邂逅「どけどけどけぇい」
現代にはもう殆ど存在しない、古びた街並みは静かで穏やかで人気の観光名所となっていた。柔らかい色の街灯が集まった観光客を照らしているがその波が少しずつ左右に別れ、道を開ける。
「どけ…」
「はぁ?」
厄介な者は京にも居るのだな、なんてぼんやりと考えながら自分もまた橋の脇へと避けたはずだった。なのにそな声は真正面から聞こえるのだ。
「なぁ、お前」
「なんだ?」
「お前、退かないのか?」
「俺はちゃんとどいたぞ。それにお前って、俺にだって名がある!」
「ではお前の名はなんなのだ?」
ゆっくりと。やけにゆっくりとそう、問われた。
「俺の名は、俺の名はー」
父と母から授かったこの名前、皆が俺を呼ぶその名前が何故か口から出てこない。はくはくと魚のように口を動かす事が出来ても言葉にならない。びっくりしてやっと目の前の男の顔を見る。暗闇でもわかるその深い緑をしたその両の眼に吸い込まれるようにしてかつての俺が目を覚ました。
聞こえてくるのは海の音。そして、琵琶の音。紡がれる平家の滅亡はしわがれていてそれに身を任せば山奥の開けた場所で綺麗な声を惜しげも無く空に広げるお前がいる。心と体を全て使って自由に新しい歌を紡ぐお前がいる。赤くゆらゆらと光るお前はいつも傍にいた。お前の傍に俺は居た。俺達は昔も今もここに。
「いぬ、おう」
「ともあり、友有。なぁ泣くなよ」
「泣いてなど…おらん」
大きな手のひらで頬を拭われそっと身を引き寄せられた。両腕が背に回ると同時に彼の手から離れたものがコト、と音を立てて地面に落ちた。
瓢箪の面だ。
「犬王、何故それを持っている?」
「自分で作ったんだ。イケてるだろ?」
「あぁイカしてるな。今もつけてるのか」
「うん。今となってはこの位置に穴があるのは見にくい。しかしお前は俺を見た事が無いだろう?だから、お前の為の印だ」
そう、聞き慣れた声が言った。
「見えていなくたってわかったぞ。あぁ、あの日の空はこんな色をしていたのか」
「そうだ。お前と見る空はいつだって輝いていた」
花紺青の夜に広がる無数の星々の下で何度だって彼を見つける。
座に入る事が出来ず旅支度をして出た先で、呪から解き放たれたその先で、そしてお前を探し歩いたその先で。
宛もなく京に辿り着き、何かを探すように彷徨い、そして手放してはいけないそれをもう一度引き寄せる。
「今度は俺がお前を見つける番だと思っていたが」
「俺だってお前を見つける気で毎日生きていたんだぜ」
「前よりは早かった気もするが、だいぶ時間が掛かってしまった気もする」
「どんなに時間が経ったって、そもそも俺達には互いを見つける唯一の方法があるからな。見つからん事は無い」
「だな、そもそも」
そう言い合って、笑う。名前を呼んで、笑う。
「友有、あのカブトムシは一緒じゃねぇの?」
「あぁ、宿に置いてきた。それにしてもよく俺だとわかったな」
「今どき、いや昔からそうだが、背の高ぇ男がこんな高い靴履いて歩いてたら目立つだろ!」
「でもお前、これを履いた俺を綺麗だと言った事があるだろう?きっと、何処かで覚えていたんだ」
「俺は色んなお前を見てきたからな。まだ声変わりしてないお前も頭を丸めたお前も、化粧したお前も全部。その全部が美しかったよ」
「それを言うなら出会った時から俺にとって一等美しいのはずっとお前だったさ。お前の直面を見る事は叶わなかったがわかる。今のお前も惚れ惚れするほどに、美しいよ」
「お前に見合うか?」
「釣りがでるな」
「そうか、それなら良い。なぁ友有、今から宿に戻って琵琶を持ってこい。そしたら河原で一曲歌おう」
「俺もそうしたいと思っていた」
「新しい曲をやろう」
「新しい琵琶を聴かせてやろう」
「そうだな、今度は俺とお前の物語を語ろう」
「俺たちがここに有ることを知らせよう」
「なぁ友有」
「なんだ?犬王」
何度途切れたって、ずっと、ずっと、物語は止まらずに、また。