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    mctk2kamo10

    @mctk2kamo10

    道タケと牙崎漣
    ぴくしぶからの一時移行先として利用

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    もう何を投稿して何を投稿してないのかわかんなくなってきたので今日でひとまず連続再投稿終わり!今後は気が向いたときに。
    最後はお気に入りのミルナタ(道タケ)

    #腐向け
    Rot
    #エムマス【腐】
    #道タケ
    #ミルナタ
    myrna

    月影の王 音さえも凍ったように冷えている。民に限らず、家畜も家禽も、王や太陽さえも眠り、流れる川の音だけが温度を残してごうごうと響いている。世界にたったひとりになってしまったような錯覚を抱きながら、反乱の子は王宮から町を見下ろした。
     視野の狭窄な、王であった。ナタケイルにはその自覚がある。目の前の民を守るため、外交に目を向けなかった。王族として生まれたというのに、そのための教育も受けてきたというのに、兄があまりにも民を省みぬものだから、半ば躍起になって「民」に固執した。国の外が見えなくなっていた。そして反乱を起こしたのだ。二度も、血の繋がった兄に刃を向けた。
     町にかざした手を見つめる。ぐっと握る。人を殺すことが罪だとは言わない。だが、兄弟を殺めることは、殺める覚悟ができることそのものは、少なからず、罪だと思えた。
     同時に殺されることも覚悟の上だった。この反逆は正義の施政と思ってはいたが、敗北を考えなかったわけではない。その可能性も織り込み済みで刃を向けたのだ。事実、反逆そのものは成功しなかった。国外から侵攻を受けるという脅威を前に休戦せざるを得ず、互いへの理解を深めてしまった今、反逆の必要性もない。成功しなかったが、失敗もしなかった。この首は繋がったまま自分は呼吸している。血族に殺意を抱いた罪の意識を残して。
     この身で出来ることは、もはや知ることしかなかった。自らを狂わせた魔王を賢王と認め、離れて、自らを知り、そして国の外を知る。必要なことは、それだけだ。ここに帰ってくることすら要らない。罪悪感を決意で塗りつぶして弟王は王位を捨てた。荷はまとめてある。彼は日除けのローブを纏い、小屋に降りて若く力あるラクダを二頭引き出して片方には荷を渡し、片方の鞍に跨った。ラクダは特に吠えることもなく、仕事だと察して外に出ようとする。ナタケイルは手綱から一度手を離してその頭を撫でた。
     そして顔を上げて、気づく。厩のそばに人影がふたり。月夜に浮かび上がる大小の姿を認めて鞍から降りたナタケイルにふたりは駆け寄った。
    「小兄様、こんな夜半に出なくとも……せめて数日いただければ国を上げてのお見送りもできましたのに」
     髪を下ろし、冠も身に付けていない少女姫と、彼女を守るように控える楯を交互に見つめる。ナタケイルが外遊という形で国を出ることは承前事項でも、これが真なる亡命であることと、出国の日時などは伝えてはいなかった。
    「キサミの予知夢か?」
     はにかむように頷く彼女は強く引き留めようとはしない。きっと何を言っても無駄だと悟っているのか。意志の強さではナタケイルも現王にも負けずとも劣らない。
     旅路の加護を、と両手を広げたキサミを腕の中に抱きすくめ、同じように姫の行く末も幸多からんことを祈った。果物を好む彼女の肌はみずみずしく、甘みが香り立つ。
     こういったものをすべて手放すつもりでいたのに、いざ抱きしめてみるとまざまざと後悔が湧きたち、離れられなかった。あの反逆の中で、国民以外では唯一自らにも理解を示してくれた妹姫に伝えたいことが溢れ出てくるようだ。しかし言葉にする間もなく、腕の中でキサミは身をよじる。
    「んう、小兄様、あまり強くすると痛みます」
    「……そうだな、すまない」
     やっとのことで手放した妹姫の頬を一撫でし、柔らかな力で再び彼女を抱きすくめた。
    「民と兄者を、頼んだ」
    「ええ。小兄様の留守の間、私が代わりを務めます」
     頷き合い、ナタケイルは次に、背後に控える楯の方を見つめた。
    ――我が名はミルチス! 王の楯にして、戦士の長を務める者!
    ――弟君……御覚悟を!
