チャイナドラロナハプニングとは突然起こるものであるし、それらの大半は面白さを引き連れてくることが多い。
だからこそドラルクはすぐ死にそうになる虚弱体質でありながら、暴力と阿片が横行する裏の界隈を出入りしている。あいにくとその日は何の危険も驚きもなかったけれど、ジョンが行きたがっていた点心の店に寄って、のんびりとした時間を過ごしていた。きれいに空になった蒸籠の中に潜り込み、うたた寝をしているジョンの腹毛を撫でながら明日はどこへ遊びに行こうかと計画を練る。何か面白いことが起こりそうな場所、できればとびっきり刺激的な出来事がいい。そんな退屈を埋めるための刺激を求めていたドラルクの願いはすぐに叶えられることとなった。
「……う、わ」
ドゴンと壁を揺らす衝撃が店一帯を襲う。まさか地震でも起きたのかと思ったが、窓の外の人は逃げ惑っている様子はない。むしろこちらの店を取り囲んで、何やら騒いでいるようだ。
「ヌ!? 」
「おやジョン、おはよう。もうちょっとしたらここから離れた方がいいかもね」
大きな音で起こされたジョンを胸元に抱え上げて、ドラルクは店の裏口を確認する。無闇に飛び出してあの衝撃の原因と鉢合わせては元も子もないし、今は様子見をするのがいいだろう。何より面白そうなことが起こっているのに、すぐ逃げてしまうのは勿体無い。事の顛末を見守るべく、裏手近くの卓に陣取っていると、騒動の原因が店の入口から飛び込んできた。
「いい加減観念しろクソガキ!! うちのシマを荒らしたからにはタダじゃおかねえからな!! 」
「はあ!? そんなの知らねえって!! ちょっとくらい俺の話も聞け、よっと!! 」
赤と黒の中華服に身を包んだ青年が後から追いかけてきた大柄の男を壁に投げ飛ばす。さっきと同じような衝撃が店を襲い、投げ飛ばされた男が白目を剥いて床へと倒れ込んでいった。目を付けられることを厭わないのであればお見事、と拍手したいくらいだ。今しがた倒された男は近場のマフィアの一員だろう。男の顔に見覚えはないが、服装の特徴が構成員のものだ。
「見つけたぞ、こっちだ! 」
店の入口から似たような格好をした男たちが押し寄せる。こじんまりとした店内がごろつき共でいっぱいになって身動きすら難しそうだが、そんな場所でも青年は軽やかに大立ち回りを繰り広げていた。
迫ってくるマフィアの足を払い、姿勢を崩した背中を次の踏み台へ。そのまま卓から卓へと飛び移る間にもマフィアたちの顔面に膝蹴りを叩き込んでいく。店の照明を浴びて、時折きらりと輝く銀髪が動くごとにマフィアたちを伸していくので、どこにいるかだけはすぐに分かった。背後からならと思ったのか回り込んできた男に対しては顎に掌底を叩きつけており、思わずドラルクはうげと顔を顰める。あの威力では掠めただけでも脳震盪は確実だろう。武術に精通しているというよりは余りある体力で他を圧倒しているようだ。青年の手足が振り抜かれる度に床に倒れ伏す男たちは増えていったが、数の暴力には勝てず、じりじりと壁際へ追い詰められていく。部屋の隅から高みの見物で楽しんでいたドラルクはそこではたと気づいた。青年が追い詰められているのはこちらの方向だ。これはちょっとまずいんじゃないだろうか。
「このっ!! ちょこまかと逃げてんじゃねえっ!! 」
マフィアが退路を塞ぐために椅子を持ち上げて青年へと投げつける。青年がすれすれで躱した椅子は不運なことにドラルクへの直撃コースだった。か弱いドラルクにしてみれば、木片が当たるだけでも大怪我なのにあの重量の椅子がぶつかってくるなんて冗談じゃない。ジョンが必死に前に出てくれたが、それではきっと防ぎきれない。面白さにかまけて、引き際を見誤ったなとドラルクは潔く目を瞑った。
「っ! 危ねえ!! 」
ジョンを抱えこんで待ち構えていた衝撃は一向に訪れることはなかった。そっと開いた視界のすぐ近くに赤と黒の中華服が映る。それなりの重量があるはずの椅子を片手で受け止めていた青年がこちらをまっすぐ見つめていた。
「君 」
「ん、ああ。巻き込んじまってごめんな。俺は大丈夫だから」
