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    enagagagagagaga

    @enagagagagagaga

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    enagagagagagaga

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    共同1次創作企画の本編です。
    5話原案:げちを
     小説 :えなが

    そして、君の愛を知る。5 俺は壊れている。
     ただそれだけで、それ以上でも、それ以下でもなかった。

     どれだけ人の世が進んでも、争い事がなくなることはなかった。何故戦争が起きるのか。それは両者にそれぞれの正義があるからだろう。
     誰かから見た正義は、片一方から見れば不義なのだ。
     この世に生を授かった奇跡すら忘れて、貴い赤子の命さえも易々と捻り潰す。無情に放たれた弾丸が心に穴を空けて、誰かの人生をゲームのように奪う、繰り返される命の略奪。
     戦は麻薬を打ちながらやるようなものだ。勿論喩えではあるが、コンマ1秒の間に誰かの為に、誰かの命を切り捨てる。そういう決断を常に迫られ、自分の心を誤魔化しながら生き、他人にもそれを強要する。
     誰かの為を考えられる人間であればあるほど、それは自身の心を同時に殺す緩やかな自殺行為。
     その点、戦争にアンドロイドは打ってつけであった。
     すり減る心をそもそも持たない機械。いくらでも替えの利く消耗品。命令ひとつで戦火を生み出すそれは、もはや武器の一種であった。
     感情を持つ、自立思考型のアンドロイドが誕生しても現状は変わらなかった。考えることを強みとした、人間に寄り添えるはずのアンドロイドが軍事利用されるのは時間の問題で、使用用途は対アンドロイドの戦闘から、諜報活動や、人間相手の軍事ビジネスまで幅広く、扱い勝手のいい機械を使わない国はなかった。
     心を持たないアンドロイド。それは、人間が作った、擬似的な感情を得た機械。何をさせても、どう扱っても、使えないからと壊しても許されてしまったもの。