     確かに殺し合おうとした間柄だ。しかし今はその身に殺意も、悪意さえも、感じ取れない。ミルチス、と名を呼べば静かに彼は頭を垂れた。
    「我が王は弟君に恩赦を与えられました。であれば、貴方もまた、我が王として認められたということ。我が名は楯。王を、貴方をも、守るもの」
    「ああ、つまり、キサミもまたお前の守るものか」
     わざと話題を逸らしてやると、ミルチスはじっとナタケイルを見下ろした末に頷いた。
    「女王の器を持つ姫であります故」
    「ああ、だからここに着いてきたのだろう。――では、我ら王の楯よ。目前の民に固執するあまり国を危機に晒し、血を分けた兄弟にさえ刃を向けた愚王の命だ、聞け」
     わざと高圧的な態度を選んだ。その根底にあるのは兄であり、現王であり、楯が最上位と認めるあのラザキーの目線と声。これならばミルチスの心にも届くとどこかで感じていた。彼も口答えなどなく静かにその場へ片膝をつき、命が下されるのを待つ。
     王として即位する前の、幼年期から共に過ごしてきた男だった。戦士として王宮に出入りできる民の中でも年若い方だからと兄弟で気に入り、半ば世話係のようなこともさせてきた。兄が先に王座へと就き、その直属の護衛として彼が選び出された時に少なからず覚えた感情は嫉妬でもあったのだ。「兄君も弟君も、おふた方をお守り申し上げる」と言ってくれていたのに、兄が即位しただけでどうして自分を見なくなったのだ、と。――そんな我欲を言葉に出来るはずもなく、いつの間にかナタケイルは反逆に至り、こうして国を出る覚悟を決めていた。
     開いた唇はなんの音も発することなく一度、閉じた。そして再び開いた時にやっと下知を授ける。
    「王を、孤独にすることのなきよう」
     愛を捨て強さを求めた兄だ。きっと自分を失っては民の誰も、従おうとはしないだろう。そのとき、せめて、孤独の王のそばに腹心の者がいれば。
     返事は聞かなかった。聞く気もなかった。ナタケイルは再びラクダに跨り、キサミにのみ微笑んで、王宮を出た。
     城壁を目指す。門兵は数人いるだろうが日頃よりの交流もあって顔は通っている。先の反逆の件もあるからきっと亡命に協力してくれる。
     城門に辿り着く直前、ナタケイルは国を振り返った。冷えた夜だ。月は深く満ちて、まだ遥か高くにあり、風が砂を巻き上げて吹き荒ぶ。皆が寝静まり、音もなければトーチもなく、熱を感じられない。けれど彼はこの国の栄えを知っている。日が昇れば人は目覚め、働き、会話をして食事をしてまた眠る。そういった営みの中にいたのだ。確かに。民を選んだ反逆の王は。
     そのすべてを手放す覚悟をしていたナタケイルは荷の中からひとつの布袋を取り出した。それを胸に抱いて静かに目を閉じ、祈るように過去を想うと、袋ごと放り投げる。道の中央に落ちたのを確認して、振り返ると彼は門を開けた。
     袋から零れたいくつかの装飾が砂に埋もれていく。王冠は彼の頭ではなく、月影のもとで輝きを放った。


     ***


     ひとまずの路銀は、かなり多めに持ち出してある。ひとまずの目的地である国に辿り着くまで長くかかるが、道中の宿を借りるくらいのことはできるだろう。国ほどにも育たなかったオアシスを中心に、キャラバンや旅人を対象とした宿や野営地があると国民から聞いている。先の戦争でいくらか相場が変わっていたとしても対処はできるはずだ。為替の問題を考慮して、宝石や貴金属の形でもある程度は用意している。国の特産物も安く手に入れた。銀で足りぬにしても、物で支払えれば良いがと積荷を見下ろす。銀貨より食糧の方が心配かもしれない。ラクダの餌も積んでは来たがあまり余裕がなかった。
     目標としている国は、ちょうど大国と大国の中間に位置し(「大国」の片方とはナタケイルのいた国である)、キャラバンの支点としても有名である。商人が身を休め、情報を交換し、旅の消耗品を買い足す。そこならば、旅人としての心得もないナタケイルとて体裁を整えたり他国の知識を仕入れたりには十分であろう。日持ちするような食糧も補給できる。
     そうだ、無事に辿り着けばなんの問題もない。そして、この旅路は国内ほどとは言わないが治安の良い場所ばかり通る。仮に暴漢に襲われたとて、腕に覚えはある。ナタケイルは不安をひとつひとつ打ち消すように自分の状況を振り返っている。
     月と星の明かり、崩れては詰み上げられる砂丘。背後にはもう二度と帰るつもりのない故郷。それ以外見えるものがない。呼吸を整え方角を確かめ直してナタケイルはラクダを歩ませた。そのまま寒さを耐え忍び、夜通し進んで、まだ月のあるうちに最初の野営地に着く。
