ヒーロー、やめます。「恋を自覚したら魔法少女って変身できなくなるらしいよ。」
都市伝説だけどね、と前の席の同級生が言った。座ったまま振り返り、背もたれに肘を付きながら。数日前、アニメを見始めたんだと彼は言っていた気がする。なんでもない日の、昼休みのことだった。衣替えが終わり、半袖を着ても暑いと下敷きをパタパタするような時期だ。
「む。そうなのか。」
動揺を隠しながら返事をする。きっと急に話題を振られたから困惑していると勘違いしてくれるはずだ。冷房の中、手のひらはじんわりと湿り気を帯びているが気づくまい。ショースターになりたいと幼い頃から培ってきた演技力がどうにかしてくれる、はず。
彼はショーの脚本の手がかりになるかな、と冗談らしく言った。そういえばヒーローであることを隠すために、念の為芝居をしていると嘘をついていたのだ。そうだな、ありがとうと笑って窓の外を見やる。
研究所へ向かいながら考えた。オレがやっているヒーローというものは、魔法少女と同じようなものだろう。この世界に魔法があるかとうかは定かではないが、ヒーローになる時に与えられた道具はそれを信じてしまうほどトンデモなのだ。一振りすればヒーロー衣装に着替えられるステッキ、手をかざせば剣に変わるブレスレット。ボタンを押すとオレの背後で爆発が起こるのは……魔法ではないだろう。
もしオレが魔法少女の一種だとしたら、だ。恋をすると、変身できなくなる。頭に浮かぶのは紫苑色の髪に、シトリンの瞳。体型を覆うように上着を羽織る彼。振り返るたびに翻るそれは、まるで王子様のようで。
(……やはり、かっこいいな。)
そう思ってしまうのは、絶対に秘密にしておく。……というかそもそもこれは恋心ではない!
類道寺博士。彼とオレが出会ったのは、数ヶ月前のごくありふれた日常の中だった。何度目が忘れたが、ショーキャストの面接に落ちた帰りに、枝に絡まった風船を取って子供に渡した時だった。
「今の身のこなし、高所をもろともしない勇敢さ。……さらに、人助けを微塵も躊躇しないその真っ直ぐな心!」
第一印象は変人だった。街なかで急にオレを褒めまくるなんて、頭がイカれているのではないかと。流石のオレでも大声で分析されては冷静になって(いつでも冷静だが)、素直に赤面してしまう。
「フフ……完璧だ。」
怪しげな小声にはっとして正面を見ると、オレと同じくらい良い顔があった。しかしヤバい表情をしている。マッドサイエンティストという言葉が頭に浮かぶ。
「ねぇ、君。」
左手を差し出す彼は、その私服のチョイスでなければ雑誌の表紙になりそう。怪しいものではないよ、と言いたげに微笑む。逆に不気味さが増したが。まさか本当に実験台にされるのではないだろうな!?
「僕と契約して………あ、間違えた。」
どういう言葉選びをしているんだ? 気が抜けてハ、と乾いた笑いが出る前に、彼はこほんと咳払いをし一言。
「僕と一緒に、シブヤの街を守らないかい?」
なんだこいつ。目の前の男は正気なのだろうか。じ、と彼の目を見つめてみる。
でもまあ、そのちょっとおかしな提案に、なんだかワクワクするようなものがある気がした。怪しいが、悪くない。
「まずは話を聞こう!」
まずは1つの直感にかけて。そう応えたオレも、彼と同じように変わり者なのかもしれない。
ヒーロー生活は学校生活と両立する必要があると聞いていたけど、案外のんびりとしていた。怪人を倒し、パトロールをするだけ。寧々子もネネンガーVもいるから、敢えて言うなら暇だ。
大変なのは博士の実験だろうか。実験台ではなくてよかった、と安堵していると彼の「おや、実験台になりたいのかい? 丁度欲しかったんだ。」という言葉に答えられず、事実上合意ということになってしまった。毎日のように早口で説明する博士が恐ろしい。今日は10m飛ぶだとか。ワクワクって、こっちのことか。むしろヒヤヒヤなんだが。くそー、と頭の隅のオレが地団駄を踏む。しかし嫌ではない。怪我もしていないし、むしろ充実した楽しい日々を送っている。
◆
その類道寺博士が今、オレの肩に寄りかかりぐっすり寝ている。研究所についてからも椅子に座ってぼーっと考えているうちにやられてしまったようだ。このような密着はしたことがなかったから、急激に心拍数が上がっていた。うまく博士の顔を見られない。おい、ペガサス・ザ・シャイニング、類道寺博士のマヌケな寝顔を見れるんだぞ。そう思ってみても触れた肩のあたりから熱が広がり、叫び出したい気分に襲われる。うまく体が動かない。この気持ちを知っているような気がするが、自覚したら最後……だろう。一種の気の迷いだ。いつもの実験で吊り橋効果というものになってしまったのだろうか。
ふー、と一旦気を落ち着かせ、ぎこちない動作で博士の顔を見る。
「………!」
まつげ、長いな。それに、意外と博士は可愛い顔をしている。血行がよいのだろう、少し頬を染めた寝顔に母性を感じる。いつものフフ、フフフと怪しげに笑う博士を思い浮かべる。暴力的なほどのギャップに殴られた気分だ。
──好きになってしまうだろう!?