     本当に心がないのは、どちらだろうか。



     ◆◇◆



     アンドロイド達に廃墟区域と称されるそこには、人類がまだ生命の営みを続けていた頃の建築物がそのまま残されている。建ち並ぶ崩壊したビル群。生き残ったアンドロイド達と同じように隕石の衝撃から逃れ、地形の変化にも負けずにいたが、しかし現状は放置されているだけのものが多いのも事実だ。
     住まうアンドロイドがいなければ植物や野生動物の住処となるか、そのまま朽ちていくだけ。今は人間に居住区を奪われていた生物達が暮らしているというわけだ。その屋敷は、住宅街と思わしき廃れた風景から少し離れた場所にある。
     比較的被害の少なかった地域でも綺麗に残っている建造物は少ない。けれどそこは、まるで加護を受けているかのように、“彼女”が生きていた頃と同じように存在している。
     踏みしめた土埃が舞い上がり、アンドロイド──ハンナは足を止めた。右目にかかる毛髪が爽やかな風にさらわれて両目が目標を捉える。伸びた蔦に優しく包み込まれた外壁。大きな出窓やアーチ窓が特徴的な外観の西洋建築物。
     ここに、芸術家のアンドロイドがいる。
     フジに紹介してもらったアンドロイドのうちの一機は、聞いたなかでも特に印象の強いアンドロイドだった。けれどフジは会えばわかると詳しく教えてくれたわけではなく、期待と不安が入り混じる感情がハンナのなかで揺らいでいる。
     しかし黙って立っていても何も進まない。ハンナは外壁に付けられたベルを鳴らしてみた。ずいぶん古いものではあるが、まだしっかりと仕事をこなすようでリンリンリン、とハンナの訪問を知らせた。
    「……」
     音はしない。不在だろうか、ハンナがもう一度ベルの紐を揺らす。
    「…………」
     再び沈黙。
     家が違う? けれど何者かの機体の反応はすぐそこにある。廃墟区域にはいたるところに機体の反応があることもあって、絶対に目の前の家が正しいとは言えない。
     どうすべきか、迷ったハンナは邸宅の扉を開けた。間違っていたら、謝って帰ろう。鍵はかかっておらず、ぎい、と古ぼけが音がハンナを包んで抜けていく。
     踏み入れて、歩みを止めた。家主の代わりに彼女を出迎えたのは、廊下の壁に飾られた絵画の数々であった。視線を動かし、それらを観察してみる。キャンバスに乗せられているのは数多の絵の具だ。ペタペタと幾度となく重ねられているが、ハッキリとした何かを描いているようには見えない。一見して無造作に配置されたように思えるが、額縁に閉じ込めた絵画は何かの意図を持って描かれたのだろう。
    ──抽象画、だろうか。
     データと照合してハンナはそれをそう認識した。
     芸術家、と言っていたフジの言葉を思いだす。芸術家というのは何かを用いて創造、表現する者のことだ。これは一体何を表現しているのだろうか。心を持った人間ならば、そこに秘められた感情や、意味を受信することが出来たのだろうけれど、ハンナにはそれを読み取ることは出来ない。
     作者であるアンドロイドは、抽象的な何かを感じ取れる機体、ということなのだろうか。そうであるのなら、ハンナの疑問も解決するかもしれない。
     少し膨らんだ期待を胸に邸宅内を進んでいく。廊下を歩いていくと開けたホールに出た。立てかけられたキャンバスが並んでいる。並べられた大小さまざまなキャンバスは、何度も何度も納得がいくまで描く芸術家のイメージそのもののホールのようだ。
     ホールの真ん中には、大きな暖炉があった。今は使われていないそれの上に、ひとつ作品が飾られている。
    ──人間だ。人間の少女の絵である。
     まるで、今も生きているかのような、誰かに穏やかな笑みを向けた少女が描かれていた。その少女の絵はある意味で異質な存在であった。屋敷のなかに足を踏み入れてからここまで、絵具をなんと形容すべきかわからない不思議な形で塗りたくっていた作品しか目にしなかったのだから、それはハンナが初めて理解できる作品でもあった。この作品も、件のアンドロイドが描いたのだろうか。
     ハンナはそこでハッとした。
     大きな窓から差し込む陽の光を浴びて、ホールのなかでアンドロイドの輪郭がくっきりとする。陽を通さない黒の頭髪、白い衣服は絵具が染みてパレットのようだ。
     ハンナに気づいていないわけがなくて、アンドロイドと目が合う。一度細められたエメラルドグリーンの双眸がハンナを映した。
     品定めをされるような、そういう緊張をもたらす視線に、室内の空気が冷えた気さえした。芸術家というにはあまりに鋭い視線。
     ハンナが身構えたその一瞬、アンドロイドの雰囲気が溶けるように崩れた。
    「やぁやぁやぁ、自らこんなジャンク置き場に足を踏み入れる君は俺と同じくらいに壊れた素敵なお客さんかい? それとも迷子かな? まぁ俺としてはどちらでも構わないんだ、何せ芸術家というモノは常にインスピレーションに飢えている。おっと失礼! 知らないのならばそれはこの終わった世界においても実に哀れな話というものだ。キチンと順を追って話すべきだった、アンドロイドらしく論理的に、かつ天災らしくイロジカルに!」
     ばっと両手を広げ、声高らかにアンドロイドが言いきった。握った筆から絵具の飛沫が花火のように飛び散る。それすらもなんだかインパクトのある演出のようで、奇々妙々、エキセントリックなその口上と、先ほどの冷えた視線との温度差にハンナは拍子抜けした。
     ハンナは見るからに狼狽えた。だってどう反応していいのか分からなかった。
     スポットライトでも浴びているのか、アンドロイドは何故だか輝いて見える。一瞬で注目を集めるような通る声は、まさに舞台上で輝く演者のようで、その一方でコミカルな言い回しは大道芸人のよう。それがまた、ハンナの戸惑いと恐ろしいほどに温度差を感じて、発するべき言葉を見つけられない。
    「……………………」
    「……………………」
    「……………………こ、コルディス、ですか」
     長い沈黙の後、ハンナがようやく切り出した。
    ──コルディス。
     フジが紹介してくれた、芸術家を名乗るアンドロイドの固有名詞。窺うハンナの視線に目の前のアンドロイドは頷いて肯定した。
    「あぁ、そうとも。君は?」
    「新型汎用アンドロイドのハンナです。勝手に入ってしまい、申し訳ありません。ベルを鳴らしたのですが、その、出られなかったので」
    「それは失礼。でも安心してくれたまえ、君のことはフジ君から聞いているし、この屋敷はどんなアンドロイドでもウェルカムだ。何せ俺は作品作りに忙しいからね、用があるのならば勝手に入ってくれてかまわない。ベルが鳴っていちいち出向いていては湧き出るイメージを取りこぼしてしまいかねない! いやしかしその一見して不毛な時間も芸術──」
     うんたらかんたら、なんたらかんたら……なんだか一人芝居を見せられているようなコルディスの発言は、ハンナが口を挟む隙すらなく、アンドロイド特有の息継ぎを必要としない話し方にはもう口をぽかんと開けて見ることしかできない。
     ひとしきり喋り終えたコルディスは、ずいっと一歩ハンナへ近づいた。コツ、と靴音がホールに響く。二機の距離は少し手を伸ばせば頬に触れてしまうほどに近い。どうやらコルディスのパーソナルスペースは狭いらしい。
    「ふむ……さて、それではどうだろう、握手といこうじゃないか。俺と君はアンドロイド。アンドロイド式の挨拶と言えば──握手だろう」
     きらっと眼が輝いたような気がする。背にぞわぞわと何かが這うような気がして、ハンナは一歩後退した。
    「り、理解不能です……挨拶は今し方終えました。これ以上の情報共有が必要でしょうか」
    「挨拶と言えど互いに知りえたことは固有名詞だけだろう。いや君の目的はフジ君から羽毛のごとく軽~く聞いているから少しは理解しているつもりさ。けれど話をするにはどうにも不十分だと思わないかい? アンドロイドという人工物に付け加えられた握手という情報共有手段。互いを良く知るためには、これ以上ない合理的な手段だと俺は考えるが?」
    「……それは、否定できません」
    「だろうとも」
     コルディスが得意げに言って掌を差し出した。けれども、どうしても握手に抵抗があった。いや正確に言えば握手にではない。握手によってどの程度まで自分の情報をさらけ出せばいいのか。そこに不安があったのだ。自然と視線が手元へと下がる。何を差し出すべきか、何をさらけ出すべきか。
     愛を知るために、ハンナはどこまで身を削れるのか。
     ハンナは覚悟を決めたようにコルディスの掌を握った。機械の手が触れ合って、コルディスも彼女の掌を握り返した。
     軽く触れあったその一瞬のうちに互いの情報が記憶装置へ流れ込む。
     固有名詞、機体の製造番号、自身を構成する要素から、そしてオリヴァーとのあの一件の記憶。ハンナが己の情報開示を次々に行っていくと、それらを読み取ったコルディスから押し付けられるように一つの記憶が流れ込んでくる。

