〇〇しないと出られない部屋〇〇〇〇しないと出られない部屋
「……ん…?」
目を開けた瞬間、飛び込んで来たのは圧倒的な”白”だった。まるで塗り潰したかのような鮮烈な白。覚えのないその景色に、一気に思考が覚醒した。
「え……!?」
慌てて上体を起こして辺りを見回す。途端にぎしりとスプリングが軋む音がして。そこで初めて寝台に横たわっていた事に気づいた。その寝台も周りと同じように白い。
「ええと、……どうなってるんだっけ…」
微かに痛むこめかみを指で抑えてフィガロは思考を巡らせる。
ーーー確か今日は、任務も授業の予定もない日で。だから、思う存分惰眠を貪ってお昼近くに食堂へ行った。そしたら、急な任務の依頼が入ったのだ。中央の魔法使いは討伐に行き、西と北の魔法使いは合同任務で。そこで、フィガロとファウストに白羽の矢が立った。
その依頼内容は不可思議な部屋の調査だった。その部屋は、魔法使いが束の間の娯楽として作った部屋だった。その魔法使いがいなくなった後もその部屋は残り続け、気まぐれに人を誘い込んでいるという。その部屋は、条件を満たせば簡単に出る事が出来るが最近になって引き込まれる人が急激に増えたため魔法舎に依頼が来たということだった。
件の屋敷の扉を開けた所までは覚えている。という事は開けた瞬間に引き込まれたという事だろう。
「面倒な事になったな。……まあ、条件を満たせば出られるんだけどね。…よっと、」
フィガロは寝台から降りるとの部屋の壁を手で軽く叩きながら一周する。部屋の中には白いカーテンに仕切られたところがあった。カーテンを開けると小さな浴室と化粧室があるだけ。当然ながら窓はない。
白くて分かりにくいが部屋の広さは魔法舎の自室よりも少し広いかというくらいだ。
「『ポッシデオ』」
試しに呪文を唱えてみるが、やはりというか、魔法は使えないようだ。魔道具のオーブすら出すことが出来ない状況に溜息が零れる。土地の精霊との繋がりが断ち切られていた。
「はあ、やっぱりか……ん?」
寝台に目を向けたその時。ひらりと何かがシーツの上に舞い落ちた。近くに行って見ると、それは小さな紙切れだった。
「何だこれ」
手に取って裏返してみる。瞬間、思考が停止した。
その紙にはでかでかと文字が書かれていた。そこには一言、
『キスしないと出られない部屋』
と書かれていた。
「へ?」
ーーードサッ
何か重いものが落ちる音がして。弾かれたように振り返ると寝台によく見知った黒装束が。ーーーファウストだ。ファウストはフィガロの姿を見つけると大きく息を吐き出した。
「……お前、急に居なくなるから探したぞ」
「ごめんごめん。開けた瞬間、この部屋に取り込まれたみたいでさ」
軽く息を吐き出したファウストは、寝台から静かに下りる。
「まぁいい。……それで、この部屋が例の部屋か。それで、条件は何だ?」
「ああ、うん。……それなんだけどさ」
気まずそうにフィガロは言葉を濁す。
「なんだ」
「とりあえず、これ見て」
フィガロに差し出された紙切れを受け取ったファウストの目が見開かれる。
「な……!?」
赤くなったり青くなったりしたかと思うと、そのままスタスタと壁の方まで向かい。
「『サティルクナート・ムルクリード』!」
「ファウスト!?」
ファウストは大きく声を張り上げた。だが、何も起こらない。当たり前だ。精霊との繋がりが断ち切られているのだから。
「く、……」
ファウスト息を荒らげながら、苛立たしげに唇を噛み締める。再度大きく深呼吸をする。
「『サティルクナート・ムルクリード』!!!」
ーーー静寂。
わなわなと肩を震わせたファウストが拳を振り上げるのが見えて慌てて腕を掴んだ。
「もう分かったでしょ。……魔法が使えない以上、怪我をしても治せないよ」
「っ……」
「別にキスくらいいいじゃない? 減るものじゃないんだし」
「キスとか言うな…! お前はした事があるかも知れないが僕は無いんだ…」
白い頬を赤く染めて俯くその姿にぴしりとフィガロが固まった。
──ない。 何を? キスを?
四百年も生きてるのに?
「嘘でしょ……」
今度はフィガロが赤くなる番だった。顔を覆ったフィガロをファウストが眦を釣り上げて睨めつける。
「馬鹿にしているんだろう…! 」
「してない! 全くしてないよ!……君も知ってると思うけどこの部屋は条件を満たさない限り出る事が出来ない。君は嫌かも知れないけど」
「……僕は……、」
下を向いたファウストは何事かをぼそぼそと呟いた。
「え?」
その言葉が聞こえなくて首を傾げると、ファウストが勢い良く顔を上げた。
「──だから! 僕は嫌じゃないと言ったんだ!」
顔を真っ赤に染めて、目にいっぱい涙を溜めて真っ直ぐに見つめるアメジストに時が止まったような心地がした。
ーーーそれはどういう意味なのか。
あの清純なファウストが、キスをしてもいいと言っている。それはどういう事なのか。ありもしないと思っていた事が起きようとしているのだろうか。ーーーもしかして彼も。震えそうになる息を押し込めて恐る恐る訊ねる。
「それって……、ほんとに?」
「…っ」
唾の長い帽子で顔を隠しながら、こくりと小さく頷く姿に気づいたら華奢な身体を抱き締めていた。
「ぅわ、」
途端にファウストの身体が強ばったかと思うと恐る恐るといったように背中に腕が回る。ぱさりと彼の帽子が落ちた音がどこか遠くに聞こえた。
「好きだよ、……ファウスト」
「……ん、ぼくも、」
色がついた眼鏡を取ると何にも遮られていない鮮やかなアメジストが現れる。目尻を指でなぞると意味を正しく理解した彼がぎゅっと目を瞑る。ふるりと肩を震わせるファウストの頬を優しく撫でると、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
ーーーカチャリ
鍵が空くような音がどこか遠くに聞こえた。
唇の合わせをそっと解くと、先程までなかった扉が出現していた。それにほっと息を吐き出した。
「鍵が開いたみたいだ。これで出られるね」
「………」
ファウストから何も反応が無いのを不思議思って目を向けるとどこか惚けたような彼の姿があった。
「ファウスト? 」
「あ、……いや、」
どこか歯切れの悪い様子のファウストは、何かを迷う素振りを見せた後、意を決したように真っ直ぐに顔を上げた。
「その、……初めてでよく分からなかったから……も、もう一度…」
「いいの……? それじゃあお言葉に甘えて、」
ディープキスしたら殴られた。