     砦とも呼べない、低い囲いと屋根があるだけの場所だった。砂は舞い込んでくるし、水辺もない。大型のキャラバンなら荷物を下ろしただけでいっぱいになってしまうような狭さ。そこに先客がいた。三人の男で、ひとりは寝ずの番として出入口付近に腰を下ろしていた。人の気配を感じたのか手元のナイフを握るそぶりを見せるが、まだ襲ってくる様子はない。
     月明かりがあると言えど、室内ともなれば薄暗くて顔はよく見えない。身なりや下ろされた荷ならばある程度判別できるが、それらから察するに商人だろうか。このあたりで商人と言えばもう少し人数の多い旅団を組むのが一般的だがこういった少人数でやっていくことも出来なくはない。むしろ大量生産の難しい工芸品を扱うならば大型キャラバンより小型の方が有利なこともある。
     ナタケイルは少しばかり逡巡したのちに、寝ずの番をしていた男の前に片膝をついた。
    「すまない、旅の人。ここを我にも使わせてほしい」
     男は返事の前に息を飲んだ。生唾を飲み下すような音をさせて、震える唇を開く。
    「……、貴方様は、いや……とにかく夜盗じゃあねえようだな」
    「ああ、驚かせてしまってすまない。ただの旅人だ。今この場についたばかりで、」
    「いや何、もっと明るいところで話をさせてくれ。まだ月は出ているか? ならば外へ」
     首を振る様子の男を疑問に思いながらも言われた通り、先に建物を離れた。いつでも逃走や反撃が可能なように、すぐそばにラクダを引いて、腰元のナイフにも手を添える。銀は胸元に忍ばせてある。
     男は月影のナタケイルを見て、嗚呼と呻いたのちに膝をついた。
    「やはり貴方様だ、王」
     言葉を失くしたのはナタケイルの方だった。片膝をついたまま在りし日の王を見つめる、目の前の男を見つめ返す。どうしてこの月明かりで自分だと断定出来たのだろう。国にいた頃も訪れた商人を何人か迎え直接話したこともあったが、大型キャラバンが対象であったし、こんな男はいなかった。他に自分の顔を知っているのは王宮の者、出入りしていた戦士。あとは町には頻繁に降りていたから、そのときに覚えられたか。
     疑問は残るがひとまずは過ちを正さねばならない。何事も。
    「やめてくれ、立ってくれ。もう王ではない。反逆を企て兄に敗し、国を危機に晒した。その責を負って王位を捨てたんだ。王とは呼んでくれるな」
    「左様でありましたか。――しかしながら、王。圧政と重税に苦しむ民に寄り添い、その為に奮起しようとした御姿を我々は忘れえませぬ。この記憶ある限り貴方様は我らの王だ」
    「……、そう、か。まだ我を王と呼ぶか。お前は」
     愚王ですらなくなった者に固執するならきっとこの者も愚か。ナタケイルもまたそこに膝を付き、男の顔を上げさせた。
    「反逆の頃、あの国にいたのか」
     ナタケイルが兄に逆らったのは、そう昔の話ではない。月の満ち欠けが一巡りしたかしていないか、という具合だ。その頃に迎えた行商人などたかが知れている。
    「その少し前には離れておりましたが、我々はあの国の出で。貧しさのあまり兄王様の施政に耐えかね、故郷を捨てる決意をし、今ではこうしてキャラバンの真似事をしております」
    「そうか。……そうか。苦しかったな。すまなかった」
    「ああ、貴方様に頭を下げられるような身分ではありませぬ! 御顔を……」
     顔を俯けたまま首を振った。すまなかったともう一度だけ呟いて、気づかれぬよう、男の身なりを確認する。一目でわかる。値が張るものだ。素材はもちろんのこと、縫製も良い。さらに汚れが見当たらない。服を換えたばかりというわけではないようで、使い込んだもの特有の緩みがある。これが商人としての一張羅だと言われれば納得できはするが、そんな一張羅をどうして旅の道中で着るのかという疑問も残る。
     貧民の出、商人としてはまだひと月程度の駆け出し。その割には長く使っている様子の高級品。王族であった自分の顔を、すぐに特定した知識。言葉遣いも「まとも」すぎる。そして何より、一度は国を捨てた者がこんな近くの野営地に留まるものだろうか。――関係者が身分をやつしているのか。そこまでは思い至るが、目的がわからない。
     ゆっくりと顔を上げた。男と目が合う。本当に困った顔をしていた。
    「しかして王、貴方様は、王位を捨てあの国の民を捨て、孤独を選んで、どうなさるおつもりか」
