Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    589

    ☆quiet follow Send AirSkeb request
    POIPOI 16

    589

    ☆quiet follow

    サヨナラの練習をする🎈🌟

    さよならエチュード 司くん何をしているの、と問う。ちょうど靴を履いた彼がいる。スーツケースにいつもより硬い表情、注意深く整えられた髪。対して僕は目覚めたばかりで、あちこちにぴょんぴょん寝癖を生やしている。ここにいるのは二人だけなのに、なんだか場違いな感じがして、恥ずかしくなった。
    『わかっているだろう、類』
    彼はそう言って、スーツケースをトントンと2回叩く。いや、知ってる、わかってる……はずなんだけど。わかりたくなくて。何をしているの、はきっと現実逃避から来た言葉だってとっくに理解はできている。だってほら、僕は頭がよく回る。
    『……最後まで黙っていてすまなかった。驚かせたくてだな。だがしかし類、お前は祝福してくれるだろう? なんてったって、この天馬司が世界進出する第一日なのだからな!』
    額に左手の指の先を押し当てて、右腕は長く長く伸ばして。いわゆるカッコいいポーズをした彼は、そう言って僕を見つめる。
    『……つかさく、』
    今なら嘘だって言っても許してあげるのに。いやでも、彼はそんな人が笑顔にならない嘘なんてつけない。名前を呼ぶ声は、中途半端にポンと僕と彼の隙間に落っこちた。
    『あ、もうこんな時間か! そろそろ行かねば飛行機に遅れてしまう』
    いつの日か僕があげた腕時計を慌てて見て、そんな台詞をなぞる。
     行かないでとか、言えない。恋人ではあるけれど、そういった事情でショーを手放すなんて、僕たちの本意ではない。後々後悔するのは自分だ。
     だから僕は、せめて温度を覚えていたくて、ぎゅうと無言で彼の背中に腕を回した。
    『! 急に抱きついたらびっくりするだろ』
    彼はおどけたように口にする。僕は安心した。声が少し、震えていたから。
    『突然いなくなるって言われたら誰だって寂しいよ』
    新品のジャケットを涙で濡らしたくなる。せいぜい乾くまでに僕を泣かせたことを後悔しておけばいい、なんて思った。
     でも知っている。僕が泣いても、彼は行ってしまう。
     そして僕が何よりも理解しているのは、彼は人の笑顔が特別好きだということ。ここで泣いてしまうのは、それこそ場違いだ。
     司くんの温度はお日様のように暖かかった。離してしまうのがどうしても嫌になってしまうくらい。だけど、そうだ。きちんと、お別れを告げなければ。
    (さようならは、笑顔で──)



    「いや、何してんの。」


    寧々の声に顔を上げると、果たしてそこは平日のワンダーステージ。おまけに僕たちは全員実家暮らしの高校生。
    「ああ! 寧々には言っていなかったか! 類がさよならの予行練習だと言って、たまにこういう即興劇をしているんだ」
    「はぁほんと、何考えてんだか……」
    呆れ顔の幼馴染は僕に向かってため息をつく。それから「腕時計まであげちゃってるのに」と通りすがりに吐き捨てられるという追撃。オーバーキルだ。ただでさえ先程の即興劇でセンチメンタルだというのに、彼女は容赦がない(思えば自分から仕掛けたことで自分が傷ついているのも変な話だ)。
     彼女は来たばかりなので、更衣室に向かっている。確か今日は担任との面談で少し練習に遅れる、と話を聞いていたのだ。志望大学書かなきゃ、とスマホで検索していたのを思い出す。
    (もうそんな時期なのか)
    寧々とえむくんが高校2年生で、僕たちが3年生。楽しい時間というものはすぎるのが早い。それに気づいて不安になって、咄嗟に司くんにさよならの練習をしよう、なんて言い出した春の気配は、とうにどこかへ消えてしまった。卒業へのカウントダウンが、もう始まっている。