ふと思ってしまった言葉に、おっといけないと訂正する。まずい、変身はできるだろうか。好きになってしまう、だからセーフかもしれない。
そもそも、恋をするってどこからだ?
万が一と思うと、いてもたってもいられない。
急に立ち上がると背後でゴン!と派手な音がしたが気にしないことにした。
「……博士ー!!パトロールに行ってくる!」
「う、ぅん………いってらっしゃい。」
ぐへ、と床の方から博士の声がした。
あの後、無事に変身はできたわけだが。安心するも束の間、気づいてしまう。心配なのはこれからだろう。もし今回と同じように急に近くに博士がいたら?触れてしまったら?
……そして、好きだと思ってしまったら?
きっと、オレがヒーローとして活動することはできなくなってしまう。オレは、この仕事が好きだ。数が少ないとはいえ、人助けをしたときに感謝をされて胸がぽかぽかする気持ちや、変身後の名のり口上を考えることだってまだ物足りない。最大のデメリットといえば、寧々子と、ネネンガーVと、エムゥと、……類道寺博士と。会う理由がなくなってしまうこと。
(それだけは、絶対に嫌だ。)
せっかく見つけた居場所なのに。
だからオレは、恋をしてはいけない。
博士を避けるようになった。研究所につくとすぐにパトロールに行くし、メンテナンスも自分でやると言ってしまった。もちろん無理なわけだが、今後のオレたちのためだ。耳元で本名を囁かれようが後ろから抱きつかれようが全部無視した。その後すぐに変身できるか確認するために外に出る。罪悪感はあった。博士の顔を見るのが辛かった。
そんなとき、寧々子に尋ねられたのだ。「ペガサス、博士のことどう思ってるの?」と。
「い、いや………それはだな、」
なんて答えたら良いかわからなかった。尊敬する博士?年の差のある友人?……どれも、違う気がする。
「ペガサスは類道寺博士に触れられた時、どう思った?」
「体が熱くなって……うまく、頭が回らなかった」
「博士にハグされて、悪い気はしないの?」
「むしろ、もっとしてほしい……というか。」
「じゃあペガサスは、」
寧々子の質問が止まった。何かを覚悟したような、強い瞳だった。しん、と静まり返る音が聞こえた気がした。
「寧々子──」
「答えは、もう決まってるんじゃないの。博士は受け入れてくれるよ。」
──え?
答えって、なんだ。
ヒーローに変身できなくなることを、博士が受け止める?