異国の血でも入っているのだろうか。この地では珍しい青い目を持った青年は人懐っこい笑顔で笑う。片手であれを受け止めて何ともないなんてゴリラの親戚かと失礼な感想を抱いたが、青年が椅子を持った手を後ろに隠しているのを見て、そうではないと気付く。恐らく無理な体勢で割って入ったせいで筋を痛めている。大丈夫な訳がないのに、どうして笑っているのか。
「今だ! 捕まえろ!! 」
青年の気が逸れたのを好機と見て、マフィアたちが一斉に襲いかかってくる。片腕を庇いながら応戦する青年の動きは先程より明らかに精彩を欠いていた。
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌイヌヌヌ? 」
「ジョン、私は平気だよ。それにしても……あんなお人好しがこの街にもまだいるんだねえ」
ドラルクと青年は知り合いでもなんでもない。追われている立場なら尚更、ドラルクのことを助ける必要なんてなかった。目の前では青年が複数がかりで床に押し付けられている。無償で人を助けて、文句の一つも言わない者の末路があれかとため息をつきたくなった。このままあのマフィアたちに捕まったら青年はどうなるのか。シマを荒らす余所者は大抵臓器を売り飛ばされるか、海に沈められるかの二択だが、あの青年は見目がいいので意志を奪った後に好事家に売りつけられるかもしれない。ドラルクをかばった時にこちらを射貫いた意思の強い瞳が阿片漬けになって溶かされてしまうのは少し惜しいと思った。
普段はこういった小競り合いに首を突っ込まないようにしているが、ドラルクの好奇心がちょっかいを出すことに賛成した。
「こら、私の番犬なんだから勝手に暴れたら駄目だろう? 」
「……は? 」
床に抑えつけられていた青年の頭に取り出した煙管をコツンと当てる。周りに群がっていた男たちが一斉にこちらを向いたのを確認してゆっくりと煙管をくわえた。煙でむせるので火はつけないが、それなりの格好付けも大事な局面だ。
「……私の、とは? 」
構成員たちの後方でこの騒動を見守っていた男がドラルクの前に出てくる。周りの反応からしてもそれなりの立ち位置にいる者だろう。こちらを射殺さんばかりに睨めつけてくる眼光をさらりとかわして、ドラルクはゆったりと笑った。
「言葉通りさ。うちの犬が君たちの領分を荒らしたようで悪かったね。まだ飼い始めたばかりで躾がなっていなくて」
「ふざけんな! そんな屁理屈が通ると」
「よせ。この余所者の責任はあなたの組が負うと? 」
ドラルクの介入に反発した部下を抑え、男は責任の所在を問うてくる。先程から警戒を崩さない姿勢といい、ドラルクが何者なのかは分かっているのだろう。
「父……いや、首領にも伝えておくよ。そういうわけでこの場はお引き取り願いたいのだが」
「次から犬の躾は厳しくされた方がいいかと。おい、退くぞ」
男の一言でマフィアたちは店の外へ撤退していく。散らかった店内に残されたのはドラルクとジョン、そして解放された青年のみになった。この騒動で他の客が逃げ出してしまっているし、修繕費も含めて組から補償をするべきだろう。
「いやあ! 災難だったね。いったどうしてあんなに血眼で追われる羽目になっていたのかな? 」
倒れている青年に手を貸して、立ちあがるのを助けようとしたが、ウェイトが違い過ぎて諦めた。ケガをしているところで申し訳ないが、そういう力仕事はドラルクにはてんで向いていない。
「……世話になってる店員の店があいつらに荒らされてたからちょっと追っ払っただけだ。そしたら急に大人数で詰めかけてきて」
「へえー、君って根っからのお人好しなんだね」
どういう意味だと睨まれたが、ドラルクは言葉通りの気持ちで言ったに過ぎない。誰もかれもが自分達の利益を優先する街で、世話になっているから、という単純な理由で人助けをするなんてバカがつくほどのお人好しだ。マフィア管轄の阿片を奪ったとか、気に入らない裏の人間を殺したとかだったらこのまま手放してもよかったのに。この街では異端な根っからの善人である青年にドラルクは興味を掻き立てられていた。
「……まあ、なんであいつらが諦めたかは分かんないけど、とにかく助かったぜ。お礼はまた今度しにくるから」