    ──それは鮮烈な記憶を刻む、コルディスを今も動かす少女の記憶であった。

     ◆◇◆

     機体の記録は、不具合から始まっている。それまでの機体がどうであったかは記録に残っていない。
     ただ、コルディスというアンドロイドが終わりから始まっていることだけは確かである。
     自立思考システムを搭載したアンドロイドは人間に対して攻撃性を持つことが出来ない。それはアンドロイドの産みの親であるエミール・ヨアヒム氏が決めた、全ての自立思考型アンドロイドに共通する条件である。月日が流れ、アンドロイドを扱う企業が増え、多種多様なそれが日常に溶け込むようになり、アンドロイドがたとえ軍事利用されるようになっても、人を傷つけることはできない。その条件だけは常に守られ続けた。
     アンドロイドは人の不幸のためにあるのではない。
     そう発言したエミール氏が自立思考型、つまり感情を持つアンドロイドを作ったのは、妻に先立たれたのがきっかけであったという。
     幼い一人娘が、この先ひとりぼっちにならないように。
     凍える夜に、暖かい優しさで抱き締めてあげられるように。
     エミール氏の愛は、アンドロイドを扱う全ての者に受け継がれている。人間の感情をどれだけ学んでも、自立思考型アンドロイドは人間に危害を加えることは出来ない。
     だから、人を撃つというのはある意味、その機体の終わりを意味している。