     悪意はない。それだけは感じ取る。となると恐らくだが、亡命しようとする自分に気づいた誰かが用意した護衛、か。その「誰か」は十中八九キサミであろうし、彼女の選んだ者ならば寝首を掻かれるようなこともないように思える。ラザキー直属の者であればもう少し警戒はしたが、彼はまずナタケイルが亡命を試みていることすら知らないだろう。そういうお人だ。他者から奪われることにはひどく敏感で意地でも手放そうとはしないくせ、所有物が自ら離れていく可能性には気づかず、自らへの好意と敬意に驕り、あぐらをかく。民の敬愛に応えようとしないばかりか搾取のようにも見える圧政を続け、戦争に備えてばかりいたその姿に何度歯噛みしたことか。
     その視点も必要だと知った今、取り立てて責めることは出来ない。だが兄にとって民も弟も同じなのだろうとは、想像に容易い。兄はきっと、首を狙った弟ですら自分から離れるとは思っていないのだ。少なくとも自ら罰するつもりはない。二度も戦いを挑んだならば、たとえ王族であろうとも首を落とすのが妥当であろうに。――だから旅に出るのだ。だから国に帰らないのだ。二人の王がどちらも半人前でしかないのであれば、兄王の及ばぬ判断を施すのは自らの役目。兄王が弟を処罰できぬと宣うならば、弟は自らを罰しよう。王として民を守る役目は妹に託した。
     ナタケイルは思い浮かんだ兄王の顔をすっと打ち消し、キサミを想う。この旅が真なる亡命と知っているのは彼女と、見送りに同行したミルチス。キサミと頻繁にやりとりしていたノーメスも知っている可能性は高い。他に感づいている者ならばいくらでもいるだろうが行動力を持っているのはこの三人であろう。そして護衛として腕の立つ者を選び出せるのは、王位継承権を持つ姫のキサミだけ。ミルチスやノーメスは王から権限を委任されなければ国外にまで人を遣ることは出来ない。
     改めて目の前の男がキサミの寄越した者だという確信をして、頷く。妹の気遣いならば無下にも出来まい。
    「……ひとまず、そうだな、我をお前たちの旅団に寄せてくれないか。戦士の長であったミルチスとも互角に戦えるこの腕、お前たちを夜盗から護る程度のことは出来よう」
     断られることはないと確信していた。
     本当にただの行商人だというのならここは断るはずだ。王に護られるなどとんでもない、こちらは王をお守りできないから、何かあってからでは遅いから、と。しかし今回、彼らは行商人などではない。
     男が頷き、「ただしお言葉ですが王に護衛などさせるわけには」と言い出すのを笑って遮る。
    「頼む、我は旅に明るくなくてな、手ほどきをしてほしい。そしてお前たちも商人であるならば何事も対価が必要だということくらいわかるだろう。そのためにこちらから差し出せる物は我が腕くらいのものだ。……ああ、この腕で足りなければ、そうだな、他に金銭はいくらか持ち出した。これを路銀にでも使うと良い」
    「王、我らと共に在ってくださるならばこれ以上ない名誉にございますが、しかし我々は対価だとかそんなものを求めているのではありませぬ」
    「なんだ? 王の下賜が受け取れぬと申すか」
     いたずらをするように笑い直せば、男は一度口を噤んだ。悩んだ末に頷いて「ご行脚に寄り添うことをお許しください」、それだけ言ってまた頭を垂れた。

     半ば強引に、そして同時に向こうの思惑に応える形で身を寄せた旅団において、男たちはナタケイルを敬い、そして何もさせなかった。元と言えど王を相手にしているのだから当然だとはわかっていても、歯がゆい。食料も自らの分は持ち出したものがあるから、と何度説明しても、旅には似つかわしくない豪勢な食事を渡される。麦酒も葡萄酒も望む前から出されるし、乾いていない果実もあって、それらは程よく熟れて喉を癒してくれる。こんな重いものを一体どこに積んでいたのか。荷を背負うラクダたちをナタケイルは目線のみで称えた。また、王を気遣ったのか歩みは遅く、ナタケイルが最初想定していた日数を過ぎても国さえ見えてこない。キャラバンに抜かれたことは一度。隊の規模が違えば情報交換さえしないのか、隊長と思しき男はこちらを一瞥したのち少し距離を取って、皆で歩き去った。その足跡もすぐに風が埋め、自分たちはゆっくりと追いかけている。
     そして同時にここまでの準備の良さを思って、確信を深めた。これは亡命を知るキサミが用意した護衛。だから気兼ねする必要はない。目視する限り、荷は最寄りの国と自国を往復するに足りない。向こうで何か買い足すのかもしれないが、とにかく連れ戻されるようなことはないだろう。時間はかかるようだが戻るようなことがないのならそれでいい。怪しい動きを見せたらこちらから離れるのみだ。
