元気の源エリアーヌは部屋の前で何度もノックしようとしては下げて、を繰り返していた。
脇には、ばあやが用意してくれたとびきり美味しい肉料理を乗せたワゴンがある。
ただ、なんと言って渡せばいいのか。
普通の食事にしては豪勢すぎであり、ましてや療養中の人間に食べさせるべきものかと言われれば否。
でも、グレンが食べたいと言っていたから。
ばあやの横で料理が出来上がるのをエリアーヌはじっと待っていた。
恩返しにしてはまだ足らないくらい。
グレンに命を助けられたというのに、彼が目覚めるまでエリアーヌは生きた心地がしなかった。
あの後、沈黙の魔女の従者はグレンを連れていき、エリアーヌは泣き疲れ、気がつけば擦り傷の手当てをされて侍女達にお風呂に入れてもらっていた。
鏡に映っているのは今朝と変わりない小綺麗に整えられた自分。
でもそんな自分はグレンが居なかったらここにはいない。
確かにあの瞬間、エリアーヌは死を覚悟した。
後悔も何も頭に過ぎらないほど。
貴族のお嬢様として育てられてきたエリアーヌにとって、自分は誰かと守られるべき存在であると疑ったことはなかった。
だけど、こんなこと望んではいなかった。
自分に纏わりつくはずだった黒い影がグレンを蝕む様子も、苦しみ藻掻きながらエリアーヌ達を救うために詠唱する姿も、目に焼き付いて離れない。
学園祭の時だってそうだ。
エリアーヌの謀が上手くいった試しがないのは、自分の行動や発言によって他人に与える影響を考えたことがなかったから。
自分が護衛も付けずにフェリクス様を追いかけようとしなければきっとこんなことにはならなかった。
安静にしているようにと一人部屋に残されたエリアーヌはうわ言のように何度も呟いた。
「私の、、、、私のせいで」
泣いてはだめだ。
泣いていてもどうにもならない。
そう分かっているのにとめどなく瞳からは涙が零れる。
堪えようと唇を噛み締め、嗚咽を押し殺すエリアーヌを優しく抱きとめてくれたのは母だった。
「エリアーヌ、大丈夫よ。グレンさんがとっても強いのはあなたも知っているでしょう?」
ちょっと暑苦しいくらいグレンの元気が有り余っている姿が脳裏を過ぎる。
今はそれが恋しくてしかたないと思えた。
母の言う通り、グレンは目覚めた。
あんな苦しかったのが嘘みたいに、屈託のない笑顔を浮かべて。
それがどれだけエリアーヌの心を暖かくしたか彼には分かるまい。
無事を願いつつも、もしも彼が目覚めなければ、もしもまたあの黒い影が襲ってきたら、目を閉じると過ぎる恐ろしい考えに怯えていた気持ちはもう綺麗になくなっていた。
「いけないっ料理が冷めてしまうわ」
慌てて、でも一度息を吐いて、扉をノックした。
「はーい。開いてるっスよ〜」
そんな彼のいつもの調子にエリアーヌは自然と笑みを浮かべていた。
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「本当に全部食べてしまうなんて」
「え、あ、エリーと食べたかったスか?」
「いえ、そうではなくて」
病人がこんなに食べて大丈夫なのか少し不安になったのだ。
当の本人は美味しい美味しいと言わずとも表情が語っているのに何度も呟いて、料理を完食した。
「は〜ほんっとに美味かった」
食事をこんなにふうに笑顔で食べる人を初めてみた。
「実家が肉屋なんでやっぱり肉が元気の源って感じっスね」
お世辞にも綺麗とは言えない食べ方。
でもマナーや礼儀を試される食事やお茶会は自然と気が張るので、美味しいものを美味しいと感じることなく口にしてきたことを少し惜しいと思ってしまった。
エリアーヌが黙っていることも気にせずに話を続けるグレンの顔色は良い。
確かに元気の源かもしれない。
「元気の源……」
「エリーよく見ると顔色あんまり良くないっすね。肉しっかり食べないとだめっスよ」
レディに対してなんて顔色が良くないだなんてなんて失礼な、と言い返そうとしたら
「今度エリーにも俺ん家の肉、ご馳走するっス」
まるで太陽みたいにグレンはにこにこと笑った。
普段のエリアーヌなら、
「お気持ちだけいただくわ」
そう言っていただろうに、しゅーっと気が抜けて静かに頷いていた。
本当はここに来た目的はもうひとつあったのだけれど、なかなかタイミングが掴めない。
エリアーヌはグレンが起きてからというもの機会を伺っていたけれど上手くいかず、まだ助けてもらったお礼すら言えてない。
いざ面を上げると、食欲が満たされたこともあってか、グレンはうつらうつらと船を漕ぎ始めていた。
少し呆れつつも、でも普段の彼と変わらない態度に心からほっとして、肩に籠った力が抜けたエリアーヌは静かに立ち上がった。
ワゴンを引いて部屋を出ようと振り返った時にはもう彼の意識は夢の世界へと旅立っていた。
「グレン君・・・・・・助けてくれてありがとう」
起きている時に伝えなければならない言葉。
先程は喉がつっかえて出てこなかったのに、私のお馬鹿。
普段の発言がどうしてもたたって素直になれないエリアーヌは何としてでも滞在期間中に感謝を述べるべく次の作戦を練り始めた。
一度や二度の失敗で諦めないのはエリアーヌの良いところでもある。
無意識にエリアーヌの足が浮き足立っていたことに彼女は気が付いていない。