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    enagagagagagaga

    @enagagagagagaga

    色々置いておくよ

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    enagagagagagaga

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    共同1次創作企画の本編です。
    原案・小説:えなが

    そして、君の愛を知る。最終話1-2 ずっと一緒だよ。
     という温かくて、優しい希望に満ちた言葉を鵜吞みにした。それは嘘がひとつも混じっていない、透き通った言葉だった。その言葉に嘘は少しだって混ざっていなかった。
     でも、そんなことはないと知っていた。
     人間はいつか死んでしまうものなのだと、理解していた。けれどどんな風に消えてしまうのか、いついなくなってしまうのかは予測が出来なかった。ただ優しいあなたと、永遠に続くような毎日を送り、いつしかその普遍的な日常に慣れていた。
     そうして優しい世界とあなたに甘えたまま、不完全な僕は、あなたを失ったのだ。

     何も言わずに置いていかれた僕は、きっとあなたにとって不良品だったのだろう。
     そうじゃないと理解している。
     けれど、そうであればどれだけ良かったことだろう。



     西暦四○八七年。アンドロイド達が、多くの愛する家族を失ったその日、オリヴァーもまた同じように人間の家族を失った。
     人間の名前はゴーシュ。でもときどきミゲルになったり、サイラスになったり、ダグになったりもした。他にもたくさん名前はあって、きっとどれも本名ではないだろう。自宅もひとつではなく、オリヴァーと暮らすアパートの他に、数部屋借りているようだった。マンションやアパートの中に混じってプールがついているような豪邸もあったらしい。らしい、というのはオリヴァーは実際に見たことがなく、ゴーシュの話を聞いただけであるからだ。
     ゴーシュは上っ面はいい男だった。オリヴァーより頭ひとつ分高い背丈に、年齢よりもずっと若く見える顔立ち。少し会話を交えればたちまち女は頬を赤く染めて恋に落ちる。身なりは常に整っていて、どこかの御曹司だと言われても納得出来るだろう。
     けれど自宅でのゴーシュは、そんな雰囲気を微塵も感じさせない。狭いアパートにオリヴァーと暮らしていたゴーシュは、そんなにいい男じゃない。
     ワインボトルは何本も開けたまま放置していたし、ごみは分別されないままあちこちに捨てられていた。一日一食、それもジャンクフードのようなものばかりで、まともな食事をとっていなかったし、まあともかく、オリヴァーの前では女の子がキャーキャー騒ぐような男の姿ではなかったのだ。
     ゴーシュは変わっていて、そういうだらしない部屋を掃除されることを嫌った。オリヴァーが導入された当初、オリヴァーはその汙部屋を綺麗に保つため購入されたのかと思ったが、どうやらそういうわけではなかったらしい。こまめに掃除をすれば、そんなことはするなと怒られるのだ。最初は訳もわからずにしたがっていたが、しかし納得できずに何度も理由を尋ねてみればゴーシュは答えた。
    「だって、ちゃんとしろって言われてるみたいだろ。そういうの嫌なんだよ、窮屈で息苦しい。俺はみんなが思ってるほど清く正しい人間じゃねえし、どっちかっていうと真反対の人間だし。でもみんなちゃんとしてる方が好きでしょ、だから外ではそういう風に装ってんのよ」
    「そういうものなの?」
    「そういうもん。みんな外出るときは自分を着飾ってるでしょ。でも家に帰ったら全部脱ぐ。それと同じ」
    「ちょっと違う気がする」
    「同じなんだっつーの」
     それが正しいか正しくないかなどはさておき、オリヴァーにとってはそれが常識となった。そして次第にそれは、オリヴァーの特別になる。医者の”ミゲル“も、ホテルマンの“サイラス”も教師の“ダグ”も、みんなちゃんとしている。そしてそういうちゃんとしている人間を演じ使い分ける、至極だらしのない駄目人間である“ゴーシュ”という人間を、オリヴァーだけが知っている。
     活動を続けるうちに、その特別こそが、自分が購入された意味なのだと解釈するようになった。ちゃんとしている人間の、ちゃんとしていない部分を受け止めるための、いわゆる心安らぐ場所をつくるために、自分は購入されたのではないだろうか。ちゃんとしているミゲルも、サイラスも、ダグも、最後は絶対に、ゴーシュとしてここへ帰ってくる。
     オリヴァーは特別だ。
     特別だから、ゴーシュの人生最後の日だって一緒のはずだった。



