浮かれた熱に揺蕩う「ん〜?おい、ぞろぉどこいくんらよ」
「あぁ?」
「せっかくおれがお前の晩酌につきあってやってんのによぉ」
「お前、向こうで飲んでるナミとロビンに追い払われただけだろ」
「うっせぇ〜まりものくせに」
ダイニングに向かい合わせで座っていたゾロが席を立って視界から消えた。目の前にあるグラスを傾けるが空っぽで、何も無い事は分かっていてもそのまま口へと運んだ。
「……ねぇ。おれのグラスが空っぽだ。はやくつぎ」
「お前、酔すぎなんだよ。おら、酒じゃなくて水を飲め」
並々と注がれた水が荒々しくテーブルの上に置かれ、周りに水たまりを作った。
「みずのみてぇなんてひと言もいってねぇ」
「うるせぇ酔っぱらいコック。お前が明日の朝起きれなかったらおれがどやされるんだよ」
「ん……まず、おれはよってねぇ。ナミさんたちに新しいドリンクをつくらないと」
ガタン、とテーブルの足に躓いて立ち上がれずにまた座り込む。
「……。おれはルフィと見張り交代してくるから後は一人でやれよ。寝るなら部屋行け」
「お前に言われなくらってぇ、わかってんよ」
はぁ。特大のため息をついてゾロはダイニングから姿を消した。ぐるぐるとした視界には先ほど置かれたグラスだけが残されていて、いや、自分自身も残されたのだと何故だかムカついてきてその水は飲む気になれなかった。レディ達にほっとかれる分には何とも思わないし、野郎に構って欲しいと思ったことも無いけれど、あいつに放っとかれるのだけはやっぱり気に食わない。グラスを片手にふらつきながら、あの背中を追いかけるように飛び出した。
「ぞろ、はは、いた」
「あぁ?なんで来たんだよ」
「お前がいなくなるから来てやったんだろ?」
「何でてめェはそう上から目線なんだよ。さっきの話聞いてなかったのか」
「きいてたわくそ剣士。みず、飲ませてくれんだろぉ?」
展望室のベンチに腰掛けダンベルを握るその隣に腰掛けた。
「っち、何も聞いてねぇじゃんか」
「うお」
乱暴に奪われたグラスの中身をこいつが飲み干す。
「はぁぁ?それおれの水なんだろ?なんでだっ、んん」
ごと、と音を立てて床に落ちたのはあの重そうなダンベルで、力加減が調節されないその手のひらで顎を掴まれる。状況が飲み込めないまま感じるのは口の中に流れてくる生ぬるい液体で、見開いたその目にはしてやったりといった様なあの何処か得意げで満足げな片目が映る。
「は、酔いは覚めたかよ。寂しんぼまゆげ」
「っそんなんじゃぜんっぜん足んねぇ……もっと」
「もう水はねぇからな」
「それが欲しいんじゃねぇっつうの」
「知ってる」
自分がどんな顔してるかなんてわからない。でも自分から求めてしまったら引けないし。少し大胆だとは思うけどあいつの首に腕を回した。ゾロの思うツボかもしれねぇけど、後で馬鹿にされるかもしれねぇけど、そんなちっぽけなプライドなんてどうでも良いくらいに今は欲しかったから。すぐに頭の後ろを固定するように手のひらに支えられまた唇に熱が触れる。今度は先ほどの水なんかと比べ物にならないくらい熱い体温が奥まで馴染んで溶けた。
嫌いじゃねぇよ。そう言われたのはいつだったか。タバコを吸った後のキスは不味い、そう口にした後つけ加えるような言葉だった。「嫌ならしなきゃいい」きっとおれの口からはそんな可愛げの一つもない言葉が飛び出してしまうから、それを阻むものだったのだろう。
嫌いじゃねぇよ。このくらくらしそうになる酒の味しかしないキスだって、お前となら。「嫌いじゃない」とか曖昧すぎるその言葉の真意だとか、その先だとか、同じく変なところで捻くれているこいつから聞ける日が来るのだろうか。どうしても我慢できなくて、確認したくなって、自分から言う日をこいつはきっとずっと待ってるのだろう。俺が自分に素直になれる日を、誰かに心を委ねられるようになる日をずっと隣で待ってるのだろう。だから。
「おい、おれの隣からいなくなるの、無しな」
「それはお前もだろ。……二度とごめんだ」
「ははーん。おまえ、寂しん坊か?」
「一人で水さえ飲めなくてここまで来るような奴に言われたくねぇな?」
「お前がおれを放ったらかしにしたからだっつうの」
「ふぅん?」
ニヤニヤと口元を歪めるゾロを見て、無意識に眉間に皺が寄ってしまう。
「んだよ」
「お前、おれのこと好きだな」
「うるせーばーか知らなかったとは言わせねぇからなもう寝る」
「おい、ここで寝んのかよ」
「おまえがっ、意地悪するからだ!五時におれをちゃんと起こせよ」
赤らむ顔を隠すように壁に顔を向けてベンチに横たわる。
「なぁコック、お前が思ってるよりもおれはお前が大事だ」
「っ……!んなっ」
「朝起きたらお前また記憶ねぇだろうけどよ、これだけはちゃんと覚えとけ」
ボフン、と顔から湯気が出そうなほど真っ赤になって、その後直ぐに真っ青になる。
「お、お前、い、いつも言ってるのか?」
「おう」
「酔っ払ったおれに?」
「おう」
「なぁそういうのは素面の時に言えよ」
「お前が酔っ払ってる時しか甘えてこないのが悪い」
「けち」
「けちじゃねぇ」
「ぞろ」
「なんだよ」
「っ今日はちゃんと覚えとくから…、もう一回言って」
ごろん、と仰向けになってゾロの方を見れば影がゆらりと近づいてくる。
吐息混じりの甘ったるいその二文字が終わる前にその唇を塞いでしまった。
やはりこの言葉は自分に向けられるには勿体ないくらい特別なもので、何か応えなければ気が済まなかった。胸の奥が酷く痺れて擽ったくて苦しくて。幸福感の中で揺蕩いて目を閉じる事が何よりも惜しい。
目覚めた時、この温もりが覚めていない事を祈りながら重たい瞼をゆっくりと下ろした。