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    mctk2kamo10

    @mctk2kamo10

    道タケと牙崎漣
    ぴくしぶからの一時移行先として利用

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    完結編も出た今となってはもはや読めもしないエンカイ

    #腐向け
    Rot
    #エムマス【腐】
    #道タケ
    #エンカイ
    enkais

    Want My xxx Back!注意書き
    ・エンカイが死ぬ話です
    ・後味はよくない
    ・書き手はレッカもとい牙崎漣こじらせ芸人
    ・サイバネ2が来る前にお話を考え、イベ予告を見て慌てて書き上げたもの

    --- * ---

     アンドロイドとの戦争を終えた人類は、少しばかりアナログで、しかし安全な生活を強いられていた。
     反乱の指導をしていた自律型アンドロイド、ロイの演算ログが解析され、今回のことはすべて「プログラム上のバグ」と片付けられている。出荷時点でセキュリティホールはなかったし、アップデートも頻繁にあった。しかしそれを上回るスピードで、ウィルスは進化し、バグは生み出される。ほんの小さなほころびは別のほころびを誘発し、思考回路は暗澹へと落ちていく。ロボット工学三原則の第一条「ロボットは人間に危害を加えてはならない」というデータ上に生まれたバグは、修復も出来ないままロイの体を巣食い、そして攻撃用コマンドのインストールが開始された。人類へ敵意を向けたアンドロイドは、しかしたったひとりでの攻撃が不可能と理解し、全世界共通サーバーにハッキングを仕掛け、通信機能をもったアンドロイドのすべてをジャック。同じバグを産むようにウィルスを撒き、反乱の仲間に引きずり込む。――これが、事の発端だ。顛末の方は、エンドーたち捜査班の活躍と、解析班による調査でどうにか蹴りがついた。首謀格であったロイは破壊され、その他のアンドロイドについてもシャットダウンが施された。解析も済み、ロイ暴走の原因が公表された結果、バグの修正とセキュリティ強化が済むまですべての自律思考システムが停止している。もちろん、その向こうに存在するイーサンについての捜査も始まっているが、その足取りは未だ掴めていない。
     アンドロイドに頼る場面が減り、少しばかりアナログなこの生活は、若い世代を中心に不満が湧き上がった。が、先のような戦争の直後だとそもそもアンドロイドを使うことにも不安があるらしい。不満と、不安と、折り合いとしての諦念が同時に噴出して、戦争のなくなった世界はどこか空気が澱んでいた。
     新人捜査官のひとり、レッカはくだんねえと吐き捨てて以前と変わらない日々を送ったが、カイの方は暗い顔をしてアンドロイドを見つめることが増えた。どうした、と声をかけることもあるがそれには首を振る。なんでもないぜ、ただ、ロイのことを思い出していた。そんなふうに答えた日もあったが、基本的には大丈夫だしか言わない。レッカはそんなカイをつまんなくなったと評したが、心配はしているようだ。自分も心配している、とエンドーはただ、唇を噛み締める。どうしたらいいのか、わからなかった。
     カイがロイのことを思い出すように、エンドーもノリスのことをよく思い出していた。現在警察組織の研究室には、反乱の幹部と見られる三体のアンドロイドの、復元ボディがある。ここに修復改善した彼らの思考システムを入れ、復讐が起こりえないことを証明する予定らしい(もちろん、可能性はゼロとは言えないのでしばらくはこの組織の棟内で過ごすのだろうが)。まだ思考回路が出来上がっていないと言えど、同じ体で、同じデータが入る予定であれば、それはノリスだろう。あなたが、人類への愛を思い出してくれたから、救われたんだ。エンドーはノリスの前に頭を下げる。でもな、でも、それでも救われない人がいるんだ。
     エンドーはふと息をついて、一旦捜査本部を出る。喋らなくなったオートモービルのエンジンを点けると、道路を走らせた。少し先のスーパーで買い物をしたら、また戻ろう。


