後悔後悔などしない。力を尽くしたのだから。
だが、実を結ばなかったこの道のりに、意味はあるのだろうか。
「エイミは宿に送ってきた。酔いが回ったから先に休む、そうだ」
「そうか」
「……気をつかったんだろうな」
ギルドメイン山脈北方の街の小さなバーで、ラーハルトとヒュンケルはグラスを交わした。旅の中で何度となく繰り返された光景だが、今夜は特別な意味を持っている。
明日、ラーハルトは魔界に旅立つ。ポップ、それにクロコダインとともに。
大魔王バーンとの戦いからもうすぐ4年。地上の隅々まで巡りダイの行方を探ってきたが、発見には至らなかった。しかしながら、捜索は先日大きく進展を見せた。失われた古代秘術を封じた勾玉に呼応して、ダイの剣の宝玉がギルドメイン山脈を示して光ったのだ。
山脈の北方の、暗く深い洞窟。それは魔界に通ずるとも言われている。
「薄々感じてはいた。この地上にダイ様はいない。そして生存が事実であるならば、残る先は魔界しかない」
ラーハルトがそう言ってグラスのステムを握る指に力を込めると、隣のヒュンケルも無言でうなずく。
「必ず。必ず見つけてみせる」
その言葉にヒュンケルは再度頷いてみせた。
「……フッ、そうコクコクと動かれると“うなずき人形”を思い出す」
「ああ、懐かしいな」
それは旅の始め、戦火の爪痕の生々しい街で、みすぼらしい物売りの少女に同情したヒュンケルが買ったチープな土産物であった。子どもの物売りを見るたび金を落とす様はたちまち伝播し、カモ発見と言わんばかりに街の隅々から売り子が集まったため、気づけば不規則にうごめく無数のうなずき人形に囲まれていた。
「お前との旅に最も不安を覚えた瞬間だった」
「言うな、ラーハルト」
照れくさそうに片頬笑むと、ヒュンケルはグラスの中身をクッと飲み干した。
「そっちも空だな。もう一杯飲むか?」
「いや、もう出よう。それよりヒュンケル、散歩につき合え」
店を出たラーハルトは、街の外へ一直線に突き進んだ。
「てっきり酔い覚ましかと思ったが、どこまで行くつもりだ」
「行けば分かる」
そう言ってラーハルトは徐々に歩みを早める。
「そろそろ教えろ。どこに行くんだ」
街を抜け、緩やかな傾斜の藪道をほとんど駆け足のような速度で上るラーハルトと、そのうしろを追うヒュンケル。
「すぐにバテるかと思えば。案外やるじゃあないか」
「何の、これしき。あれから何年経ったと思ってる」
言葉に反して僅かに息を切らし始めたヒュンケルを見て、ラーハルトは少しだけ歩みを緩めた。
快復は、している。元々歩くのがやっととの見立てであったのが、多少走ったり、身体慣らし程度の軽い打ち合いならこなせるまでになった。しかしその遅々とした歩みは、あの頃の鬼神のごとき強さはもはや戻らないという事実に向き合うことでもあった。
そのうちラーハルトは、目の前に立ちはだかった背丈の倍ほどの崖を軽々飛び越えると崖下に手を伸ばし、よじ登ってきたヒュンケルを補助した。
「こんな崖のぼりは、オーザムの、丘陵を、思い出すな」
指先に力をこめてグッと身体を持ち上げながらヒュンケルが話しかけた。
「いつもの半裸で待ち構えているのを見て、寒さで気でもふれたかと思った」
「半裸とは何だ、誉れ高きドラゴンライダーの装束だ」
「山には慣れてるんじゃなかったのか」
「……貴様の方こそ冬眠前の熊のようにブクブク着込んで、不格好にもほどがあったぞ」
ラーハルトはドラゴンを使役する都合上、山岳地帯に逗留することが多く、夏山の心得こそ豊富だったが、冬山の経験は浅かった。意地を張って軽装でオーザムを進行するうち、紫色の肌は寒さでみるみるうちに紫紺に変わっていった。
「あのときはお前にオレの外套を押しつけるのに大層難儀した」
ヒュンケルは麓の道具屋に言われるがまま少々過剰な装備をまとっており、それが結果的にラーハルトを助ける形となったのだった。
いくつかの崖を超えながら、互いに思いがけず笑みが漏れる。
「着いた。ここだ」
藪道を抜けるとそこはひらけた崖で、月と星が競い合うようにきらめいていた。
「満天の夜空は当分見納めだ。行きずりの女でもよかったが、お前と見ることにした」
「それは光栄だな」
