私からは離せない 「ネロ、申し訳ありませんが、キッチンで朝食を済ませてもいいですか」
ネロはいつも魔法使いのために朝食を1人で黙々作っている。会話が苦手な訳でもないが、1人が良いのだとクロエに聞いたことがある。
黙々と朝食を作るネロが首をクルリとこちらを向いて問いた。
「え……まぁ……いいけど、どうしたんだ? シャイロック」
「ムルが少し」
「はぁ……。あんたらいつでもベッタリなイメージあるけど、離れたいときだってあるよな」
他の魔法使いから見て私達はベッタリなんて見られていたのは心外だった。
「私とムルはそんな風に見えますか?」
少し棘のある言い方をしてしまった。私の表情を見て、ムルは何かを察したようだった。首をひねりまた正面に戻す。そして続けた。
「あ、いや、悪い意味で言ってるわけじゃないっつーか。大人の距離感だけど、大人にしてはベタベタしてるよなって」
情けない声に、思わず笑ってしまった。
「ふふ、それは矛盾していませんか。あなたから私たちがそう見えてるなら別にいいです」
「それは悪かったね。けど、シャイロックはしんどそうだよな。それだけは見てて思うよ」
しんどい。なんて一度も考えたことがなかった。ネロからはそう見えてるだけなのか、他の魔法使いからもそう見えてるのだろうか。
「……なぜネロはそう思うのですか?」
フライパンからジューとベーコンが焼かれる音が聞こえる。
「いや、さ、言うことを聞いてくれねぇ奴が傍にいるの、俺は耐えられなかったからさ」
ネロはあまり自分自身の話をしない。何かが零れ出してしまったかのように、ネロは呟いた。
言うことを聞いてくれない相手。ネロはそう言った。私は、ムルを言うとおりにしたいわけじゃない。けれど、ただ、月に焦がれるのはやめて欲しい。月に焦がれるように、知的好奇心のままに自然をなくすようなものを生み出さないで欲しい。これ以上、私にムルを憎ませないで欲しい。ただそう願っている。
これを言うことを聞いて欲しい、というのだろか。
「……そうですね。ムルは私の言うことを聞いてくれませんでした。そういう彼が好きでしたが、嫌いでもありました」
「シャイロックは複雑だな。俺は単純だった。嫌いだったよ、ずっとやめろって言ってんのに、やめようとしないからさ。シャイロックはそうじゃないんだな」
「あなたこそ、聞いてくれないって思いながらも一緒にいたんです?」
ネロは黙った。何かを考えてるようなわけでもなく、ただある答えを言えずに黙っているようだった。
「……そいつがそれでも、一緒にいたかったんだろうな。俺からは離れられなかった。きっかけがなきゃ俺はあいつと───」
「あなたも私と同じじゃないんですか。嫌いでも、好きと言う。おかしな人」
「えっ……いや、あんたの言うとおりだな。長生きってのは厄介なもんだな」
ネロは自嘲気味に笑う。
何枚か焼いたベーコンを大皿に移してこちらを見た。
「悪ぃ。喋りすぎたわ。さっき話したことはお互い秘密ってことにしてくんねぇか」
「もちろん、いいですよ。秘め事は楽しいですからね」
その一言を残して、ネロは両手いっぱいに朝食を抱え、キッチンを出て行った。
好きで、嫌い、という感情。複雑な物は面白く、愉快で、興味深い。けれど、あの男に対してそんな風に思うのはなんだか、気に食わない。