慈母敗子「うわ、酒臭っ!」
「…随分な物言いだな。」
挨拶もそっちのけに、部屋を充満するアルコールの匂いに顔を顰める。また仕事を詰め込んでいるかと思えば、珍しく酒を飲んでいたのであろう部屋の主にシルヴァンが小さく笑みを浮かべた。
「ドゥドゥーに執務室の見回りを頼まれたんですよ。心当たりがあるでしょう?」
「…ああ、いつもすまないと思っている。」
「まあその生真面目さは性分でしょうし、オレは構いませんがね…」
ふと視線を執務室の机へと向けると、見慣れたセイロス教の紋章が刻まれた白緑色の便箋が目に映った。節に一度、ガルグマク大修道院から届けられる国王宛の封筒には三枚の手紙が入っていると聞いている。一つは大司教補佐のチェックがはいっているであろう文言が書かれた手紙、もう一つは青獅子学級の先生としてのベレトからの日常報告を兼ねた手紙。そして最後に、筆跡は先生のものではあるが中身は母が子を心配する様なベレトの伴侶からの手紙だった。
「自分では気がついていないだろうけど、あんた相当酷い顔をしていますよ。」
「酷い顔?」
「ええ、例えるならそうですね…女の子に振られた時みたいな顔ですかね。」
「……。」
女好きのお前では無いのだからと否定の言葉が返って来るかと思えば、ディミトリは押し黙ったまま執務室の机を見つめていた。不思議に思い机の方へと近付くと、見慣れぬ綺麗な小箱がディミトリの手元へと置かれていた。
「…先生と奥方に、贈り物をしたんだ。」
「贈り物ですか。先生なら砥石か紅茶の茶葉か…あの方なら珍しい花の種とかも喜びそうですよね。」
「指輪を贈った。」
「へえ、指輪を……指輪!?」
思わぬ言葉に笑顔を無くし、小箱へと向けていた視線を勢いよく戻す。目線の先ではディミトリが所在なさげに書類を握っていた。
「え、陛下ってそっちの意味で先生の事。というか先生って既婚者、」
「おいシルヴァン。先生を愚弄するならお前でも容赦しないぞ。」
剣呑な光を宿す青い隻眼に睨まれ、冷や汗が一筋流れ落ちる。慌てて謝罪の言葉を述べれば、いつもの様子を取り戻したディミトリにホッと息を吐いた。
「…ところで陛下、指輪はいつ渡されたんですか。」
「先生の手が空いていた日の夜に、女神の塔で渡した。」
「…なるほど…。」
生真面目な性格がここに現れたかと、何とも言えない表情のまま手の動きで話の続きで話の続きを促すと、ディミトリは小さくため息を吐き小箱を見つめた。
「今までは生徒と先生として、これからは獅子王ルーグと軍師パーンの様にいつまでも共に在りたいと言って贈ったんだ。」
「先生は何と?」
「俺は王としても一人の人間としても立派に立っていられるから、常に自分が側に立つ必要性はない。だからもっと自分と仲間達を信じてやれ、と。」
「…そうですか。」
「自分達の間に指輪は一つで良いから、これは王国の財政用にでも使ってくれとも言われてそのまま指輪を突き返された。」
「うわー、手厳しいなあ先生は。」
「俺としては…感謝の気持ちとして指輪だけでも、ただ受け取って欲しかったんだけどな。」
彼にしては非常に珍しい、拗ねた子供のような声色に思わず苦笑する。本当の意味で笑えなかったのは、ディミトリの瞳に宿る先生への感情の色を知っていたからだ。
「だから贈り物をする時は、まずオレに相談してくださいって言ったじゃないですか!」
「お前は女性への贈り物をする時は、と言っただろう。」
「いやそうですけど、いきなり指輪はハードルが高すぎるんですって!!」
何度冷たくあしらわれようとも温かな食事を聖堂へと運び、戦いで傷を負えば白魔法で傷を癒し、時に腕力を行使してでも仮眠をとらせる。5年後に再会したベレトとディミトリの間には、まるで親と反抗期の息子の様な不思議な雰囲気を漂わせていた。
そんな先生の行動はディミトリの冷淡な様子を恐れていた修道院の人々に暖かく見守られ、いつしか軍の名物のように扱われ応援さえもされるようにさえなっていた。
いつしかディミトリも自身に向けられる暖かな感情にまるでベレトを兄や父の様に信頼する様になっていたが、戦争の後半くらいからそれも鳴りを潜めていた。まるで獅子が愛する子供を崖の下へと落とすが如く、いつの間にかベレト自身が直接ディミトリに手を貸す事は少なくなっていたのだ。
「今度はオレも贈り物探しを手伝いますから、改めて先生には別の物を…陛下?」
返らぬ声に訝しげに目線を向けると、ディミトリは音もなく机に沈み込んでいた。眠ってくれたのは有難いが、自分以上に体格に恵まれたディミトリをどう運んで行くものかと思案を巡らせていると、音もなく現れた背後の気配に思わず声を上げた。
「先生…!?」
「しっ、静かに。」
ベレトは机と平行になり表情の見えないディミトリの頭を優しく撫でると、柔らかな表情でシルヴァンを見上げた。
「ここに来るまでにメルセデスとアネット達に頼まれて、仕事に忙殺されているだろうディミトリを引き取りに来たんだ。」
「陛下が寝ていなかったらどうしたんですか?」
「その時は手刀でも食らわせて気絶させていたかな。」
細身の体でディミトリを背負う姿は、その柔らかな見た目に反していつ見ても雄々しく逞しい。しかし自分よりも一回り以上大きな体を背負うのは流石に堪えるのか、足元をふらつかせる恩師の肩を慌てて支えた。
「足元を引きずってますよ。陛下を部屋に運ぶなら手伝いますから、これくらいはオレにも任せて下さい。」
「助かる。これだけ泥酔していれば朝まで目覚める事は無いだろうが、このままディミトリの靴先を擦り減らすのはどうだろうかと思っていた所だったんだ。」
ベレトの肩ごと重心を安定させる様にと、ふらふらと彷徨うディミトリの腕に力を入れる。顔を二人の方へと向けると、しかし酒で折角の男前が台無しだな、と楽しそうに笑うベレトの声に大柄の体が僅かに揺れた。
(この人なりに、先生に甘えてるのかね。)
雪国のファーガスで育った者は、若い頃から寒さ対策に弱い酒を飲む習慣があるからかアルコールに強い体質を持っている。だからあれくらいの酒で、王国で生まれ育った自分達の中でも強い耐性を持つディミトリがつぶれる筈がないのだ。
「先生もその優しさをもう少し、陛下の意識がある時にも発揮してくれないですかねえ。」
そうすれば陛下ももう少し拗らせずに済んだものをと溢した本音に、ベレトは内緒話をする様にそっと声を落としシルヴァンへと囁いた。
「子離れ出来なくなっては本末転倒であろうと、ソティスに言われてしまって。そう言う彼女が一番ディミトリの事を気にして居るんだけどね。」
(ああ、これはもしかして。)
馬に蹴られて何とやらと頭に浮き上がった考えに思わず嘆息する。自身の重さに負けて倒れる事を恐れてか、酒で潰れている筈が上手く体重移動をさせる不器用な背中を励ますように強く叩いた。