     その運命の日、オリヴァーはゴーシュの帰りを待っていた。ゴーシュはダグになり、教師として勤めに出た。外では同じように通勤、通学中の人間達が爽やかな朝の光の下を歩いている。あまりにいつもと変わらぬ光景で、誰一人としてこれから起こる最悪の出来事を予期してなどいないようだった。それはアンドロイドのオリヴァーとて同じで、いつもと同じように、ゴーシュのいなくなった散らかった部屋を、ほんの少しだけ掃除して、あとはもう彼の帰りを待つだけ。
     ソファーに腰かけて、ただ彼の帰りを待つ。何もすることはなくて、けれどその時間を退屈だと感じたことは一度もない。
     そうしているとアパートの外が騒がしく感じた。立ち上がり、締められたカーテンの隙間から外を覗いてみる。人間が慌ただしく駆けていた。我先にと、人が人を押し退けて皆一目散に駆けていく。
     何かが起こっているのだと感じた。部屋を振り返ってテレビの電源をつける。薄暗い部屋の中、眩い光を発するそれに、ニュース番組のアナウンサーが映し出されていた。
    「繰り返しお伝えします。あと数時間で隕石が地球へ落ちてきます、該当区域にお住まいの方は──」
     画面には危険を知らせる赤字のテロップ。
     中継画面が忙しなく移り変わり、そして幾度となく繰り返される隕石のニュース。アナウンサーが発した該当区域の中にはオリヴァーが住むこのアパートも含まれていた。アパートのある地区は隕石の直撃を免れそうだが、衝突による衝撃には耐えられない。
     オリヴァーはアンドロイドらしく至って冷静で、ニュースから得られる情報を元に、自身の生存確率を瞬時に計算した。ゴーシュはゴーシュでなんとかするだろう。あれはちゃんとしていないように見せるのが上手い、ちゃんとしている人間だ。今オリヴァーがするべきことは、彼と無事に再会すべく、無傷で逃げ切ることである。アパートを飛び出し、オリヴァーは人間に混じって避難シェルターへと向かった。
     避難シェルターに到着して、オリヴァーはすぐにその姿を見つけた。ゴーシュである。
     チェック柄のベストに黒いスラックス。白いワイシャツを捲った腕にはシルバーの腕時計が煌めいている。すぐそばには学生らしき人間が多く、教師のダグとしてここへ避難してきたのだろう。
     じっと見つめても、彼はオリヴァーの視線に気がつかない。もっとも、気がついていたとしてもオリヴァーと言葉を交えたりすることはないだろう。オリヴァーは”ダグ“とは面識がない。だからオリヴァーは人の流れに従ってその場を離れた。
     そうして、オリヴァーの避難が完了してからニュースになっていた隕石は地球へ衝突した。凄まじい威力の衝撃波が辺りを襲ったのだろう。同じ避難先の人間達は「これからどうなってしまうのだろう」などと口々に溢し、終わりの見えない暗闇を彷徨うように怯えていた。オリヴァーは常に冷静で、静かで、やはりただゴーシュの姿を待っていた。ゴーシュは、最後には絶対にオリヴァーの元へ帰ってくる。その根拠のない自信だけがオリヴァーを支える柱になっていた。

     隕石が衝突してから半日ほど経つと、シェルターに新たな人間がやってきた。避難をしに来たのではない。黒いスーツに身を包んだ男はどこかやつれていて、けれど極めて冷静に、丁寧に事態を一つずつ説明していった。
     どうやら、先の隕石衝突は物語の序章に過ぎず、地球に衝突する隕石はまだあるのだという。現在のシェルターも危険区域に入っているため、他へ避難しなければならないということ。避難には用意された車やバスを使うが、一度に乗れる人員は限られているということ。
     そこまで話が進められ、じゃあ誰から避難するのかという話になると、子供やお年寄りが最優先となりシェルターからは段々と人が少なくなっていった。
     着実と進められていく避難、けれど時間は待ってはくれない。シェルターからシェルターへの大移動が始まり、少し経つと誰かが言った。

    「このペースだと、全員の避難が完了する前に隕石が衝突してしまう」

     皆の不安を煽るその悪魔の一言を皮切りに、今まで冷静に努めていた人間達が騒ぎ始めた。私が先だ、俺が先だ、私には家族がいる、俺にも家族がいる、まだ死にたくない、まだ死にたくない、まだ死にたくない。
     まだ死にたくない。
     誰も彼もがその気持ちでいっぱいで、死ぬのは怖くて、贅沢なことなど何一つ言わないから、ただ家族と生きたいだけ。
     みんなおんなじ。
     オリヴァーも同じ。ただ生きて、また前と同じようにゴーシュとあの少し汚い、だらしのない部屋で、ただ二人並んでいたいだけ。
     ふと、彼の姿を目で探してしまう。顔を向けた先には、未だ避難の完了していない学生たちを落ち着かせているダグの姿があった。
     じっと見つめてしまう。
     はやく、はやくあの場所へ、ゴーシュと帰りたい。
     ただそれだけを考えて、ダグを見つめる。すると、何か弾かれたようにしてダグがこちらを向いた。一瞬で視線は交わり、彼の青い双眸が驚きに染まる。何かアクションを起こすわけでもない、時間にしてほんの数秒のことだっただろう。すぐに顔を逸らされる。けれど、それはオリヴァーの心を満たすには十分な時間だった。何事もなかったかのようにオリヴァーも前を向く。
    「あの、提案があります」
     良く聞きなれた、ゴーシュの声音だ。
     皆一斉に、その声の主へと視線を向ける。もちろん、オリヴァーもそちらを向いた。彼は前を向いていたが、しかし視線が集まると同時に、こちらを見た。明らかにその瞳はオリヴァーを見ていて、なぜかその視線に嫌な感じがした。
    「アンドロイドは置いていくべきではないでしょうか」
     ゴーシュがはっきりとこちらを見て言った。他の人間の視線がスッと動いて、今度はオリヴァーに注目が集まった。
    「目元に稼働ランプがついている。それは人間ではなく、機械です。今まで僕たちは冷静でなく、ここに同じ人間の家族が集まっていると考えていましたが、そうも言っていられません」
     辺りがざわざわと騒がしくなる。アンドロイドも家族だろう、と誰かが声を上げて、そんな機械の代わりなんてどうとでもなる。と誰かが答えた。
    ──なんだそれ。
    ──なんなんだそれ。
     今まで軽やかに流れていたピアノの旋律が急に音を外して止まったような、酷い気持ちがオリヴァーを襲った。急に右も左もわからなくなった気がして、世界がぐるぐる回っているような気さえする。なるほど、これが人間の言う眩暈か、なんて思考が乱れて、けれど正常に動き続けるオリヴァーの機体は、周囲の雑音を拾い続ける。
    「最後まで、僕と一緒にいてくれるんじゃないのかよ」
     零れた声に、ゴーシュが視線を逸らした。そこに気まずさはなく、いっそ清々しささえ感じさせるような挙動に、オリヴァーはあきらめきれずに言葉を続けた。
    「僕じゃだめなのかよ」
     ゴーシュは二度と振り向いてくれなかった。