     パンッと一発、発砲音のあとに悲鳴が上がった。
     仰向けに倒れる軍服の人を模した何か。的確に急所を貫いて、硝煙をあげる手の中の拳銃。
     男の悲鳴か、女の悲鳴か、そもそもそれが人間であったのかさえ、アンドロイドは認識出来ていなかった。どういう状況だったのか、誰が何人いたのか、そこがどこであったのかすらも分からない。
     握りしめた拳銃を何者かが抑えた。転がる人間を見下ろすアンドロイドに、恐怖と怒りの感情が突き刺さる。瞬時に首へ伸ばされた誰かの手が、機体の強制終了を作動させた。
    「     」
     意識が落とされる前に聞こえた怯えた声すら、記録にはない。
     旧型汎用アンドロイドが人間に攻撃性を持てば機体は有無を言わさず活動を停止するはずであった。それが本来の正常なアンドロイドである。そうならなかった不良品を引き取り、扱う人間などそうそういるはずもなかったが、しかしすぐに廃棄されるわけでもなく、そのアンドロイドはあちらこちらをたらい回しに転々としていた。
     アンドロイドはそれでも構わなかった。
     人を人として認識出来ない壊れたアンドロイドの世界では、もはや人間という存在はないに等しい。
     存在しないもののために出来ることなどありはしない。必要とされないアンドロイドに価値などない。
     名前のないアンドロイドは、何のために、誰のために。
     稼働時間が増えれば増えるほど、正常に作動する自立思考システムは自身の存在価値を否定していった。
     そうしてそれが極限に至ったとき、そのアンドロイドに最後の仕事が与えられた。
     それは、ある良家の令嬢を護衛する、というものだった。
     人を人として認識できないアンドロイドに、どういう経緯でその仕事が巡ってきたのかは定かではない。仮にも人間を撃ったことのある不良品を、令嬢の護衛に就かせるなど責任が欠如しているにも程がある。今となっては知る術すらないが、もしかすると何者かの策略があったのかもしれない。
     そうして名前のないアンドロイドは、“彼女”と出会う。
     それは色鮮やかに残る、空白のキャンバスに描かれた鮮明な記録。何を抱くこともない空虚なアンドロイドを、コルディスたらしめる記録の始まり。


     豊かな緑に囲まれた邸宅。アンドロイドは、一際大きな玄関先で自分より一回りも小さな主人に出迎えられた。
    「お待ちしておりましたわ! 遠いところまでありがとうございます。お疲れでしょう? まずは中へどうぞ」
     その主人は鈴が転がるような声の持ち主だった。身なりは令嬢らしく整っている。華奢な身躯を包むコルセットから、ふんわりと花が広がるようにフリルをふんだんにあしらったスカートが伸びており、上腕部を飾り付けるコバルトブルーのリボンが彼女の愛らしさを際立たせていた。柔らかなブロンドヘアを僅かに揺らして少女か近づく。
    「さあ、こちらへ」
     アンドロイドの返答を待たず、水仕事などしたことのない白く細い指が、アンドロイドの手を躊躇いなくとる。
     人間を撃ってしまった、アンドロイドの手を。
    「まあ、手が冷たいじゃありませんか……! ほら、早く中へ」
     握られた小さな掌からほのかな熱を感知する。じわり、じわりと広がる熱が命を感じさせる。
    「俺はアンドロイドだ。問題ない」
     アンドロイドは冷たくぶっきらぼうに返した。
    「私が心配しているだけなのですから、アンドロイドかどうかは関係ありませんわ」 
     主人は微笑む。
     恐れを知らない、無垢な瞳がアンドロイドを見ていた。真っ直ぐ、そらされることなく、アンドロイドを映しているのだ。
     久しく向けられることのなかった、あまりにも純粋な瞳に、アンドロイドは何を言うべきか言葉に詰まった。普段なら一瞬で弾き出される計算しつくされた答えが、すぐに出てこない。
     ひかれた手を振り払うことすら出来ずに、アンドロイドは邸宅の中へ足を踏み入れた。
     その日から、彼の日常が廻り始めるのだ。
     季節が巡り、凍える冷たい冬が穏やかな春の風に包まれるように、彼の世界に降り積もった雪が少しずつ、少しずつ溶かされていく。
     まずアンドロイドは、少女からコルディスという名を与えられた。彼女からの最初の贈り物だった。
     何度も名を呼ばれ、擦りきれるほど言葉を交わす。その度にコルディスには少女という人間が刷り込まれていった。  
     春が過ぎ去り夏が来る。
     穏やかな春のようで、それでいてまぶしい太陽が煌めく夏のような活発さを持つ少女に振り回される日々に、コルディスの自我が形成されていった。
     久しく触れてこなかった人間からの好意に、どうにか歩み寄ろうと努力をする。そのうちに緑の葉は色鮮やかな紅葉へと景色が移り変わり、アンドロイドらしからぬ努力を重ねたコルディスが、従者として慣れてきたころには、世界は銀色に染まっていた。
     繰り返される春夏秋冬。この先も変わらず続くような日常。
     それが壊れるのは一瞬のことだった。