    「カイ、入っていいか」
     ノックは二度、掛け声は大きめに一度。返事があれば内容を聞き取れるまで入らない、五秒待っても返事がなければ、合鍵で入る。これは暗黙の了解というよりはエンドー自身が自分に課していることで、カイから指示されたことではない。ただ、エンドーがそうルール化していることでカイも助かっていると信じたかった。――返事されたことは少なく、特に最近は減ってきている。
     五秒待った。返事はない。パンパンに膨れたスーパーの袋と、空のランドリーバッグを片手に、部屋に上がる。シャワールームと簡易キッチンの前を通り過ぎて、個室へ。寮として与えられたカイの部屋は、ベッドと机ひとつ置いたらもう埋まってしまう狭さなのに、特に不便している様子がない。ベッドの上には人ひとり分の膨らみと、脱ぎ捨てたジャケットやタイやシャツが足元に溜まっている。ベッドからはみ出しているのは靴下か。下着はシャワールーム前のバスケットに溜まっていたから、ちゃんと毎日シャワーを浴びているのはわかった。
    「カイ、明日着る服どれだー? 他のものはランドリーに持ってくぞ」
     軽い調子で声を掛けると、もぞ、と布団が動いた。ジャケット以外のユニフォームをきっちりと着込んで、それでも緩慢な動きで上体を起こす。
    「……エンドー、さん、ごめん……いつも。アンドロイドがいなくなって、ほんと、俺、なんもできなく、なって」
    「はは、そんなの人類みんながそうだ。ただ、自分は世話焼きな方でな、こうしているのが楽しい」
     それは半分は本当で半分は嘘。楽しいだけじゃない。単純にカイのことが心配なのだ。救われない人が、目の前にいる。
    「ズボンとジャケットはまだ洗わなくていいだろう? そのシャツは今度の洗濯でいいとして……」
    「確か、インナーとシャツはタンスにまだ一枚ずつ残ってる。靴下も、何足か、ある、はず」
    「お、ほんとだ。じゃあ明日はこれを着てもらって、他のものは回収して、洗って持ってくる」
     ごめん、と微笑むカイに微笑み返し、散らかった衣類をハンガーに吊るしたり、バッグに突っ込んだりと片付けてしまうと、ぱっと立ち上がりスーパーの袋を手に取る。
    「明日はメディカルチェックの日だろう、食べれそうなもの作ってやるから一口は食べような」
    「今日もおにぎり? 具はなんだ……」
    「いや、別のものにしてみる」
     返事は待たずに、キッチンへ。キッチンと言っても本当に簡易的なものでほとんど給湯室みたいなものだ。シンクがひとつ、作業台はわずかしかなく、コンロもないのでさすがに卓上コンロを持ってきた。冷蔵庫は超小型で、冷凍庫がついていない。そもそも電子レンジも置いてないので冷凍食品など買ったところで使えない。
    ――カップ麺を、買ってきたときは。
     エンドーは少し前のことを思い出す。「お湯を入れるのが、出来なくて。食べないよりはマシだと思った」。そう言ったカイは、かじりついたもののそのまま捨ててしまった乾麺を指さしていた。
     それを見てエンドーは決心している。カイに出す料理はすべて自分が作ること、お湯を入れるといった些末な行程さえ省けるものを出すこと。具体的には弁当だ。最初は二段の弁当箱を使っておかずの種類もあれこれと工夫してどうにか食べられるものを探していたが、次第にカイが残すことに罪悪感を覚えていると察したので弁当箱を一段に変えた。そうしたら今度は「何か気を遣わせちまったか」とカイが申し訳なさそうにするので、箱をやめて、皿に盛って、一緒に飯を食べるようになった。カイが食べ切れる量まで自分が食べて、あとは自由にさせる。目の前で食べ終わるのを待つと、待たせていると自覚してカイが焦るので、いつも自分が食べ終わった時点で部屋を出ていた。
     ここのところは手に取りやすい方が良いかもしれない、と、小さいおにぎりにあれこれと具を詰めていた。一つ二つなら食べてくれるし、食べ切れなくても一日程度なら常温で置いておける(そのあとはレッカのところに持っていけば秒で綺麗に平らげてくれる)。ただこの部屋には炊飯器がないので炊いた米は自分のところから持ってこなければいけない。鍋でも炊けないことはないがそうするとコンロが塞がる。打開策として、今日はサンドイッチにするかと具を買ってきた。
     コンロにフライパンをセットして、たっぷりの油を注いでから電源を入れる。温度が上がってからパンの耳を落として、油の中に突っ込んだ。揚がってくるのを待つ間、数枚のパンにバターを薄く塗っておき、レタスを千切ってハムと一緒に挟む。昨日来たときに作っておいたゆで卵を冷蔵庫から出して刻んで、マヨネーズと和えてパンに塗りつけ、上からもう一枚を重ねた。とりあえず二種類。これが食べれそうなら、明日からはもう少し食べ応えのありそうなハムカツやチキン系を試してみよう。そう頷いて、パンの耳をフライパンから取り出す。キッチンペーパーに油を吸わせて、その上から砂糖をまぶしておけばラスクになる。常温で置いておけるから、小腹が空いたときにでも食べてくれたら良い。食べ切れないならそれはそれでレッカが喜んで食べてくれるだろう。
     サンドイッチは四分の一ずつに切ってラスクと共に皿へ盛り、カイの元に持っていく。カイはベッドから出て、机の前にぺたんと座り込んでいた。
    「カイ、今日は調子いい?」
    「ん……そう、なのかな。エンドーさんが言うならそうかも」
    「じゃあ、そういうことにしておこう。今日のカイは調子がいい」
     ベッドから出るのも苦労する日を思い出して、笑う。机に皿を並べて、カイが何かを手に取るのを待った。いただきますと言ったあと、わずかに行動が止まり、卵サンドに手が伸びる。
     自分はハムサンドの方を手にして、かぶりついた。悪くは無い。もう少し手の込んだ料理がしたいし、それで食べてくれたらもっと嬉しいのだけど、と思いながらカイを見れば、卵サンドを一口、かじっているところだった。その一口目が遅い日もあるので、今日は本当に調子がいいのかもしれない。カイの咀嚼を見守る。何度か顎が動いて、もごもごと言葉が紡がれる。
    「……食べ、れる……と思う」
     喉が嚥下するように動く。吐き戻す様子はない。
    「全部は厳しいけど、半分くらいならいけそう。パンの耳のやつは本当に無理、かな」
    「そうか! 十分だ、それだけ食べれたら! おにぎりよりサンドイッチの方が好きか? 明日もこれにしようか」
    「うん、たぶん、中身がわかるの、安心する」
     なるほど。だから具を尋ねたのか。まだしばらく油物は避けた方が良さそうだが、食べられるものが見つかっただけ良かった。エンドーは息を吐いて、半分までひょいひょいと平らげる。ラスクは回収して、カイの部屋に置きっぱなしにしているタッパーに詰めた。空いた皿は洗って干し、カイに「明日、メディカルチェックの前に迎えに来るよ」とだけ言い残して部屋を出る。サンドイッチは二切れほど減っていた。うん、と頷くカイの表情も明るい。

    ――カイに、精神疾患あり。
     そう判断したのは警察病院の医師であり、ロイを倒してしばらく経った頃だ。
     戦争が終結したとて仕事はある。イーサン逮捕ももちろんであるが、戦争の後始末も重要だった。何度となくこの戦争の理由を洗い直し、行動を辿り、責任と最適解を探す。エンドーたち現場の人間は、ただただ、ロイたちの挙動を見た限りで他者に伝えて整理してもらっていたが、それは自分たちの判断と責任を考え直すことでもある。前線に立っていた自分たちは、勝てたからこそ英雄であったが、負けていれば戦犯だった。やっていることは同じだとしても、勝者と敗者で正義は変わる。人類の希望は、反乱の指導者を思うが故に絶望した。
     初めは遅刻が増えただけだった。次第にミスが頻発し、次に欠勤があった。そのあたりでレッカが妙に難しい顔をしてカイについての悪態をつくようになり、たまたま催された健康診断ではカイが「なにかがこわい」とぼろぼろと泣いたそうだ。メンタル面担当の医師は本格的な判断を設けるためにカウンセリングを施し、そしてカイの病を断言した。薬は出たが、ほんの数ヶ月もしないうちに、大量に溜め込まれた薬を、エンドーが発見してしまった。オーバードースという自殺方法があると聞いていたからこそその薬はすぐさま処分され、医師とカイの双方に連絡が入り、今は投薬以外の治療法を試されている。
     部屋の掃除をしていた。カイが、ほんの少しずつ、生きる力をなくしているようだったから。生きていてほしかったのだ、たとえ自分たちがアンドロイドというひとつの生命体を、何体と殺してきた身であれど。一歩間違えれば戦犯であったとしても。人類を守るために戦って、その人類にはお前だって含まれているんだと、伝えたかった。お前自身が守った人類の未来に、ノリスが守ってくれた人類の命に、お前が含まれていて、自分にはお前が大切で、レッカだってお前の身を案じているとわかってほしかった。それだけだ。追い詰める意図はなかった。
     処方箋を絶たれて以来、カイの病症は、進行している。