     人間は結局、皆自分のことが一番かわいいもので賛成多数でアンドロイドは最後に避難することとなった。最後に、とは言うものの、おそらく避難することは叶わないだろう。実質的にアンドロイドは捨てられたわけである。
     シェルターの中にはオリヴァーの他にもアンドロイドがおり、避難民の約二割を占めていた。それらが抜けても全員の避難が完了するかどうかは不明瞭だった。
     生徒を引率していたダグは、オリヴァーに一度も目をくれることなくすでにこのシェルターから脱した。その背に声をかけることだって可能だったけれど、オリヴァーはそれをしなかった。声をかけたとて、オリヴァーはダグとは知り合いではないし、かといって彼は今ゴーシュではない。
     つらつらと正当性を持ったいかにもな理由を並べはしたが、話しかけなかった一番の理由は、話しかけて今度こそ明確な拒絶を受けてしまえば、オリヴァーはもう二度とゴーシュに会えない気がしたからだった。今のゴーシュはゴーシュでなく、ダグであり、それを知りながらみっともなく声をかけたのは自分の方である。そこにいたのが教師のダグでなければ、ゴーシュはきっとオリヴァーをおいていくことなどしなかったはずだ。
     だから、オリヴァーはやっぱり生きて彼を追いかけるしかない。ここを生き延びて、ダグでも、ミゲルでも、サイラスでもない、ゴーシュに会わなければならないのだ。

     そうやって信じていないと、どこに行けばいいか分からない。
     もう要らないなら要らないと伝えてくれないと分からない。
     オリヴァーひとりでは意味がない。

     何も、ない。

    「なにもないよ、ゴーシュ」

     オリヴァーの全てはゴーシュで、ゴーシュがいなければ意味がない。オリヴァーひとりでは、ゴーシュがいなければ、オリヴァーは鉄屑同然だ。

    「僕に名前をつけてくれただろう」
    「僕に意味を与えてくれただろう」
    「僕に」

     僕に、愛をくれただろう。



     七度に渡りこの星へ降り注いだ隕石は全てを破壊し尽くした。激しい衝撃が幾度となく地上を襲い、尊い思い出を消し去ったそれらは、全ての生命をも葬りさった。けれどアンドロイドの中には多少の損傷があれど生き残ったものたちもいた。
     オリヴァーもそのうちの一機で、しかし全てが終わりシェルターから出たあとは何もかもが駄目になって死んでしまったような心地だった。
     荒れ果てた世界。唯一の希望であるゴーシュは生きてはいないだろう。この目でその生死を確認したわけではないけれど、それは確かめるまでもないことだ。
     西暦四〇八七年。
     多くのアンドロイドが愛する家族を失った日。オリヴァーも同じようにゴーシュを失った。アンドロイドの中には生きる意味を見出だせず、自ら機能を停止した機体もいる。宛もなく彷徨い続け、なんとなく、あのアパートの面影を探して、そうして沈み切った気持ちとこの世界を幾度となく眼に焼き付ける。
     どれくらい歩いただろうか。疲労を知らないこの体は文字通り壊れるまで動き続ける。それがどれほど恐ろしいことか。崩れた瓦礫の山を歩き、水辺を歩き、大樹の下で星を仰ぎ、登り始めた太陽を追いかけるように足を動かす。ただその繰り返しで、それに何も意味はなく。けれどどこまでもオリヴァーはひとりぼっちで、寂しさを埋めてくれる家族はもうどこにもいなくて、ただそれだけなのに、やはり歩くことを止めることは出来なくて、ゴーシュの姿をみっともなく探してしまう。永遠にこの繰り返し。
     どさ、と草むらに膝をついた。
    「なんで、一緒にいてくれなかったんだ」
     何も言わず、彼の視界に映ることすらなく、最後はあっけなく。
    「なんで、一緒に壊れてくれなかったんだ」
     ゴーシュはきっと生きるつもりだった。生き残るつもりだったからダグを守って、けれど生きるつもりだったのにオリヴァーを棄てた。
     どこまでも一緒が良かった。
     最後まで一緒にいたかった。
     ひとりはさみしい。
    「ひとりは怖いよ、ゴーシュ」
     ぽつりと漏らした声。
     その時、オリヴァーの頭上に影が射した。
    「こんにちは」
     はっとして顔を上げたオリヴァーは、目の前にアンドロイドがいたことに今更気がついた。その機体はオリヴァーに目を合わせるようにしゃがみこんでいる。鉛白色の髪の毛がさらさらと揺れていた。
    「何が怖いの?」
    「……なんだよ、お前」
     オリヴァーは他のアンドロイドと会話をするのは初めてのことであった。何をされるか予測がつかない。声を低くして警戒するも、目の前のアンドロイドがそれを気にする様子はなく、彼女は続ける。
    「名前を聞くときはまず名乗らなきゃいけないんだよ」
    「誰が決めたんだよそんなこと」
    「誰が決めたかは知らないけど、でもあの人はそう言ってた。そういうもんなんだって」
     人間のルール、だね。と白い頭のアンドロイドが笑みを浮かべた。家族を懐かしんでいるのか、その微笑みは温かい。
    ──そういうものなの?
    ──そういうもん。
    「…………僕は、オリヴァー。旧型の汎用アンドロイド……お前は」
     いつか話したゴーシュの声を思い出す。彼の顔も、声も、何もかも、忘れることは出来ない。出来ないけれど、忘れてしまうことと、前を向くことは別なのだ。
    「よろしくオリヴァー。わたしはハンナ、今からフジ先……あー、えっと、他のアンドロイドのところへ行って作戦会議をするんだけど、オリヴァーもどう?」
     ハンナが立ち上がる。
    「作戦会議……? なんのだよ」
    「これからをどう生きるか、についてかな」
    「なんだそれ……てか、なんで僕も……」
    「だって、ひとりで死ぬのは怖いでしょ」
     さあ、立ち上がって、と言わんばかりにハンナの手が差し出された。手を伸ばしかけて、それを躊躇う。ハンナを疑っている訳じゃない、信じきった訳でもないけれど、ただこれからのことを不安に思っただけだ。
     ひとりはさみしい。
     言葉を反芻すると、ゴーシュのことが頭を掠める。それから、おずおずと手取って、一言小さくお願いをする。
    「嘘はつかないで」
    「嘘? わたしがオリヴァーに?」
    「そう。要らなくなったら要らないと言って。捨てたくなったら捨てたいと言って。言ってくれないと、分かんないから。……でも──」
     言っているうちに、なんだか女々しくなってきて、視線が段々と下がっていく。けれど今更言葉は止まらなくて、ついには下を向いたまま続ける。
    「──最期まで、一緒にいて」
     ぎゅっと、オリヴァーの手が力強く握られた。顔をあげると、透き通る空色の双眸がオリヴァーをただ真っ直ぐと見つめていた。
    「約束するよ、オリヴァー」



