笑って誤魔化すつもり? 休日の朝はいつもよりのんびりと過ごし、阿笠博士や友人のところに遊びに行く。江戸川コナンとして生活することになっても、元々の「工藤新一」としての習慣はそう大きくは変わらない。
だが、この日のコナンは阿笠邸を訪ねる前に、隣家へと寄り道をしていた。それが全てのはじまりだとは、この時には知る由もなかったことだろう……。
「昴さん、い……?」
いつものように、「居る?」と声をかけようとしたコナンは、リビングのドアを開けたまま、その場に立ち止まった。しばしのフリーズ。その後、ようやく放たれたコナンの声には驚きと焦りとが存分に上乗せされていた。
「いや……ちょっと、何してるのっ」
「何って……なぁ?」
コナンの眼差しの先で、長椅子に座っていた赤井秀一は、平然とした様子で答えた。そして彼は、自分の隣に座った男を肩で小突くように、軽く身を揺すった。
「僕に振らないでくれますかね」
赤井に小突かれた男⸺降谷零はわざとらしいほどに大きく溜息をついた。しかし、彼らは二人とも、コナンがドアを開けた時の姿勢を崩そうともしないでいる。降谷は右腕で赤井の肩を抱くようにし、その指先は柔らかな黒髪を弄び続けていた。赤井にしてもその降谷を咎めるでもなく、現状を取り繕う様子すらない。二人ともが、そうあることが当然だとでもいわんばかりに堂々としていた。
それだけならば、コナンもここまで動揺しなかっただろう。しかし、あろうことか彼らは、吐息が触れ合うほどの至近距離で見つめ合っていたのだ。今まさに、くちづけを交わそうとしていた……としか見えない状態で。これは誰がどう見ても、「そういう関係」という結論に到達するはずだった。
「あのさぁ……今の状況、ツッコミどころありすぎなんだけど。わかってるの、赤井さん?」
先には「昴」と呼びかけたコナンだが、赤井が沖矢昴の変装をしていないことから、全てを諦めたようだった。そもそも降谷とて、バーボンでも安室でもない、精悍な獣を思わせるような佇まいを隠しもしないでいる。赤井秀一と降谷零という彼ら自身の素の状態で、こうしているのだろうことは明らかだった。
「それは僕もコナンくんと同じ意見だな」
「君がそれを言うのか?」
「はぁ? 僕だけのせいにするとか、さすがに責任転嫁がすぎるでしょ」
「責任転嫁ね……」
不服そうに赤井は眉根を寄せた。この状況からすると、赤井が変装をしていない原因の一端は、降谷にもあるのだろう。だとすれば、朝早くから……否、なんなら昨夜から彼らはこうして過ごしていたのでは……と考えたところで、コナンはふるふるとかぶりを振った。さすがにこの二人の「そういう関係」を、それ以上には深く考えたくなどない、と言いたげな様子だ。
「……それにしても、休みの日にとは珍しいな、ボウヤ。何か急ぎの用でも?」
「急ぎってわけじゃないんだけど……」
コナンは上目に降谷をチラと見やる。もともと、コナンは降谷がここに居ることを想定していなかったはずだ。降谷の前では言いづらい話でもあるのだろうか。そうと悟ったらしい降谷は、ようやく赤井の肩を抱いていた腕をほどいた。
「そういや、僕もそろそろポアロに行かなきゃな」
降谷は億劫そうに長椅子から立ち上がると、コナンを一瞥する。しばらくどう声をかけようか迷っているふうではあったが、降谷の選んだ言葉は意外にも直球といえる内容だった。
「……あのさ、コナンくん。ちょっとだけ向こう向いててくれる?」
これまでのことから、さすがによからぬ気配を察したものか、コナンは降谷に胡乱な目を向けた。
「なんで? 何する気なの?」
「何って……ねぇ?」
先程の赤井の言葉をそのまま引用し、降谷は長椅子に座ったままの彼に目を向けた。しかし、その赤井は口元を掌で覆い、笑いを堪えているのか肩を小さく震わせている。そのうえで、彼は降谷に向かってひらひらともう片方の手を振ってみせた。早く行け、ということらしい。
