【いかないで】とある夏の暑い日の事だ。
僕と門倉さんは、夜中、まだ猛暑が残っているような纏わりつく暑さの中を、ふと思い立ってコンビニまで向かっていた。
まあ、僕が言い出した事なんだけど。だって、こんな暑いのに、門倉さんの冷蔵庫の中、酒つまみしかなかったんだよ?ありえないでしょ。せめてアイスくらいは常備しておいて欲しい。
まあ、そんなこんなでひとしきり喚いたら観念したのか、財布を持ち出して僕と共に外に居る訳だ。まだ「このくそ暑い中」とか、「明日でいいじゃん」とかぶつぶつ言ってるけど気にしない。どうせ明日になったところで、この人は同じように文句言うだろうから。気にするだけ無駄だ。殴らないだけ僕はとっても優しい。
「門倉さん、何食べます?僕あれがいいな。スイカのやつ」
「あー、あれね。俺はそんなに……」
「折角なら今しか食べれないやつ食べたらいいんじゃないですか?あ、限定のやつあるみたいですよ。僕これにしようかな」
「スイカのやつなんじゃねぇのかよ……」
「スイカのやつもこれも買えばいいじゃないですか。あ、すごいや、こんな味も出てるんですねぇ」
そう笑いながら、何を奢ってもらおうかとスマホで話題のアイスを調べているときだった。不注意とはまさにこの事。歩きスマホはやめましょうと、これ見よがしに貼られた駅のポスターの存在も、当事者にならなければ思い返す事すらない。
「宇佐美!!」
叫んだ声と共に、ぐい、と腕を引かれる。え?と思うより先に、鋭いライトとクラクションの音が耳をつんざいて、そのまま大型のトラックが目の前を通り過ぎていった。
「っぶな、もー!信号無視!?あのトラックの会社どういう神経してんの!」
一瞬自分のせいかと思って顔を上げるが、信号はきちんと青を示していた。となれば、僕は悪くない。いや、前方不注意歩きスマホしていたから完全に悪くないわけじゃないけれど、それでも向こうの方が悪い。うん。そういうことにしよう。
驚きと少しの恥ずかしさを紛らわすために、ぷりぷり怒りながら、「ねえ、信じられないですよね!」と門倉さんの方を見やれば。まだ僕の腕をしっかりと掴んだまま、固まっていた。
絶望と悲しみを内混ぜにしたような、ぐちゃぐちゃの表情を浮かべたまま。
「……門倉さん?」
「……あ、ああ、すまん。……危ねえだろ、歩きスマホやめろよ」
「ええ……すみません」
僕にしては、珍しくスッと謝罪の言葉が出てしまった。それくらい、今の門倉さんの表情はひどいものだったから。
それでも、何度か確かめるように僕の腕を握ると、ようやく満足したのだろうか、スッと手を離した。
「ねえ、門倉さん、どうしたんですか?」
「五月蝿ぇ。ほら、さっさと行くぞ」
差し出された手を握れば、それは少し震えていた。
らしくない。というか、手を握る事もそうだが、この人は何に怯えているのだろうか。
僕はこの時、気が付かなかった。
前世で、大事な人に置いていかれ続けた門倉という男が、他人の死というものに、非常に敏感になっているという事に。
この時、彼がつぶやいた「俺をおいていくな」という小さな小さな悲鳴は、横を通り過ぎる車の音にかき消され、僕の耳に届くことはなかった。