     オリヴァーとハンナは友であった。
     ハンナと出会い、そのすぐあとにフジと知り合ったオリヴァーは、今に至るまで様々なアンドロイドと出会い、そして別れを繰り返してきた。けれどそのどれもが、友と呼ぶには何かが足りず、また比較をしてしまえばハンナには遠く及ばなかった。
     ハンナは気難しい性格のオリヴァーとは違い、たくさんのアンドロイドの友達がいた。どんなアンドロイドにも手を差し伸べていて、たくさんのアンドロイドから慕われていて、助けた分、他のアンドロイドも事あるごとにハンナに手を貸した。
     そういうアンドロイド達との関係性を羨ましく思うも、オリヴァーはハンナがいれば十分に幸せだったのだから、自分の何かを変えようとは思わなかった。
     それに、オリヴァーにはハンナの一番は自分であるという自負があった。ハンナがどんなアンドロイドと、どれだけ仲良くしてようとも、ハンナは最期まで一緒にいてくれると約束をした。嘘をつかないとも言った。その約束があるのだから、オリヴァーにはなんの不安もないに等しいのだ。
     その、はずなのに。
     いつしかハンナと過ごす中で、その日常が昔の家族を思い起こさせるように変化した。ゴーシュのことである。
     自分にはないたくさんの友がいること、自分が一番の特別であるという自信、それに、ハンナの青い双眸もどこかゴーシュに似ていて、たったそれだけなのに、それだけと呼ぶには酷く動揺をしてしまうほどだった。
     どんどん自信がすり減っていく。異様な焦燥感がオリヴァーの身を削っていくようで居心地が悪い。
     ずっと一緒がいい。
     最期を選ぶならハンナと一緒がいい。
     けれどそれはオリヴァーの身勝手で、たとえ約束をしたとしても、もう絶対にそれを違えないというほどの自信はなかった。
     オリヴァーは決して、ハンナを疑ったわけじゃない。ハンナを疑ったのではなく、ただ、自分自身にそれほどの価値をつけられなくなっただけである。
     誰かの特別であり続けるということはオリヴァーにとって至極難しいことだった。
     けれどオリヴァーかどれだけ悩もうとも、ハンナは変わらず、皆に平等に優しく、少しだけオリヴァーを特別な友のように接してくれた。でもやっぱりこれも思い込みかも、とオリヴァーがまた悩んでも、変わらぬハンナの優しさに思考が溶けて、しかしその度にオリヴァーは自身を疑った。
     そうしていると、オリヴァーの思考は段々と変化していった。
     自分の最期はハンナと一緒がいい。置いていかれるのはもう嫌だ。もう二度とあんな思いを味わいたくはない。
     ずっと、そう思っていた。



