ヘルルス書きたかっただけ「ルスレイ、どうしたんだ?それ」
緩やかな昼下がり。ヘルメロはルスレイに問いかけた。
今日というのはヘルメロにとって、久々の休日であった。浮き足立ったヘルメロは、朝から馴染みの店で小さなバゲットを買い、店主と他愛のない話をしてから花屋に顔を出した。そこで気に入ったものをいくつか見繕って、これまた小さな紙にくるんで、そして自室に戻ったのだった。
帰ってみるとそこには、手のひらほどの紙切れを手にして黙り込む──同じく今日はオフの──ルスレイがいた。休日はたいてい本を読んで過ごすか、気だるげに外を見ながらベッドで横になるばかりのルスレイが。
ヘルメロは花をデスクの上の花瓶に挿して、バゲットの最後のひとかけらを口に放り込んだ。
「本は今日はいいのか?」
「書庫に新しく追加されたものはもう読んだからいい」
「そうか。で、何をそんなに熱心に?」
「………部下に、これを」
「なんだ……?って、雑貨屋?」
紙に書かれていたのは、少し離れた区画にある店の場所と、まぁ簡潔に言えば、ルスレイに店に来て欲しいというものだった。
ヘルメロにも聞き覚えがあった。アクセサリーや置物、衣服から香水まで揃えた店を新しく構えた神使がいるらしいと、自分の部下が言っていた。
「別にただ部下のやっている店に行くというのは構わない。ただ、俺はこのような店には普段行かないから」
「そうか……。君、とんと娯楽ってものに興味が無いからな。娯楽というか、生活を豊かにするものにさ」
「そうでもないと思うが」
「いーや、そうだね!だって君の私服、支給されたものか僕が買ってあげたものしかない!君のデスクもそうだ!本以外何も無いじゃないか!無頓着すぎるだろう、いくらなんでも!」
急に大きな声を出すな、とルスレイは顔を顰めた。だが現にルスレイが今来ている緩い普段着もヘルメロが買ったものである。
ヘルメロはふと息を緩めると、眉を下げてルスレイを見た。
「けど、まぁ、言いたいことはわかったよ。あんまり気が乗らないんだろ?ただ小物とかばかり置いてる店なんて」
「…………まぁそうなる」
少しだけ遠くを見るような仕草をしたヘルメロは、頬を掻きながら口を開いた。
「……じゃあ、僕と行かないか。君の代わりに何かしら買えば、部下にも悪くは思われないだろう」
ヘルメロはそう言って、ルスレイの手から紙切れをひょいと取り上げた。
そしてハッとしたように肩を強ばらせたヘルメロは、両手を顔の前でぶんぶんと横に振った。
「あぁいや、別に、君が嫌って言うなら、いいんだ。僕が行って、部下にも話をしておくから。だから……」
「わかった」
ルスレイは頷いた。
ヘルメロは動きを止めた。
「ルスレイ、……それってどっちの意味の『わかった』だ?」
「一緒に行く。そういうことだ」
「え、あ、うん。よ、よかった…………」
少しだけ驚く顔をしたヘルメロのことを気にすることもなく、ルスレイは部屋着を脱ぎ、これまたヘルメロが買ってきた外着に袖を通した。
*
「……これなんていいと思うけど、あぁいや、やっぱりこの色かな……」
店に着いてからというもの、ヘルメロは棚に陳列されたアクセサリーの類にひっきりなしに手を伸ばしては、ルスレイに試着させるようにかざしてみせた。
ルスレイは少し訝しげな顔をした。
「ヘルメロ。きみ、さっきから俺に合わせるものしか見ていないようだが」
「あ、えそうだったか」
完全に無自覚でしたと言わんばかりの動揺具合で瞬いてみせたヘルメロは、しかしすぐに頬を人差し指で掻いて目を逸らした。
「…………君は、美しいから。無粋に飾り立てるのはナンセンスだけど、君の美しさを引き立てるものは、あっていいだろう」
美しいと言われたルスレイは特に表情を変えることもなく返す。
「そうか」
そして、そのまま背を向けて別のコーナーへ向かってしまった。本の栞を見繕っているらしい。