     メディカルチェックは二週間に一度、カイの場合は医師の診察も含まれる。カイの病が発覚して以降、戦争の後遺症があるのかもしれないとエンドーやレッカら捜査班全員に対して頻繁なチェックがあったが、結果は概ね良好だ。メンタル面、フィジカル面ともにいくらスキャンしても正常値の範囲内であり、特に小言も言われない。拘束時間は短く、長引くのはカイだけだ。
     カイの診察を待って、エンドーとレッカが並んでいる。レッカはよくこの時間に腹減ったと言ってきて、じゃあカイを連れてどこか飯屋にでも、なんて流れになったものだが、カイの摂食障害が重くなるにつれそんな話もしなくなった。代わりにどこか遠くを険しい顔で見つめている。何か、思い詰めている、ような。けれどメディカルチェックに引っかかっていないということは言動も脳波も普段通りなのだろう。エンドーが心配することではないのかもしれない。
     端末を開いて、時刻を確認する。普段通りであればもう直にカイが診察室から出てくるはずだ。そうして今日は久々に三人で飯を囲みたい。やっと、カイが何かを食べれると言ったのだ。サンドイッチは昨日と同じ卵を用意して、その他はレッカが好みそうな、肉類をメインにしよう。そうそう手の込んだものは作れなくても、食べてくれる人がいるのは有難い。
    「レッカ、今、何食べたい?」
    「んなもん、ウマいメシに決まってんだろ」
    「はは、じゃあ……サンドイッチならいくつ食べれる」
    「くだんねーこと聞くな。あるだけ食う」
    「最高。作れるだけ作ろう」
     カイとレッカを部屋に送ったら自分の個室に食材を取りに戻って、そしてカイの部屋で飯だな。そう頷いたところで、しかしレッカの鋭い声が届く。
    「でも、チビのつまんねー顔見ながら食う飯は不味いからやだ」
     返事が止まる。しばらく無言で「そうか」と返した。確かに、あんな状態のカイのもとにふたりで押しかけても余計に疲弊させるだけかもしれない。
    「わかった。レッカ、お前の飯はあとで作っていってやろうか」
    「いらねー。自分でどうにかする」
    「ああ、了解だ。カイのことはこちらで預かる。余ったら処分だけ頼もうかな」
    「それはいーけど……オッサン、あんまカイに引きずられんじゃねえぞ」
     トンっと軽い音を立ててレッカがその場を離れた。振り返り、あの険しい顔をエンドーに向ける。やはり何かを思い詰めている、けれどそれがエンドーにはわからない。
    「それは、自分がカイと同じ病気になるということか」
    「まあ」
    「だったら、そのときは、レッカ。頼んだ」
     看病は求めないから、最後の一線より向こう側に行かないように。最期を、迎えないように。
     微笑みかけるとレッカは舌打ちをして、返事もなく警察病院を出ていった。この先は飲食店も多いしどこかで腹を満たして来るのだろう。思い詰めている、と思ったのはやはり思い過ごしで、カイとエンドーのことを心配しているだけかもしれない。そう結論づけてエンドーが振り向くと、ちょうどカイが診察室を出たところだった。
    「ああ、カイ。お疲れさま」
    「エンドーさん……今日はお医者さまが、顔色がいいって言ってくれたんだ」
     ゆったりした足取りで近づきつつ、そう語るカイにこちらからも近づきながら顔をほころばせる。
    「そうか! 昨日は食べれていたからな、やっぱり調子が上がってきたんじゃないか」
    「そうかもしれない、って自分でも思う。なんだか体が軽いんだ。今まで出来なかったこと、なんでも出来そう」
     カイが笑い返してくれた。カイのこんな笑みを見たのはいつふりだろう。心臓がドキリと跳ねるのを悟られないように、笑みを崩さずエンドーはカイの隣に立った。
    「帰ろう、カイ。今日もサンドイッチ、作ってやるから」
     カイは相変わらずのろのろと歩きながら、うん、と頷く。嬉しそうに。
    「ああ。……ああ……なんか、走りたい、な。久しぶりに」
     そう言いながら急ごうともしないので、エンドーは数秒黙ってから「先に飯だな」と返事をした。病院から警察庁へ戻るには、歩けると言えど多少の距離がある。普段ならカイのことを慮ってバスかタクシーを使っていたが、カイが走りたいと思うなら歩かせてもいいかもしれない。疲労が見えたらそこからバスを使えばいいか、と判断して、いけるところまで歩かせた。カイは楽しそうにしたまま、時間はかかったものの警察庁までを歩き切った。
     カイを一旦部屋に送ってから自室に帰って、洗ったカイの服と食事の用意を回収し、カイの部屋に戻る。荷物を整理して昨日と同じようにサンドイッチを作ってやると、やはり昨日と同じ量だけ食べれると宣言した。二日続けてとなると、明日も期待できそうだ。「明日は具を変えてみるか?」と尋ねると「卵がいい」と今食べているものを手にして微笑むので、ゆで卵を大量に作っておいた方がいいかもしれないと思い直す。明日は用事も仕事もないので、いつも通り、夕方頃に食事を作りに来ると伝えて、ブランチ用に少し多めのサンドイッチを残して自室へ。