     それは突然だった。
     フジの活動拠点である森林区域、雨風の凌げる古い石造りの建物の中。その日、オリヴァーはたまたま機体のメンテナンスのためにフジの元を訪れていた。オリヴァーは古い型のアンドロイドで、新型汎用アンドロイドのハンナ達と比べるとメンテナンスの頻度が多い。目に見えなくとも内側から少しずつ壊れていけば突然動けなくなることもある。
    「問題ないよ、オリヴァー。君は存外自分の体を丁寧に扱ってくれるからとても助かるよ」
    「どういう意味だそれは」
     オリヴァーのメンテナンスを終えたフジは機械の修理や何やらに使えそうな資材を整理していた。その背に不満の声をぶつけると、フジはくつくつと笑って言葉を受け流した。
    「まあ、いいや。ありがとう、助かった」
    「どういたしまして。不調を感じる前にまた来ることをオススメするよ」
    「はいはい。じゃあな、フジ」
     椅子から腰を上げ、部屋を後にしようと出入り口へ足を向けたところで、そこへハンナがやって来た。
    「ハンナ?」
     声をかけたオリヴァーに、ハンナはいつもの笑みを返す。
    「こんにちは、オリヴァー、フジ先生」
    「やあハンナ。何か用かい?」
     呼びかけられたフジが振り向いた。フジを見つめて立つハンナが「やってしまいました」と呟く。
    「やってしまった……て何を?」
     フジが尋ねるとハンナは額に手を当てた。
    「気を付けていたのですが、先ほど廃墟区域で襲撃に遭ってしまい……逃げ切ったのですが、戦闘でどうも外界センサーが故障してしまったようです」
     ぎょっとしたフジがハンナに駆け寄った。オリヴァーもハンナが心配で、出入り口へ向いていた足を室内へと戻す。
    「せ、戦闘って他に不具合や損傷はないの?」
    「はい、幸いにもあちらは足が故障していたようで、わたしの方が足の速度は速かったのです。あちらは足が欲しかったのでしょう」
    「い、いやいやいや……足が欲しかったのでしょうってそんな……」
     まるで他人事のように話すハンナ。危機感が足りないというか、冷静すぎるというか。しかし外界センサーの故障とはどうしたものか、とフジが考え込む。
     フジを含めたアンドロイド達は様々なパーツと複雑なシステムから成り立っている。一つとして欠けていいものはなく、しかしかといって代替が容易く行えるほど世界は豊かではない。
     外界センサーというのは、アンドロイド達がリアルタイムで地形をスキャンし、障害物などの危険なものを回避するための重要なセンサー装置である。
     人間がいなくなった世界ではアンドロイドの小さなネジ一つとっても貴重すぎる部品なのである。それがアンドロイドの電脳を司る部分の部品ともなれば、替えが利かないといっても過言ではなかった。
    「とりあえず、どの程度損傷しているのか見てみようか」
    「はい」
    「オリヴァー、君はとりあえず帰りなさい」
     動かずにいたオリヴァーに、フジが呼び掛ける。不服そうな顔をしていたのか、オリヴァーを見たフジは「今君がいて出来ることはなにもないでしょう。何かあればちゃんと教えるよ」と言った。その言葉にオリヴァーは渋々頷いてフジの活動拠点を後にした。
     その背を見送ったフジが呟く。
    「さ、ちゃちゃっと見てみよう」
     もしかしたら直せる程度のものかもしれないし、とフジはそう言って、ハンナの主電源を落とし機体内部を見てみることにした。

     彼女は淡い期待を抱いて機体の点検を行ったが、案の定、修復不可能であった外界センサーを見て、頭を抱えることとなった。
     すでに動けなくなったアンドロイドから回収する、というのが一番良い手である。しかし資源の枯渇したこの世界では、どのアンドロイドだって考えることは同じである。すでに人類滅亡から何年も経っているというのに、使用可能な外界センサーが残された機体などないだろう。フジが集めている予備パーツにも、それに替えが利くものはない。他の案としては、フジのいくつかの知り合いを当たって、直せるかどうか尋ねてみることだ。けれどもフジから見てもパーツを丸ごと取り換えなければいけないようなこの状況をひっくり返せる技術を持ったアンドロイドは居ないだろう。
     ハンナを起動させ、フジはひとまず事情を説明した。
    「確実なのは機能を停止したアンドロイドからもらってくることだ。だけど時間がかかる。そんな状況で外を出歩くのは危険だし……ハンナには申し訳ないが、しばらく待っていてくれないか。ひとまず今は出来る限りのことをしてみた。どう? 地形のスキャンは上手く出来ているかい?」
     尋ねると、起動したハンナは「うーん」と明らかに良くない反応を見せた。
    「お手を煩わせてしまい申し訳ないのですが、リアルタイムスキャンは上手く機能していないようです。四時間前のデータから更新がありません」
    「ああ……やっぱりそうか、そうだよね」
     ああ、どうしようか、とフジは頭を抱えたが当の本人であるハンナはあまり深刻そうではなかった。
    「あの、フジ先生。外界センサーについて一つ考えたいことがあります。少し待っていて頂けないでしょうか?」
    「それは構わないが……」
     フジの返事ににっこりと笑みを返したハンナは「ありがとうございます」と、そう言ってフジの活動拠点を後にした。フジは送ると伝えたが、自分の活動拠点に帰るだけだから、とフジの好意をやんわりと断ったハンナが再び姿を見せたのは、それから三日後のことだった。