    「……なぁ類、これ、本当に別れなければならないのか?」
    「僕もそうしたいところだけどねえ」
    練習の準備に取り掛かる僕を引き止めるのは単純な疑問の他に、不安そうに揺れるハイライト。彼はそんな目をして僕に尋ねてきた。腕も少し強い力で掴まれていて、なんだかいつもとは違う。しかし僕は平静を取り繕って答える。声がいつもより小さくなってしまったのは、気のせい。
    「類、おまえ、ほんとうは」
    彼が言葉にするのを止めたのは、多分僕の表情がそれ以上言わないでと言っていたから。
    そのまま逃げるように歩き出そうとすればするりと腕は抜ける。それに驚き、少しだけ視線を後ろにやると放心状態の司くんがいた。彼らしくないから口は開きかけたが、そのまま無視して歩き続けた。





    「……類!」
    屋上へヒラヒラと桜の花びらが舞う。卒業式に合わせて満開に咲いた桜は、僕たちの門出を祝福しているようだ。中学生の頃はあんなにも嬉しかったのに、今度はどうしても嬉しくない。
     聞きたいようで聞きたくなかった声の主に振り返ると、紙テープを盛大に被った僕の恋人。
    「なんだこれは! 卒業式から戻ってくるやいなや教室の机から飛び出してきたんだ! 仕掛けは面白かったが、少しは卒業式の余韻に浸らせてくれ!!」
    彼は平常運転でぷんすか怒っている。若干怒るポイントがズレているのも相変わらずだ。

     フフ、と僕が笑っていると、彼は高笑いをやめた。なにか失礼なことをしてしまったのだろうかと思うが、それも違うようだった。彼は口元に手を当てて、不思議そうに僕を見上げている。
    「…………どうしたの、司くん」
    しばらくの謎の沈黙の後、やっとのことで僕から話を切り出す。

    「……………………いや、」
    はー、と深呼吸して、彼からその物語は始まった。


    『……類。今日でオレたちは本当に、お別れなんだな』

    「……!」
    いつもと変わらないトーンなのに、これが本番なんだと心が理解する。

    『うん、そうだね。快晴で良かった』
    なんだか会話が続かない。演技ができない。役に上手く入り込めなかった。お腹の底で、ぐるぐると矛盾が回っている。彼の夢を応援したいと思っているのに、そばにおいておきたい。手放したくない。ちがう、予行練習の僕は、いつだって最後には、晴れた顔をして彼を笑顔で送り出すはずで。
     気持ちの整理のために練習を重ねたが、何も変わらなかった。
    『こんな天気だと──』
    『こんな天気だと、空を飛びたくなってしまうのかい? もう、仕方がないなぁ司くんは』
    彼は驚くほど練習どおりで、いくらか気持ちが落ち着く。
    いつもと違うのは、演技を終えた後には彼はもう隣にはいない、ということ。それだけなのに、それだけで僕は声がうまく出せなくなる。

    『違う、違う! 全く、いつもオレを飛ばすことしか考えていないんだな…………で、だ。神代類』
    彼にフルネームで突然呼ばれ、ぴ、と背筋が伸びる。
    『……オレはずっと、類のことが好きだぞ。それは近くにいても離れていても、変わらない。』
    合ってしまった目は反らせない。終わりが近づいているような話し方だった。
     寂しいのは僕だけなのか、と思う。なんだか自分だけ取り残された気分になってしまう。心臓のあたりがぎゅう、と縮こまる。目の奥から熱いものがこみ上げてきたので、ぐっと抑える。
    『卒業して永遠にお別れ、ということではない。まだ、会おうとしたら会える距離にいる。だから、そんなに悲しむな』
    彼の目の前で泣くなんて、それこそ場違いだ。なのに、一粒溢れてしまったものを認識した途端、涙は止まらなかった。ぽたぽたとコンクリートの床へ液体が染みていく。
    「ふふ、やっぱり、ちょっと寂しいね。本番は。」
    彼は笑顔が特別好きだと何よりも理解しているのに、体が追いつかない。くそ、せめて今、時間が止まってくれたら。