     学んだことはたくさんあった。病が繊細なものであること。もうすでにたくさんがんばっているから、これ以上の無理をさせないこと。本人がつらいと言ったらそれが限界だとちゃんと理解すること。そしてそれ以上に、本人がつらいと言える環境を用意してやること。お医者さまが言うには、エンドー自身がカイに無意識で無理を強いることがあるかもしれないから、関わらないことも看病のひとつだ。――身の振り方を、悩んだ。これまでにないくらい。
     最初は普段通りにしようとした。カイを病人として扱わず、レッカと同列だと思うように自ら努めた。しかしそうすると欠勤を咎めないといけないと気づいてすぐに辞めた。これ以上の無理は、駄目なのだ。休んだということは、もうそれが限界だ。カイが努力家なことは十分に知っている。ならば叱れない。
     であれば、と、次にエンドーはカイとの関わりを絶とうとした。それでしか「無理をさせない」がわからなかった。休みだとしても、心配せずに意識から彼を追い出す。関わらないことも看病だと何度も自分に言い聞かせ、カイがこちらへ関わろうとしてきた時だけいつも以上に優しく接する。つらい、と言える環境だったかどうかもわからないが、彼の言葉には深く耳を傾けてSOSを逃さないようにした。
     それがしばらく続いたのちに、本人がこの在り方を拒絶した。「エンドーさん、そんなふうに突き放して、俺を病人にしないでくれ」。そう言ったのはカイの方で、エンドーはそれに応えたに過ぎない。遅刻や欠勤ばかりでミスが増えて、正常な判断が出来ない精神病患者の主張を、受け入れたのだ。それが正しかったとはエンドー自身思っていない。何が正しかったのかも、わかってはいなかった。それでも受け入れたのは、ただカイを好いていたからだ。エンドーにはそれ以外の理由が見つからない。
     まだ新人と言えどずっと面倒を見てきて、共に戦った仲間だ。仲間としての好意なら十分にあるし、人類の希望として彼を敬愛する気持ちも持っている。こちらを見上げて、エンドーさんはすごいな、と感嘆を伝えてくれる彼のことを大切に感じている。
     特別だったのだ。彼のことが、間違いなく。レッカと並んで、世界で一番大切な宝物。
     だからこそ、関わり方をずっと考えてきた。無理をさせないこと。それは念頭におきながら、ずっと少しでも生きながらえるように、生きていていいと思ってもらえるように、生きていたいと感じてもらえるように、努力し続けていた。学んだことはたくさんあったのだ。例え、それが足りないにしても。

     エンドーは足元を見る。手放してしまった食事の用意と、落ちていたメモに影がかかっていた。顔を上げるのが恐ろしい。メモを拾い上げる。硬く尖った、カイの字だ。文字を理解したくないと脳が叫んでいる。しかし読まねば。読まねば。三度ほど目が滑り、しかし内容を理解してしまう。
    『エンドーさん、ごめん。飯を食べきれなかった。謝らなきゃなんねえのはこれだけじゃないけど』
     短い、短いメッセージ。キッチンを振り返る。シンクには洗われた皿と、ひっくり返されたように散乱したサンドイッチ。影の方に顔を戻す。ゆっくりと顔を上げる。
    「ああ、カイ……」
     出た言葉はそれだけだ。天井の梁に括りつけられた、シャツ製のロープ。静止した振り子。カイが首を吊っていた。

     エンドーは包丁とあらん限りの力で以て、ロープ代わりになっていた服を引きちぎり、カイの体を下ろした。そして持てる知識のすべてで蘇生を試したが、それでもカイの呼吸が戻らなくて、泣きながらレッカや幹部に連絡を取った。助けてくれ、と泣き叫んで、人の到着を待つ短い間に涙が枯れて、真っ先に飛んできたレッカにさえ何も言えなかった。
     カイの死は、世間に公表されないこととなった。葬儀を済ませて落ち着いてから発表するらしい。どうして、と一度だけ尋ねたら上層部から「世間が混乱するだろう」と返事があった。アンドロイドという友を失い、果ては人類の希望さえ失った人の子がどう感じるか。それはわからないでもなかったのでエンドーはただ黙って従った。カイの死亡は、自殺は、警察と警察病院間の上部のみが知る最重要機密となり、簡易な葬儀が庁内で行われた。遺体は火葬も埋葬もされず、今は冷凍保存されているらしい。世間に公表され、葬儀場や火葬場の準備が出来次第、燃やして供養するという。
     エンドーは呆然と医療チームに回収されるカイの死体を見送った。宝物の半分を失った。レッカが残されたと言えど、そのレッカが険しい顔でこちらを見る。「どうしてカイを死なせた」と自分を責め立てているようで、エンドーにはレッカに関われなかった。宝物の全部を失った。
     どうしてカイは死んでしまったのだろう。遺書になったあのメモは、エンドーが受け取った。何度となく読み返して、涙をこぼして汚してしまっても手放せずに文字を辿った。飯、そんなに、不味かったかなあ。独り言を放ってひとりで笑ってみれば、あまりにも自分が不気味で余計に笑えた。カイ、どうしたらお前を死なせずに済んだのかな。飯を作り続けなければ良かった? 薬を取り上げなければ良かった? あの日、部屋を掃除しなければ、せめて溜め込んだ薬も見て見ぬふりをすれば、良かった? でもそれが出来ないから、自分たちは警官なんだろ。捜査官になったんだろ。
     何が間違いだったのかわからない。正解もわからない。そもそも、カイに役目を託したこと自体、間違いだったのかもしれない。あの体にきっと「人類の希望」は重すぎた。
     カイの部屋と同じ間取りの自室に戻って、エンドーは静かに梁を見上げる。あのあたりにシャツを結んで、首を入れようだなんて、カイもよく考えたものだ。怖くはなかっただろうか。苦しくはなかっただろうか。どんな気持ちで遺書を書いたのだろう。謝罪の言葉を綴る時、自殺を辞めようとは思えなかったのだろうか。そこまで考えて、ふと、エンドーは思い出した。カイが話した自殺前日の言葉――今まで出来なかったこと、なんでも出来そう。
    「お前、いつから、死ぬ気で……」
     止まりかけた息を飲み込んで、吐いて、ふらりと立ち上がる。テーブルを足場にすれば、簡単に梁がさわれた。ネクタイをほどき、簡単な輪を結ぶ。それを梁に固定。
     全身が震えた。恐怖はある。しかし惹かれてしまう。怖いもの見たさの究極が心に渦巻いていた。確かに首をこの輪に通したところで立ち続けていれば安全な高さだが、座ったままで届くものでもない。体重は八十キロ、ネクタイが千切れるとは思えない。結び目が解ける可能性は無くもないが、自分の握力を考えればそう簡単にはいかないだろう。
     ここに首を入れて、少し腰を落としたら。それで気を失ったら。そして足に力が入らなくなったら。行き着く先はカイと同じところだ。
     未だエンドーには正解がわからない。何を間違えたのかさえも。けれどカイの気持ちなら、今からでもわかるのかもしれない。
     はは、という笑い声は歯のぶつかる音が混ざって、嗚咽のようにも聞こえた。
    「カイ、カイ……好きだよ、好きだった。死なせたくなかったんだ。レッカ、すまん」
     エンドーが紡いだ言葉はそれだけで、あとは体が勝手に動いていた。息苦しさの果てに、意識が落ちる。