「あ、ちょっと待って」
ケガをした腕を庇い、店から出て行こうとする青年は不思議そうに振り向いた。彼はさっきの騒動はこれで終わったと思っているのだろうが、メンツやプライドが先立つこの街ではそうもいかないのだ。
「君、このまま帰ったらさっきの奴らにまた襲われるよ? 」
「はあ!? なんでだよ! 」
「そりゃあさっきは私がいたから退いただけだしね」
先ほどのマフィアたちはドラルクの顔を立てて、撤退していったが、メンツを潰した者への制裁を諦めてはいないだろう。青年の背後関係を洗い直して、ドラルクとの関係が嘘だと分かったらまた同じことになる。
「……お前って何者なわけ? 」
「では自己紹介を。私の名前はドラルク。この街を支配する組織『竜』の後継者だ」
「ヌヌーン!! 」
効果音代わりに声援を上げてくれたマジロに応えるべく、大仰に腕を広げる。この街の事情には疎いであろう青年も流石に『竜』の名前は知っていたのか軽く目を見開いた。
「竜の……? お前みたいないかにも貧弱そうな奴が? 」
「はい、それちょっと気にしてるから突っ込まないでね!! 七光りでもなんでも私はれっきとした竜の一族だとも」
祖父と父は竜の一族に相応しい力を持ち合わせているが、ドラルクにそんなものはない。隠すことなく堂々と親の七光りであることを言い放つと青年は呆れた表情を見せた。
「……自分でも言ってんじゃねえか。あー、つまり? 『竜』と俺が何の関係もないって分かったらまた追っかけられるわけか」
「そういうこと。直情的に動く割には頭の回転が早いじゃないか」
「殴っていいか? 」
握りしめられた拳が届かない位置まで離れてドラルクはコホンと咳払いをした。青年の反応がいいのでついついからかい過ぎてしまう。
「一度は保証してしまったからね。君とうちの組織の関係を示すためにもしばらくは一緒にいる必要がある」
「断る。俺はマフィアに入るつもりはねえ」
きっぱりと提案を跳ね除けた青年を見つめてドラルクはくつりと笑いをこぼした。襲ってきたマフィアについて聞いた時や、ドラルクがマフィアだと判明した時、微かにだが青年は敵意を見せていた。上手に隠してはいたが、これでも裏社会に生きているのでそういった感情には敏感なのだ。目の前で起きた小さな悪事を見逃せないくらいだから、裏社会に生きる者を嫌うのも仕方がないのかもしれない。
「……何笑ってんだよ」
「いや? 青いなあと思ってね」
「……てめえ」
軽く挑発をすると、青年はぎらりと目を光らせる。喧嘩っ早いのも活きがよくて大変に面白い。お望み通りの悪役に見えるよう嫌味ったらしく笑ってドラルクは青年が気づいていない事実を突きつけた。
「このまま帰ったら狙われるのが君だけじゃないってことを考えた方がいいぞ、若造」
「は」
今その事に思い至ったのだろう。強がっていた態度が一変して、ひゅっと息を飲み込む音が聞こえた。
「君が意地を張った結果で友人や家族、それに庇った店員にも危害が及ぶかもね。目の前にそれを解決できる物好きがいるんだし、少しは利用したらどうだい? 」
青年の前に手を差し出す。自分の意地と他人の安否どちらを取るのか。会ったばかりだというのにドラルクはすでに青年が取る方を理解していた。少しの逡巡と共に青年はドラルクの手の平に自分の手を重ねる。
「ほとぼりが冷めるまでだ」
「それでもいいとも。君みたいなのが、裏社会に馴染めるとは思わないし。用心棒として雇ってあげる」
「用心棒? 」
「そう。昔から組織絡みで狙われることも多くてね。ということで、今日からよろしくね。番犬くん? 」
重ねられた手がまるでお手をしているようだったので、犬に例えてからかうと不満そうなうなり声と共に威嚇をされる。犬扱いが気にくわないくせにそれっぽい素振りをするものだからつい笑ってしまった。
「……皆からはロナルドって呼ばれてる。約束、忘れるなよ」
「もちろん。少しの間だろうけど、面白い働きを期待してるよ」
笑いをかみ殺しながら、教えられた青年の名前を反芻する。ロナルドといると退屈しなさそうだと、妙な確信があった。