月夜のデート「観音坂…」
神妙な顔をした躑躅森先生が私を見下ろしている。
そして私はというと、両膝の上でぴったり合わせた握りこぶしをぶるぶる震わせながら先生の次の言葉を待っていた。そう、気分はさながら死刑囚のようだ。
「………すまんが補習や。このままやとヤバいかもせん」
「あ、あああああああ…!!」
放課後の教室。険しい顔した先生と二人きり。この言葉を投げられる予想はついていた。ついていたけど…ッ
(面と向かって言われるとやっぱり堪える…)
がくりと肩を落とし深い溜息をついた。いや、本当に溜息をつきたいのは私より先生の方かもしれない。だって折角親身になって私の飛行魔法の練習に付き合ってくれてたのに。
「観音坂は真面目やねんけどなぁ。授業中に寝たりもせえへんし、宿題も忘れずちゃんとやってくる。頑張り屋なんはよう分かっとるから先生もなんとかしたいと思っとったんやけどな…」
力及ばずですまん、そう言って深々と頭を下げる先生に私は慌てて椅子から立ち上がった。
「や、やめてください躑躅森先生!飛行術の成績が悪いのは私の魔力量の問題ですし!こればっかりは徹夜してもどうにもなりませんし…だから気にしないでください」
「…俺の力じゃ出来ることに限りがある。それに俺も実は飛行術あんまり得意ちゃうくてな」
「そ、そうなんですか…!?」
「ああ。せやから、教える先生が変わったら観音坂ももっと上達するかもせえへんと思たんや。お前の飛行練習は最適な人選で挑むで」
「え…?」
「今日の夜、学校の校庭に来なさい。そこでその人が待っとるから」
「…?はい…」
一体躑躅森先生は誰に頼んだというのだろう。
内心首を捻りながら、私はこくりと頷いた。
「さ、左馬刻くん…!?」
夜の校庭、躑躅森先生が私の教師に指名したのは同じクラスの碧棺左馬刻くんだった。
「あのセンコーにゃ世話ンなってっからな。俺様が特別に教えてやんよ」
「え、で、でも…」
左馬刻くんはクラスで、いや学園でもトップクラスの魔力を持っている。飛行術は勿論のこと通常魔法の授業だって難なくこなすし教えてもらうならこの上ない相手だろう。
(けど、あの左馬刻くんが私なんかに教える、なんて…)
ちょっと信じられない。だって、あの左馬刻くんだよ!?
学園で一二を争う人気者の彼。彼の後ろにはいつもたくさんの女子生徒がついてまわってるし、机や下駄箱もラブレターで溢れ返ってる。かく言う私も彼の事が好きだった。…けど、これは内緒だ。いくら私だって身の丈は弁えてる。同じクラスで隣の席にいられる、それだけで充分だ。
「ァ?テメ、俺様から教わンのは不服かよ」
「そ、そんな事ない!!!…あ」
思わず大声を上げてしまった。驚いて目を見開く左馬刻くんの顔を見て我に返る。
「ご、ごめんなさい。あの、私やっぱり…」
「…乗ってみっか?」
「え?」
「俺様の後ろだよ。…飛行術の成績良くねェんだって聞いたぜ。つー事ぁよ、あんま高い所まで飛んだ事ねェだろ?」
「あ、う、うん…」
「…乗せてやんよ。ほら」
ぱ、と彼の右手に箒が現れる。長い足を伸ばしその箒に跨った彼は「ン」と後ろに目配せした。
「ほら早く。乗れよ」
「え、えぇぇ…けど…」
「怖いかよ?…なら俺様に掴まってりゃイイ」
「!」
ほら、と引っ張られた手は彼の腰に巻き付けられた。前につんのめった私は彼の背中に頬をくっ付けてしまい、思わず「ごめんっ!」と謝る。
「ハハ、なに謝ってンだよ。飛ぶぞ。…しっかり掴まってろ」
「っ、わ…!」
二人分の体重を乗せた箒がふわりと浮かび上がる。
いつも自分が乗る箒は今にも暴れだしそうな程不安定なのに、彼の操作する箒は少しもブレなかった。
そのままあっという間に夜の空を舞い上がっていく。
「わぁ…!すごい…!」
「だろ?…あんま気負わなくてもよ、肩の力抜いてみりゃイイ。そうすりゃ案外あっさり飛べるかもしんねェぜ?」
「…うん、ありがとう左馬刻くん」
「もうちっと飛んでみっか。振り落とされんなよ?」
「う、うん…!」
彼の腰に巻いた腕に力を込める。
(私今、左馬刻くんに抱き着いてるんだ…こんな事きっとこの先一生ない。この夜のことは一生の思い出として胸の中に大切にしまっておこう)
「…月が綺麗だな」
「えっあ、う、うん!そうだね!」
彼の声にはっと前を見る。目の前には大きな月が見えていて、確かにとても綺麗だった。
「……お前この意味知らねェのか?」
「え?な、なんの話…」
「…まあいいわ。また今度、教えてやんよ」