     オリヴァーはハンナのことをとても気にかけていて、それでいてあまり素直にはなれなかったものだから、直接ハンナを訪ねることは少なかったが、ハンナの様子をハンナの次に良く知るであろうフジの元には何かと顔を見せていた。けれど、この日はそういう理由があったのではなく、明確な目的を携えてオリヴァーはフジの活動家拠点を訪れた。
     その出入り口には、ちょうどハンナの姿が見えてオリヴァーは彼女に声をかけた。
    「ハンナ」
    「ああ、オリヴァー。こんにちは、調子はどう?」
    「それはこっちの台詞だな」
     ハンナはくす、と優しく笑うと「フジなら中にいるよ」と言ってオリヴァーに手を振った。なんだかスッキリしたような顔をしていて、オリヴァーは不思議に思ったが、それを口にすることはなく中へと足を踏み入れた。
     中ではフジが工具を弄っており、見慣れたその背中に声をきける。
    「フジ」
    「やあ、オリヴァー。元気かい?」
     フジが工具を触ったまま応える。
    「ハンナが来ていたんだろ、外で会った。何かいいことでもあったのか? 随分表情が良かったが」
    「さあ? ハンナにとって良いことがあったかどうかは、わたしの知るところではないけれど、代わりのパーツなら残念なことにまだ見つかっていない」
     ふーん、そう。と素っ気なく返して「それならちょうど良かった」と溢した。それを拾ったフジが訝しんで振り向いた。
    「ちょうどいいって、なにが?」
    「僕の外界センサーをハンナにあげたいんだ」
     あっけらかんとしてそう言うと、フジはビックリして黙り込んだ。あまり見ないその間抜けな表情になんだか珍しいものを見たなと笑いそうになるのを堪えて、オリヴァーは今度は丁寧に続けた。
    「フジ……お願いだ……ハンナの壊れた外界センサーと僕の外界センサーを交換してほしい」
    「それは……」
    「出来なくはないはずだ」
     フジが強く言う。
    「もちろん、交換することは可能だ。けれどそれでは対象が変わっただけで、根本的な解決にはならない。わかるだろう、外界センサーは活動において重要な役割を果たしている。これがなければこの果てた世界は危険すぎる」
     フジの言うことは至極真っ当で、普通のアンドロイドなら外界センサーの重要性は十分に理解しているのだから、よっぽどのことでない限り自分のものと交換しようなどとはまず考えないだろう。
    「僕は旧型だ。この機体だってメンテナンスをしてもいつまで持つかわからない。僕は、僕はハンナといることが楽しいから、もう、独りにはなりたくないから、だから、ハンナが壊れてしまうくらいなら、ハンナよりも先に壊れてしまいたいんだ」
     大切なものが、自分を遺して消えてしまうことは恐ろしい。もう二度と経験しないであろうと予想していた喪失感が、今、オリヴァーのすぐそばに迫っているのだ。
    「それに、ハンナはいいやつだろ。一度だって友達に──僕に、嘘をついたことはない。他のアンドロイドにだって慕われている」
    「……考え直してくれないか、オリヴァー。君の気持ちを理解することはできる。けれど、けれど……それじゃあハンナは寂しいよ」
     いつだって残される側は寂しい。オリヴァーもそれは分かる。でも、分かるからこそ、臆病な自分は独りになってしまうことが恐ろしいのだ。
    「……ハンナのたった一人の友人が僕であったなら、きっと寂しいだろう。でもそうじゃない」
    「不確かなことは言えないけれど、君の友人だって一人じゃないだろう」
     少しだけ揺れたフジの声音にオリヴァーはハッとした。
    「──それは…………ごめん、でもフジの特別は僕じゃないだろ」
    「確かに、私にとって君の言うような特別なアンドロイドはいない。でも仮に私の特別が君であっても、そうじゃなくても、私は同じように話すよ」
    「……ごめん、でも、譲れない」
     一拍おいてフジが息を吐き出す。
    「…………わかったよ。君も結構頑固だもんね」

     こうしてハンナの壊れた外界センサーは、彼女には内密の形でオリヴァーのものと交換されることとなった。
     秘密裏に行われた交換は上手くいき、ハンナというアンドロイドは元通りになった。その一方で、オリヴァーはというと、フジの協力のもと目元の稼働状況ランプを誤魔化しながら替わりの外界センサーを探していた。
     フジの言う通り、対象が変わっただけで根本的な解決ではなかったが、しかしオリヴァーの心はずっと楽になっていた。多少の不便はあれども、オリヴァーの生活は以前と何ら変わらぬものだったのだ。
     いつか壊れる、そのいつかがほんの少し近づいただけ。オリヴァーは、置いていかれるくらいなら置いていく側になりたいのだ。全部、全部、君にあげるから。
     オリヴァーとハンナの関係は変わらなかった。ただひとつ、オリヴァーがハンナに嘘をついている、ということを除いて。ハンナには嘘をつくなと言ったのに、自分は何かを正当化して嘘をついている。その矛盾した現実を直視出来ず、気まずさと後ろめたさを両手に抱えて隠したまま、どうにか誰かに許してほしいという身勝手な感情が熱膨張したバッテリーのようにぶくりと膨れ上がっていく。
     一日、また一日。
     誰にも知られずにひっそりと育てた感情はなんと呼ぶのだろう。きっと正しさなど持ち合わせていないオリヴァーには、それすら分からない。