    --- * ---

     システムオールグリーン。データベースアクセス。登録名確認。照合完了。
     そんな機械音声が聞こえている。エンドーが目を覚ますと、研究室を背景にレッカがこちらを見ていた。
    「起きたか」
    「ああ、レッカ……自分、寝てた、のか」
     確かメディカルチェックを受けていて、脳波スキャンしてもらったあたりで、記憶が途切れている。そこで眠ってしまった感覚はないが、状況から察するにそういうことだろう。寝起きだが意識は妙にクリアだ。服はユニフォームのようだがネクタイとジャケットだけない。額にバンダナもない。首を回して状況を確認すると、それらはストレッチャーに引っ掛けられていて、さらに隣でカイも目覚めたところだったようだ。
    「ああ、カイ。調子は」
    「……悪くは、ないと思う」
     体を動かす度に、ぎし、と軋む。長く眠っていたせいだろうか。レッカを見ればひどく険しい顔をしてこちらを見ており、彼にしては言葉を選んだ様子でぽつぽつと語り出した。
    「事故だった」
    「は?」
    「事故ったんだよ、テメェらは。メディカルチェックが終わって、帰る途中だった。自律思考、……が、止まって、自動操縦がポンコツになったオートモービルがぶつかったんだ、チビもオッサンもダッセーよな」
     言葉はいつも通り刺々しい、のに、レッカの表情が反発や反撃を許さぬほど険しい。カイも剣呑な空気を察してか口を噤んでいる。沈黙に耐えかねたのはエンドーで、レッカ、と名前を呼んでみれば、彼は髪を掻きむしるようにして吐き捨てた。
    「怪我の治療は済んでる。傷跡もないくらい回復してる。なのに起きねえから、病院からこっちの研究室まで運んで多少のショックを与えた。それが今さっきだ。これで全部だ、文句ねえだろ」
     だから起きろ。起きて歩け。そんなふうに続けるレッカの、思い詰めた様子に焦りを感じるが、きっとこれも彼なりの心配だろう。体を起こして、もう一度あたりを見渡す。カイがいる。時計は見当たらないが、研究室員はいないあたり、たぶん勤務時間外で、自分たちを目覚めさせるためのショックとやらも、レッカが自己判断でやったのだろう。死ななくて良かったし、あとで幹部に大目玉を食らう覚悟をしなければ。いや、それよりも今はとにかく、カイの心配だ。記憶にある限りで最後のカイは、病を抱えていた。
     ベッド代わりになっていたストレッチャーから足を下ろす。カイ、と名前を呼んで、手を伸ばした。真っ直ぐに手を頬に添え、強制的に視線を合わせる。冷たい頬だ。きっと寝起きで体温調節が上手くできてない。
    「カイ、生きてて、良かったな」
    「……」
    「生きてて、良かった。またお前と生きていける」
     お前もそう思ってくれ、と願うように、もはや押し付けるように、強く言葉を重ねる。カイはしばらく返事をしなかったが、最後には「エンドーさんがそう思ってくれるなら、俺も生きてて良かったって思う」と呟いてくれた。
     誘発した言葉だろうが、今はこれでいい。死んでおけば良かったなんて聞いてしまった日には自分もレッカも、生きていられるかわからない。無理をさせないこと、という鉄則には反しただろうが、これ以外のことならわがままも病の弊害も受け入れてみせるからと自分の中で言い訳をして、頷いた。ぱっとレッカの方を見る。
    「長い間眠っていたようで、迷惑かけたな。目覚めてからの指示は下っているか」
    「いや、別に。ああ、でも目覚めた翌日は自由に動けると思うなって言われてたぜ。脳みそバグってるかどうかの検査がどうとか」
    「ああ、了解だ。ひとまずカイを自室に送りたい。それはいいな」
    「いいに決まってんだろ。オレ様はもう寝る」
     ずいぶん疲弊させてしまったのかもしれない。寝ると言ってすぐさまその床で丸まって眠り始めたレッカに、ジャケットだけ与えて、カイの方へ振り返る。
    「カイ、歩けるか」
    「たぶん」
    「……自分が運ぼう」
     歩ける、と言いながら何か難しい顔で動こうとしないので、衣類を回収して片腕に引っ掛け、そのままカイの体を抱き上げた。思うより重いと感じてしまうのは、眠っていたせいで筋力が落ちているからか。カイはされるがままになっており、ぼうっとレッカを見つめている。しかしレッカから視線が返されないとわかると目を閉じてしまった。それを合図にして、研究室を出る。
     ゆっくりとカイを運ぶ。真夜中と判断したのは間違っていないようで、館内は静まり返っていた。そこに二人分の重みを湛えた足音だけが響く。沈黙に耐えかねるのは、いつもエンドーの方だ。
    「実はなあ、カイ。自分は事故に遭ったって覚えがなくってなあ」
    「……」
    「メディカルチェックの途中で記憶が途切れているんだ。たぶん、事故のショックで前後のことを忘れてしまってるんだろうな。カイも事故のことを覚えていても覚えていなくても、きっと心にダメージがあるはずだから、お医者さまに相談しておけよ」
    「……ああ。そう、する……なあエンドーさん」
     カイの腕が首に回された。ぐっとしがみつくように体が押し付けられる。肌と肌が合わさってへこみ、密着する。
    「今夜は一緒にいてくれないか。眠れそうにないんだ。もう二度とこんなお願いしないから」
     そんなの良いに決まってる。何度だって、良いに決まってる。しかし思うようには言葉にならず「ああ」と短い言葉で何度も頷き、跳ねそうになる足取りを必死に押さえつける。ペースをできるだけ乱さず、どうにかカイを部屋に運びきり、ベッドに寝かせた。服はもうそのあたりに散らして、髪を梳くように指を通すと、子供を彷彿とさせるほどのあどけない笑みをされる。
     カイ。自分の世界で一番大切な宝物の、半分。
     額を寄せる。くっつける。皮膚越しに骨が触れ合うような感覚が確かにある。まだ、冷えているけれど。
    「カイ。本当に、生きてて良かった。戦争の時からずっとそう思っている」
    「う、ん」
    「大事なんだ。お前のことも、レッカのことも失いたくない」
    「うん。うん……エンドー、さん、俺、駄目な後輩でごめん」
    「謝るな。せめて今は」
     カイが口を閉じた。手を握る。握り返してくれた。もうそれだけでいい。
     沈黙にエンドーが耐え切れれば、会話などなくとも、ふたりはただそこに存在できる。長い長い静寂の果て、眠れないまま夜を明かして、カイが静かに呟いた。
    「でも俺、本当に、調子がいいんだ」