    「もっとずっと、君といたいよ。……司くん、」

    まだ、まだこれからだと思っていた。彼につけたい演出など数えたらきりがない。ころころと表情を変える彼の顔をずっと見ていたい。それは、たまに会うだけでは足りないものだ。
     涙を見られたくなくて、顔を伏せる。こぼれてしまう涙を一生懸命にジャケットの袖で拭う。びしょびしょでそこだけ冷たくて、重い。

     そんな僕を見てか、彼がふぅ、と大きく深呼吸をする音が聞こえた。何を言われるだろうかと身構える。



    「──その言葉を待っていた!」



    急に雰囲気にそぐわない声を張り上げ、ガサゴソとポケットを漁り始めた彼に、何事かと視線を上げる。出てきたのは一対の鍵。
    「ジャジャーン!部屋の鍵!だ!」

     彼はドヤ顔をして鍵を掲げたままキープしている。予想外の展開に涙は止まった。
     は。なになになに。わけわからないんだけど。それが鍵なことは知っているけれど、どうして二つある?
    「いや、卒業後、一緒に住もうと提案を持ちかけようとしたんだが、言い出す前に、類にさよならの予行練習をしようと言い出されてしまって……。そこから『本当は類はオレとさよならしたいのか』と不安になってだな……寧々に相談したら蹴られたが…………まぁだから、その、類から一緒にいたいと言われたら渡そうと思っていたんだ」
    「え、え?」
    「大学も近くなるようだったし……。あ! 安心してくれ、オレと類、一人ずつの部屋は確保している。なぜか他の部屋より家賃が特段安かったが、まぁ類がいればなんとかなるだろう!」
    とてつもない情報量にくらくらと目眩がする。ゆっくりと司くんの言葉を咀嚼していく。同棲、という言葉が頭に浮かぶ。彼とさよならしないためにと考え始めて真っ先に切り捨てた方法だった。
     つまり僕は司くんとお別れをしなくて良いということだろうか。むしろ、共にいる時間が多くなる……?

    ……マジ?

    「つ、つかさくん!!」
    頭の中はウルトラミラクルカーニバル状態で、思わず司くんに勢いよくタックルをかます。すかさず背中に腕を回して一緒に床に倒れ込んだ。彼は尻もちをつきながら、僕の下敷きになっている。
    「ぶへッ……おい、類!!自分の身長を少しは考えてくれ!尻が痛い」
    ごめんねの意も込めて、彼の頭をなでまわす。
    「先に言ってよッ!! 僕が!司くんと!さよならしたいだなんて思うわけないじゃないか!!」
    180cmの大男が、自分より小さい男性に甘えるようにしがみついている様子は、さぞ滑稽だろう。だが彼もまんざらでもないといった様子で、何も抵抗してこない。

    「……ッ類? ちょ、制服濡れて……!? 泣いてるのか!?」
    「だって、だっでゔれじぐで〜〜!!!」
    ジタバタとあばれていると、ホコリが立つからやめろと軽く注意を食らう。
     夢にも思わなかった。彼は一人でも走れてしまうひとだから。

    「それにな」
    彼はそう言って、抱きしめ返してくる。そっと見た彼の顔は赤く染まっていた。かわいいなぁと思いつつ、次の言葉を待つ。
    「オレだってさよならの予行練習をしたいと思っていたんだ。類の側にいられないのは、オレも──」
     

    「ねぇまだ? 集合写真撮るんじゃないの」

    司くんの言葉を遮るように、突然ガチャリと屋上のドアが開く。そちらを向くと、えむくんと寧々が立っている。寧々がうわ、と呆れ顔をするのが見えた。
    「おや。えむくんと寧々じゃ、」
    「ぎゃぁぁぁあ!!!」

     叫び声と共にするりと僕の体を抜けてしまった司くんによって、僕は床に叩きつけられた。地味に痛い。
     だけど、いつも感じていた即興劇の余韻の寂しさは一つもなく、じんわりと幸せが胸いっぱいに満ちている。僕は彼が渡してくれた部屋の鍵を、閉じ込めるようにギュッと握りしめた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    recommended works