傷口に氷「シリル、大丈夫かい?」
「はい……申し、訳、ございません」
「今日はこのままゆっくり休むといい。明日も無理はしないように」
扉が閉まる音がして、シリルは息を付く。
自分が今何と口走っていたのかさえも曖昧だ。
ベッドに横たえられたものの、身じろぎ一つすることは叶わない。まったくといっていいほど体の自由は効かず、全身が疲労を訴えている。
無茶をして魔力過剰吸収体質を引き起こしたあの日以来、シリルは自分自身の限界を見極め、努力し続けていた。そのつもりだった。
あの時から成長できていると思っていたが、そんなことはなかったのだ。
その証拠に、何一つ叶わなかった。
あの恐ろしく静かで、恐ろしく強い、バケモノには。
分厚い氷の壁も、鋭い氷の矢も、積み上げた努力の甲斐も虚しく、音もなく打ち砕かれた。
(まだ足りない。殿下のように立派なるためには、努力が……)
シリルの思考はままならなくなり、そのまま意識を失うように眠りに落ちた。
チュンチュン。小鳥の鳴き声に薄っすら意識が浮上し、目を覚ます。
目を細めて机の上の時計を凝視する。いつもの起床時間だ。
何故か体が重く、そのまま視線を下に向けて、シリルの思考は固まった。
シリルが着ているのは、セレンディア学園の制服だった。
ここは学園なのだから制服は問題ないのだが、問題なのは制服のまま眠ってしまったことだ。
眠っている間は身じろぎが少ないと言っても、皺がついている。
そこで、何故自分がそのような普段絶対にありえないであろうことをしているのか、記憶を手繰り寄せ……飛び起きた。
が、全身に上手く力が入らず、へにゃへにゃと崩れ落ちる。
「な、なんということだ」
今シリルの顔は蒼白である。
じわじわと蘇る記憶にシリルは手を額に当て、項垂れることしかできない。
・夜、男子寮を無断で抜け出す
・亀裂に立てかけねばならない板を戻し損ねる
・殿下におぶられ、部屋まで送り届けられる
よもや悪夢ではないだろうかとそっと手の甲を抓ってみるが、残念ながら夢ではなかった。
よりにもよって殿下の手を煩わせるなどあってはならないことだ。
殿下に会わせる顔どころか、母にも義父にも、顔向けできない。
不甲斐ない自分に憤慨し掌をぎゅっと握りしめる。
爪の跡がしっかりと残るほどに強く。
トントン。控えめなノックの音が聞こえ、シリルは慌ててベッドから立ち上がった。
「は、はい」
「あ、もう起きているんだね。私だ、フェリクスだ」
その言葉と共にフェリクスは部屋の扉を開けた。
「……シリル、何をしているんだい」
「昨晩はご迷惑をお掛け致しまして、誠に、申し訳ございません」
重たい身体を引き摺り、誠心誠意、己の気持ちを表す。
床に額を押し付けるシリルにフェリクスは小さなため息を吐き、彼の前にしゃがみ込んだ。
「シリルの悪いとこだね」
「な、なにがでしょうか」
シリルははっと顔を上げ、何を治せばよいのか、フェリクスの言葉を待つ。
「そういう真面目すぎるところだよ」
額を指で弾かれて、シリルは面を食らう。
「本当に、大事に至らないでよかった。けれど今日は医務室に行ったほうがいい」
「いえ、私はもう……」
大丈夫ですと続けようとすると、もう一度額を弾かれた。
「寝癖のついた姿で言われても何の説得力もないよ。いいかい? これは会長命令だよ」
フェリクスは晴れ晴れした笑顔で部屋を出ていく。
取り残されたシリルはゆっくりと立ち上がって、鏡を見る。
そこにはいつもは整っている髪がとんでもなく跳ねている己の姿が映っていた。
こんな姿を敬愛する殿下に見られ、シリルは羞恥心にベッドに顔を押し付け、声にならない声を上げた。