「左馬刻さん」にまつわる話「よォ、偽善者の一郎くん。まさかこんなところで会うとはなぁ?」
「チッ、なんだよ左馬刻。それはこっちの台詞だっつうの」
「左馬刻、さん、だろうがくそダボが」
「ハッ、誰がさん付けして呼ぶかよ」
いつものやり取り。示し合わせてもいないのに気の向くままに足を動かした場所ではたとかち合ってしまうのは別に今回が初めてじゃない。コンビニ、中華屋、サウナ、そしてここ遊園地。あぁ、二年前にもこの場所でばったり会ってはどちらがつけて来ただ真似しただで喧嘩をした記憶が鮮明に蘇ってきてはくらり、と眩暈がした。
「にしても、ダセェ格好だな。伊達メガネなんてしたところで、全く隠しきれてないんだよ」
左馬刻は続け様に靴から頭のテッペンまでをじっくり見ては煽るように鼻で笑った。
「は?こういうイベントにくるときはコレが正装なんだよ」
一郎は、推しのミホちゃんのシルエットが全面に大きくプリントされたロングTシャツに、ジーパン、腰にはギンガムチェック柄のシャツを巻き、同じ色のスニーカーを履いている。
肩にかけている大きなトートバッグの持ち手には公式グッズのハンカチを蝶々結びにし、クリアポケットになっている側面には同じ種類の缶バッジがずらりと並んでいた。
「つうか、左馬刻はなんでこんなとこにいるんだよ」
「あ?合歓が来たいっていうから」
「その合歓ちゃんは?」
「……電話きて急な仕事が入ったって…職場に戻った」
徐々に威勢がなくなり声が小さくなっていく左馬刻が面白くてつい笑ってしまえば、ギロりと鋭い視線を感じた。
「ってことは取り残されて暇持て余してんだろ?」
「あぁ?んだよそんなに俺様と喧嘩がしてぇのか?あんま舐めた態度取ってるとどうなってもしらねぇからな」
ノンブレスのドスの効いたいつもの声に、一郎は宥めるように少し和らいだ声を出す。
「違うって、あんたヒマならちょっとついてきて欲しい場所があるから」
そう続ければ、左馬刻はピクリと眉を動かした。
「……俺様は萬屋じゃねぇよ」
ちっ、と小さく舌打ちをしたものの左馬刻は一郎に静かについて行った。
「ったく、オタクどもの気が知れねぇな」
メルヘンな室内にどかりと座る長身美形のヤクザはやはり異質である。
「わ、すげぇ……ここがユートピア?」
「ディストピアだろ」
一郎に連れられてきたのは遊園地の一角に期間限定でオープンしているコラボカフェ。一郎と同じような格好をした輩と、キャラクターと同じような格好をしている女ども。
一郎はカシャカシャと店内の写真を撮ると、もうメニューに釘付けだった。
「んー、ドリンクが一つ800円でランダムコースターが一つ。全20種類か。フードが1600円でこっちはカード。ミホちゃんのホットサンドセットも美味そうだけど、普通にローストビーフ丼もハンバーガーもくいてぇな」
ボソボソと喋る一郎を見ていると一郎は顔を上げて左馬刻を見る。
「あ、左馬刻さんなんかくいてぇのあった?せっかくならあんたが選んだの以外を頼もうかなって」
「左馬刻さん」
その呼びかけに左馬刻は固まってしまった。
「あ、もしかして飯もう食っちまってた?んーそしたらデザートもあるぜ。左馬刻さんが好きなのねェかもしんねぇけど」
………。
永い沈黙があった。
一郎は一向に喋らない左馬刻を不思議がって、初めはこんな場所に連れてきて怒ってんのか?と聞いたりしたが、その顔が怒っている顔ではないと判断すると再びメニューに目を戻した。
それから数十秒。
一郎の顔がだんだんと明らんでいくのだった。
メニューを持つ手が小刻みに震えて、「あ、え、ちがう」と細かい戸惑いの声が溢れだす。
「……頭ん中ではずっと、左馬刻さんって呼んでたから……わりぃ、間違えた」
カァッと赤くなり、口元を大きな手で覆う一郎を見て「間違ってないだろ」といった至極真面目な左馬刻の声は机を挟んで正面にいる一郎の耳には入ってこなかった。
あまりに想定外すぎる事態に左馬刻はニヤケが止まらない。
「おい一郎クン。好きなもん全部頼めや。食い切れなかったら俺様が手伝ってやるし、金も払ってやんよ」
突然目に見えて機嫌が良くなった左馬刻に、一郎は「はぁーー」と大きなため息を吐き出した。
ずっと、もう二年も隠していたことだ。顔を合わせれば威勢よく「左馬刻」なんて呼んでおきながらその裏を知られてしまった恥ずかしさに、ずっと楽しみにしていたコラボカフェどころでは無くなってしまったし、口に運び続けたご飯も飲み物お味もどこか曖昧なものになってしまった。
食べ終われば左馬刻が口を開く。
「満足したかよ。どうせこの後も時間あんだろ?今度は俺様について来い」
店を出ては、左馬刻の後ろ姿を静かに追う。
初めて会ったあの時から変わらないその大きな背中はどこまでいったって「左馬刻さん」そのものである。
本来ならば塞がっていていいはずのピアス穴は空いたままだし、左馬刻があの日与えてくれた新しい居場所を今でも何よりも大事に守っている。
忘れようぜ、なんて言葉にするのは簡単で、でもきっと、忘れる日が来ることはない。
過去をも全て背負う生き方は左馬刻から教わった生き方であるし、今だってあの日から空白になってしまった自分の体にある左馬刻の居場所を両の耳に空けたまま。
まだまだ左馬刻の前で素直になれない一郎はそんなことを左馬刻に教えてあげる気はない。今でも慕っていると、伝えるようなものだからだ。
けれど、名前を呼ばれてあんなに嬉しそうに笑う左馬刻を見てしまったら、また左馬刻さんと呼んであげても良いのかもしれないと行き先を知らない一郎はそう思った。
数十分後、連れてこられたのはラブホテルで、何度も何度も「左馬刻さん」と呼んではドロドロに甘え、甘えられ、蓋をして心の奥にしまっていた感情を全て曝け出し、溶け合ってしまうのは二人の未来の話。