「なんでまだいんの?」
シャワーを浴びてびしょびしょのまま寝室に戻ってきた芭唐にそう問われて、腹を立てる気力も体力もなく録は「あのさ」と掠れた声で答えた。
「この状態で帰れる気なわけないだろ」
なまなましく行為の痕跡が残ったままの身体を動かすのも億劫で、とても服を着れるような状態じゃない。非難するような声を芭唐は鼻で笑って、キッチンからとってきたらしいビールの缶のプルタブを開けた。
「こないだは俺が風呂入ってる間に帰ってたじゃん」
「だから先月は修論がヤバかったんだってば」
それにここまで酷くなかった、とは言わずにおく。代わりに、寝室で飲むなと咎めようかとも思ったけれどそれもやめておいた。この家の主は芭唐で、何か言う権利も必要も録は持ち合わせてはいない。
「シャワーどうぞ」
「……動けなさ気」
「かわいこぶっちゃって」
壁に寄りかかったままビールを呷る芭唐に、どうして隣に来ないのと思うけれど問うことはできない。笑ってしまうくらい大きなベッドの上で、二人並んで眠ったことがないのはどう考えても録の所為だったので。
成人してすぐに寮を出て芭唐が暮らすようになったマンションが、録は苦手だった。都心の、異常にセキュリティがしっかりしているそのマンションの家賃は芭唐の年俸に相応で、本当なら録の人生で足を踏み入れることなんてないはずの場所だ。六年前から住んでいるアパートの三回目の契約更新をしようとしている録とはあまりにも生きる世界が違う。
提出のギリギリまで修士論文が終わらなくて時間がなかったのは本当だけれど、そうでなくても居心地が悪くて、いつも理由をつけて泊まりを避けていたのは事実だった。
その所為だけではないだろうけれど、最近は会うたび芭唐の機嫌が悪い。ほとんど暴力のようなセックスを終えて、すぐに帰れと促されるくらいには。
「俺、別にやるために会いにきてるわけじゃないんだけど」
「いつも終わったらすぐ帰るのに?」
泣きながらやめてと懇願してもやめてもらえないのに、なんでこちらが「ヤリモクの彼氏」みたいな体で非難されるのかわからない。
全部投げ出して今すぐに帰りたいような気持ちもあるけれど、壁際から動かずにこちらを見ている芭唐が何かにつかまったみたいな暗い目をしていて、録にはそれが気掛かりだ。
「まあ、俺はやれりゃなんでもいいけどね」
飲み終わったのか缶をサイドテーブルに置いて、漸く芭唐がベッドの上にあがってくる。覆いかぶさるようにして見下ろされて、「帰らないならもう一回する?」と笑い混じりの声に問われた。
「髪、乾かしてからにしろよ」
「ヤダよ乾かしてる間に録先輩帰るでしょ。今すぐ帰りたいって顔してるもん」
「……今日は帰りたく、ないよ」
「録先輩ウザい」
言葉とは裏腹に少し笑った顔と頰に触れる指先が優しくて、録は諦めに似た気持ちで目を閉じた。
きっと嘘は芭唐には見透かされている。だって、違う世界にいる芭唐と隣り合って眠る方法が録にはわからない。