触らないでください壊れています「グエルって、また休学扱いになるの、それとも退学?」
「休学。だけどさすがにもう戻ってこれないと思うよ」
――もう戻ってこれない、か。
ラウンジの中央にチラリと目をやると、グエルが寮生達に囲まれて酒をつがせてほしいと引っ張りだこになっていた。久しぶりの、本当に久しぶりのエースパイロット祝勝会が開かれている。十八歳になってる連中は飲んで良いだろ、と普段なら供されない酒も持ち込まれて皆テンションがおかしい。
「寂しくなるな」
俺の言葉に、ラウダは困ったように眉を寄せて、ふ、と息を吐いた。仕方ないだろ、と言わんばかりに。でもその顔は妙に穏やかに凪いでいる。そう、普段だったらグエルの前に立って群がる寮生達の交通整理でもしてそうなラウダは、なぜかカウンター席に座って一人でニコニコと笑いながら酒を煽っていた。
「その顔、懐かしいな」
「え?」
昔の二人を思い出したのだ。見慣れてすっかり忘れていたが、1年のはじめくらいのラウダは、ずっとこんな感じだった。中学まで家庭教師に教わってたから、学校は初めてで緊張する、と言いながらも今よりずっとのんきで、笑顔が多くて――いや?と俺は自分の記憶を微妙に訂正する。『のんきで安心しているラウダ』の視線の先には、いつもグエルがいたんだった。
「で、結局あいつはどこに居たんだ?」
「聞いてないよ」
「お前が?」
グレイトフルデーに勝手にロッカー漁ってプレゼント処理して勝手に手紙の返事も書いてたお前が?という言葉は飲み込んだ。ラウダは一瞬きょとんとして、当たり前のように笑顔のまま、頷く。
「そりゃ、最初は聞いてみた。でも、教えてもらえなくて」
「一回聞いただけで諦めたの?」
だって、ボロボロのズボンに穴だらけのパーカーで、とてもまともな暮らしをしていたようには見えなかったんだろ。普通もっとちゃんときくだろ。
「兄さんが言いたくないならきかないよ」
「お前達の父親が亡くなった時も帰ってこなかったよな。その理由も」
「きいてない」
「今日の決闘で前半の動き方が変だったのも」
「きいてない」
「聞けよ!」
てか、お前セッターやってたからつながってるカメラであのときのグエルの顔見れただろ?俺は声しか聞けなかったけど、吐きそうになってる音とか、してたよな?
変と言えば何もかも変だ。あんなに険悪だったミオリネ・レンブランとのいきなりの協力関係、決闘の条件、そしてあのガンダム、エアリアルの実に奇妙な停止――グエルはまるであれが起きる事を知っていたかのように、正確にブレードアンテナを叩き切った。
「なんか変、だろ?」
「そう?」
ラウダは澄ました顔で黙り込んでいる。グエルになんか変なことが起きてるって事、気づかないはずがないのに。まるで、明日の課題の打ち合わせでもしてるみたいに。思わず、遭難した雪山で眠りそうになってる人間を揺り起こすかのように肩をたたいていた。
「グエルがなんかやばいことに巻き込まれてたらどうするんだ」
「……」
――あ、言い過ぎた。
そう、気づくまでに一言二言三言、多分もっと多くの言葉を重ねてしまっていた。
「ごめ、ん」
「なにが?」
目の前で、虚飾のように張り付いた笑顔の仮面が一枚一枚残らず剥がれ落ちていくのを、なすすべもなく、見つめる。
「兄さんは、なにも変わってないよ」
もちろんそれはほんのわずかな間の出来事で、すぐにラウダは元の屈託のない笑顔に戻る。一枚一枚、剥がれた落ちた仮面を拾ってはまたかぶっていく。
「元気だったか、って僕のこと心配してくれた」
「兄らしいことをしてやれなくて済まないって謝ってくれた。あはは、僕は馬鹿だから、全然なんのことかわからなかったけど」
「……決闘だって、勝ったじゃないか」
それでも、ラウダがまた表情を作っていく一瞬一瞬、移り変わっていく過程は、みていて、どうかすると心臓の裏を爪でひっかかれているかのように痛ましい。
「あのとき、決めたんだ」
絞り出すように言葉を紡ぐラウダが指す『あのとき』がいつのことなのか俺には分からない。
目の前では、笑顔になった代わりに震える左手がグラスの表面を揺らす。それをラウダは右手で不器用に押さえながら、さらなる笑みへと、ゆっくりと頬骨をあげる。グエルのような華やかさはないが整っていて、控えめで、ひたむきなラウダ・ニールの完璧な笑顔。だというのに、泣き出す直前の子供に見えるのは何でだ。
「兄さんのこと、信じるって。……もう絶対疑ったりなんて、しないんだ」