共同戦線「おい、起きろよ」
気がついたら、耳元で声がしていた。ぼんやりする頭で目を開けて、声の主を視界に捉える。普段着に身を包んだルチアーノが、僕を覗き込んでいた。
「君、起きなくていいのかよ。今日は、待ち合わせの予定があるんだろ」
「…………あ」
ルチアーノに言われて、予定があったことを思い出した。時計を見ると、待ち合わせ時間まで一時間を切っている。慌てて布団をはねのけると、ぼんやりした頭でベッドから降りる。
「ありがとう。すっかり忘れてたよ」
お礼を言うと、ルチアーノはきひひと笑った。洗面所に向かう僕を眺めながら、からかうような声で言った。
「ひひっ。間に合うといいな」
にやにやと笑っているけれど、僕が急げば十五分で支度ができることくらい分かりきっているのだ。全てを分かった上で、間に合う時間に起こしてくれているのである。
支度を済ませると、僕はDホイールに飛び乗った。待ち合わせ場所は噴水広場だ。見慣れた町並みを駆け抜けると、広場の近くにDホイールを止めた。
相手は、既に着いていた。僕を見かけると、片手を上げて会釈をする。
「おはよう、遊星。待った?」
声をかけると、遊星は僅かに口元を緩めた。
「いや、俺も今着いたところだ」
そう。僕の待ち合わせ相手は遊星だったのだ。それというのも、僕たちは共通の事件を追うことになったのである。遊星が言うには、シティの旧ダイモンエリアでデュエリスト狩りによる傷害事件があったらしい。被害者はモンスターによる物理攻撃を受けたと証言していて、闇のカードとしか思えない現象だったのだ。
僕は、すぐにルチアーノに確認をした。彼らの組織は闇のカードを生産しているし、過去には事件を起こしたこともあったのだ。もしかしたら、と思った。
しかし、答えはノーだった。ルチアーノが何もしていないのは確かだし、彼の兄のような存在に当たる青年も、裏工作などしていないらしい。WRGP準決勝まで一週間を切った今、そんな裏工作をしている余裕は無いみたいなのだ。
つまり、これが闇のカードによる犯行であった場合、そのカードはイリアステルの管轄外で作られたものになる。それは、ルチアーノにとっても不都合なものになるはずだった。
「いいよ。不動遊星に会うことを許可する」
一通り話を聞くと、ルチアーノは静かにそう言った。感情を圧し殺したような、冷たい声だった。
「本当に、いいの?」
不安になって尋ねると、彼は険しい顔で頷いた。
「僕も、そのカードの出所は気になるからね。もしイリアステルの作ったものじゃないのなら、犯人を突き止めなくちゃならない」
ルチアーノにとっても、これは重要事件であるようだ。それなら、僕が出向くしかない。そんな経緯で、僕は遊星に会うことになったのだ。
「闇のカードが現れたって、本当なの?」
声を潜めて聞くと、遊星は静かに頷いた。
「ああ。俺も実際に話を聞いたが、そうだとしか思えなかった。……ここでは人に聞かれる可能性がある。場所を変えよう」
彼の提案で、僕たちはシティ中心部へと移動した。遊星は、迷うことなく治安維持局付近の喫茶店へと入っていく。知り合いなのか、彼が目配せをすると、店主は奥の席を案内してくれた。
「知ってるお店なの?」
「ああ。牛尾と話をする時に、たまに来るんだ。治安維持局の関係者が経営しているらしい」
彼の言葉を聞いて、僕は納得した。彼は一般市民ではあるが、過去にシティを救った英雄でもある。シティ守るという目的の元に、牛尾さんの捜査にも協力しているらしいのだ。
「大丈夫なの? 仮にも僕は敵に当たるわけだし、ここに連れてきたことが分かったら、牛尾さんが嫌がったりしない?」
「それはない。ここの予約は、牛尾が取ってくれたんだ。俺とお前にしか解けない事件だろうからって」
つまり、牛尾さんも僕を信用してくれたというわけだ。イリアステルに加担した僕を信じてくれるなんて、彼らはなんてお人好しなのだろう。
「なら、いいけど……」
僕は呟いた。店主が僕たちの元にやって来て、注文を取っていく。遊星は牛乳を頼んでいた。
「事件についてだが、犯人が捕まったらしい。二度目の犯行に及ぼうとしたところを、警備に回っていたセキュリティに捕まったらしいんだ」
「えっ!?」
僕は大声を上げてしまった。犯人が捕まったなら、事件は解決したも同然だ。わざわざ、僕たちが関わる必要はないように思われた。
「じゃあ、事件は解決したの? 犯人が捕まったなら、後は事情徴収だけだよね?」
僕が尋ねると、遊星は黙って首を横に振った。相変わらず表情の乏しい声で口を開く。
「それが、そうはいかなかったらしいんだ。犯人は闇のカードを使ったことは自供したが、入手経路については一切口を割らなかった。治安維持局は事件の捜査を打ち切ろうとしていて、闇のカードの存在を葬り去ろうとしているらしい」
犯人の供述はこうだった。
──WRGP予選に敗退して、腹が立ったからやった。闇のカードは、サテライトに住んでいた仲間が持っていた。仲間も人からもらったと言っていて、出所は分からない
おそらく、男の言うことは本当なのだろう。闇のカードを世に流していたのは、イリアステルだけではなかったようなのだ。別の組織が作ったカードが、回収されることなく流れに流れていても、何一つおかしいことはなかった。