「……わかったよ、もう。じゃあね、お邪魔しました」
降谷はすれ違いざまにコナンの頭をポンポンと軽く撫で、そのままリビングを出ていった。一応は降谷なりに気を利かせた結果なのだろうが、コナンの目から見ても全くさり気なくなどなかったし、随分と後ろ髪を引かれていることも明らかで、「とても面倒くさい大人」としか表現できない有様だった。コナンの知る好青年な安室透と本来の降谷零とは、似ているようでいてかなりの別人らしかった。
「悪いことしちゃった、のかな……」
「いや、そう判断したのは降谷くんだ。ああ見えて彼の方も、別に気にしちゃいないさ。ただ、少しだけ面倒な性分をしているだけだよ」
「なんか……すごい理解してるんだね、安室さんのこと」
「妙かな」
「妙っていうか……意外、かも?」
一人掛けのソファーに座りながら、コナンは首を傾げた。彼らは表向きには、どちらかといえば敵対している間柄で、それでも互いの能力はそれなりに認め合っている。コナンにもそのあたりまでの事情はわかっているが、その先の話まではあずかり知るものではなかった。そのことが、しっくりとくる言葉を見つけられない原因となっているようだった。
「……えっと……赤井さん、さっきの状況、ちょっと整理させてもらっていいかな」
「構わないが、質問はひとつだけにしてくれ」
コナンが尋ねたいことについては、赤井もある程度は推測しているはずだった。降谷との関係、彼がここに居たこと、赤井が素顔を晒して接している理由、何よりも先程の状況について……それこそ枚挙に暇はない。
コナンもそれとわかっているからか、熟考した末にひとつの質問を放った。
「……じゃあ……いつから?」
「ホー……それこそ、意外なことを」
「だって、そういう……っていうのは、聞かなくても……なんとなくだけど……」
「なんだ。そう照れることもないだろう」
「……それ、見られた側が言うことじゃねぇし」
先の光景は、さすがにコナンには刺激が強かったらしく、赤井を直視できない様子で目を泳がせている。だが、その問いへの赤井からの答えも、それなりには刺激的な内容になるはずだった。
「いつから、ということだが……降谷くんとは二週間くらいになるのかな。時々ああして来ては、一晩を過ごしていく。だからといって、ゆっくり身体を休めるつもりもないらしい。おかげで、こちらも寝不足と疲労が続いていてね」
赤裸々な話にコナンは俯き、膝の上できゅっと両手を握りしめていた。それを見ながら何を思ったものか、赤井はさらに話を続けた。しかも、芝居がかった色香がたっぷりと上乗せされた声をもって。
「彼自身と……ということなら、組織にいた頃にも。バーボンはあれでいて、随分と執拗で激しかったからな。情熱的に幾度も求められるのは、俺としても悪い気はしなかったし、何より……」
「ぅあぁあ赤井さんっっ!」
赤井の言葉を遮るように大きな声をあげながら、コナンは勢いよくソファーから立ち上がった。動揺というよりただただ恥ずかしいようで、その顔は真っ赤に染まっていた。さすがに悪ふざけがすぎたと思ったのだろう、赤井は即座にハンズアップの姿勢を取ってみせた。
「じゃあ、次はコッチの番でいいよね? ねっ?」
コナンは有無を言わせぬ調子で念押しし、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。テーブルの上に広げられたそれを見て、赤井は書かれていた文字そのままを言葉として発した。
「ハロウィン?」
米花町商店街ハロウィンイベントのお知らせ。
上部にそう書かれたチラシには、月末の土曜と日曜に商店街で行われるイベントの概要と、簡易な地図とが記されている。イベントに参加する店舗には番号が振られ、その位置と名称とが一目瞭然となっていた。
「昴さんと一緒に行こうかな、って思って。それで……」
