熱 五月も終わりになると、気温はすっかり初夏になった。外に出るにも上着は要らないし、運動をすると汗がぽたぽたと滴る。衣替えの季節だった。
この季節になると、困ることがある。僕の家には、中間の布団が無いのだ。春の布団を片付けてしまったら、ペラペラの夏布団しかない。この微妙な気温の中では、夏布団だと心許なかった。
仕方なく、僕は春の布団に身体を潜り込ませる。少し暑いが、眠れないほどではなかった。何度か寝返りをうちながら、毛布の中で横になる。
隣に、ルチアーノが潜り込んできた。音も立てずににじりよると、ぴったりと僕の身体に張りつく。子供特有の高い体温が、服越しに伝わってきた。
僕は困ってしまった。甘えてくれるのは嬉しいが、僕は暑さを感じるのだ。あんまりぴったりとくっつかれると、暑苦しくて眠れなくなってしまう。
熱はじわじわと伝わり、僕の肌を暖めた。汗が滲み始め、触れている部分が湿気を帯びる。じめじめとして気持ち悪かった。
僕はゆっくりと身体を後ろに動かした。触れている部分を離し、布団を浮かせて風を通す。冷気が流れると、汗が風に触れてひやりと冷えた。
ルチアーノは不思議そうな顔で僕を見上げた。小さく首を傾げて、再び僕の隣ににじり寄る。肌がぴとりとくっついた。
それからは、我慢比べだった。僕は熱気に距離を取り、ルチアーノは黙って身体をくっつける。お互い無言のまま、布団の中での攻防戦を繰り広げた。
何回か繰り返すと、僕には逃げ場がなくなってしまった。ルチアーノによって壁際へと追い詰められてしまったのだ。仕方なく、僕はルチアーノの身体を押し返した。
「悪いけど、ちょっと離れてくれないかな?」
ルチアーノは不満そうに頬を膨らました。大きな両目を軽く吊り上げて、子供のような表情を見せる。僕を見上げると、拗ねたような声で口を開いた。
「何でだよ。いつもはくっつきたがる癖に」
確かに、普段の僕は彼にくっついてばかりいる。距離を取りたがるのは、不自然に見えてもおかしくなかった。
でも、今はくっつきたくなかったのだ。ルチアーノは小さくて、普通の子供よりも体温が高いのだ。ずっと触っていたら、火傷してしまいそうだった。
「だって、今は暑いから……」
おずおずと言うと、彼は目を細めた。じっとりとした瞳で僕を見上げる。
「だったら、涼しい格好をすればいいだろ。こんな厚い布団に入るんじゃなくてさ」
「これよりも薄い布団は、ペラペラなのしかないんだよ」
「なら、冷房を入れたらどうだ?涼しくなるだろ?」
「まだ、そういう季節じゃないんだよ。エアコンは電気代がかかるから、あんまり入れたくないんだ」
答えると、彼は大きくため息をついた。呆れた声でこう返す。
「面倒くさいやつだな。そういうやつが熱中症ってのになるんだよ」
耳が痛かった。この時期になると、熱中症の話はよく聞くのだ。僕も、そのうちかかってしまうかもしれない。
「そうならないためにも、しばらくは距離を置くからね」
そういうと、僕は布団を浮き上がらせた。隙間から、冷たい風が通り抜ける。汗ばんだ身体が冷やされていった。
そんな僕を見て、ルチアーノはにやりと笑った。僕の身体に触れると、からかうような声を出す。
「暑くて近づけないなら、身体を冷やせばいいんだよな?」
「え?」
「冷たいものがあれば、布団のなかでも暑くないだろ。それなら、僕に考えがある」
そういうと、ルチアーノは黙って目を閉じた。しばらくすると、再び目を開く。布団を上げると、自分の身体を示した。
「ほら、触ってみろよ」
僕には、彼の意図が分からなかった。今の行動に、いったい何の意味があったのだろう。困惑しながらも、恐る恐る彼の身体に触れた。
「!?」
僕は言葉を失った。ルチアーノの身体は、ひんやりとした冷気を発していたのだ。まるで、タオルで包んだ保冷剤のようだった。
「どうしたの、これ?」
尋ねると、彼はしてやったりという顔で僕を見た。にやにやと笑いながら、誇らしげな様子で言う。
「驚いたかい? 僕の身体は機械でできてるから、任意で体温を変えることができるんだよ」
「すごく涼しいよ。保冷剤みたいだ」
僕はルチアーノの身体に手を伸ばした。両腕を回して、正面から抱き締めた。身体中にひんやりとした感触が伝わってくる。肌をくっつけても冷たすぎない、心地よい温度だった。
「なんだよ。さっきまで押し返してた癖に」
頬を赤らめながら、ルチアーノは照れ隠しの言葉を吐く。その頬に頬擦りをしながら、僕は彼の頭を撫でた。
「もう暑くないもん。くっついても平気だよ」
布団の中に籠る熱を、ルチアーノの身体が吸収してくれる。彼に、こんな能力があるなんて知らなかった。もっと早く知りたかったくらいだ。
冷気を求めて、足に足を絡み付ける。擦り付けたくなる気持ちを必死に抑えて、足の冷気を堪能した。ルチアーノが恥ずかしそうに顔を背ける。手を添えて顔を上げると、唇に唇を重ねた。
「んんっ……」
ルチアーノが小さく声をあげる。唇を無理矢理こじ開けて、舌先で中をかき回す。口の中もひんやりと冷えていた。
「んんっ……!」
ルチアーノが僕を突き飛ばした。目を潤ませて、キッと僕を睨み付ける。少し息を荒くして、突き放すように言った。
「お前、やりすぎだぞ!」
怒らせてしまった。感触が気持ちよくて、何度も触ってしまったのだ。人間そっくりな男の子から冷たい体温を感じるのは、この世のものとは思えないほどに不思議だった。
「ごめんね。気持ちよくて、いろいろしちゃった」
そう言うと、彼は僕を引き剥がしてそっぽを向いた。拗ねたように鼻を鳴らすと、布団の中に顔を埋める。
しばらくすると、彼はうとうとと船をこぎ始めた。すうすうと呼吸をしながら、なんとか睡魔に抗おうとしている。
「眠いの?」
耳元で尋ねると、半分目を開けて僕を見た。普段からは考えられない、弱々しい声で言う。
「慣れないことをすると、エネルギーを消費するんだよ」
どうやら、身体の冷却にエネルギーを消費しているらしい。僕のためにしてくれていることだから、無理矢理起こすわけにはいかない。
僕は、後ろからルチアーノを抱き締めた。いい匂いのする髪に顔を埋めて、ひやりとした体温を堪能する。
「おやすみ、ルチアーノ」
小さな声で呟く。返事は返って来なかったが、回した両腕は振り払われなかった。