     エンドーとカイが目覚めたことはすぐに庁内の知れ渡るところになった。念の為と行われたメディカルチェックには医師と研究室員が同席し、記憶にあるものとはほんの少しずつ違う方法でバイタルデータが取られていく。「自分が寝てる間に技術革新でもあったんッスか」と聞いてみれば、その通りだと研究室員が頷いた。エンドーとカイはおおよそ二年ほど眠っていたらしく、その間に新しい機材を投入したため、扱いについて医師をサポートするエンジニアとして研究室員がひとり同席することになったのだと言われた。
     その最中に事故について聞いた限りでは、世間的には事故そのものがなかったことになっているようで、外出においても特に心配するようなことはないという。健康状態も以前と変わらないしね、と医師に見せられたデータは確かに普段の自分そのものだった。二年も眠っていたにしては、健康すぎる。そのあたりも新機材のおかげかと冗談めかして尋ねれば真顔で頷かれた。その後長い睡眠から目覚めた場合に起こりがちな体調変化と対策について、さらには二年間に起こった世間の変化についての説明を受け、やっとのことで解放された。カイはここからいつものようにカウンセリングのような診察があるのだろうと思えば哀れにもなってくる。
     ただ待合室にいるのも息が詰まるので、外に出る。レッカは今回のチェックを受けていないのでカイの診察を待つのはエンドーひとりだった。町並みを見つめて、目を細める。
     対アンドロイド戦争から二年。人間の生活は、アンドロイドを再歓迎し、共存の道を歩こうとしている。人間に混じってアンドロイドが稼働している。あちこちのデバイスで自律思考システムが働き、人間の相棒として、良き友として生活に溶け込んでいた。セキュリティの強化は済んで、戦争の仕掛け人であるイーサンは一年前に逮捕されて、半年前に戦犯として断罪、処刑されたと聞く。ロイやノリス、エルの復元ホディはアンドロイド再生産を保証するデータのために再起動され、データが集まった時点でシャットダウンされていた。あとは戦争の遺産として、国に保管されている。
     ぼんやりと立っていると、カフェやレストランが視界に入ってくるが、まったく食べる気にならない。カイの手前、食べないという選択肢もないので困ったものだな、これも眠っていた弊害だろうか。特に説明の中にはなかった気がするが、ある程度は個人差があるだろう。カイの診察が終わったら、また飯を作ってやらなくてはならない。好みは変わっていないだろうか。サンドイッチをまた食べてくれるだろうか。ぐるぐると懸念が巡り、まあそれも本人に聞いてみれば解決するかと結論づけられて、病院内に戻った。カイが出てくるのを待つ。
     思うより早く出てきたカイは「事故前と変わらないってさ」と読めない表情で伝えた後「帰ろう」とエンドーの前を歩いていってしまう。記憶にある限り、カイの調子は良かったから、事故前と変わらないというのは安心出来る。
     バス停まで来たところで、カイが振り返った。
    「今日気分いいから、この先も歩いていいか」
    「ああ、もちろん……でも事故後だからオートモービルには気をつけような」
    「心配性だな、エンドーさんは。もう二年も経ってる、自動操縦だって回復してるだろ。前方に生体があればブレーキがかかるさ」
     そう言われればそうか。アンドロイドが再び世の役に立ってくれている時代だ。
     警察病院から警察庁への道のりをのそのそと進んでいく。前回事故に遭ったというのはどのあたりだろうか。いつもはバスを使って帰るから、その途中でオートモービルに突っ込まれたのだろうか。悩みつつも踏切に行きあたる。うるさいくらいの警報音が鳴っていて、少し先を歩きながら、カイはそれさえも心地良さげに聞いている。
     不意にカイが声が聞こえてきた。こちらを見ていないから、聞こえにくいはずなのに、あまりにもはっきりと聞こえたのだ。
    「ああ、エンドーさん。ごめん。俺、出来た後輩じゃなくて」
    ――それは直感だった。けれど確信でもあった。
    「カイ! だめだ、やめろ、」
    「はは……エンドーさん、ごめん。ごめんな。調子がいいんだ。今は、なんだってこわくない」
     警報音の真ん中を割って、カイの声が綺麗に聞こえてくる。なのにカイが遠ざかる。踏切のバーに体を遮られ、伸ばした手も届かない。もうカイは線路の真ん中にいる。
    「カイ!」
     エンドーさん、と返事をしたのかもしれない。しかしそのときにはもうエンドーの目の前には通り過ぎる電車しか見えなかった。吹き飛んだカイの体を、認識できずに思考回路がショートする。カイ、カイ、と叫びながらエンドーの体はバーを潜っていた。電車は通り過ぎる。撥ね飛ばされて、向こう側の線路に落ちたのか、カイの体はひしゃげながらもそこにあった。警報音は鳴り止まない。カイ、と嗚咽のように名前を呼びかけるが返事がない。
     ああ、ああ、と言葉にならない声を上げて、エンドーは確かに、また迫り来る電車の光を認識した。