「ルスレイさんって、プライベートでもあんな感じなんですねぇ」
ルスレイを店に招いた張本人である後輩の男が、店の奥から出てきて言った。
「無愛想なとこはあるけど、まぁ今更だよ。ツンツンしてないルスレイの方が奇妙だしね」
「好きなんでしょう?ルスレイさんのこと。それなのによく平気ですね。僕はもっとカワイイ態度の人がいいかな」
「好きっていうのとは違うけど……まぁ、彼の美しさをこの世で一番に評価しているからね、僕は」
「性格なんて二の次ってことです?」
「…………いいや、撤回しよう。やっぱり僕って、彼のことが好きなのかもしれないな。それはそうと、案外彼はカワイイところもある」
へぇ、と意外そうな顔をした男は、すぐに興味も失せたのかルスレイから視線を外して、ヘルメロがずっと手に持ったままのアクセサリーを指さした。
「そういえばそれ、買います?」
「…………うん。買わせてもらうよ。まぁ、君も趣味で店をやるのは構わないけど、紺楼院の仕事も頑張るようにね」
「わかってますよぉ」
栞を選んだルスレイも寄ってきて、何の話をしていたんだと聞いたが、ヘルメロも男も特に何も言わなかった。
*
帰りがけ、ヘルメロは途中でいつもの道から外れた。石畳の色が切り替わって、少し暗い路地に入る。
「なぁ、ルスレイ。お酒買っていかないか」
「飲むのか」
「たまにはいいだろ」
この先、僕がたまに行く店があってね。そう言いながら進んで行った先には、白い布で覆われた屋台があった。
「あれ、今日は閉まってるのかな」
「先に確認しておけ」
「確認のしようがないだろー?みんな店を開けるのは気まぐれだ」
神使は生きるために食事も必要ない。生活のために金銭を稼ぐことに特段必死にならなければいけないわけではないのだ。だから店をやっている者は稀だし、いつ店を開けても閉じても、金が稼げても稼げなくても、誰も気にしない。
仕方ないかと踵を返した2人だったが、その背に少女のような声がかかった。
「あら、ヘルメロくん?」
布の裏から出てきた少女は、ヴァルグロウニャよりも少し背のあるくらいだ。ヘルメロはたっと少女に駆け寄った。
「あぁ、久しぶり!店、今日はもうやってないのかい?」
「そうだけど。でもいいよ、酒買いに来たんなら」
「本当かい」
彼女のどこか落ち着いた言動に、少女の見た目をしつつも、もしかしたらヴァルグロウニャよりも年長なのかもしれないなとルスレイは呑気に考えた。
「べっぴんさん連れて、随分楽しそうねぇ。いつもヘルメロくんが言ってる美人さんってこの子のことなのねぇ」
少女はルスレイとヘルメロを見てにっこり笑った。ルスレイは不思議そうな顔をしてヘルメロを見た。
「…………?」
「ちょ、ちょっと!余計なこと言わないでくれよ!」
「かわい子ちゃんいるからサービスしとこうねぇ」
「え、それはありがたいな……」
訂正を入れる(別に訂正するところもないのだが)間もなく、少女は酒瓶を布でくるんで1本ずつ2人に持たせて送り出した。
流れのまま再び帰路についた2人だったが、ルスレイは少し呆れたような顔で歩いていた。
「ヘルメロ、きみ……酔った勢いで会派内の機密情報を漏らしたりはしてないだろうな」
「あ、当たり前だろ」
*
「ルスレイ」
「なんだ」
「きみ、酔ってるだろ」
「そうか」
「もう!自分の酒耐性もわかってないのか」
ヘルメロとルスレイの部屋はただパーテーションで仕切られているだけで、言ってしまえば相部屋だ。そして今日はそのパーテーションすらどけて、ソファに並んで2人は酒を呑んでいた。
2杯目にしてすでに眠たげに目を擦っているルスレイを見て、ヘルメロは首を傾げた。
「君ってそんなに酒が飲めなかったか?そもそも飲まないのか」
「…………べつに、飲めなくはない…………」
「わかった、わかったよ」
休日に外出したのも疲れたのかもな、と思いつつ、ヘルメロは隣に座るルスレイの顔を見ていた。