     ナタケイルが覚悟を決めて進む数日、たくさんの話をした。男たちは特に国にいた間の話はしなかったが(綻びが出るのをきらったのだろう)、訪れた他国の話をいくつかしてくれた。中にはナタケイルが人から伝え聞くばかりで訪れたことのない国もあり、興を引かれる。街並み、食事、民の表情と聞き出せるだけのことを聞き出して、最後に「商人として訪れたのか」と尋ねれば男たちはあいまいに笑ったので、ナタケイルの確信を深める結果に終わった。あの国で他国を訪れる機会があるのは、と考えを巡らせるがそれほどの財力を持つ貴族ならばナタケイルが顔を知っている。それ以外となると戦争に出した戦士たち、か。戦士たちは基本的に王宮と王国の守をしており、ナタケイルも顔を知っているはずだが一部国外専門、前線を担う者たちがいる。その者たちとは面識がほとんどない。なんにせよ、この者たちが戦士であるならば、キサミが直接用意したというよりは戦士長であるミルチスが一枚噛んでいる可能性が出てくる。
    ――この者たちを振り払うには、楯を打ち破らねばならない場面もあるだろう。
     今はこうして同行してもらっているが、いつまでもあの王国の影にとらわれるわけにもいくまい。どこかでこの者たちとたもとを別つつもりでいた。それこそ旅のそこまで思い立ってしかし問題はないかと気づいた。あの日の続きをするだけだ。兄に歯向かい、それを守ろうとした楯をも本当に殺すつもりで戦ったあの日。時は過ぎ、ナタケイルが国を出た今、戦う理由がなくなったと思われたが亡命の邪魔をするなら「理由」もまた出来る。
     戦えるだろうか。戦うしかないか。例えそれが、幼き時分から親しくしていた者であっても。血を分けた兄弟にさえ刃を向けた。もう恐れるものはない。

     目標としている国にあと一日で辿り着く。最後の野営地で一晩明かしたら、日が高くなる前に入国して、宿を確保して。旅路に必要なものを揃えて、他の旅人たちと情報を交わしたら、適当なところでこの護衛たちを撒こう。そう思っていたナタケイルの先を行く形で、その時は訪れた。
     最後の野営地になるはずだった。岩場の多い地形で、わざわざ囲いを作らずとも日よけや風よけが為される。先にここを利用した者たちが少しずつ整備していったのか、横穴のようなものが掘られ、寝所として利用できるようになっていた。ひどく小さいが水辺もある。食料さえあれば、ここに数泊することも不可能ではない。そしてそこで見たのは、西日の中佇む、ナタケイルが今一番恐れるひと。――何故、お前がここにいるのだ。そんな言葉を、思わず叫びそうになった。わかっていたはずだった。いずれ訪れた未来だ、それが予定よりも早かったに過ぎない。
     岩陰にて、ひとりで王の来訪を待ちわびていた戦士ミルチスはナタケイルの姿を認め、その片膝を着いた。
    「王。お迎えに上がりました。もう十分国の外をお知りになったでしょう? ならば帰りましょう、我らが国へ」
     はっと振り返る。しかし同行していた男たちが行く手を阻むようにそこに立っている。一瞬だけ閉口し、しかし怒りと失望が上回って口を開く。
    「やはりか、お前たち。商人をしているとは嘘だったな。ミルチスの元に我を導くのがお前たちの目的か」
    「左様にございます」
     言葉遣いはまともすぎるほどに丁寧でありながら、退く気配は見せない。退路には男は三人、進路にはミルチス。分が悪すぎる。意表を突かねば勝機はない。ナイフは身につけているが、構えることすら難しい。突破が容易いのは、戦士長であるミルチスよりも、格下と思しき男たちだ。男たちならば戦うとまでは行かずとも口先だけで丸め込める可能性も出てくる。
     じっと考え込むナタケイルに対してミルチスが静かに語りかけた。
    「弟君、我からの申し開きを」
    「のちほど聞く。今はその口を閉じよ」
    「……は」
     苦々しい顔をしながらも命じられた通り口を閉ざしたミルチスを一瞥し、ナタケイルは一時の仲間を見遣る。最初の夜に寝ずの番をしていた男だ。
    「お前、……ああ、どうしてだろう、我はわかっていたのだ、お前が、お前たちが真に商人でないことくらい。だというのに、ひどく口惜しい思いになる」
    「王……そんなふうに思っていただく身分ではございませぬ! 我らは、あの王宮におりました戦士のひとり。ミルチス様の言いつけにより、亡命なされる貴方様をお守りする者として――ミルチス様に代わる楯として、あの野営地に控えておりました」
     やはりミルチスが従える戦士だった。ミルチスに代わる楯など欲したこともなかったのに、と出かかった言葉を飲み込む。
    「……お前たちは戦士であったか。我の知らぬ顔だが新人か?」
