無題「気になる?」
「えっ」
予期せぬ問いにファウストは手にしていたボトルを取り落としそうになった。その様子に、口元を緩めたフィガロが軽くグラスを揺らして見せた。
「君も呑んでみる?」
その動作で彼が何を伝えたいのか直ぐに分かった。
ーー気付かれるくらいに見てしまっていたなんて。
フィガロが酒を呑んでいる所を。正確にはお酒を呑んでいるフィガロの姿に見蕩れてしまっていたなんて、とてもじゃないが言えない。熱くなった頬を誤魔化すように慌ててファウストは首を振った。
「っいえ、僕は大丈夫です。……フィガロ様がいつも美味しそうにお酒を呑んでいるので少し気になってしまって」
「そう? …そういえば君ってもう成人してるんだっけ?」
「はい。僕のいた村ではもう、この歳だと成人していることになりますね」
他の村ではどうか知らないが住んでいる場所によって成人する年齢が違う事はよくあった。
「へえ、それならお酒の嗜み方を勉強していた方がいいかもね。お酒で失敗する前に、ある程度自分の飲める量を知っておくのもいいかもしれないよ」
師匠であるフィガロがいうのならそうなのかも知れない。それとは別に未知への純粋な興味もあった。
「それでは少しだけ……」
自らグラスに注ごうとするファウストを手で制すと、フィガロは流れるようにボトルを奪った。目を瞬くファウストにフィガロは笑みを浮かべると空いているグラスに手ずからワインを注いで差し出した。
「はい、どうぞ」
「申し訳ありません…!」
慌てて受け取ったファウストはその葡萄色の液体をじっと見つめた。その面持ちは緊張で強ばっている。
「まずは肩の力を抜いて。乾杯しよう」
フィガロがグラスを掲げたのを真似て、同じようにグラスを掲げる。
「乾杯」
「……乾杯」
ファウストはやがて覚悟を決めたように恐る恐るグラスに口をつけた。
「……!」
舌に触れた瞬間、広がる鮮烈な感覚に目を見開いた。びりびりと舌を焼くような、えも言われぬ刺激は今までに体験した事の無いものだった。ごくりと一口、何とか飲み込む。喉が焼けるような感覚が通り過ぎた後、胃の腑がかっと熱くなった。最後には苦味のようなものだけが口の中に残って思わず眉を寄せた。
「……う、変な味がします……」
顔をしかめながら正直に告げるとフィガロは答えを知っていたかのように笑った。
「まだ君には少し早かったかもしれないね」
「う、……」
尊敬する師匠であるフィガロに笑われたのが恥ずかしくてファウストは思わず下を向いた。
─── 子供だと思われてしまったかも知れない。
そんなファウストにフィガロは、優しく目を細めると、ファウストの髪に手を伸ばした。
さらり、と髪を撫でられてファウストは恐る恐るフィガロに視線を合わせた。
「まあ、でも魔法使いの人生は長い。ゆっくりとお酒の味を覚えたらいいよ。君にはまだ時間が沢山あるんだから。もし、君が本当の意味で大人になったら一緒にお酒を呑もうか」
「……!」
ファウストの胸に驚きと嬉しさが湧き上がった。当たり前のように、隣にいる未来を示してくれたのが嬉しい。この人と共に生きていけたら、それはどれほどの喜びになるだろう。
「……っはい。その時は是非…!」
食い気味に答えたファウストにフィガロは眦を柔らかく緩める。ふと、なにかに気づいたように目を瞬いた。視線の先は時計だった。
「あれ、もうこんな時間か。君と話していると時間が経つのが早いね。明日の修行に障るからもう休んだ方がいい」
「あ、もうそんなに経っていたんですね。……それじゃあ僕は失礼します」
椅子から立ち上がったファウストは、くるりと振り返る。名残惜しそうに見えたのはきっと気のせいではない。
「…それでは、おやすみなさい。フィガロ様」
「おやすみ、ファウスト。……良い夢を」
自らの師に一礼してファウストは廊下に出た。
なんとはなしに窓の外に目を向けると、きらりと一筋の光が夜空を横切った。
「あ、……流星」
見上げた視線の先で流れ星がきらりと光って瞬いた。その光はとても幻想的で、まるで誰かとの出会いを祝福しているようだった。