紡ぐあぁ、なんと素晴らしいか。
我らの物語を紡いで六百年、この男が俺を探し回った六百年。
再び触れることの出来るこの温もりと跳ねるような心音、転がるような心地の良い歌声に生き生きとした琵琶の音、空気をも地面をも伝うこの踊り。途絶えてしまった二人だけの古びた歌に続きが響き渡った今日、呪いから放たれた新しい自分が地に足をつけた。
「なぁ犬王、もう能面は必要無いだろう」
「俺はお面の隙間から外の世界を見るのが好きなんだ。お前こそ何故紅を塗っている?」
「さぁ、好きだから、かな」
ベンベンベン、と弦を弾きながら音を調節する友有の隣で鼻歌を歌っていた犬王がこちらを向いた。
元いた場所では考えられないほど進歩した現代の一室は防音が効くのである。
「友有、俺が見えるのか?」
「あぁ。でもずっと君は見えていたよ。形はなくともね」
「ひょうたんを被っているのが見えていたら俺を避けたか?」
「どうだろう。ただ俺は君に唯一触れることが出来た。長い器用な手にも、背中の鱗にも、最後まで隠してたその口にもね。俺は犬王を一番知っていたかったけど、まさかその顔を初めて見ることが出来たのは将軍らだとは。少し悔しいと思ったよ」
「あの顔だって、能面の一枚に過ぎやしないさ。犬王として舞って踊るためのな」
「そうかい。ではこの面の下の顔はなんなんだい?俺はこの整った顔立ちを好んでいるが」
友有が紐を解いて面を外すと少し不服げな面持ちの犬王の顔がある。
「この顔はお前にだけ、見せるんだよ。醜いだとか美しいだとか知ったことか。これが俺なんだ」
友有にとって、今も昔も犬王が一番美しいのだ。彼が纏っているその色が、魂が、己の心によく馴染む。
ビィィン、と音を立てて琵琶が手から離れていった。
「あぁ。歌も踊りもみんなに聞かせてやろう。ただ、面の下は俺だけのものにしてくれ」
顔の輪郭をなぞり、唇に触れ、そっと重ねる。
目を閉じればあたたかい腕が背中に回ってきては抱き寄せられるのだ。あの長い腕で抱きしめられるのを思い出す。同じ様に抱き返せばその背中に鱗の感触が蘇る。どんな形であれ「犬王」である限り「犬王」が隣にいることを全身で感じることが出来る。
「……ずっと言いたかったが口吸いした時にいつもお前の紅が移るんだ」
「それは……初めて知ったよ」
ほんのりと赤く染った犬王の唇に指を当てた。
「なんだ?」
「俺の名前を呼んでくれてありがとう」
「もう、変えるなよ」
「あぁ」
「見つからないのは嫌なんだ」
「犬王」
「お前と出会ってから、誰かを慕う気持ちを知ってしまったから、一人があんなに苦しいものだとは知らなかった」
「それは俺もさ。ずっと、一人でお前の物語を紡いできた。我らの物語を語っていたが、犬王、お前がいなければ意味の無い事だ。名前を呼ばれた時、やっと思い出したんだ。お前と過ごした満ちた時間をな」
「これからも一緒か?」
「あぁ、これからだ」
我らの心共に此処に有り
澄んだ声で紡がれるその歌にあの日のように声を重ねる。六百年の空白などまるでなかったかのように。
「まだこのカブトムシみたいなやつ、使うのか?」
「これが一番イカしてるからな」
「今日は新しい能面を被る」
すらっと伸びた指先が壁から面を取り上げた。
今日我らが語るのはー。