    「いいえ。我らは貴方様がご即位なされた頃に戦士として志願いたしました。すべては弟王、貴方様をお守りするため……もとより謁見が許されますのは戦士の中でも近衛師団の者のみです。さらに兄王様に傾倒しておらねば近衛師団に入ることも能いませんで。我らは、兄王様の圧政に反発し、弟王様のみを愛したため前線におりましたもので、弟王、貴方様にはただの一度も。……一度たりとも」
    「道理で我がお前たちを知らぬわけだな。他国の知識も『前線』で?」
    「は。おっしゃる通りにございます。過去戦争を仕掛けた小国、傭兵として出向した先、様々に……このお話で貴方様を楽しませることが出来ていたなら我らは報われます」
    「そのようなことを聞いていたのでは……いや、良い。もう良い。命じられたならばそう遂行するのが民というものだ」
     すっと息を吸い込む。王としての発声を思い出す。簡単だ。あまりにも。この頭上に戴く王冠などなくともまだこの血も体も王としての心を覚えている。
    「王の命だ。そこを退け」
     男たちは息を飲んで、そして絶望をありありと表情で語った。震えるように首を振る。
    「できませぬ」
    「王よりミルチスに従うか」
    「否! いいえ、いいえ、我らはただ、貴方様をお守りしたいだけだ!」
     崩れ落ちるように膝をつき、頭を垂れる男たちを見下ろす。ナタケイルの心はまだ王であった。民を想う弟王。民に何を強制する力は持たない。だからこそ弟王はたったひとりで兄の玉座に向かったのだ。あの反逆において、民の誰一人も引き連れることはしなかった。戦士たちでさえ、声をかけることも無く単身、兄の前に立ち塞がったのだ。
     ナタケイルは今目の前にいる男たちに対してさえ、強硬手段に出れずにいた。ただ見下ろし、ただ歯噛みするだけだ。
    「お前たち、どうしてもそこを退けぬと申すか」
    「どうしても退けませぬ。ここを退いたら、ナタケイル王、貴方様はもう二度とあの国に戻らぬおつもりでしょう」
    「……」
    「ミルチス様は貴方様をここまでお連れすれば命を奪わず国に返すと約束してくださった。そしてミルチス様ならばきっと暴虐の兄王を相手にしようとも上手く取り計らってくださる。我らは、貴方様の民は、力を持たねどもただ貴方様を国から手放したくないのです。ナタケイル王のおらぬ国など我らの帰る国ではない。あの国を彼の兄王にのみ渡してはなりませぬ! 王、帰りましょう、我らの国へ」
    「もう良い。お前たちがそう申すなら、もう、退けなどと言わぬから……」
     ぐっ、と握りしめた拳にナイフを握る意志すら、削がれた。ナタケイルが刃を向ける相手は決まっている。兄王だけだ。
     敵意もなく、緩慢な動作でナイフを砂に放る。あの日の王冠のように風がそれを覆って、西日が光った。
    「ミルチスと話がしたい。逃げ出すつもりはない。下がってくれ」
    「は」
     男たちは頷いて、迷うように顔を上げた。熱の籠った目でナタケイルを見つめ、嘆息し、立ち上がって礼をする。
    「嗚呼、弟王様、お慕いしておりました。在りし日のままでいて、どうしてお目見えできたでしょう。どうして貴方様に尽くせたでしょう。貴方様のおそばに居れましたこの数日はまるで夢のようでありました。お慕いする心優しき王の姿はなお健在で、我々にもそのご慈悲ある態度で接してくださった。我々は夢を見るように浮かれ、そして夢から覚めた後の日々に怯えたのです。ミルチス様、どうか、どうか我らから王を奪ってくださるな。どうか」
     返事を聞く前に男たちは岩の向こうに隠れた。日は沈む前に一際輝いて、ミルチスとナタケイルの視界を覆う。
     ほんの少しの間見つめ合って、ふたりはただ、心を交わせていないことを感じ取った。
    「我を国で見送ったはずのお前がどうして先に……ああ、キャラバンか。我らの旅団を抜いていった」
    「左様にございます。弟君は聡明でいらっしゃる。我は妹君の予知を受け、配下の者を国外で待機させ、弟君をお見送りしてからキャラバンに混じって国を出、そしてここでずっと貴方様をお待ちしておりました」
    「随分と回りくどいことを」
    「弟君に……そして兄君にも、距離を置く期間は必要かと存じまして。けれどそれもう十分でございましょう」
     挑発するような声色だった自覚があるのに、静かな声での返事があった。決して事を荒立てる気はないのだとはわかるが、このまま大人しく引き下がれない。ナタケイルは一度嘆息して声色を平時のものに戻すとミルチスを見上げた。
    「お前と落ち着いて言葉を交わすのは、兄者が即位して以来になるか。それ以前のお前は我と兄者ふたりのものだった」
    「は。王となられました兄君に望まれました故」
    「そうか。兄者が望んだから……では我も望めばお前を傍に置けたのか」