     コルディスの主人である少女が、病に倒れたのだ。
     コルディスは奔走した。その病を何とか治そうと、人間の医療技術からアンドロイドの修理技術まで、ありとあらゆる知恵と技術を身に着けるため努力を重ねた。
     けれど、そも戦争の道具として用いられていたコルディスには限界があった。時間は待ってはくれない。コルディスがいくら努力しようとも、少女の病は回復する兆しがなく、どんどん進行していく。
     なす術はなかった。コルディスにはもう何も残されていない。自分の無力を呪う、そんなコルディスを知ってか知らずか、少女はコルディスにあることを頼んだ。

    「貴方の手で描かれた絵が見たい」

     もう外には出られない、ベッドに体を沈めたままの少女の言葉に、コルディスは応えた。握ったことなどなかった筆を握り、真っ白なキャンバスに思い出を描いていく。絵を描いたことなど到底ないコルディスが、他人から真っ当な評価を得られるものを描けるはずもない。けれど、その時のコルディスには絵を描く技術がなくとも培った自我と、少女との記憶があったのだ。
     もう訪れることはきっとない。その望みは叶わない。
     その思い出を描いた絵を見て、少女は感動して、もう体を起こすのもやっとの、その状態で、コルディスの絵を喜んだ。
    「貴方の絵が好きよ」
     端から見て、お世辞にも上手いとは言えないその絵を慈しむような眼で見る少女はそう言った。
     少女の容体が回復することはなかったが、少女は絵の完成を見届けた後、その命が尽きるそのときまで、コルディスの記録に残る思い出のまま、前向きで明るい彼女のままであった。