「月の近くに、不相応に大きな星があるだろう。この時間は特によく見える。不吉な星と呼ばれているが、向こう意気が強くてオレは気に入っている」
「ラーハルト、お前らしい。オレは、そうだな、あの山際の星々が良いと思う。変成岩の輝きに似ている」
ヒュンケルがそう言いながら指さす先には、大小様々な青みを帯びた星が瞬いていた。
「この旅は、星をひとつひとつ磨き改めるようなものだった」
遠い目をしながらラーハルトが呟いた。あの日空に消えた主君の手がかりを求める、当てのない旅。
「集めて首飾りにしたら、王家の宝石庫にだってない豪奢なものができるだろう」
「さすが色男様は、言うことが違うな」
フッと噴き出すような素振りをして、ヒュンケルが茶化した。
「お前だって言ってみればいい。あの女賢者などは卒倒するだろうよ」
「そうだろうか?エイミは気球の上から、星なんてそれこそ飽きるほど見ているだろう」
「まったく情緒を解さないというか、お前はそういうところが……」
それでも好いた男と見るのは別次元だろうに、この朴念仁め。ラーハルトはそう言いかけたものの面倒になり口をつぐんだ。
「4年か。長かったな」
「ああ、しかしあっという間だった」
「なんの成果も得られなかった。ダイ様はどこにおられるというのか」
半ば吐き捨てるような語気であった。
「だが、決してムダではなかったと思う」
ぼんやりと星を見つめていた瞳に急に熱をこめて、ヒュンケルがラーハルトを向いた。
「結果として、ダイの発見には至らなかった。だがお前と旅したことは、決して。この旅には、意味があった。ダイが守ったこの地上のことを、オレはほとんど何も知らなかった。今は、そうじゃない」
長き彷徨の中で触れる人間社会は彼らに様々な知見を与えた。いったん構えを解いてしまえばそれは案外とあたたかなものであった。
「ラーハルト、お前とはいつかまた旅をしたいものだ」
「フン、ならば今より身体をなまらせることの無いように」
「ああ、約束しよう」
強靭な肉体への諦めと受容。しかし強さを失っても、彼はなお強い。
地上と、魔界と。かりそめの平和と、光射さぬ戦場と。同じ空の下ですらない2つの世界で、その魂は月よりも星よりも、いっそう強く輝くのだろう。
「なぜ貴様が泣く…?」
「仕方ないでしょう?たまに居たり居なかったりはしたけど、3年以上、ほとんど毎日一緒に居たのよ??」
翌朝、宿屋の門前にて。ラーハルトをキッと睨みつけながら、エイミは大きな瞳に貯めに貯めた涙を決壊させた。
「あなたのこと、嫌な奴だなって思ってたけど……。今も全く思わなくなったワケじゃないけど。ヒュンケルの友だちなんだし、良いところもあるって分かったから。悔しいけど今すごく寂しい……」
別に求めてもいないが、あくまで自分の友人とは言わないところは相変わらず憎たらしい。ラーハルトはエイミに対して概ね冷ややかに接したが、一方でその行動力と執念を認めてもいた。
「……やだっ、ハンカチを忘れたわ……宿に取りに行かなきゃ。じゃあねラーハルト、元気でね」
グズグズと鼻をすすりながら言いたい放題捲し立てると、エイミは踵を返して駆けていってしまった。
「おい。あれは気を使ってるのか……??」
「あ、ああ多分……」
毒気を抜かれてしまい、二人はしばし沈黙した。
「そうだ、これはオレとエイミからの餞別だ」
そう言うとヒュンケルは、良質そうな回復道具一式と、竜のモチーフが刺繍された飾り帯をラーハルトに手渡した。
「頼める義理ではないのかもしれんが。ダイとポップを、頼む」
「ダイ様に関しては、貴様に言われるまでもなく。魔法使いは……まあ頼まれてやろう」
「ラーハルト。……無事に帰ってこい」
「当然だ、オレを誰だと思っている。ヒュンケル、お前も息災でな」
「お前がオレの心配をするなど。珍しいこともあるものだ」
「……さらばだ、強敵(とも)よ」
「ああ。友よ、また会おう」
そういうと二人は固く握手を交わした。
強敵(とも)として出会い、友人(とも)となり別れる。
道は続く。再び交わるとしても、分かれたきりだとしても。
共に歩んだ道のりに後悔などあろうはずもない。あってたまるものか。
ただ進み続けるのみ。二人の若者は力強く足を踏み出した。
終