    「……、兄君がお許しなされば」
     そうだろうな、という返事を飲み込んだ。わかっていたことだ。第二王であったナタケイルの命よりも、第一王である兄王の命の方が重い。どれだけナタケイルが望もうとも兄が否定すればそれまでだ。何事も。民のことも、国のことも、楯のことも。そしてだからこそナタケイルは諦め、兄に楯を託した。
    「我を連れ戻しに来たのは、キサミの命か? よもや兄者の差し金とは言うまいが、兄者の許しは得てきたのだろう?」
    「妹君、には……予知を詳らかに教わり、兄君に申し立てしていただいたにすぎませぬ。我をここに呼び寄せましたのは……嗚呼、弟君、お忘れか。我がこうして参りましたのは貴方様の命ありますれば」
    「……我の?」
     歯切れの悪い様子のミルチスに一歩近寄る。思い返すが迎えに来いなどと命じた覚えは当然ない。キサミに何か伝えていたかとも考えるが、彼女と話したことと言えば国を出る、だから民と兄者を頼むと伝えたのみだ。
     ナタケイルが楯に自ら下した玉音は、ほぼひとつ。「王を、孤独にすることのなきよう」――まさか、とばかりにミルチスを見る。
    「お前、ミルチス、嗚呼……我の命、か」
    「然り、貴方様という王の命だ。『王を、孤独にすることのなきよう』――王位を捨て民を捨て、そして孤独を選んだ弟君を、我は救い出しに参りました」
     衣服に、肌に砂が付くことも厭わず跪いた男をナタケイルは見下ろした。そして顔を上げる。日はほとんど隠れて、わずかな橙を残すばかりだ。西の空はまだ明るく感じられるが、東には星が見える。月もいずれ上るだろう。
     孤独の王とは兄の代名詞であったはずだ。自分のものではない。けれど。ナタケイルは王宮を思い出す。
    「ミルチス、お前は我を孤独と言うのか。兄に歯向かい、国を出た我を。あの反逆の時分ではなく、今の我を、孤独を言うのか」
    「……弟君?」
    「我は孤独だったよ、ミルチス。遠い昔から」
     星が昇る。太陽が夜に追われる。月日が入れ替わればそれだけ時は進んで、戻れなくなる。
     思えば兄だけが先に即位したその瞬間から、決別の道は始まっていたのかもしれない。すべてが遅いのだ。ナタケイルが兄への敬意を思い出すのも。ミルチスが救い出しに来るのも。ナタケイルはすでに兄を殺そうとして、国に戻らぬ覚悟を決めていた。
    「孤独を悪だとは思わない。我が選んだ道だ。救い出してほしい、などと言ったつもりはないし、言うつもりもない。しかし、我が孤独であったとは言告げよう。あの王宮で我の心を理解する者など、いなかったのだ。我はひとり兄を憎んだ」
    「王、お戯れを。貴方様には民が皆ついておりました」
    「そうだな。でも民は王宮に引き入れられない」
     愛を捨て、強さを求めた兄王と変わらず――もしかしたら、それ以上にナタケイルは疎外感を覚えていた。兄王に寄り添う者はいても、ナタケイルに味方する者はいなかった。皆が道を阻んだ。多少の理解を示してくれたキサミでさえ、兄にも理解を示して中立を選んだ。
     民からの敬愛を感じていた。しかし同時に王宮での孤独も覚えた。相反するはずの感情は混在し、ナタケイルはそれらをまるごと受け入れて立ち向かった。ひとりで。
    「我は孤独だったよ。愛を選んでも」
     ミルチスを見下ろす。もうすっかりあたりは暗く上手く見えないはずなのに、ミルチスの表情だけ、ナタケイルにはわかった。頭を殴られたような衝撃に口をつぐみ、その深い草葉の色をした双眸が自分だけを射抜いている。
     もうそれで十分だと思えた。わずかばかりであろうとも孤独は癒えた。国に帰る必要もなくなった。否、もとよりなかった。反逆の罪を負って国を出る覚悟をしたのだ。今更どうしてあの兄の眼前に出れると言うのだ。
    「我は戻らぬ。もう遅いのだ。ミルチス、お前が我を惜しく感じるならば、嬉しく思おう。しかしそれだけだ」
     一歩下がる。反射的にミルチスの腰が上がる。ナタケイル王、とその低い声が名を叫び、少年王を地に縫い止めた。
    「貴方様の意志がどれほどのものか、わかっている! しかしその御心にわずかでも曇りがあるなら、わずかでも孤独を癒したいと願うならば、もう一度命じてください! 王を孤独にすることなきようと下知したのは貴方様だ、王に触れることすら能わぬ身分の我にどうか……!」
     もう十分だと、思ったのだ。それなのにこうして求められると欲が出てくる。
    「命じれば、お前は我の傍に在るというのか」
    「ここに第一王たる兄君はいらっしゃいませぬ」
    「命じたところで国に戻らぬ意志が揺らぐことはない」