    --- * ---

     システムオールグリーン。データベースアクセス。登録名確認。照合完了。
     そんな機械音声が聞こえている。エンドーが目を覚ますと、研究室を背景にレッカと研究室員たちがこちらを見ていた。
    「……チビも、オッサンも、テメェら、なあ……!」
    「ああ、レッカ……そう怒らないでくれ。また自分は寝てた、のか? また事故にでも遭った?」
     この光景は見たことがある。というより、昨日の今日、という印象だ。メディカルチェックを受けていて、脳波スキャンしてもらったあたりで、記憶が途切れて。そして目覚めてみれば二年の月日が経っていて、改めてメディカルチェックを受けることになって。また、スキャン中から記憶がない。
     相変わらず、寝起きで記憶も曖昧だが意識は妙にクリアだ。服はユニフォームのようだがネクタイとジャケットだけない。額にバンダナもない。首を回して状況を確認すると、それらはストレッチャーに引っ掛けられていて、さらに隣でカイも目覚めたところだったようだ。
     体を動かす度に、ぎし、と軋む。長く眠っていたせいだろうか。レッカを見ればひどく険しい顔をしてこちらを見ており、研究室員が代わりと言うように一歩前に出て説明をしてくれた。
    「今度は電車との衝突……事故、でした。こちらはカイさんの自殺未遂と睨んでいます。記憶は?」
    「ない」
     カイが端的に返事をすれば、研究室員は「でしょうね」とため息をつく。
    「エンドーさんはカイさんの自殺を止めようとしたか庇おうとしたか、まあ、そんななんらかの理由で巻き込まれています。そして治療が施され、こうして目覚めました。今度は半年ほど眠っていたことになります」
    「そう、か。そうか。説明感謝する」
    「いいえ。本来ならメディカルチェックを行うため即刻病院に向かわせるところですが、今回はカイさんの自殺未遂を省みて、警察庁からの外出を禁じます。主に寮室から出ないように。出ても警察庁の館内しか許可できません。チェックは同行者の都合がつき次第案内しますのでそれまでは待機を。部屋までレッカさんが付き添います」
     それが指示なら従う他あるまい。頷いて、足をストレッチャーから下ろした。腕にジャケットなどを引っ掛けて、カイが隣に立つのを待つ。カイはしばらく呆然としていたが、「自殺に失敗したのか」と呟いて頭を振れば、もう普段通りだった。ジャケットを羽織り、ネクタイは引っ掴んで、レッカを真っ直ぐに見つめる。
    「すまなかった、レッカ」
    「……謝んな。きもちわりい」
     吐き捨てるようなレッカのセリフ。重ねて自分も謝るべきだとエンドーは感じるが、謝るなと言われてしまった。言葉を変えて「ありがとうな」と伝えてみると「ウッセー」と返事がある。
     レッカに連れられて、まずはカイの部屋へ。その時点でレッカが飽きていたのか「もうオッサンもここで過ごせよ」と乱暴な言い付けがあった。正直、カイのことが気になるので一緒に過ごす口実があるのは嬉しい。カイ自身に許可を求めると構わないという旨の返事があったので、大人しくカイの部屋にお邪魔することにした。テーブルの傍にあぐらを組む。レッカはしばらくぶすったれた顔でそこにいたが、すぐにベッドを占領して大いびきをかき始めた。それを笑って見つめていれば、カイがエンドーの傍に寄ってくる。
    「エンドーさん、俺、昨日の夜……いや、半年前の、夜だけど」
    「ああ、わかるよ。生きてて良かったと、自分は伝えたな」
     自殺を試みたと言われる前の日の夜。二年眠って目覚めた夜。眠れそうにないからと部屋に上げられ、手を握り合って、過ごした。言葉はそれほど交わさなかったが、通じた思いがあると思いたかった。
    「俺、それ聞いて、申し訳ないとしか思えなかったんだ」
    「うん」
    「生きてて良かったって言われて、そんな価値が自分にあったとも思えなくて、ああどうしてあの戦争でロイと相討ちにならなかったのかって何度も考えた。俺はロイを壊して人類の希望になったけど、エンドーさん、あんた自身にとって価値のあるものではなかった気がして」
    「そんなことない。お前さんは……お前さんと、あの子は、自分にとってとても大切なんだ」
    「それが、信じられないんだ。だから申し訳なかった。今も申し訳なく思う」
     また手を握り合う。冷たい皮膚だ。手を引っ張って胸の中にカイを呼び込み、強く抱きしめる。硬い体。冷たい皮膚。自分たちは、目の前にいる人間を、上手く愛することが出来ない。
    「伝わるまで、伝えてやるから」
    「うん」
    「何度でも、大切だって伝えるから」
    「うん」
    「だから、自殺だなんて、考えないでくれ」
    「……エンドー、さん、それは難しい。今、とても体が軽いんだ。なんだって出来そうなくらい」
     それは何度も聞いたセリフだ。つまり彼は「なんだって」の中に「自殺」を含んでいる。
    「やめてくれ……なんだって出来るなら、自殺を我慢することだって、生きることだって出来るだろう」
    「ああ、そうか。そういう考え方も出来るな」
     カイがエンドーの胸の中に顔を埋めて、会話はそれで終わりになった。赤ん坊をあやす様に背中を叩くように撫で、大切だと伝える。伝わるように祈る。しばらくして「やっぱり眠れないな」と呟きが聞こえてきたので「二年と半年、眠っていたからな」と答えれば笑い声が返ってきた。
     そこからさらに時間が経って、ふとレッカが目を覚まして「メシ!」と叫んだので、レッカに買い出しを頼んでエンドーがサンドイッチを用意したが、カイはおろかエンドーさえ食べる気にならず、ただレッカがあるだけ食い尽くして食事は終わった。食後も眠ろうとするのはレッカのみで、カイとエンドーは眠れない夜を、身を寄せあって過ごした。