そんなわけ、ないじゃないか。受け止めるということは、オレがヒーローをやめて元の生活に戻るということで、研究所には類道寺博士と寧々子しかいなくなって。それで充分、だというのか。
……まるで、オレがいらないみたいな。
悟ってしまった博士の本音に、ズンと体が重くなる。震える唇を抑えて、ぐっと熱く揺れる目の奥も止まれと念じて。
「……わかった。」
オレから出た声はヒーローなんてとても言えない、弱いものだった。
◆
博士にヒーローをやめると伝えに行くことにした。
今はまだ変身できたが、いつできなくなるかわからない。急に戦力にならなくて忙しくさせてしまうよりは、今辞めてしまった方がマシだろう。
きっとオレは、類道寺博士が好きだ。最悪な形で恋を自覚してしまったが、今更なかった事にはできない。せめてあの日からの彼の温度や声を、思い出をずっと覚えていようと足掻いている。そのくらいのことは許してくれ。そう、心のなかで願っている。
研究所のドアをくぐって、その先には類道寺博士がいた。怒っているのか、わかりやすく頬を膨らませて、腕を組んで仁王立ちしている。
「類道寺博士──」
「ペガサスくん。」
オレの言葉を遮った声は、りんと響く。ここにはオレと彼以外、誰もいない。彼の声に圧倒され、オレは博士を見上げることしかできない。
「言いたいことが、あるんだろう?」
優しいような、緊張しているような。彼の声は、いつもより感情が表に出ている。めったにない様子に、どうにも彼の顔が見られない。
(そんなに、やめてほしかったのか。)
当たり前か。何しても無視して、メンテナンスもしばらくしていない。怪人と戦おうものなら怪我はするし、あげだしたらきりがないのだ。
捨てないで、欲しかったな。わがままだがそう思ってしまう。日常が、楽しかったから。出動の帰りに博士が奢ってくれるバニラアイスが美味しかったから。頭を撫でてくれる手が、溶けるほど幸せだったから。
「…すまない、博士。」
「オレはヒーローを、やめたいと思う。」
ひ、と息を鋭く吸う音が聞こえた。
思っていた反応と違い、慌てて彼の方を見ると顔を真っ青にして、目を見開いて口をはくはくと動かしていた。
「………どぅ……し、て」
絞り出されるように彼から出た言葉は、不安や恐怖が入り乱れていた。彼は手を口に当て、目をせわしなく左右に動かす。一歩、二歩、と後退りし、地面にへたり込む。
「…博士?」
彼はゆっくりと頭を振り、続けてほしいと揺れる瞳で見つめてくる。感じ取れるのは、拒絶。不思議に思う。オレがやめて、博士は受け入れてくれるはずだと寧々子は言っていたのだ。
「どうして、やめるなんて……」
力のぬけた声が聞こえる。オレもしゃがんで、博士を真正面から見つめる。
「魔法少女って、恋を自覚すると変身できなくなるんだろう?」
思わず真顔で言ってしまう。字面こそ愉快だが、オレにとっては深刻な問題だった。彼はこんな時に何を言っているんだと首を傾げていた。
「オレも、自覚してしまったから。」
何を言いたいのかわかったのだろう。博士はがし、とオレの肩を勢いよく掴み、じっくりとオレを見る。そんなに見られたら恥ずかしい、耳が熱を帯びてくる。そんなに近くに迫られたら、言いたくないことまで口走ってしまいそう。
「博士のこと、好きになってしまったんだ……っ」
もう、ヒーローはできない。告白をするときのかっこいいポーズも開発していたのに。これじゃあかっこいいどころか、情けないじゃないか。好きだと言ってから目の奥の熱が溢れ出て、止まらない。えぐえぐと泣き出してしまったオレに博士は無言で抱きついて、頭をなでてくれていた。
やっぱり、博士は大人だ。普段あれだけオレを振り回して、寧々子に呆れられて、同い年くらいに見える様子だったのに。今は大きく見える。ずるいな。離れたくないって、思ってしまう。博士はそんなことを思っていないはずなのに、両思いを期待してしまう。
「ねえ、ペガサスくん。聞いて?」
抱きしめあった状態をそのままに、博士は言った。なに、と一生懸命に返すと、ふふ、と彼は笑う。どうして嬉しそうにしているのだろう。オレの髪を一握り手にとって、くしゃ、と握る。
「僕も、同じ気持ちさ。」
ぎゅう、と抱きしめる力が強まる。二度と逃さない、なんて言われているみたいで。たしかな繋がりに、胸がいっぱいになる。一つになっていくような感覚がする。ヒーローをできなくなっても、彼はオレと一緒にいてくれるらしい。
彼の肩口に顔を埋め、照れ隠しするように頭を擦り付ける。オレの髪が当たるのか、博士はくすぐったいよ、と困ったように笑っていた。
「あ、そういえば。」
「僕の作ったものはすべて機械だから、君は魔法を使っていないよ。」