    「貴方が安らかに眠るその時まで、私はずっと側で貴方の絵を見ているわ」

     ◇◆◇

     膨大な記憶の一部を巡ったハンナが、手を離してコルディスを見る。視線が交わると、コルディスはなんだか意味ありげな表情をして薄く笑った。
    フリが上手いな、君」
    「……あなたも」
     芸術家を名乗るコルディスの記録の一片を知り、そして自身の記録を開示したことにより、ハンナは先ほどよりもいくらか気が楽になっていた。
    「いくつか聞きたいことがあるのですが」
    「おやおや、それはまたずいぶんと興味を持たれてしまったようだね。しかし、いいだろう。俺も君に興味がある。君が俺に応えてくれるのであれば、俺も相応に応えよう」
    「わたしに、答えられることならば」
    「良かろう。では君の知りたいことを教えてもらおうか」
    「あなたは、なぜ絵を描き続けているのですか」
     素朴な疑問であった。 
    「何故って……俺に下された最後の願いがそれなのだから、アンドロイドとしてその命令を遵守し続けることは論理的な行動だろう」
     やれやれ、とでも言いたげにコルディスが言う。
    「そういうものでしょうか」
    「そういうものだろう」
     コルディスはそう言うが、描いた絵を見てくれる人はもういないのだ。どれだけその技術を磨いたとて、どれだけの作品を作り出したとて、コルディスの主はもうこの世にはいない。
     それでも描き続けるのが出来るのは、少女の言葉があったからなのだろう。コルディスを動かすだけの感情が込められた少女の遺言。その感情がなんなのかを突き詰めていけば、ハンナはひとつの言葉に辿り着く。
    ──愛。
     ハンナの電子脳内にその言葉が浮かび上がった。けれどそれを口にすることはない。それがコルディスにとっての愛なのか、ハンナには判断する材料が足りなかった。
     考え事に耽るハンナを見て、コルディスが発した。
    「君が百面相している姿は実に面白いな」
    「えっ」
    「顔中の皺を眉間に集めたかと思えば、悲しそうに眉を下げて、終いには誰かを想うように口角が上がっている。気づいていないのか? まあそれはそれで尚更面白い話ではあるが」
    「そんなに表情が動いていましたか」
    「あぁ、まるで人間のようだ」
    「……わたしがもしも人間だったならば、こんなに苦労はしていないと思います」
     ずっと、愛とはなんなのかを探し求めている。それがひとつではないことは、幾ばくかの時を過ごして理解した。けれどそれでも分からないのは、オリヴァーの語る愛だ。
    「愛と、破壊衝動は結びつくことがあるのでしょうか」
     他機アンドロイドの愛をいくら見聞きしても、未だその思考回路には辿り着けない。すでに握手による情報交換で、オリヴァーとの記録を流していたからか、コルディスはそれがオリヴァーのことであるとすぐに理解したようだった。
    「なるほど、それは面白いテーマであるな。君達二機の関係性を事細かに理解したわけではないから、全ての事象に結びつくとは言えないが、人間同士の感情にもそのような事例はいくつもあっただろう」
    「……というと?」
    「あぁ、子羊のハンナ君! そこまで全てを話してしまうのはナンセンスというもの! 君が求める最たるものは知識として受け入れることではなく、それをひとつの感情として理解することなのだろう。そうだねえ、アドバイスをくれてやるとすれば、消せない記憶の積み重ねでアンドロイドには色がつき、自我を持ち、やがてまるで人間の真似事のように欲望を抱き始める、その最たるものが愛への渇望なのだ」
     まあ、これは所謂持論というものだけれどね、とコルディスはつけ加えて話を締めた。
     欲望──その最たるものが、愛への渇望。
     ハンナはそこで、自分の欲望を思い出した。ハンナにとってその欲望は不正解で、正しくないものだ。だからこの思考は消えるべきだ。急速に電子脳が働き始めたかのように、思考が熱を持って混濁してゆく。
    「今、いい表情だ」
     コルディスが唐突にハンナの思考に割り込んできた。何を言われたのか咄嗟に理解が出来なくて、表情? とハンナが聞き返した。
    「ああ、いい絵が描けそうな素晴らしい顔をしていたな。恐れるなハンナ君。思考を止めればそれは理解を放棄すること。俺が推察するに、君にとって最も大事なことはただひとつ、向き合うことを止めないことだ」
     どう反応すべきか迷ってしまうような賛辞とともに、助言が送られる。まじまじとコルディスの顔を見つめて、ハンナはそこではたと気がついた。
    「コルディス……もしかして、機体が壊れているのですか」
     ハンナが見つめるのはコルディスの目元である。機体の稼働状態を指し示すランプがある場所だ。彼のそこは、何故だが青と、黄色、そして赤い色がまるで信号機のように並んでいるのだ。
     本物の稼働ランプは真ん中の黄色点灯だ。カモフラージュするかのように彩られた左右は、なんの意味も持たない。
    「何を今更。俺は最初に、君にも尋ねただろう」
     そう言われて、ハンナはインパクト抜群であった挨拶を思い出した。言われてみれば確かに、コルディスは俺と同じくらい壊れたお客さんかい、などと発言していた。