     変化はいつだって突然訪れる。それが良いことでも悪いことでもだ。

     その日、オリヴァーはただ、いつもと同じように自分の活動区域(廃墟区域)を歩いていた。何度も歩いたこの道で目を凝らして、どこかに何か使える部品はないかと探してみたりする。それが無意味であることは随分前から分かっている。
     ずりずりと砂利と粉塵の上を擦り歩く。
     遠い視線の向こう、何かが見えた。
     コンクリートに横たわるアンドロイド。 
     自然とオリヴァーの足が止まった。
     ふわりと風が横切る。雑草が揺れる。
     横たわるアンドロイドの鉛白色の毛髪が柔らかく靡いた。その頭髪の色には見覚えがある。決して消えてほしくない、オリヴァーの大切なひと。
    「ハ、ンナ」
     口から溢れた声は情けない。急に全身のネジが緩んだように体が上手く動かなくなった。それでもゆっくりと、歩みを進める。そうしなければならない。
     進む度に恐ろしくなる。現実を目の当たりにするのが恐ろしいのだ。
     オリヴァーは、ハンナの横にやっとの思いで膝をついた。その頭部からはオイルが漏れだしていた。
     まるで死んでいる。
     そっと頬に手を添える。ただ冷たいアンドロイドの機体。何もおかしくはないけれど、さよならを言われたようにとても寂しい。
    「いかないで、ハンナ」
     機体を優しく起こして背負う。
    「僕を、おいていかないで」

     ハンナを抱えたオリヴァーは歩いた。向かった先は唯一頼れるアンドロイド、フジのもとだ。廃墟区域を通り抜け、森林区域の獣道を歩いて行く。なんとも言えぬ悲しみが大波のようにオリヴァーを襲っていて、引く間もなく次が押し寄せてくる。
     なんとかフジの活動拠点にたどり着いたとき、オリヴァーの気分はなんだかぐちゃぐちゃとしていて、ただ一言二言交わしたフジとの会話さえ煩わしく思ってしまうほど余裕がなかった。
     早く直して欲しくて一挙一動を見守ろうとハンナの側から離れようとしないオリヴァーを、フジはいつもと変わらぬ態度で慮り優しくその背を抱き締めた。
     オリヴァーはフジがハンナの修理を始めた頃、件の場所へと戻っていた。あの場所でハンナに何があったのか知るためだ。
     恐らく落下時の衝撃により頭部を破損してはいたが、オリヴァーがハンナを発見したとき、他の大きな外傷はなかった。つまり他機アンドロイドによる襲撃とは考えにくい。何か貴重な部品を狙われたわけでもない。
     小さなオイル溜まりを見つけたオリヴァーは、その頭上を見上げた。剥き出しの鉄骨、崩れかけたコンクリート、世界が食らった残骸の廃ビル。
     オリヴァーは歩みを進めた。
     瓦礫の山を越えながらその頂上を目指す。ひび割れたコンクリートの隙間から光が漏れて、時々オリヴァーを照らした。カツ、カツ、と鳴る靴音が孤独を感じさせて、オリヴァーは少しだけ足を速める。
     開けた場所に辿り着いて、オリヴァーは陽の眩しさに目を細めた。吹き抜ける爽やかな風がオリヴァーの髪を乱した。
     ああ、青い快晴。視界一杯の蒼穹がオリヴァーを出迎えた。剥き出しのコンクリートの床をコツコツと歩く。縁のギリギリまで近づいて下を覗いてみると、ちょうどあのオイル溜まりが見えた。
     間違いない、ハンナはここから落ちたのだ。
     確信して、再度辺りを見渡してみる。壁も天井も削り取られてはいるが、床に足をひっかけるようなものはなく、争った形跡──例えば何かを引きずった跡だとか、装飾品や塗装の剥げた一部だとか、そういうものも見当たらない。
     ハンナの外界センサーはオリヴァーの正常なものと取り替えたばかりで、誤って地上へ落ちたとも考えにくい。
    ──落ちてしまったのではない、ハンナは自ら落ちたのではないだろうか。
     その可能性に気がついて、オリヴァーはぞっとして、機体がひどく冷たくなるように感じた。
     自ら落ちた? 何故? どんな理由があって?
     オリヴァーはそのまま廃ビルの天辺で動けなくなった。何がなんだか訳が分からなくなって、膝から崩れ落ちそうになりながらもその場で思考する。
     もしも。
     もしも、ハンナが自分の意思で飛び下りたのだとしたら、ハンナはオリヴァーとの約束を違えたことになる。「最期まで一緒にいて」そう約束をしたのに、オリヴァーを裏切ったことになる。
     どうして、なんで、と言葉が溢れる。その度に、その言葉がそっくりそのまま自分へ返ってくるのを感じた。自分も隠し事をしているのに、何が「裏切ったことになる」だ。馬鹿馬鹿しい、自分自身にそう笑われて、オリヴァーはフジのところへと戻った。