「牛尾さんはどうしたの? 事件を追ってたのは、牛尾さんなんだよね? 何か、分かったことはないの?」
「牛尾には、これ以上の捜査はできないみたいなんだ。治安維持局には、闇のカードを分析するための装置が無い。それが闇のカードであることが分かっていても、どのような仕組みで発動するのかまでは突き止められない」
遊星の言葉を聞いて、僕はようやく気がついた。彼が、僕に声をかけた意味が分かったのだ。
「つまり、遊星はイリアステルの力を借りたいんだね。闇のカードの捜査をできるのは、イリアステルだけだから」
僕が言うと、彼は厳かに頷いた。その表情から、彼がどれ程の決意をしているのかが分かる。彼は、町を守るために、宿敵の技術を借りようとしているのだ。
「分かった。ルチアーノに頼んでみるよ。ルチアーノも、闇のカードの正体を知りたがってるみたいだから」
僕は言った。彼が本気で僕を信用してくれるなら、僕も本気で答えるしかない。
「ありがとう」
そう言うと、遊星は端末を開いた。何度か操作をすると、僕に視線を戻す。
「お前のコンピュータに、闇のカードのデータを送った。調査に使ってくれ」
「ありがとう。でも、本当に良かったの? 僕たちに闇のカードの情報を渡すなんて、遊星にとっては危ないことじゃない?」
「俺は、お前を信じる。お前なら、絶対に悪用なんてしないだろう」
「…………ありがとう。ルチアーノに頼んでみるね」
話を終えると、僕たちは店を出た。改めて遊星にお礼を言う。敵である僕たちにここまでしてくれるなんて、感謝してもしたりない。チーム5D'sのメンバーで、遊星だけがルチアーノに中立な態度を取ってくれるのだ。
家に帰ると、ルチアーノが待ち構えていた。僕を視界に捉えると、お帰りも言わずに問いを投げる。
「で、どうだったんだよ。その事件は」
僕は、遊星から聞いた話をそのまま伝えた。語りながら、自分の部屋のコンピュータを起動する。遊星が作ったメッセージアプリを開くと、送られたデータを確認した。
そこには、カードの画像データが保存されていた。表面と裏面、それぞれのデータが並んだ横に、カード名と効果テキストが記載されている。一見したところは、何の変哲もないカードに見えた。
「それが、例のカードか。ふーん、カードの初出は五年前か」
ルチアーノはまじまじと画面を見つめる。テキストや製造ナンバーから、情報を読み取ろうとしているのだろう。眉を潜めると、僕の方を振り返った。
「少しだけ、このデータを借りてもいいかい? 気になることがあるんだ」
「もちろんだよ。何かが分かったら、僕に教えてね」
僕は、データをルチアーノの端末に送信した。カードの画像を眺めながら、ひとつの仮説を立てる。僕にも、ひとつだけ心当たりがあったのだ。
ルチアーノの解析には、一日もかからなかった。翌日、僕の前に現れた彼は、誇らしげな顔で解析の結果を教えてくれたのだ。
「思った通りだったよ。これは、アルカディアムーブメントの技術だ」
彼曰く、このカードは三年前に作られたものらしい。アルカディアムーブメントというのは、サイコデュエリストたちの組織だ。彼らの作った闇のカードは、精霊の力を操ることでサイコデュエルの力を擬似的に再現しているのだと言う。
「道理で、心当たりが無いはずだよ。僕たちはこのカードの製造には関わってないんだから」
僕は、遊星にその話を伝えた。アルカディアムーブメントの名前を聞くと、彼は顔を曇らせた。
「アルカディアムーブメントか。また、その名を聞くことになるとはな……」
僕も、その名前は聞いたことがあった。まだ、僕がこの町に越してくる前、シティとサテライトが分断されていた頃に、その組織は存在していたのだと言う。彼らは、サイコデュエリストを集めて、世界征服を成し遂げようと企んでいたらしいのだ。
その組織は、事実上の崩壊を起こしたと聞いている。彼らのリーダーに当たる男が、ダークシグナーのモンスターによって魂を吸収されてしまったのだ。戦いが終わってもその男は現れず、一番の部下であったアキが脱退したことで、その組織は力を失ったのだ。
「アルカディアムーブメントは、事実上は崩壊している。しかし、完全に失われたわけではないんだ」
遊星は言う。何かを迷っているような、神妙な顔つきだった。思わず、僕も姿勢を正してしまう。
「ダークシグナーによって魂を奪われた人たちは、一人残らず蘇った。その中には、ディヴァインも含まれているだろう。今は姿を見せていないが、いずれは現れる可能性がある」
「もしかしたら、このカードを流したのはディヴァインという男かもしれない。遊星は、そういいたいんだね」
「まだ、そうと決まったわけではない。だが、嫌な予感がするんだ」
遊星は言う。その表情は苦々しげで、かつての苦しい記憶を思い出しているかのようだった。
アルカディアムーブメント。心の中で、その名前を繰り返す。僕の知らない第三勢力は、今もどこかに潜んでいて、日の目を浴びる機会を待っているのだろう。
彼らが現れたときに、僕は何をすることができるのだろう。そう考えて、僕は少しだけ不安になった。