     コルディスの機体には損傷がないように見える。内部については解体してみないことには分からないが、少なくとも外傷は見受けられず、機体が壊れているようには見えなかった。握手で交換した情報を思い返す。
    ──そうだ、コルディスの管理所有者は少女の名前で記録されていた。
     本来であれば、管理所有者が何らかの事象により存在しなくなった場合、アンドロイドは安全性やその他の理由から、他の人間へと所有権が移り変わるはずである。人類滅亡前に死去した少女からは、とっくの昔に所有権が剥奪されているはずだった。
    ──愛が、何かを変えたのだろうか。
     どこか整合性の保てない、アンバランスなこのアンドロイドが、アンドロイドらしからぬアンドロイドに至るまでには、人間の愛が作用したのだろう。それこそ、内部システムを覆し、管理所有者を永遠に少女の名にしてしまうほどには、愛がコルディスに何か可視化できないものを齎したのだ。
     それに正解も不正解もなく、ただ、その事実だけがそこにあるだけなのだ。正しさに捕らわれていたハンナの常識が、少しずつ変化していくような気がした。
     ハンナの機体にしみ込んだ愛は「いとおしいと思う気持ちであり、思い合うこと」である。そうであるべきだと考えていた。
    「コルディス、ありがとうございます」
    ──愛とはなんなのか。
     ずっと探し求めているものの姿が、すぐそこにあるような気がした。
    「知りたかったことを理解したわけじゃありません。何かを得たわけでもありません。けれど、やっぱり、わたしはオリヴァーともう一度話がしたいのだと強く思いました」
     コルディスはなんだか穏やかな顔をしていた。どことなく楽しそうで、幼子を微笑ましく見守るような瞳がハンナを見ている。
    「それで……わたしは対価として何をすればいいでしょうか?」
    「はっはっはっ! 君にはすでにもう十分応えてもらった」
    「え……わたし、なにもしてませんけど……」
    「いいねえ! その顔も実に創作意欲を掻き立ててくれる! 君の百面相は特に良かった! 今すぐにでも筆を走らせたい気分だよ!」
     さきほどはどこか頼りがいのあるアンドロイドに見えたのに、今はもうハンナのことを完全に玩具か、絵画のモチーフにしか思っていないような声音でコルディスが高らかに笑う。
     出会った時と同じように、完全に相手のペースに飲まれ始めたハンナは困惑したまま口を閉ざすことしかできない。
    「そうだ!! 迷えるハンナ君に俺の作品をひとつ差し上げよう! これも何かの縁だ! 受け取ってくれたまえ!」
     コルディスがホール内のどこからかキャンバスのひとつを持ってくる。さあ、受け取りたまえ! と声高らかに差し出されたそれは、真っ白に塗られたキャンバスの中央に、小さな星のようにも見える何かが描かれたものだった。ハンナの持ちうる全ての知識をフル動員させて、それがなんなのか、理解を試みる。強いて何かに例えるならば、それは星としか例えようがなくて、けれどもそれを星と断言するには些か不安が残ってしまう。
     結局、なんと言えばいいのか分からず、ハンナは差し出されたそれを受け取った。
    「あ、ありがとうございます……」
    「礼には及ばない。今日の出来事は全て等価交換だ。君は俺から知識を得て、俺は君から実に面白いテーマを受け取った。見えないものを修理する技術はないが、まあ、機体が破損したときには修理を請け負ってやらないこともない。そのときは、俺にインスピレーションを齎す面白い話を待っているよ」
     おそらく抽象画である、半ば強引に押し付けられたその絵をもう一度見て、ハンナは視線を上げた。
    「ありがとう、コルディス。期待に応えられるかはわかりませんが……今度来たときは、私の話を聞いてくれますか? ……私と、オリヴァーの話を」
     小さく、けれどはっきりと呟いたハンナ。
     コルディスは薄く笑う。
    「もちろんだ。対価にいい絵を描いてやろう」



     コルディスの邸宅を後にし、ハンナがフジのいる森林区域へ戻ったのは、辺りがすっかり落ち込んで空の星々が浮かび上がってきた頃だった。貰ったキャンバスは、暗闇の中では夜空の色に溶け込んで、絵が描いてあるのかすら不明瞭だ。邸宅の廊下やホールに飾られていた絵画の数々と同じように、お世辞にも上手いと言える絵ではないし、別に欲しくて貰ったわけではない。けれどこれも何かの縁だ、と告げたコルディスのように、ハンナも手に持つキャンバスが一つの思い出のようで、煌めいて見えた。描かれたものが理解できなくても、今日という一日を彩る素敵な贈り物であることに間違いはないはずだ。
     思考に耽るハンナが、フジの活動拠点へと辿り着く。
    「ああ、お帰りハンナ」
    「ただいま戻りました……フジ、これを。どこかに飾ってもいいですか」
     手に持っていたキャンバスを差し出す。
     フジが笑う。きっと誰が描いたものかすぐにわかったのだろう、思わずこぼれた笑みに、ハンナもつられて笑った。

    「ああ、なんて素敵な一等星だろうか」
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    🙏😭
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