「誘いに来てみたが、生憎、俺が昴ではなかった……と」
「んー……ちょっと予定変わったけど、今のところ結果は同じことになりそう。で、見てもらいたかったのはここ」
そう言いながら、コナンはチラシを裏返してみせた。そちらは表面で振られていた番号の順に、どんなサービスが行われるかが一覧表として記されている。そして、コナンの指先が示したのは、店舗番号21番とされる書店だった。
「ここの本屋、時々ブックカバーとか選べるキャンペーンしてるんだけど、今回は探偵特集なんだって。ほら、ホームズのもあるし」
コナンの弾んだ声が指摘するように、書店の写真にはかの世界的名探偵のシルエットがプリントされたブックカバーが写っている。
「本屋は大人でも仮装してればOKらしくてさ。どう? 興味湧かない?」
「なるほど……これはホームジアンの血が騒ぐな。いいんじゃないか、一緒に出かけるぐらいは」
「やった! 赤井さん何の仮装にする?」
わくわくした様子でコナンが問いかけるのに、赤井は腕組みをして考え込む。じきに、赤井は一つの案を提示した。
「大学院生……というのでは駄目かな」
「駄目に決まってるでしょ。それ、ただの昴さんじゃない。……じゃあ、何にするかは僕が考えておくからね」
コナンは頬を膨らませて赤井を軽く睨んだ。そのコナンに対して、赤井は微笑みながら再度ハンズアップをしてみせる。しかつめらしい顔で答えてはいたが、やはりそれなりの悪戯心が働いてのことだったらしい。
「……だが、その程度の内容で、降谷くんをはばかることもないと思うが……」
「でもやっぱ、安室さん居たらちょっと話しにくいかなぁ。ポアロもハロウィンやるって聞いたから、どうかな、って話もしたかったし」
コナンはコナンで、それなりに彼らを気遣っていたようだ。二人の関係が明らかになったとはいえ、降谷の面前でしていい話ではなさそうだと思ったのだろう。
降谷が安室透として働く喫茶店は、先の商店街地図からは少し外れた場所にある。しかし、イベントには参加するらしく、裏面の一覧では一番最後の枠に記されていた。仮装した子供にクッキーをプレゼント、とのことで、おそらくは彼がせっせとクッキーを作り続けるものだろう。その様子を思い描いたのか、赤井の口元が柔らかくほころんだ。
「それは是非行きたいものだな。噂に聞く、彼の働きぶりを見てみるいい機会だ」
「あれ? 安室さんがいる時にコーヒー飲みに行ったりとかしないの?」
「しないな。店には何度か行ったことはあるが、いつも女性の店員一人だけの時だよ。この間、ボウヤと行った時もそうだっただろう?」
「そういえば……でも、なんで?」
「外堀を埋めている最中だからね、今のところは」
「どういうこと、それ?」
「人目があるところで会うことを嫌がるんだよ、降谷くんは」
「……どうして? そんなの今更じゃない」
もはや、先の「質問はひとつだけ」という話も吹き飛んでしまった様子で、コナンは身を乗り出して次々と赤井に問いかけた。だが、赤井はそのひとつひとつを雑にあしらうこともせず、穏やかな微笑みとともに、律儀に答えをかえしていた。無論、今のコナンの質問に対しても同様のつもりでいるようだ。
「そうだな……懐いてくれそうでいて、噛み癖の抜けない子犬のようなものかな。さっきも随分とわざとらしかったし、まだ自分の中で、いろいろと整理がつかないこともあるんだろう。だが……そんなところも可愛くて、つい悪戯を仕掛けたくなる。まったく、困ったものだと思わないか?」
またも芝居がかったふうに、赤井は色気を纏わせた声で囁いた。今度は、俯きかけたコナンの顔を覗き込むようにして。決して獲物を逃さないという確固たる意思というよりは、完全なる悪ふざけの結果としてのようだったが。
「えーと……」
僕、子供だから全然わかんないな~。
今更ながらに、コナンは切り札となる例の言葉を、アハハと笑いながら赤井に告げるしかないのだった。