「あ、そうだ、買ったんだった」
ふとヘルメロは声を上げた。部下の店で買ったアクセサリーは、まだ紙袋に入ったままだった。机の下に置いていた袋をとって、そっと開けた。
「なぁルスレイ、これ付けてみてもらっちゃだめかな」
ルスレイはやはり眠そうな目で、ヘルメロが手にしているもの──金の髪留め──を見た。
そして、酒が入ったグラスを机にゆっくりと置いてから、「ん」と、自分の頭をヘルメロに向けた。
ヘルメロは動揺した。それはもう動揺した。
「…………う、うん、わかった。ぼ、僕がやればいいんだな」
そっとルスレイの髪に手を伸ばしたヘルメロは、丁寧な手つきでその金髪をまとめていく。神使の髪はコアの修復機能のおかげで何もせずとも美しいままだが、それでもヘルメロにはルスレイのものだというだけでより一層輝いて見えた。
「────きみが、生きていてよかった」
しばらくして唐突に、ルスレイは言った。
「あの時きみが、自分の命や……精神性の無事を賭けてまで俺を救おうとしてくれたこと、……感謝してもしきれない」
ヘルメロは急な話に目を見開いた。そして同時に、纏め終わったルスレイの長い髪から手を離した。
「どうしたんだ、ルスレイ。急に…………酒が回ったか?」
顔を覗き込めば、ルスレイはやはり眠そうな顔をしていた。だが、視線が合った。
「…………」
確かにヘルメロは、ルスレイが死にかけたあの時、自分のコアを半分投げ出してまでルスレイのために尽くした。
だが結局精神には不具合が出たし、そもそもそんなことをしたってルスレイが助かるという保証もどこにもなかった。
だがヘルメロがそうしたのは、ただのいつもの芸術への陶酔ではない。
「……君の左目が、顔が、身体が傷付いた時、本当に……僕は、気がおかしくなりそうだったよ。けどそれはただ君の芸術的価値を認めているというだけじゃなくて…………」
ヘルメロはそっとルスレイの頬を両手で包んで、その左目を覆う前髪を静かにずらした。
酒に酔っていても、2000年前から変わらない青い光が、そこに見えた。
「僕はあの時、君があのまま死んでしまうんじゃないかって、怖かった」
ルスレイは黙って話を聞いていた。ヘルメロはルスレイを抱きしめて、肩に頭を埋めた。
「君がどんな見た目をしていたとしても、きっと僕はそう思って、また僕のコアを差し出すよ」
ルスレイは控えめにヘルメロの背に手を回した。
「そうか」
それは昼間と同じ返事だった。しかし、ヘルメロから顔は見えずとも、その声は笑っていた。
「もう寝るかい?ルスレイ」
「…………うん」
「なんだか今日は素直だなぁ」
ヘルメロはルスレイの手を引いて立ち上がらせると、彼の寝台まで連れていった。本当に眠たいのかルスレイの足はもたついていた。
やっとの事でシーツに潜り込んだルスレイに、ヘルメロは微笑みかけた。
「じゃあ、お休み。また明日だな、ルスレイ」
「……うん。お休み」
そしてヘルメロは、いつもの部屋を仕切るパーテーションを動かそうと背を向けた。
しかしその袖口を、後ろから引かれる。
「ん、どうしたんだ?ルスレイ」
「…………しめなくていい」
ヘルメロは少し考えた。閉めるなって、このパーテーションのことか。……閉めなくていいのか。僕とルスレイのプライベートを分ける線だけどな。閉めるななんて、そんな事今まで言ったことがなかったけど。
「……わ、わかった。閉めないでおくから、早く寝るんだぞ」
「うん」
返事を聞いてそのまま寝入ったらしいルスレイの顔を見ながら、ヘルメロは寝台のすぐそばにしゃがみ込んだ。
「それってどういうことだよ、ルスレイ……まったく、確かにずっと素直だったらかわいいんだけどなぁ」
*
数日後、部屋の境界線を超えてくるヘルメロの私物に嫌な顔をしたルスレイが自らパーテーションを閉めたので、やはりパーテーションは続投となった。