     日が昇れば、レッカが本部の方へと出勤して行ったので部屋の中で二人きりになる。眠らずに一晩以上を共に過ごしていればさすがに暇になるのでカイと連れ立って庁内を歩くことにした。散歩程度の軽い運動だ。出来れば自室待機、というだけでこの建物を出なければ問題ないようだし、この程度は許されるだろう。あちこちに顔を出して暇そうな職員を見つけてはこの二年半の変化を聞いていく。レッカは二年半の間に随分と出世していたようで、今では捜査班と研究室に跨って仕事をこなしているらしい。戦うことしかしなかったレッカが、と思ったが研究室員に聞いてみると案外役に立っているようだった。「確かに、研究者としてはレッカさんは馬鹿ですけど」そんな身も蓋もない物言いにカイは少しばかりほくそ笑んで、続いた研究室員の言葉に笑いを止めた。「エンドーさんとカイさんの身を一番案じていたのは、レッカさんですから。熱意だけで言えば、レッカさんに敵う室員はいません」。
     昼食の時間になると、あちこちから食べ物のにおいが漂ってくる。カップ麺であったり、パンであったり。カイにはそれが耐えられないらしくエンドーの袖を引いて「どこか逃げよう」と言ってきた。その言い方がかわいらしくて、ああと頷いてしまう。手を引かれるままあちこちへ逃げ惑って、辿り着いたのは屋上だった。ヘリの離着陸に使う場所なので、不要不急時の立ち入りは禁止されている。ヘリは別所に保管されているため、今はここにはない。
     透き通るような青い空と、ほんの少しの雲が流れていて風が心地いい。
    「ああ、エンドーさん、ここ、いいなあ。エンドーさん、心の病を患った人間のこと、考えたことある?」
     あまりにも唐突な問いかけだった。けれど思いつくまま、「お前のことならずっと考えている」と答えれば「ありがとう」と言われる。
    「ありがとう。嬉しいよ。すごいんだ、体が重くてベッドから出れなくなって。体が動かない分、思考がぐるぐるまわって。ずっと頭の奥で声がするんだぜ、『死ぬべきだ』って。死ぬべきだ、死ぬべきだ、って声がして、自分もそれに同意するのに、体が動かないから死ねない。お医者さまにもらった薬は、飲まなきゃって思うほど飲めなくてどんどん溜まる。オーバードースの意図はなかった。けど、エンドーさんが薬を発見してからは俺が自殺するんじゃないかって疑いの目で見てくるのが怖くなって余計に動けなくなった」
     違う、疑ったわけじゃない、と伝えたいのに、カイが話し続けるせいで口を挟む間がない。
    「でもある日ふと気づくんだ、エンドーさんが部屋に来る夕方ならなんとか動ける。食べれなかったものも、一口や二口なら食べれる。たぶんこういう『出来る』が積み重なって、自信になって、次はな、こうなるんだ。『今なら死ねる』。ずっと思ってた。今なら死ねる、今なら死ねるって。だから、エンドーさんが、来る前に上手く体が動いたら首を吊ろうって決めていたんだ。そうしたらエンドーさんが見つけてくれるだろ? 誰にも見つからずに死ぬっていうのは、きっともう、俺には難しいから……せめてだいすきな人に見つけてもらいたかったんだ。前の俺はエンドーさんの前で死ぬことを選んだみたいだけど――今の俺もそうかな。エンドーさん、今度こそ俺はひとりで死ぬ。俺の後追いなんかしないでくれよ。俺だって、エンドーさんが好きなんだ」
     カイ、と震えるまま名前を呼ぶが返事もなく、カイは靴を脱ぎ揃え、こちらを振り返った。大きく手を広げて、屋上の淵で、後ろ向きに倒れていく。
    「カイ!」
     ああ、こう叫んだのは、初めてのはずなのに。ひどい打撃音が上がるのが聞こえた。ビルの下を覗き込めば、カイの体が潰れている。ああ。どうしたらいい。自分の、世界で一番大切な宝物の、半分。それを失って、どう生きていけばいい。大切だと伝えていくと言ったのに。伝わっていなかったならどうしたらいい。
     しかし判断するならビルの足元に人集りができる前だ。もう五秒もせず人が集まるだろう。――決断をした。もう、良い。ここで死んでも、きっとまた、目覚める。
    「なあそうだろう、レッカ。すまん」
     エンドーはそう呟くなり、その身をカイの元へと投げ下ろした。

    --- * ---

     研究室の中で、レッカは嗚咽を噛み殺している。他の職員は皆眠ってしまった。正直、ここまで「人類の希望」にこだわるのは、自分だけだ。そしてこれが予算的にも最後だと言われている。もう次はない。次は死なせられない。だけどどうすればいい? それがわからない。ずっと正解がわからないし、何を間違えていたのかもわからない。だけど求めているものはわかっていた。カイとエンドー、ふたりの生還だ。
     カイの首吊り死体を前にして、身を削られるほどの痛みを覚えたのはエンドーだけではなかった。それはレッカも同様であり、そして、後追いを考えたのだってレッカも同じだった。しかしエンドーが先に死んでしまった。エンドーが先に首を吊ってしまった。ならば残されて、同じように死ねるかと思えば違った。この人生の中で、自分の半身だとすら思えた人間ふたりの死を目前にして、レッカが考えたことは蘇生であった。
     といっても生体として彼らを呼び戻すことは到底不可能だ。しかしデータなら潤沢にあった。頻繁なメディカルチェック。データは十分にストックがあったのだ。メンタルデータから思考回路をパターン化して自律型アンドロイドと同様に変換処理し、人格演算式を生成、フィジカルデータを元にボディを生産。コンピュータを埋め込み、思考回路を埋め込んだ。有機体と無機体なのでまったく同じ体とは言えなかったが、同じ見た目で、同じ思考回路が入るなら、それは同一人物だと言える。そうしてレッカはかつての相棒と上司を、自分の半身とも言えるふたりを、作り出した。
     ふたりが死のうとも目覚めたのは、ふたりがアンドロイドだったからにほかならない。
     同様に生体に反応してブレーキがかかるはずの電車が、止まらずにカイとエンドーを撥ねたのは、カイとエンドーが生体でなかったからにほかならないのだ。
     すべては、レッカの願いが産んだもの。けれどこれがラストチャンスだ。これ以上のボディ再生産は許されない。――まあ最悪、多少の不正も覚悟の上だ。バリィのやり口を参考にすれば、未だ管理の杜撰なこの警察という組織を資金源に出来る。
     最後になるかもしれない起動準備をこなしながら、レッカは思い出している。それは誰の言葉だったか。壊したアンドロイドの、誰かが言っていたのだろうか。どうして、人類はアンドロイドを生み出したのか。そんな問いかけの答えだ。
    ――きっと、友達が欲しかった。
     レッカは思う。友達なんて必要ない。けれど、一度手に入れたものを失うことは、出来ない。
     復元したふたりのボディにそれぞれコードを繋ぐ。操作パネルをタップして、インストールの画面を開く。あとはこのボタンを押すだけだ。そうすれば、このボディは、カイとエンドーになる。
    「返せよ」
     レッカが呟いた言葉を、ふたりはまだ聞けない。
    「返せよ、オレ様の、……!」
     そうしてインストールボタンが押され、コードの中をカイとエンドーの命が駆け抜けていく。
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    🙏🙏🙏💘☺🐰
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