「感度3000倍……? ……感度3000倍!?」
とうてい一回では飲み込めずに、向かい風にも負けない声で繰り返し叫ぶ。賢者を箒の前に乗せ運ぶシャイロックは涼やかな声で、あくまで推定値だそうですが、と応じた。
その間にも背後では、魔法舎の崩落がけたたましい音を立てて進んでいる。
「なんで、そんな……オズは大丈夫なんですか? 風が当たるだけで痛そうですけど」
賢者の跳ね返る前髪を、しなやかな指先が落ち着かせた。
「ご安心ください、効果は対して続きません。あくまで心の持ちように作用する西のジョークグッズですから」
「心の持ちよう……?」
「小さな喜びが気絶しそうなほどの歓喜に変わり、些細な悲しみが血を吐くほどの絶望に変わる。気持ちの振り幅のメモリを狂わせるハーブが混ざってます。ムルのことですから、多少の小細工はしていそうですが」
「小細工」
「そう、例えば……特定の感情にだけ効くような」
再びの地響きに眼下の森がわななく。オズに呼応し、大地が叫ぶ。
「……いったい、どの感情に対する感度が3000倍になったんですか」
「さて」
シャイロックは困ったように笑い、パイプを取り出す。森から逃げてきた鳥たちの羽ばたきにそっと挟み込むようにして、賢者に教えた。
「オズに限らず、他者の気持ちを推し量るは妙技です。今回は、城に詰めているアーサーからの手紙を受け取った途端に地面が揺れたようですが」
「じゃあこれは、喜び? それとも会えない悲しみでしょうか」
「もっと単純な感動かもしれません。目をかけている子どもからふいに渡される自筆の手紙……どんな内容が書いてあるにしろ、胸が疼くのでしょう」
「確かに、きゅんとくるかも……」
鳥たちが去った後の空を仰ぐ。雲ひとつない快晴なのに、遠くで小さな雷の音を聞いた気がした。
「なんにせよ、効果が落ち着くまでは離れていましょうね」
「あ、他の魔法使いたちは?」
「先生役が手分けして自国の若い魔法使いたちを逃がしているはずです。クロエはラスティカがかごの中に。リケやカインは双子が、賢者様は私がお連れします。ひとまずは中央の城へ。オズがどれだけ気狂いを起こそうと、唯一安全なはずですから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。……あの、もうひとつだけ」
賢者の問いかけを、シャイロックは微笑みで拒絶し受け付けなかった。ただ、猫ならばどこぞの隙間に逃げ込んでいるでしょう、とこぼす。甘い香りの煙の向こうに眼差しは隠れた。
「さあ、急ぎましょう、賢者様。手紙を受け取っただけで魔法舎を壊すのなら、きっと読めば国がなくなりますよ」
「……そんなわけ……ともいえないような。今のオズがアーサーに会ったら、大陸がなくなるのかも」
「言葉を交わせば月も落ちてくるかもしれません。……ひとつの激情で世界が転覆するのは好みではありますが、あの二人にはもう少し、穏やかな日々が似合います」
「同感です」
徐々に避難先が見えてきた。
世界最強の魔法使いがきゅんとしただけで終わるかもしれない世界で、唯一、安全であろう場所。白亜の城は今日もなにひとつ変わらない。その姿に、賢者は安堵の息をつく。