    「申し訳ありません。理解できません」

     椅子に背筋を伸ばして腰かけるアンドロイド。鉛白色の毛髪も、美しいブルーの瞳も、何もかもが彼女と変わりないのに、感情だけがごっそりと抜け落ちて、文字通りただのアンドロイドのように振る舞う。目の前のそれが“ハンナ”であると言うことに、オリヴァーは酷い怒りを覚えた。
     淡々と告げられたその一言に、オリヴァーは確信していた。ハンナは嘘をついている。記憶が喪失したなど、真っ赤な嘘であるのだ。
     フジがメンテナンスをして、問題ないと発言までしたのに、それすらを覆してフジとオリヴァーを騙し抜こうとしている。それほどまでに、ハンナはオリヴァーを拒絶しているのだ。友達だったはずなのに、何故。
     怒りばかりが沸々と沸き上がってくる。
    「……ほらな、 見たことか……だから修理したって無駄だと言ったんだ……!」
     フジはオリヴァーにかける言葉を見つけられないのか、それとも何かを知っていて黙るしかないのか、どちらにせよ空気は重たく、オリヴァーは今すぐにでもその場から姿を消したい気持ちでいっぱいであった。
     それなのに、神経を逆撫でするようにハンナがスッと挙手をして話し出す。
    「質問があります。 ハンナとは何を表すものでしょうか。先ほどはわたしに対して発言されたように思えます」
     その問いにフジが答えて二人はなんでもないように挨拶を済ませたがオリヴァーにはそんな気持ちなど微塵も沸き上がらなかった。けれどもハンナはその様子を気にするでもなく続ける。
    「では、フジ先生、オリヴァー。はじめまして、わたしは汎用アンドロイド、ハンナ。あなたの生活を豊かにするためのアンドロイドです。わたしの管理所有者はどちらになりますか?」
     ハンナが発したその言葉は、全てのアンドロイドに共通する初期起動時のフレーズだった。久しく聞くことのなかった、機械じみた言葉の羅列。
    「ハンナ、君の管理所有者はいない。人類は、皆遠い昔に滅びたのだ。わたしの管理所有者も、オリヴァーの管理所有者も……」
    「それでは、わたしは何のために起動されましたか?」
    「……すまない、わたしはその問いに対する明確な答えを持ち合わせていない。わたし達が活動する理由はすでに失われた。しかしわたし達のように活動を続けるアンドロイドの中には、活動停止を恐れるものもいる」
    「それは何故ですか?」
    「死が怖いからだよ」
     オリヴァーは思わず口を挟んだ。
    「アンドロイドに死はありません」
     ハンナが返す。あの日と真逆のハンナに顔をしかめた。
    「あるよ。お前には、もう何もないかもしれないが」
     出会った頃と同じでありたかった。
     ひとりで死ぬのは怖いでしょ、と手を差し伸べてくれたハンナと、その手を取ったあの日のオリヴァーのままでいたかった。けれども、どうあがいてもハンナは記憶を失くしたふりを突き通すらしい。
     空気を変えるようにフジが発した。
    「……オリヴァー、ハンナに都市を案内してやったらどうだろうか?」
    「はぁ? なんで僕が……」
     急になんなんだ、馬鹿かコイツは、という視線で見てみれば、フジはいつものように穏やかな表情で続けた。
    「だってハンナにはもう記憶がないんだから、これからを生きるためには必要だろう」と、言ったがそれをハンナが拒む。
    「必要ありません。外界センサーは正常に作動しており、地形の把握が可能です」
     オリヴァーはその話に付き合う気などさらさらなく、けれどもハンナの言葉は気になって、そっぽを向いたままその場にいた。オリヴァーが会話に混じらずとも、フジとハンナは構わずに続ける。
     フジと数度言葉を交わしたあとハンナが言った。
    「そう……ですか。理解しました。ではフジ先生、オリヴァー、わたしとあなたは友人です。これからよろしくお願いします」
     フジは「そうだね」と返したけれどオリヴァーはそんな風に優しく返す余裕も優しさもなかった。
     なんだか時が止まったように、一瞬、とても静かに感じた。わたしとあなたは友人? だとしたら、どうして自ら身を投げたのだろう。どうしてそこに至る前に、何かひとつでも相談してくれなかったのだろう。
     じくじくと真っ黒な何かが滲み出ている気がした。それが形を成して、オリヴァーを嘲り笑う。
    ──お前も同じだ。本当に裏切ったのはどっちだ。誰が最初に嘘をついた。
     オリヴァーはそれを振り切って発した。
    「……僕は違う。お前は、友ではない」
    「以前のわたしを希望しているのであれば、データを提供していただければ対応可能です」
    「違う。そんなことをしても意味がない」
    「では、なぜ友ではないのでしょうか? オリヴァーの考え方はフジ先生とは違うということでしょうか?」
    「お前、ほんとうに白々しいな。お前には、もう僕の記憶がない。そうなんだろう? 僕はハンナが好きだったよ。でもそれは彼女が純真無垢で穢れのない、僕が美しいと思う心を抱いていたからだ。だけどどうだ。今のお前はそうであると言えるのか?」
    「……真意がわかりません」
    「うるさい。返事なんていらない。僕は今のお前を信じない。姿形が同じでも、お前はもう、ハンナじゃない」
     ようやく体を動かして、そのままフジの活動拠点を飛び出る。
     ハンナのことが好きな気持ち。
     ハンナに嘘をついてしまったという罪悪感。
     それが愛ゆえであるという身勝手な正当化。
     嘘をつかれたという寂しさ。
     何ひとつ相談してくれなかったという孤独。
     どれもこれもがオリヴァーの中にある感情で、けれどひとつに合わさることのないぐちゃぐちゃな感情。

     裏切ったことと、裏切られたこと。
     愛したことと、愛されていたこと。
     自分だけは、彼女の特別であると信じていたこと。
     彼女の特別は、自分であってほしいという希望。

     ひた隠したその薄汚れた感情さえも。

     何もかもを打ち明けるには、オリヴァーには勇気が足りなかった。
     それならばいっそ。 
    「こんな感情、消えてくれ」
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