こわいひと門倉部長は、僕の事を「恐ろしい奴」だとか、「恐怖の象徴」だとか、非常に失礼極まりない事を言ってくるけれど、本当に怖い人間というのは一体何だろう?と考えた事がある。
人間は、「分からないもの」を怖がる傾向にある。
幽霊や妖怪の類なんて、まさにその象徴だ。実際に見た事がある人のほうが少ないのだから、いくらでも想像で恐ろしいものを生み出してしまえる。
世間で流行っている病も同じだ。
それを治す方法が分からない。なったらどうなってしまうか分からない。だから怖い。
だとしたら、僕なんてとってもわかりやすいから怖くないはずだ。
だってそうでしょう?
僕は一途だ。今も昔も。
僕は執着が人よりも強い。
その執着の矛先が自分で完結できるものならいいけど、僕の厄介な所は人間にも容赦なく向くところだ。
そして、人間に執着が向いた場合、その相手が僕をきちんと認識していないと気が済まない。
どんな形でもいい。それこそ、利用という形でもいい。
ただ、「僕」という存在をきちんと認識して、そしてその人の中で「なにか」の一番になれていればいい。ただ、その形式は問わないというだけ。
そのためなら僕はどんな事だってやってのける。
それこそ人殺しだって、その人が僕に「一番」をくれるなら、なんだってやれる。
それが僕という人間だ。
だから、門倉部長は僕の事を「怖い」というけれど、恐怖を与える事なんて何もないはずだ。
そりゃ、猫を被って僕を隠していた時だったらその恐怖も分かる。
だって隠してたんだから、僕の本質なんてわかりゃしないのだから。
でも、今は違う。
前世のあの時のように、話す時間も何もなかった時とは違うのだ。
今は僕らは共にすんで、セックスまでする仲だ。
あまりにも門倉部長が僕の事を怖がるものだから、ため息交じりに「僕」という人間を教えてあげたのに、あろうことかあの人、「それはとっくに知ってる」とかほざいた。
だったら何も怖くないでしょうに!と言ったけど、彼は「この先の未来が怖い」のだという。
それなら、分かる。「未来」は不確定要素だ。
でも、そんな未来を怖がってどうなると言うのか。
「今」の僕を見て欲しい。今の僕は、こんなに貴方を見ているというのに。
貴方しか見ていないというのに。
そう文句を言えば、「歳をとればお前も分かるよ」とか、もっともらしい事を言ってはぐらかす。
ねえ、門倉部長。
それじゃあ、貴方は一体何なんですか?
僕は貴方の本音を、ひとかけらでも見た事があるだろうか。
怖がりなのは分かる。諦め癖が酷いのも、悪運が強くてドジでマヌケなのも。
でも、貴方からは、一度だって心の中を見せてもらった事なんてない。
優しく僕を撫でる手も、かわいいと言ってくれる言葉も。
貴方が人を欺く事にたけている「たぬき」なのは知っている。
だからこそ理解ができるのだ。彼は、本当の事を小出しにしながら、一番大事な所に、誰にも触らせてくれないのだと。
貴方が怖いというから、僕がこんなにも全てを見せているのに、それを受け取ってくれない。「怖いから」という曖昧な理由で、向き合う事から逃げているんだ。
ねえ、門倉部長。
貴方は本当は何が怖いんですか?
貴方は本当は何がしたいんですか?
貴方の中に、本当に「貴方」は居るんですか?
貴方の中身はいつだって「誰かのため」しか入っていなくて、
そこには貴方自身が何もない。
門倉という人間の本質が分からない。
ふわふわと煙のようで、すぐ消えてなくなってしまいそうなのに、何をしてもずっとそこに居る強さもある。
体力なくて弱っちいのに、時々こちらが驚くくらいの意志の強さを見せるし。
弱いくせに必要とあれば、簡単に、まるで自分の命がそういうものだと、当たり前のように捨てようとするし。
目が離せないんです。
何をするかわからないから。予想なんてできないから。
ねえ、門倉部長。
僕のほうが、貴方の事が怖いんですよ。