとそろそろ外に出る時間だったのでベッドから出る。帽子もサングラスもマスクも身に着けて、体型を隠せるように苦手な緩い服を着る。オレが天馬司だとバレてはいけない。そう思うと、息が詰まる。
    靴を履き替えてドアノブを押す。外の空気が刺々しい裁縫針のように肌を突く。歓迎されていないみたいだ、と一人で嘲笑する。
    これも夢だったらいいのに。ふと、そんなことを考えていた。

    なんとかしなければならないと思いながら問題に向き合わない態度には限界がある。あれ・・に真っ向から関われない怯えた僕は、そのことを改めて知ったのだ。
    『天馬司さんが──』
    あれだけ隈をつくって、毎日血を流しても食事はゼリー飲料しか取っていなかったのだからそうなるのは予想できていたはずだ。司くんが倒れた。それだけなのに、こんなにも心臓がうるさい。今回は彼が施したことじゃない。病院に運ばれた、という連絡に安心していいはずなのに。
    かたん、スマホが手を滑り床に落ちる。
    いかなきゃ。いかなきゃ。彼がいなくなってしまう!
    スマホを拾うことも仕事中だということも忘れて僕は病院名だけ必死に暗唱しながら走る。

    なんとか病院につき、302号室のドアを見る。室内は彼一人しかいないようだ。
    はあ、はあ、と早まった息を少し整えたあと、ドアを引く。
    「司くん、大丈──」
    驚きで思わず言葉を止めてしまう。

    彼は真っ白な部屋の、白いベッドの上で、自分の首を絞めている。
    視線は床へ向いていて、彼には何も見えていないようだ。
    「司くんッ、ねぇ、司くん!!」
    急いで駆け寄って彼の両手を自身の両手で包む。彼は無表情で僕の方をそっと見上げる。
    「…………、ぃ………ッ!!」
    手が真っ赤になるまで絞められていた首は僕の手によって開放され、彼は必死に息をする。

    「はー、ぅぐッ、はー、はー、ぜぇ、」
    僕は苦しむ彼をいつもどおり抱きしめることしかできなかった。彼はきゅ、と背中に回した手で僕の服を握ってくれるのでこれが僕の最適解だと思っている。僕に身を委ねてくれるということは、やはり彼はこの行動は間違っているとわかっているわけで。

    ぷつん。何かが弾けた気がした。瞬間、彼以外の全てがどうでも良くなった。
    なぜ僕らは互いに愛し合っていただけなのに写真一つでここまで堕ちなければならなかったのだろう。ショーが好きで、まっすぐにひたむきに夢を追いかけていたのに。そこらの不倫騒動よりもよほど潔白であるというのに。こんな世界、間違ってる。
    こんな世界で、彼が輝くには早すぎたんだ!
    「……ね、つかさくん」
    彼の名前を呼ぶ。僕の方に頭を押しつけている彼は顔だけ僕の方を見た。
    「ん……なに、るい…」
    まどろみの中で一生懸命彼は僕に答えようとする。本当に、天使を見ているようだった。苦しいはずなのに、そんな綺麗すぎる笑みを浮かべてしまって。

    「もう、終わりにしようか」

    彼の涙腺はここで弾けた。

    「る、ぃ……」
    「うん。なあに?」
    「迷惑ッかけるだけなのに、…毎日、あんなことッ、ほんとぅ…ごめッん、ごめんなさぃッ…」
    「……君はよく頑張ったよ」

    嗚咽を繰り返す彼の背中を撫でる。彼の言葉は泣き声でほぼ聞き取れないし、内容だって支離滅裂だ。それでも、彼が今救われようとしているのは確かで。やっと彼はもう少しで辛い思いをせずに生きていけるんじゃないか、と。やっと彼は泣くことができたんだな、と。
    困ったな。僕まで涙が出てしまう。

    「お疲れ様。もう大丈夫だよ。大丈夫なんだ。」

    二人の泣き声がただ響く。カメラでもなく、人でもない暖かな日差しだけが僕らを見守っていた。

    アパートの2階へかん、かん、と規則正しい足音を立てながら階段を上がる。気のせいか、音まで踊って聞こえた。それもそのはず、今日は彼の言う特別メニューが家で待っているのだ。
    一番奥の角部屋の前のドアの前に立ち、右ポケットから鍵を取り出す。鍵穴に差し込んで、ノブをひねり前に引く。
    「ただいま、司くん。」
    かちゃり。えむくんがくれた小皿の上に鍵を置く。この部屋の鍵は彼がお守りだ、とくれた手作りのくまのキーホルダーが1つついている。

    「おかえり、類! 今日はオレ特性、オムライスだ!」
    きっちりと着た服の上には僕が贈ったエプロン。胸元には学生時代にきていたジャケットと同じデザインの魚がいる。
    手を洗い、服を着替えて彼の待つダイニングへ行く。
    僕の分のオムライスはるい、とひらがなで可愛らしくケチャップで書かれていた。
    「フフ、美味しそうだ。いつもありがとう、司くん。」
    彼は幸せ満点な笑みを浮かべて、そうだろう、そうだろう!と自信満々に返してくれる。
    「それじゃあ食べようか。」
    僕もこの幸せを味わいながら胸の前に手を合わせ、合掌。

    「いただきます。」
    ワンルームに二人、前みたいにオートロックはないし、防音なんてほとんど効かないけれど。
    二人でならどんなものもハッピーエンドだ。彼の言葉は嘘ではなかったらしい。
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