    「構うものか。今、貴方様の孤独を癒せるなら」
    「ならば」
     あたりは暗い。日は進んで、月は欠けた。まだ星ばかりの夜が広がっている。日中の熱も冷めて、岩陰に隠れた男たちには何も見えまい。
    「ならば求めてみせよ、我を」
     ミルチスは駆けた。まっすぐにナタケイルを求めた。掻き抱くように少年王の体を楯の中に収め、ナタケイル王、と名を連ねる。その肌からは日に愛された者の乾いた塩のにおいがして、ナタケイルはほんの少しだけ笑った。
    「はは、キサミの言っていたことがようやっとわかった。あまり強くすると痛む」
    「嗚呼しかし王、我は手放せませぬ」
    「良い。日が昇るまでは誰に咎められることもなかろう」
     痛みと同時に伝わってくる熱がこれほどまでに心地いいとはナタケイルとて知らなかった。求められるという充足感は驚くほどの速さで孤独を癒し、欲を膨らませる。
     楯の腕の中で伸びた手が伝える意思を、ミルチスは正しく受け取った。

     ***

     目覚めてすぐ、小さなオアシスで身を清めたナタケイルはミルチスに振り返った。
    「一度だけ、国に戻ろうと思う。王冠は捨ててきたがキサミに王位を譲る儀式はしてやらねばならないし、やはり民に別れを告げていないのは惜しい。――我の帰る場所はあるだろうか。門を抜けたその瞬間、この首が飛ぶようなことも覚悟の上ではあるが」
    「居場所ならありますとも。民は今もなお弟君を望んでいる。そして貴方様が門を抜け、その責務を全うするまで我がお守りいたしますれば」
    「ああ、ならば首が飛ぶことはないな」
     その後積荷を調べ、ナタケイルの持ち出した物、ミルチスの用意していたものなどを合わせれば帰路全員分の食糧は足ると判断し、足早に黄金の国を目指した。
     ほんの数日で到着した黄金の国は、ナタケイルが出た頃より何も変わってはいなかった。満月が新月に変わる程度の日数しか経っていないのだから当然だろうか。西日の中であれど民はナタケイルを暖かく迎え、ノーメスを引き連れたキサミも微笑んで腕を広げた。出国時と同じように、しかし力加減を覚えて抱きしめてやる。
    「小兄様、今度は痛くありません」
    「それは良かった」
    「でもそこに屈んでくださいますか、小兄様」
     すぐに抱擁を解いた妹に言われるがまま、その場に膝をつくと、キサミはノーメスからひとつ王冠を受け取ってそれをナタケイルに授けた。
     よく磨かれた王冠であった。金属と宝石で作られたそれはずっしりと重く、しかしナタケイルには馴染む。
    「キサミ、これは……」
    「私にはまだ早いと思います、小兄様。それは貴方の頭上にあってこそ。さあ、長旅でお疲れでしょう? 川の水を汲んであります、身を清めたらお休みになって。大兄様には明日お会いなされると良いでしょう。私がお話を通しておきますから」
     ぐいぐいと背中を押される形で寝所に通されたが、そこはやはり小ぎれいに保たれていて、ナタケイルはため息を吐く。そばにいたミルチスだけが嘆息を聞き届けて「弟君」と窘めるように呟いた。
    「貴方様が求められているということです。孤独など覚えることは今後ない」
    「我はもう一度国を出るぞ。そして今度こそ戻らない」
    「……それは、明日。兄君と話をしてからになりましょう」
    「そうだろうな。兄者と意を違えるのは慣れている、争いになるだろうからしっかりと体を休めなければ……お前は兄者のもとにつかなくていいのか?」
    「『あの愚弟を我のもとに引きずり出すまで顔を見せるな』と言われております。明日の謁見まで、この身は弟君の物であります」
    「はは、兄者の随分な物言いはどうにかならないのか」
     ナタケイルは笑った。笑って、両腕を広げた。その意図と命を察して、ミルチスはナタケイルを抱きすくめる。
     痛むほどの力で求められる幸福を知った王は同じものを楯に返すことにした。力強く抱きしめ返し、肌を合わせる。ミルチスの髪に指を通して、ナタケイルは呟いた。
    「なあ、ミルチス。我は明日、もう一度だけ、兄者に戦いを挑もうと思うのだ。それは反逆ではなく、ただ、いつかの兄弟喧嘩に決着をつけるため……そしてお前を奪い取るために。勝てばもう一度お前に命を下そう」
     命の内容など、聞かずともわかる。ミルチスは微笑むことで承諾を示した。

     かくして反逆の王の孤独は癒えた。日は昇り、国をこがね色に照らし始める。
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